エアライン受難

 

 

 

 いったい全体、旅客機がテロの手段になるなどと、誰が考えたであろうか。テロの対象としては考えられたかもしれぬが、手段としては考えなかったはずだ。それが何と、大変な恐怖の手段となってワールド・トレード・センターを崩壊させたばかりでなく、アメリカの威信を失墜させ、世界経済はおろか世界の安寧秩序すらゆるがせ始めたのである。

 そうした強力なテロの手段となったエアラインは、自らも壊滅的な打撃を被った。というのもテロの手段にされるような飛行機に乗るわけにはいかないというので、世界中の誰もが航空旅行をひかえるようになったからである。アメリカ人は当然のこと、日本でも大企業の多くが海外出張を禁止または減らすに至っている。

 アメリカの9.11多発テロから1か月。IATA(国際航空運送協会)の試算によれば、世界の定期航空業界は今年、25億ドルの赤字になると見られていたが、今やその3倍――70億ドルの赤字と予想されているらしい。旅客需要は15%減となり、エアラインの従業員は総数20万人が解雇されると見る。そして来年はもっと悪化するという予測である。

 航空業界の使用機材は、すでに8%がグランドしている。湾岸戦争のときもエアラインは不況におちいった。戦争がはじまると旅客数は25%減となったが、7か月後には回復に転じ、1年後にはもとに戻った。果たして今回のテロの影響は1年で回復できるであろうか。

 今や空港では、手荷物検査が恐ろしく厳しくなり、時間もかかるようになった。ワシントンからニューヨークへシャトル便に乗る人は、テロ以前はターミナルビルの前でタクシーを降りて飛行機の座席にすわるまで数分しかかからなかった。ところが今、それが2時間もかかるのである。

 というのも保安検査のためで、出発ラウンジでは金属探知器の感度を上げたために、ちょっとした金具にも反応し、ブザーは鳴りっぱなしになる。乗客はそのたびに何度も検査機の中をくぐらなければならない。コインやキーは無論のこと、ベルトのバックルやカフスからジーンズの飾りボタンにも反応するのだ。

 かくて今や、ほとんどの乗客が上着を脱がされ、ベルトを引き抜かれ、シャツをたくし上げ、靴の中まで調べられるようになった。

 そうしている間も武装した警官が乗客を見張っているし、どう猛そうな警察犬があたりを嗅ぎ回るといった具合。とりわけアラブ系の乗客は、しばしば別室に連れて行かれ、警察のきびしい検査と尋問を受けることになる。

 それでも、ようやく空港の検査を通って飛行機に乗ると、次は「絶対に座席を立たないでください」というアナウンス。トイレに行きたいといっても「ニューヨークまで1時間です。我慢してください」というのがスチュワーデスの答えで、今や飛行機に乗る人は2時間前から水分を摂るわけにはいかなくなった。

 これでは誰だって、なるべく飛行機に乗るのはやめようと思うのは当然だし、どうしても出かけなければならないときは車か鉄道を選ぶであろう。

 かくて、ワシントン〜ニューヨーク間のシャトル便は、以前は1日17便だったものが、いまや3便に減ってしまった。実際ワシントンのナショナル空港などは、ターミナルがゴーストタウンのようになってしまい、西部劇よろしくライフルをもった保安官が歩きまわっているだけである。

 こうした状況からエアラインの損害が余りに大きいというので、アメリカ政府は救済に乗り出した。補助金や融資補償を出そうというのだから、1978年の航空自由化はおろか、それ以前の1950年代以前まで半世紀も昔の政策に戻ってしまった。

 政府の支援額は150億ドル(約1.7兆円)。しかし如何に多額の資金を注ぎこもうと、どこまで支えられるのか。補助が効いている間に旅客需要が回復すればいいが、それまでにエアラインの資力、体力がなくなり、倒れる方が先ではないのかといった見方も出ている。

 この資金援助によって、アメリカ第3位のデルタ航空は政府から直接7億5,500万ドルを受け取ることになった。ところが、その直後に全従業員の15%、13,000人を年末までに解雇すると発表した。というのも、デルタ航空はテロ発生から1か月もたたずして10億ドルの損害をこうむった。今後少なくとも1年間は乗客数の回復がむずかしいと見られるためである。

 そのためニューヨークから東京、テルアビブ、ミュンヘン、チューリッヒ、ダブリン、ストックホルムその他の主要都市への飛行は、少なくとも来年3月まで中止することにした。飛行停止の処置を取った機体も60機に上る。これでデルタは11月から飛行便数を15%減とする予定だが、それでも座席利用率は3割程度しか維持できないと予想されている。これでは事業が成り立つはずはない。現金による支援も短期的な救済策でしかない。長くて年末までしかもたないという見方も出ているほどで、次はさらに新たな援助が必要になるであろう。

 アメリカン航空も2万人の解雇をするらしい。けれども将来見通しは不透明のままである。政府の援助も、8億ドル(約950億円)の大金を直接受け取ることになった。しかし、そのような資金援助と従業員の解雇だけでは解決にならない。やはり乗客が増えなくてはどうにもならないが、かといっていつになれば需要が回復するのか分からない。

 ユナイテッド航空も2万人を解雇し、座席供給量を20%削減すると発表している。USエアウェイズは100機以上の保有機を塩漬けにする。この中には737-200が42機、MD-80が20機、フォッカー100が40機含まれる。ノースウェスト航空もDC-10、DC-9、727、A320など21機を引退させる。サウスウェスト航空は今年中に受領予定だった11機の737-700を先送りにした。

  以上のような状況から、アメリカン、デルタ、コンチネンタル、ユナイテッドの各エアラインの経営トップは少なくとも今年いっぱいの報酬は返上することにした。ユナイテッド航空は役員全員の報酬を棚上げとし、株式配当も今年末までは出さないことにしている。

 かくて米エアラインから解雇された失業者は10万人を超えるもようである。しかも、これは大手エアラインだけの数字で、中小のリージョナル航空が打ち出している解雇策は、さらに上乗せになる。

 こうした被害は無論アメリカばかりではない。世界中に及んでいて、日本への影響も小さくないが、ここはアメリカだけの話にしぼりたい。

 このアメリカの状況を英『フライト・インターナショナル』誌(2001年10月2日号)は次表のようにまとめている。

 

米エアライン

直接援助額(億ドル)

解雇人数

サウスウェスト航空

3.21

――

アラスカ・エア

0.99

――

ノースウェスト航空

5.35

10,000

デルタ航空

7.55

13,000

USエアウェイズ

3.54

11,000

ユナイテッド航空

8.84

20,000

アメリカン航空

8.08

20,000

コンチネンタル航空

4.50

12,000

アメリカ・ウェスト航空

1.35

2,000
 

 こうしたエアラインの不調は、当然メーカーへも波及する。9.11多発テロの発生直前、世界のエアラインは総計およそ4,570機のジェット輸送機を発注していた。そのうち4割――約1,800機がアメリカのエアラインからの注文だった。

 また全体の約3分の1――1,550機が来年末までに引渡されることになっていた。その半数の760機が米エアライン向けの予定であった。

 しかし米エアラインは乗客数が6割も減ると見られており、2割の便数カットになる。そんな中で、向こう15か月間に750機もの新製機が必要になるはずはない。

 アメリカン航空は来年末までに60機のボーイング新製機を受領することになっている。デルタ航空は比較的少なくて、2002年12月までの受領予定数が22機だが、いずれにせよ引渡し数は減るだろうというので、ボーイング社は来年の新製機の製造数を2割減の400機程度とする計画を発表した。

 一方のエアバス社は、まだ生産数の削減については触れていないが、USエアウェイズは来年末までに34機のエアバス機を受領することになっており、今の状態で受け取れるかどうか疑問と見られる。

 さて、こんな暗い話ばかりを聞かされるのは誰だって厭であろう。そこで最後に、やや前向きの話をご紹介したい。それはアメリカ人特有の陽気な、楽天的な気分に、ちょっぴり負け惜しみが混じって、しかし「みんな元気を出そうぜ」という呼びかけにもなっている。エアラインも、これくらいの計算をして旅行者を励ましてはどうだろうという話である。

 それは山野さんのところへ、アメリカのご友人から送られてきた手紙である。「この1か月間、ニューヨークとワシントンからは毎日、死者の数が増えるニュースばかり聞かされました。われわれは決してこの悲しみを忘れはしませんが、しかしそろそろ気持ちを切り替えて、悲惨な死亡者数を別の側面から見直す時期がきたのではないでしょうか」

 つまり死者ばかり数えるのではなく、生残った人を数えてはどうかというのである。

 たとえばワールド・トレード・センターでは約50,000人が仕事をしていた。そのうち5,000人余りが死亡した。ということは生存率90%である。「学校の試験でも、90点を取れば褒められて、“A”の成績がつくでしょう」

 同じようにペンタゴンには23,000人がいた。そのうちテロ攻撃で死亡したのは、最近のニュースでは123人だったという。生存率はなんと99.5%に達する。

 一方ハイジャックされた旅客機の方だが、ペンタゴンに突っ込んだアメリカン航空77便は、客席が289席のボーイング757だった。しかし実際に乗っていたのは64人で、幸いにも78%が空席だった。

 またアメリカン11便は351人乗りの767だが、乗っていたのは92人で74%が空いていた。

 ユナイテッド航空175便のボーイング767(351席)は乗客65人で81%が空席。同じくユナイテッド93便は757(289席)に乗客45人で84%が空だった。

 以上をまとめると、総数74,280人がテロリストに狙われたことになる。けれども93%がその毒牙を免れたのである。「この生存率は心臓発作よりも、肺癌よりも、腎臓移植よりも、肝臓移植よりもずっと高いのです」と、ご友人は書いている。

 そしてこう締めくくる。「ハイジャックされた飛行機はほとんどが空席で、ペンタゴンでは最近補強されたばかりの最も頑丈な部分にぶつかってくれたし、ワールド・トレード・センターでは大多数の人が虎口を逃れました。ペンシルバニアに墜落した機内では少数の勇敢な乗客が犯人と闘い、自ら犠牲になりながら多数の命を救ったのでした……」

(西川 渉、2001.10.14)

 

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