<ドクターヘリの安全>
死亡無事故のカナダ救急飛行 米ヘリコプター救急の事故は、多くの人が声高に「アンゼン、アンゼン」と叫びつつ、依然として絶えることがない。今年も1月以来5件の事故が発生した。年末までにまだ3ヵ月を残しているので、これで終わりというわけではないが、1〜9月の状況は下表の通りである。
〔資料〕米NTSBウェブサイト
日時 場所 組織 機種 死者 負傷者 2010.2.5
1920時テキサス州エルパソ
サウスウェスト・メデバック
AS350B2
3 0 2010.3.25
0600時"テネシー州ブラウンズビル
メンフィス医療センター
AS350B3
3 0 2010.6.2
1400時テキサス州ミドルシアン
ケアフライト
ベル222
2 0 2010.010.7
1920時オクラホマ州キングフィッシャー
イーグルメッド
AS350B2
2 1 2010.8.31
0400時アーカンソー州ウォルナッツ
エア・エバック
ベル206L
3 0 本頁でも、アメリカのヘリコプター救急飛行の事故については繰り返し書いてきたが、2009年2月のNTSBの公聴会でなされたカナダの証人、カナディアン・ヘリコプター社のシルベーン・セクィン副社長の証言は、カナダでは救急飛行の開始以来30年以上にわたって死亡事故は起こしていないという点で、その安全策が注目された。以下は、その証言をHEM-Net安全研究報告書のために要約したものである。
1995年1月、日本の神戸で大地震が起こった。この地震で6,000人以上の犠牲者が出たが、このとき人命救護のためにヘリコプターはほとんど使われなかった。もしヘリコプターが使われていれば、もっと多くの人が死を免れたにちがいない。
それ以前から、救急専門医やヘリコプターの関係者たちは、欧米に見られるようなヘリコプター救急の制度を日本にも整備すべきだと主張してきた。そうした意見の持ち主が集まって日本エアレスキュー研究会が発足したのは1994年夏。その半年後、案の定といわんばかりに神戸の大地震が起こったのである。
こうした反省から4年後、1999年夏ようやく、日本政府中枢部の内閣官房が事務局となって「ドクターヘリ調査検討委員会」が発足した。同時に救急装備をしたヘリコプター2機を2ヵ所の病院に置いてヘリコプター救急の実験的な運航を1年間にわたって実施した。
その実験の結果と委員会の結論により、2001年4月から本格的なヘリコプター救急制度が発足する。日本では、これを「ドクターヘリ」と呼び、国と都道府県が半分ずつ負担して民間ヘリコプター会社から救急装備の専用ヘリコプターをチャーターし、救命救急センターに拠点を置いて救急飛行にあたっている。
飛行に際しては、パイロットのほかに医師と看護師が同乗する。さらに機付整備士が乗って航法、無線連絡、見張りなど副操縦士の役割を果たし、飛行の安全性を高めている。
ドクターヘリの拠点数は今年4月現在、全国22ヵ所になった。発足から9年間の出動実績は3万件を超え、28,000人以上の患者がヘリコプターで救護された。
それでも、日本のドクターヘリはまだ足りない。当面は全国47都道府県に1ヵ所ずつの拠点配備が目標だが、それに対して現状は半分に満たない。目標に達するのは5〜6年後のことになろう。
だが、この目標は必要最小限の拠点数にすぎない。そのあとはさらに細かく、山岳地や離島の多い医療過疎地に重点的にヘリコプターを配備する必要がある。それらを加えて、最終的なドクターヘリ配備の理想は、およそ80機と見られる。その理想の体制が実現するのは今から10年後くらいになるであろう。
(西川 渉、2010.9.20)
【関連頁】
"Japan - a recent success"(4 Rescue, Vol.11, Fall 2010)
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