<鹿児島県ドクターヘリ>

即時要請と高速飛行

 

鹿児島市立病院救命救急センター長
吉原秀明先生に聞く

 鹿児島市立病院を訪ねたのは4月上旬、市内の桜の満開が宣言された日であった。ほのかな薫風を感じながら救命救急センターに入ると、廊下の長椅子には緊急手術を受けている人の家族だろうか、何人かが声をひそめてすわり、静かな緊張感がただよっていた。

 救急医療という観点からすれば、鹿児島県はおそらく日本でも、とりわけ困難な地勢であろう。本土は錦江湾によって薩摩半島と大隅半島に分断され、南方洋上に向かっては多数の離島がつらなる。いわば海水面が救急医療の障碍であった。したがって患者の死亡率も都道府県別で見ると悪い方に属するというのが、これまでの統計が示すところである。

 そこへ救急専用のヘリコプターが投入された。海水面上は一転して、山岳や電線といった障碍物のない、飛びやすい空域に変わった。地上手段では何時間もかかる湾の反対側へも、ヘリコプターは15分ほどでやすやすと飛びわたってゆく。これで県民の間に急病人が助かるという期待が一気に広がった。その期待を担ってドクターヘリを推進するのが吉原秀明先生(下)である。

全国平均を上回る出動要請

――鹿児島県ドクターヘリの運航は昨年12月26日に始まったそうですが、どのくらい飛んでおられますか。

吉原 3月末までの97日間で190件の出動要請を受けました。

――とすれば1日2件、1ヵ月60件の要請ですから、全国平均を上回ります。県下の各消防本部がドクターヘリを如何に積極的に活用しようとしているかがよく分かりますね。

吉原 実際に患者さんの救護に至ったのは、そのうち136件です。未出動事案の原因は気象条件が良くなかったり、夜間にかかったり、別の任務に出動していたなどです。また途中でキャンセルになった例が発生する原因は、ヘリコプターの出動を早めるために、救急車が現場に行って患者さんの容態を確認してからではなく、119番の電話覚知をもって判断してもらうようにしているためです。

――電話だけの判断は、どのようにしておこなうのですか。

吉原 キーワード方式です。兵庫県の豊岡病院と同じように、患者さんが「倒れている」「反応がない」「息ができない」などの症状を呈していたり、交通事故ならば「自動車の中に閉じこめられている」「車体が大きく変形している」などの通報があったときです。「生き埋め」や「溺れている」などの通報もすぐにヘリコプターを呼んでもらいます。

――ロンドンのヘリコプター救急も、1990年に始まった初年度は1年間で1千件の出動をしましたが、その4割が途中キャンセルという記録が残っています。しかし、それでも構わない。ヘリコプターが呼ばれずに患者さんが死亡するくらいならば、無駄でもいいから飛ぶのだというので、病院や救急本部が如何に張り切ってヘリコプターを活用し始めたかが分かります。今では途中キャンセルは15%前後に落ち着いていますが。

吉原 われわれも全く同じ考え方です。それでも消防本部には、まだ不慣れなところもありますから、電話を聞いただけでヘリコプターを呼ぶのをためらう担当者もいます。しかしヘリコプター要請のためのキーワードは一種の免罪符になります。現場の担当者が後で何かいわれるのではないかと心配しながら判断するというのは、これはシステムの欠陥です。逆にシステムが担当者を守るようでなければいけない。こうした実例が積み重なってゆくうちに、高い精度でヘリコプターを呼べるようになる。最終的にはキーワードに頼らなくてもいいかもしれません。

6割前後が即時要請

――今のところは、まだヘリコプター要請まで時間がかかることもあるわけですね。

吉原 即時要請はだいたい6割前後です。もともと消防機関には現場で患者さんを診なければ分からぬという意見も強い。したがってヘリコプターを呼ぶのは現場確認をしてからということになる。あるいは救急救命士が応急処置をしたあと、患者さんの受入れ病院が見つからずにヘリコプターを呼ぶといった例もあります。結局、何もかもひっくるめて全体では119番覚知から出動要請まで平均8.3分になっています。それでも全国ドクターヘリの昨年の平均の半分くらいです。

――もうひとつの問題は、病院とヘリポートが離れていることですね。

吉原 だからこそ即時要請にこだわるわけです。この病院は2015年に市内の別の場所に新しく建て替えることになっています。そのため今ここで無理をして、すぐ近くにヘリポートをつくっても無駄になる。やむを得ず、やや離れた海岸にヘリコプターを置くことにしました。けれども、それでは医師が病院から駆けつけるまでに時間がかかる。現在は小型のラピッドカーで走り、5分ほどでヘリポートに到着しますが、それでも、その時間だけ余分になる。これを取り戻すには消防本部から即時要請を出して貰う必要があるわけです。

――私もヘリポートで見ていましたが、ドクターとナースの乗った小型車がサイレンを鳴らしながら大変なスピードで走ってきました。

吉原 結局119番覚知からドクターヘリが離陸するまでの時間は15.3分です。全国平均は、ヘリコプターが病院の屋上や敷地内に待機していても20分くらいかかっていますから、それより早い。しかも、われわれの使用機は速度が速いので、患者さんのいる現場到着までの時間は119番覚知から平均24.8分です。

――全国の平均は33分くらいですから、10分近く早い。つまりキーワード方式による即時要請と、高速のAW109SPグランドニュー・ヘリコプターを使うことで、病院とヘリポートが離れているというハンディを克服して余りあるといえるかもしれません。

吉原 豊岡病院は現場到着が全国で最も早く、覚知から23分です。鹿児島の実績はまだ3ヵ月ですが、豊岡に肉薄しつつあります。3年後に新しい病院が完成し、屋上ヘリポートが完成したあかつきにはハンディもなくなるわけですから、全国一をめざすつもりです。


病院の正面玄関前に待機する高速車
出動要請がかかると、ドクターとナースは
これでヘリポートへ急行する

ドクターヘリは市内でも有効

――鹿児島県には、どのくらいの消防本部があるのでしょうか。

吉原 全部で16です。けれども地域によって、ヘリコプターを呼ぶ頻度に格差があります。ただ嬉しいことに、鹿児島市内からの要請が多い。ドクターヘリ事業が計画された当初は、鹿児島市民よりもへき地の住民にメリットが多くて、市民はたいした恩恵は受けないだろうという見方がありました。ところが、ドクターヘリが飛び始めると市内からの要請がだんだん増えてきた。

――ロンドンなども、大都会の中で市民救護のために年間1千件ほど飛んでいます。

吉原 都会だからといって、ヘリコプターが要らないわけではありません。鹿児島県でも初めのうちは薩摩半島南端の指宿(いぶすき)への出動が多かった。しかし最近は鹿児島市内への出動が急増し、指宿を超えてしまいました。実際、経験を積んでゆくと、近いところでも効果の高いことが分かってきたし、市の消防本部もドクターヘリの効果が意外に高いことを認識したものと思われます。

――県によってはせっかくドクターヘリが飛んでいるのに、全く要請を出さない都市があります。ドクターヘリの導入計画にあたっても、初めから県庁所在地を除いて田舎の需要だけを考えながら計画を立てるところもある。本当は、ドクターヘリは近いところでも遠いところでも有効なんですが……。

吉原 もとより、われわれはへき地を軽視するわけではありません。鹿児島県の特徴として、病院数は全国2番目に多い。けれども医師の数はさほど多いわけではなく、平均なみです。ということは医師分散型の医療体制になっている。つまり赤ひげ先生は多いけれど

も、重篤の患者さんは遠くへ運ばないと治療ができない。その場合、今までは救急車で長時間の搬送をしていた。しかも医療過疎地からの搬送には医師がついてこれません。そのため鹿児島市へたどり着いたときはバイタルが不安定となり、助からないという結果にもなります。


アグスタウェストランドAW109SPグランドニュー
引込み脚で毎時300キロ近い高速飛行性能を発揮する

救命センターに広域消防本部を

――そこで、ドクターヘリの出番というわけですね。

吉原 平成19年の数字ですが、鹿児島市外から市内の病院へ搬送されてきた重症の患者さんは約1,200人でした。そのうち980人が30分以上かかっており、344人は1時間以上かかっています。また指宿からは年間500人以上の重症患者が30分以上かけて搬送されてきますし、鹿児島市内ですら搬送に1時間以上かかる例が30人、30分以上かかる例だと560人以上あります。こういう人がドクターヘリの対象になるはずです。

――離島からの搬送も多いのではないでしょうか。

吉原 鹿児島県の離島は南へ向かって500キロの遠くまで点在しております。しかし余り遠いと時間ばかりかかって救急効果が薄くなる。また1時間以上もかかるようなところへ行ってしまうと、その間は本拠地の需要に応じられない。さらに離島の患者さんは、家族も一緒にきたいという希望が多く、ドクターヘリの大きさでは応じきれないこともあります。いろいろ考えると、遠い離島の場合は、防災ヘリコプターも検討した方がいいのではないかと考えます。

――そこで奄美大島にも鹿児島県2機目のドクターヘリを置くというお話もあるようですが。

吉原 それには県立奄美大島病院が想定されていますが、これから救命センターをつくり、専門医師を集める必要がありますので、今すぐというわけにはゆかない。3年くらい先のことになるでしょう。

――ヘリコプターは広い範囲を高速で飛びますから、広域搬送が可能です。ヨーロッパではスイスとフランス、ドイツとオランダなど国境を越えて協力し合っている例も少なくありません。

吉原 われわれも、ゆくゆくは県境を越えて飛ぶことが考えられます。そのため宮崎県や熊本県など隣接県同士の協力体制をととのえておく必要があります。

――ドクターヘリの将来像について、何かお考えがあればお聞かせください。

吉原 将来的には広域の消防本部を救命センターの中に置いてもらいたい。それが病院と一体になって119番の救急電話を受ける。そこには医師もいますから、メディカル・コントロールの下に救急現場に何を派遣するか。救急車かドクターカーかドクターヘリかを判断し、出動指令を出す。

――フランスがそんな形になっていますね。

吉原 そうです。病院の中にある救急本部にヘリコプター、ドクターカー、救急車が一緒に待機していて、どれでも必要に応じてドクター、ナース、パラメディックが乗って出動する。救急事案の電話覚知から、出動指令、初期治療、病院選定などの全てを1ヵ所で取り仕切ることにより、迅速・的確な救急医療が可能になる。「たかが1分、されど1分」です。その将来像を見据えながら、一刻も早い救急治療ができるよう努力し、ヨーロッパに追いついて行きたいと考えています。

――吉原先生の熱情あふれるご努力を強く感じました。本日はお話の途中で急患治療の呼び出しがかかるなど、大変お忙しいところを有難うございました。

(西川 渉、HEM-Netグラフ2012年6月18日号掲載)


この日、鹿児島市内は桜が満開であった

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