ヘリコプターの新しい安全基準を創る

シコルスキーS-92

 

 

 シコルスキーS-92が注目されている。他の同クラスのヘリコプターにくらべて一見何の変哲もない外観ながら、その中には新しい安全基準にもとづく最新の技術が秘められているからである。ここに、その一端を見てゆくことにしよう。

  

損傷許容設計を適用

 S-92大型双発タービン・ヘリコプターの開発構想が生まれたのは、1990年代初めである。開発着手が正式に公表されたのは95年6月12日のことだが、当時シコルスキー社が考えていたのは、すぐれた実績を重ねてきたH-60軍用機の派生型として民間機を開発しようというものであった。これは欧州製のスーパーピューマに対抗すると共に、引退時期が近づいたS-61の後継機というねらいもあった。

 したがってS-92は、軍用機の開発に見られるような政府との契約にもとづくものではなく、シコルスキー独自の自主開発である。そのため開発リスクは大きくなったが、却ってその方がよかったかもしれない。というのは、いつまでに完成といった期限がないため、時間をかけた慎重な研究、設計、試験が可能になったからである。

 その結果、いま最終的にでき上がったS-92は、H-60の単なる派生型ではなく、沢山の新しい技術を取りこみ、安全性、信頼性、整備性、経済性にすぐれた航空機となりつつある。しかも、目標市場は民間機と軍用機の両方の市場をねらうところにまで拡大したのである。

 とりわけシコルスキー社がS-92の設計でめざしたのは、頑健で点検整備のやりやすい安全なヘリコプターを実現することであった。そのための革新的な技術は「損傷許容設計」である。これは米国と欧州の航空規則FARおよびJARパート29に定められた新しい設計基準で、重要装備品に目に見えぬような小さな傷があっても、それが部品の耐用性を損なわぬような強度を持たせ、システムのリダンダンシー(冗長性)を備えることが要求されている。

 S-92は、この基準が初めて適用されるヘリコプターでもある。たとえば部品を運搬中にぶつけたり、整備作業中に引っ掻いたりして、微細な当て傷や掻き傷が生じた場合、大きくなるまでの時間が長ければ安全を保つことができる。

 具体的には、ローターヘッドなどの重要装備品に0.13ミリ程度の傷があっても、それが目に見えるまで、1ミリくらいの危険なクラック(亀裂)に発展するまでには、少なくとも1,250時間は安全に飛べるような強度がもたせてある。ここで1,250時間ごとの定時点検がおこなわれ、傷が発見されるわけである。さらに、定時点検で見つからないような0.13ミリ以下の傷があっても、30,000時間は安全に飛べるよう設計されている。

 S-92は、こうした厳格な安全基準のもとに設計され、試験された航空機である。シコルスキー社は、この基準に適合させるため、重要装備品のすべてについて目に見えないような引っ掻き傷や大きく見えるような打ち傷をつけて、さまざまな飛行状態を想定した荷重をかけながら耐久試験を進めている。

 

ローター系統の設計概念

 では、S-92の各装備品について、それぞれの特徴を見てゆこう。主ローターはヘリコプターの最も重要かつクリティカルな部分はだが、S-92のローターヘッドにも上述の損傷許容設計が適用されている。

 当初、S-92のローターヘッドはH-60のそれを改良して使う予定だった。が、新しい基準に適合させることになって、シコルスキー社としては新たな設計概念にもとづき、大幅な方針変更をすることになった。その結果、損傷許容設計により、S-92のローターヘッドはチタニウム製のヨークを含めて、耐用時間は無限となり、エラストメリック・ベアリングも4,000〜5,000時間の耐用性を持つ。シコルスキー社では今、この新しいローターヘッドを、逆に米陸軍向けに計画中の発達型ブラックホーク、UH-60Xに採用することを考えている。

 ローターヘッドは、整備の手間や費用もかからぬように設計されている。そのため形状は簡素化され、部品点数は少なくなった。

 ローターブレードは4枚で、複合材製。最新の翼型を採用し、翼端は先端に向かって細くテーパーしながら後退角がつき、さらに下反角をもつという特殊な形状をしている。これでブレード渦の干渉作用が少なくなり、有害抗力が減って、振動や騒音が軽減する結果となった。またホバリング効率も良くなり、重量360〜400kg、すなわち乗客3人分の追加搭載に相当する揚力の増加がもたらされた。

 もうひとつ、このローター・ブレードの特徴は鳥衝突(バード・ストライク)に対する耐久性である。実際の試験でも、速度165ktで飛んでいるときに1kgの鳥がブレード先端にぶつかった場合、それでも進出距離の半分、370kmは飛びつづけられることが実証された。

 さらにブレード後流の影響を少なくするため、主ローターと尾部ローターとの間隔を350ミリまで拡大した。これはH-60の4倍の間隔である。

 尾部ローターは、ベアリングレスの複合材製フレックスビームに4枚のブレードが取りつけられているが、低騒音の翼型を採用し、回転数は100%で190rpm、105%で1,250rpmと変化させることができる。

 

整備費は3分の1以下

 トランスミッションは出力吸収能力が4,170shp。メイン・ギアボックスは新しい複合遊星歯車を採用、騒音が少なく、滑油がなくなっても30分間の飛行が続けられる。オーバホール間隔は6,000時間。連結シャフトは後方の中間ギアボックスと尾部ローター・ギアボックスを駆動する。システム全体の整備は簡便なオン・コンディション方式で、定時点検は不要である。

 エンジンはFADECつきのCT7-8が2基。当初はGE CT7-6Dターボシャフトを想定し、原型1号機はこれをつけていたが、間もなく換装された。出力は離陸出力が各2,400shp、最大連続出力が2,050shp。片発停止の場合は2分間までの緊急出力が2,500shp、30分間で2,400shpとなっている。この強力なエンジンによって、ほとんど如何なる気温でもS-92はカテゴリーAの垂直離着陸が可能となった。ほかのヘリコプターのように斜め後方へ上がって行く「後進離陸」をしなくてすむのである。。

 CT7-8に装着されたFADECはハミルトン・スタンダード製で片発停止の場合のパイロット訓練モードがついている。これは模擬的に最大離陸重量で片発停止の状態を再現し、計器パネルの上にそれを表示する。パイロットは、それに応じて訓練ができるが、逆に実際の不具合が生じたときは、自動的に訓練モードから抜け出して出力が回復する。

 民間型CT7と軍用T700エンジンは10,000基以上がつくられ、累計2,800万時間以上の飛行をしている。その実績は非常に良好で、安全性にもすぐれ、常にみずからの実績を採り入れながら改良されてきた。その結果、エンジン性能もさることながら、整備コストも安くなった。

 このことは、シコルスキー社がS-92の直接整備費を1時間あたり800ドルに抑えようという考え方にも合致した。800ドルというのは、S-70の3分の1以下である。

 機体後方に搭載した補助電源(APU)は、エンジン始動、地上電源、暖房、飛行中の緊急補助出力として使用する。

 燃料タンクは胴体左右のスポンソンの中に合わせて2,650リッター。このように機体側面の外部に燃料を搭載するため、これまでの大型ヘリコプターに見られたように床下に搭載するよりも、ハードランディングや不時着に際しての対衝撃性が高く、はるかに安全性が高い。また、タンクはセルフ・シーリング、燃料系統は吸い上げ式で、万一のときはスポンソンソンごとタンクをを切り離して不時着することもできる。

 なお標準タンクのほかに700リッター入りの補助タンク2個をキャビンの中に搭載できる。さらに胴体左右に短固定翼を張り出し870リッターずつのタンクをつけることもできるし、1,820リッターのドロップ・タンクの装備も可能。

 

胴体延長でドア拡大

 さて、S-92は昨年、開発の途中で胴体が延長され、尾部の一部が修正された。胴体はコクピットのすぐ後ろの部分を0.4m延ばしたものだが、これでキャビン内部が広くなったばかりでなく、スライディング・ドアの開口幅が1.27mまで広がり、吊り上げホイストなどを使用する救難業務がやりやすくなった。

 尾部の改修は、速度110km/hで進入すると機首上げの傾向が見られる点を改めるため。これまで垂直尾翼の上方左側についていた水平尾翼を、下方右側に移した。同時にテールパイロンを小さくして、尾部ローターの位置を1.04m下げた。これで胴体の延長による自重の増加も相殺されている。また艦載機として尾部を折りたたむようなときは小さくまとめられるようになった。

 テールパイロンの変更にあたっては、5種類の形状について試験飛行をおこなった。尾部の位置、大きさ、迎え角などを変えて試験した結果、今の新しい形状が選定された。これで機首上げ傾向が消えたほか、重心位置が良くなり、ホバリング姿勢は水平になった。なお水平尾翼はH-60と異なり、固定式である。

 コクピットは、新しいロックウェル・コリンズのグラスコクピットを採用している。計器パネルには150×200ミリの液晶ディスプレイ(LCD)4面が並ぶ。これに、もう1面の追加も可能。LCDは。いずれも多機能で、飛行、航法、エンジンなどの情報を表示、必要に応じて警報やテスト結果などを示す。

 ほかに姿勢方位表示システム、整備データ・コンピューター、BFグッドリッチHUMS、コクピット・ボイス・レコーダー、飛行データ・レコーダーなどが装備され、2つのロックウェル・コリンズデータ集中装置を通じてLCDに表示される。

 これらのLCD表示システムの開発には、シコルスキー社のテスト・パイロットも参加、飛行中のパイロットに見やすく、理解しやすく、見誤りや混乱を生じないような配慮がなされている。

 ほかに任意装備としてユニバーサル・フライト・マネジメント・システムと12チャンネルのUNS-1Cグローバル・ポジショニング・システム(GPS)を利用した衝突防止装置がある。この装置は地形に関するデータベースを内蔵していて、前方障害物の存在を警告し、過度の沈下率、低空、グライドパスからのずれなどの警報を発する。

 

ペイロードは約4.5トン

 キャビン内部は、旅客機としての標準配置が19席だが、VIP用のデラックス配置も考えられる。企業トップや政府高官の乗用機として、機内にギャレーや手洗いを設けることも可能。企業内部の社内コミューター便にも使えるだろう。天井は高く、乗り心地は快適で、機内騒音は80デシベルに抑えられる。最近は、ボーイング・ビジネス・ジェットがよく売れているように、ビジネス機だからといって小型機とは限らない。大きな機体にゆったりと乗れるビジネス機も売れるのである。

 安全面では、どの座席も16Gの衝撃荷重に耐えられる。非常脱出口はランプドアのほかに4カ所。うち3か所は窓だが、これも充分に大きい。さらに残り10か所の窓も外へ押し出せば脱出口となる。旅客機としては、ほとんど1人1か所の非常口がついているようなものといえるかもしれない。。

 海底油田に向かって海上を飛ぶときは、不時着水にそなえて緊急用フロートを装備する。これはシーステイト5(風浪の平均波高が2.5〜4m)までの海面で正常に使用できる。また14人乗りの救命いかだ2つが各スポンソンに収納される。ほかに防氷装置も選択装備として計画されている。

 軍用機としては、機内左右の壁面に座席を取りつけ、兵員22名の搭載が可能。これらの兵員は後方ランプからパラシュート降下することもできる。

 また海上パトロール、対潜水艦作戦(ASW)、機雷掃海、捜索救難(SAR)、患者搬送などの任務が課がられる。そのための救難用ホイストは最大重量270kgの吊り上げ能力がある。患者搬送の場合は担架12名分をのせることができる。またASW機としてはディッピング・ソナー、ソノブイ・ランチャー、機雷掃海システムを搭載する。胴体下面には監視レーダーの取りつけも可能。機外吊り下げ用のカーゴフックは容量4.5トンである。

 降着装置は前輪式の3車輪。最大離陸重量で毎秒7.9mの垂直落下、または124km/hでハードランディングをしたときのきわめて大きな衝撃エネルギーを吸収することができる。 

 

計画整備回数は8割減

 こうした高い安全基準にもとづき、装備品の長寿設計がなされたS-92の整備性はどうか。構造的には機体の随所に整備作業用のプラットフォーム、埋めこみステップ、手を入れるためのアクセスドア、点検口などがついている。部品数も大幅に減って、整備作業は50時間ごとの目視点検、1,250時間ごとの定時点検ですみ、あとはエンジン、ローター系統、アビオニクスなどのオン・コンディション整備をしてゆけばよい。

 その背景にあるのは、シコルスキー社とBFグッドリッチ社が開発した最新のHUMSシステムである。この総合診断装置は飛行中常に重要装備品の状態を監視しつづけ、着陸すると飛行中のデータを整備士のパソコンに送りこむ。パソコンの中では内蔵されていた正常データとの間で自動的に照合がおこなわれ、異常が見つかれば所要の交換部品を割り出すという仕組みである。

 その結果、飛行1万時間までの計画整備は、回数にしてS-61やH-60の8割減となり、1飛行時間あたり800ドルという整備費の目標も下回るに至った。ちなみに同クラスのヘリコプターは1時間あたり1,315ドルを要している。

 S-92の最大離陸重量は民間型が12,020kg、軍用型は12,837kgで、空虚重量は6,850kg程度。ペイロードは最大4.5トンである。ただし試験飛行やデモ飛行の段階では最大離陸重量14,000kgで飛んだこともある。

 飛行性能は、旅客機としては乗客19人の満席でも251km/hの経済速度で飛行すれば、航続距離は740kmに達し、JAR規則が要求しているように30分間+10%の予備燃料が残る。最大巡航速度は280km/hの高速性能をもつ。なお740kmという航続距離は北海油田における典型的な飛行区間である。

 最近までの受注数は確定15機。カナダのハリファックスに本拠を置いて石油開発の支援をしているクーガー・ヘリコプター社、バンクーバーで定期旅客便を運航しているヘリジェット・インターナショナル、フィンランドのコプターライン、ノルウェーのリース会社エアコンタクト・グループなどからの注文である。

 ほかにも、シコルスキー社はいくつかの企業から見積もり提出を要請されている。その用途は、石油開発や定期路線のほかに社内連絡、捜索救難、救急医療などで、これらを合わせると2005年までに65機分の生産に相当する受注が見こめるという。

来年中に引渡し開始

 S-92には、軍用機としての期待もかかっている。具体的な見積もり先としては、たとえばポルトガル政府は漁場パトロールや捜索救難のためにヘリコプター14機を買い入れる計画。オマーンは兵員輸送と捜索救難用に30機を購入したいという希望を持っている。アイルランドも5機の捜索救難機が必要という。

 最も可能性が大きいのはデンマーク、フィンランド、スウェーデン、ノルウェーの4か国から成る「北欧共通ヘリコプター計画」で総数59〜73機の調達が計画されている。これらは輸送、捜索救難、対潜水艦作戦に使われる。

 米国でも空軍のHH-60の買い換えが必要な時期になった。さらにカナダやイギリスも可能性が高い。日本の海上自衛隊も掃海、救難、輸送などのために検討中と伝えられるが、これらを合わせると数か月のうちに100機を超える受注の可能性もあるという。

 かくてシコルスキーS-92は10年以内に300機の生産をめざして開発が進んでいる。

 そのため現在5機の原型機が試作され、1機は地上試験、3機は飛行中で、間もなく4機目が飛行する。2002年秋までには約1,300時間の飛行試験をして、同年末に型式証明を取り、ただちに量産機の引渡しに入る予定である。

 そのときヘリコプターの世界には、これまでにない高い安全基準が実現し、新たな地平が開かれることとなるであろう。

(西川渉、『エアワールド』2001年10月号掲載)

 

『航空の現代』表紙へ戻る