<鹿児島県ドクターヘリ>

救急医療の手遅れをなくす

 

 アグスタウェストランド社の躍進ぶりがめざましい。同社は1971年以来、長年にわたってA109軽双発ヘリコプターの生産、改良、強化を進めてきたが、最近はそこから発達型のAW109グランドや、高地の飛行に適したスイス・エアレスキューREGA向けのAW109ダビンチを生み出し、2009年にはAW109SPグランドニューが型式証明を取得した。

 一方で、2001年に初飛行し2003年に型式証明を取得したAW139(16席)が大きな成功を収め、この7月なかば量産500号機が完成したばかり。同機はイタリアに加えて、アメリカでも最終組立てがおこなわれており、ロシアでも生産準備が進んでいる。最近までのAW139の受注数は640機となった。

 さらに目下、AW139よりもやや小さい4.5トン級のAW169(10席)の開発が進み、2011年末に初飛行した8トン級のAW189(18席)も海底油田市場を主な目標として開発が進んでいる。この分野には、すでに多数のAW139が飛んでいるが、AW189の登場はアグスタ機の立場をいっそう強固なものにするであろう。まもなく原型2号機も飛び始める。

 こうしたAW139、AW169、AW189は相互の共通性を高めるため、コクピットに同じアビオニクスを装備する。この共通性により、現在AW139を操縦しているパイロットは、ごく短時間の訓練でAW169やAW189の操縦が可能になるという。今後の開発日程は、AW189が2013年に型式証明を取り、2014年に引渡し開始。またAW169は2014年に型式証明、2015年に引渡し開始の予定である。

 なお、アグスタウェストランド社はティルトローター機AW609の実現にも意欲を燃やし、開発と製造権の一切をベル社から買い取って2016年初めの型式証明取得をめざしている。


AW169

グランドニューの特徴

 こうしたアグスタ・ヘリコプターの中から、ここでは日本に新しく登場したAW109SPグランドニューに焦点を当て、鹿児島県ドクターヘリとして活動しているもようを見てゆきたい。

 グランドニューは2009年から量産機の引渡しに入った。これまでのAW109Eパワーにくらべて下の表に示す通り、標準座席数は操縦席を含めて8席と変わらないが、キャビン内部が0.2mほど長くなり、容積も増えた。

 エンジンはプラット・アンド・ホイットニーPW207Cターボシャフト(735shp)2基を装備、合わせて200shp近く強化されて出力の余裕が生じ、搭載量も増加した。最大速度や高速巡航速度は変わらないが、航続距離は満席でも800km以上を飛ぶことができる。

 これらの差は、他の同級機とくらべるといっそう開きが大きく、最大311q/h、高速巡航289q/hは他に例を見ない。通常は巡航277q/h(150ノット)だが、こうした速度性能はエンジン出力の余裕に加えて、空力的に洗練された機体形状と引込み脚にも由来する。

 コクピットは4軸のオートパイロットと最新のデジタル計器パネルを備え、左右操縦席の前に配置されたEFIS画面には3次元の立体合成システム(SVS)を採用、自機の位置と高度をGPSでとらえ、あらかじめ記憶した地形と照合して最適飛行経路をトンネル状に示す「ハイウェイ・イン・ザ・スカイ」(HITS)や、周辺の地形と障害物をカラー表示する「地形認識警報システム」(HTAWS)などを装備する。これらのシステムが標準装備になっている点も、グランドニューの大きな特徴である。

 主ローターブレードは、先端の前縁が円形に削られ、後縁にも三日月形のくぼみを入れて、高速飛行時の抵抗を減らすと共に、騒音の軽減をはかっている。

AW109ヘリコプター比較表

    

AW109SPグランドニュー

AW109Eパワー

ローター直径(m)

10.8

11.5

全長(m)

12.9

13.0

エンジン

PW207C

PW206C

最大出力(shp)

735×2

640×2

総重量(kg)

3,175

3,000

有効搭載量(kg)

1,125

1,047

最大速度(q/h)

311

311

高速巡航速度(q/h)

289

289

航続距離(km)

838

576
 

高速ゆえにフロート不要

 さて、このようなグランドニューは、ドクターヘリとしてどのように飛んでいるのだろうか。鹿児島市立病院を本拠とするドクターヘリの運航が始まったのは昨年12月26日だが、当初は予備機のパワーが使われた。これが正式のグランドニューに変わったのは今年1月23日で、このときから本領発揮となった。

 運航を担当するのは鹿児島国際航空。同社専務取締役の榎田和也機長と整備課長の上田茂整備士によれば、従来から全国20機を超えるA109警察機のパイロット訓練に当たってきたので、109シリーズの運航に関してはどこにもひけを取らないという。

 運航範囲は鹿児島市を中心とする県内全域。南方は沖合500kmの遠くまで離島が点在するので、今のところは片道210km、飛行時間にして45分ほどの中之島あたりを限界と考えている。ただし実際には、まだそこまで飛んだことはない。無論それ以上でも飛べないわけではないが、余り遠くて時間ばかりかかっては救急医療の意味がなくなる。その代わり、いずれ将来は奄美大島にも別のドクターヘリを配備する必要があるという考えが出ている。

 このように洋上を飛ぶ機会が多いと見られるけれども、このグランドニューにはフロートがついていない。航空法施行規則第150条には要旨「多発の回転翼航空機が陸岸から巡航速度で10分以上離れた水上を飛行する場合」は緊急用フロートを装備しなければならないと定められているが、本機の速度性能ならば10分間で約45kmを飛ぶことができる。

 したがってグランドニューは陸岸から沖合90km先の離島まで、フロートなしで飛行可能となる。つまり中間点の45km以前に一発停止となったときは元に戻り、そこから先ならば先方の島へ片発で到達できるからだ。

 しかし10分間の飛行距離が35kmくらいの機種ならば、合わせて70km先の島までしかゆけない。それより遠くへ飛ぶにはフロートをつけなければならない。フロートをつければ、その分だけ自重が増したり、飛行中の空気抵抗が増えたりする。グランドニューの高速飛行性能は、このあたりにも生かされている。

キーワードに基づく即時出動要請

 もうひとつ、グランドニューの高速飛行性能が生きることがある。というのは病院とヘリポートが離れているからである。

 鹿児島市立病院は3年後に市内の別の場所へ移転することになっている。すでに建物の設計も終わり、目下建設準備が進んでいるが、それがはっきりしているだけに今ここで無理をして、病院の敷地内や屋上にヘリポートをつくっても、すぐ無駄になってしまう。そこで余り無理をしなくてすむ海岸のバス駐車場の一角に臨時ヘリポートを設けた。

 そこまで病院から約3km。出動要請がかかるとドクターとナースが小型ラピッドカーに乗って、サイレンを鳴らしながら走る。その時間が5〜6分。筆者も、この様子をヘリポートで見ていたが、向こうの道路から高速車が大変なスピードで走ってくる。それでも、あとで運転手に聞いたところ、サイレンを鳴らしても道を空けてくれない車もいて、なかなかスピードが出せないという話だった。まだ始まって3ヵ月だからやむを得ないところもあるが、ドクターヘリの意義が市民に滲透すれば誰もが協力するであろう。

 そのようにして高速車が走ってくる間にヘリコプターはエンジンを回し、いつでも飛び立てるようにして待ち、ドクターとフライトナースが乗りこむと同時に離陸する。あとは高速性能を生かして救急現場へ急行するのである。

 この出動時間を早めるために、鹿児島市立病院救命センター長の吉原秀明先生は、119番の救急電話を受ける各地の消防本部に「キーワード」にもとづいて出動要請を出してもらうよう依頼している。たとえば患者さんが「倒れている」「反応がない」「息ができない」などの症状を呈していたり、交通事故ならば「自動車の中に閉じこめられている」「車外に放り出された」「車体が大きく変形している」といった通報があったとき。さらに「生き埋め」や「溺れている」などの通報もすぐにヘリコプターが出動するという方式である。

 こうした即時出動要請によって、119番の電話を受けてからドクターが患者のそばへ到着するまでの時間は、3ヵ月間の実績が24.8分。従来の全国平均は33分ほどかかっているので、それより早く、ハンディを克服して余りあるといえよう。


病院からヘリポートへ向かう高速ドクターカー

手遅れをなくす「免罪符」

 従来、わが国のドクターヘリがとっている出動方式のほとんどは、消防本部が119番の電話を受けると、先ず救急車を送り出し、救急救命士が患者の容態を見て、ヘリコプターが必要と判断されたときにドクターヘリを呼ぶ。つまり救急車による最初の診断が終わるまではヘリコプターも飛ばない。もとより病院の方では救急事案が発生していることなど知らないし、また消防本部からの要請がなければ飛ぶわけにもゆかない。 

 というのは航空法施行規則第176条に「国土交通省、防衛省、警察庁、都道府県警察又は地方公共団体の消防機関の使用する航空機であって捜索又は救助を任務とするもの」は、航空法第81条の2によって離着陸の場所や飛行禁止区域の制限を受けないことになっているが、ドクターヘリはその中に入ってないからである。そのため、これらの「機関の依頼又は通報」によって出動することになるが、逆に消防機関その他の依頼がなくては、出動するわけにいかない。

 そこで鹿児島市立病院では、救急救命士が患者の容態を診るまでもなく、消防本部の電話担当者が前記のようなキーワードを聞いたときは、直ちにドクターヘリの出動を要請してもらうよう依頼している。結果として多少の無駄が生じるかもしれぬが、出動判断に時間をかけている間に取り返しのつかないことが起こる恐れがある。そういう事態をなくすことこそ、ヘリコプターを使うことの本義にほかならない。

 この考え方は世界各国のヘリコプター救急では普通におこなわれている。そのため通常15%前後の無駄な飛行が生じるが、その程度のことは人の生死にかかわる救急医療からすれば決して無駄ではない。日本は、そのあたりを極めて慎重かつ神経質に考える余り、ヘリコプターが飛ばないまま手遅れになるようなこともないとはいえない。

 このようなキーワードは、吉原先生によれば、一種の「免罪符」でもある。つまり、救急電話の担当者が、あとになって、あの飛行は無駄だったという非難を受けることがなくなる。先方が「意識がない」といったので、すぐヘリコプターを呼んだという理由が成り立つからであり、誰もそれをとがめることはできない。


桜島を背景に海岸そばの浜町ヘリポートで待機するグランドニュー・ドクターヘリ

人命尊重の社会勉強

 さて、このようにして出動したドクターヘリは、あらかじめ設定された「ランデブーポイント」に着陸する。これは救急車との合流地点で、鹿児島県では今のところ700ヵ所前後の場所が設定されている。その中から、消防本部や運航管理者は救急現場に最も近いところを選んでヘリコプターに指示を出す。

 ランデブーポイントの選定にあたっては河川敷や広場、空き地、グラウンド、そして小学校や中学校の校庭などについて地上調査をおこない、周囲の地形や建物、電線などの障害物を確認する。そのうえで安全と判断されたところを選んで番号をつけ、その番号をヘリコプターの航法装置にも記憶させておく。機長は指示された番号を打ち込むだけでオートパイロットが作動し、ヘリコプターを誘導してくれる。

 こうしたランデブーポイントの3分の2は校庭だそうである。子供たちが体育やスポーツに使ったり遊んだりしているところにヘリコプターが降りてくるのは危険ではないかと思われるかもしれないが、それにはドクターを初めとする関係者のなみなみならぬ努力があった。学校側もきわめて協力的で、病院や消防本部から「5分後にヘリコプターが行きます」といった電話を受けると、先生方はすぐに生徒を校舎の中に呼びこむ。生徒の方も分かっていて、ヘリコプターと救急車が校庭で出会い、患者さんの治療にあたっているようすを窓から見ている。これで救急医療への理解が深まり、人命尊重の社会勉強にもなるはずである。

 むろん学校からも近所の住民からも、ヘリコプターの騒音や安全に関する苦情は1件もきていない。

 このようにして、鹿児島県ドクターヘリは3月末までの97日間で190件の出動要請を受けた。これは1日2件に相当し、全国平均を大きく上回る。しかし、ヘリコプターがすでに出動したあとだったり、気象条件が良くなかったり、夜間にかかるおそれがあって断念したなどの事例を差し引くと、実際に患者の救護にあたったのは136件であった。それでも月間平均45件で、全国平均38件より多い。ドクターヘリが始まったばかりでこのような実績になるのは、鹿児島県民のドクターヘリに対する期待が如何に大きいかを示すものといえよう。

楽々とサイドローディング

 ドクターヘリで駆けつけた医師と看護師は、ランデブーポイントに着陸すると救急車の中に入り、その場で治療に当たる。そして患者の容態が安定したところでヘリコプターに乗せ、症状に適した病院を選んで搬送飛行をする。

 患者を寝かせたストレッチャーは、胴体側面のスライド・ドアからキャビンに入れる。グランドニューのドアは開口部が大きく後方へ1.4mまで開き、しかも床面の地上高が低いので、体重の重い患者でも搬入しやすい。 これまでのドクターヘリは胴体後部に貝殻ドアがあり、これを左右に開いてストレッチャーを乗せる。どちらが良いかという議論もあるが、胴体側面の方がやりやすいというのが関係者の言葉であった。

 もうひとつ、グランドニューが従来のドクターヘリと異なるところは着陸脚である。これまでのスキッド式に対して、AW109SPは車輪式である。不整地への接地が難しいのではないかという意見もあるが、これも逆で多少の凹凸ならば脚の緩衝装置の伸縮によってうまくバランスすることができる。

 そのうえ学校の校庭に降りるときなど、滑走着陸といえば大げさになるが、やや前方に滑らせるようにして接地すると砂ぼこりがたちにくい。スキッド式の場合は地上5フィートくらいでホバリングをして、それから真っすぐ降下するので、ホバリングに際して地面の砂や土を舞い上げ、吹き飛ばす結果となる。ひどいときは「ブラウンアウト」と呼ばれる現象を生じ、砂塵のために前が見えなくなったりする。そのためヘリコプターの着陸に先立って消防車を送り、校庭に水を撒いたりしなければならない。その間ヘリコプターは上空にとどまって待機することになるが、グランドニューは散水の必要がない。

 とはいえ、サイド・ドア対貝殻ドア、車輪式対スキッド式など、どちらかが絶対的に優れているというわけではない。運航の環境や関係者の慣れによって、それぞれに一長一短があるというべきであろう。

 改めて、グランドニューは、日本で最初に導入したのが朝日新聞社であった。「空のスポーツカー」といわれる高速性能が一刻を争う報道合戦に適するということであろうか。

 そして2機目は、ここにご紹介した鹿児島県ドクターヘリだが、同じように高速・長航続の飛行特性が生かされている。3機目は間もなく企業の自家用機として入ってくる。さらに今年度中には佐賀県と鳥取県の警察航空隊にも配備される計画である。

 そしてドクターヘリとしても、今後さらに増えてゆくであろう。グランドニューの多彩な前途に期待したい。

(西川 渉、月刊「エアワールド」誌2012年8月号掲載に一部加筆、2012.7.17)


アグスタウェストランドAW109SPグランドニュー
引込み脚で毎時300キロ近い高速飛行性能を発揮する

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