郵便配達は3度ベルを鳴らす

 


 

 タンソ菌というから黒い粉かと思っていたら白い粉だそうである。よく見たら、菌の名前も炭素菌ではなくて炭疸菌だった。テレビなどはNHKを初めとして、視聴者は無知蒙昧だと思っているから「炭そ菌」などと書くのでますますわけが分からなくなる。

 では「疸」とはどういう意味なのか。恐ろしげな文字だなと思いながら字引を引いてみると、まずパソコンの「炭疸」の文字が間違いであることに気がついた。やまいだれの中が、日の下に一ではなくて、月の下に一でなければならない。つまり「炭疽」である。

 余談ながら、わが家のパソコンは日本語辞書がATOK11で、キーボードを「たんそ」と叩いて変換すると「炭疸」という文字しか出てこない。やむを得ず漢字コード表から「疽」の字を探し出して「炭疽」とした。ついでにIME2000で変換してみたが、炭疸も炭疽も出てこなかった。外国生まれだから特殊な日本語は知らないのだろう。

 念のために勤務先に置いてある私物のパソコンでやってみたら正しい「炭疽」の字が出てきた。これはATOK12である。ATOKのメーカーも11から12へ進化する段階で、おそらくは専門医師にでも指摘されて直したのだろう。

 そこで「疽」の意味だが、字引には「かさ、悪性のはれもの。うみをもって根が深くかさなり、なおりにくい。ようの一種」と恐ろしげな言葉が並んでいる。それにしても何故「炭」という言葉がつくのか。医学事典でも見なければならないと思っていたとき、昨日のテレビが皮膚にできたはれものが炭のように黒くなるからと説明してくれた。聞けば聞くほど恐ろしい病気である。


(炭疸菌の消毒)

 この病気がアメリカでどんどん広がり、死ぬ人も増えてきた。ばい菌をどうやって数えるのか知らないが、肺の中に炭疸菌が8,000個入ると発症し、2万個入ると確実に死ぬらしい。それも10時間前後で絶命という。

 この恐怖の病菌を、テロの手段として散弾銃を乱射するようにばらまく。それも火薬の代わりに郵便を使うというのだから、9.11多発テロのやり方と同様、犯人の頭の良さには驚くばかりである。

 頭の悪い藪大統領などは為す術を知らず、犯人はあいつだとわめき、弁舌だけはさわやかに「奴はもう逃げ場所がない、隠れ場所がない、休む場所もない」と芝居もどきの台詞を吐いてみたり、戦場は国外と国内の両方になったなどと当たり前のナンセンスをまことしやかに述べたてるだけ。

 アメリカは南北戦争のような内戦は別として、今まで外敵との戦いで本土(ホームランド)が戦場になったことはなかった。そのため現在の慌てぶりは相当なものだが、一方では平気でアフガン上空に爆弾とミサイルの雨を降らせる。

 日本だって、ついこの間アメリカ軍の無差別爆撃を受けたことを忘れてはならない。それを逃れるために、私も国民学校3年から4年の当時、山の中に疎開したことがある。あのときは飢えと病気といじめに逢って、住む家はあったが、水道などはなくて山の水を汲みに行き、その奥の杉林に薪を拾いにゆくといった生活で、今のアフガン難民とたいして変わりはなかった。

 こうした難民経験は60歳台以降の多くの日本人が体験しているはずだ。もっとも、その当時われわれは今から思うほど悲惨な気持ちに打ちひしがれていたわけではない。戦時の高揚した気分に支えられて、これが当たり前と思っていた。そうした状態から、この30年ほど日本人の生活は急に良くなった。したがって昔から良かったわけではなく、アフガニスタンの苦しみも決して他人事ではないのである。


(アフガン空爆準備)

 それにしても気の毒なのは、炭疽菌という散弾をばらまくために火薬の代わりに使われた郵便局員である。昔「郵便配達は二度ベルを鳴らす」という映画があった。街道沿いの安食堂で満たされない日々を送る若い女房と、そこへやってきた流れ者が親しくなり、やがて保険金目当てに歳をとった亭主を殺してしまうという話である。

 そこに郵便配達など出てはこないけれども、不倫と殺人という二つのベルが鳴らされる。今回のテロもハイジャックと炭疸菌という二度のベルが鳴らされ、二度目のベルを鳴らしたのはまさしく郵便配達であった。

 今の藪大統領の無知な報復作戦だけでは、いずれ3度目のベルが鳴るであろう。ひょっとしたら、3度目は報復戦の手先になった日本で鳴らされるかもしれない。濃墨首相もいい加減にブッシュマンをやめて、昔からばい菌をまき散らしてきた日本の郵便の方を取り押さえて貰いたい。

 わが国郵便制度が如何に不条理で前近代的な機構であるか。それについては多くの指摘がなされているので、今さら何かを言うつもりはない。けれども最近になって知ったのは、特定郵便局長というのは国家公務員であり、したがって国から手当を受け、しかも世襲制ということである。

 江戸時代じゃあるまいし、これには驚いた。今どき世襲の公務員などとという化石が生きていたのである。郵便局長の子どもは生まれながらにして、試験など受けなくても公務員になれるのだ。何も国家公務員が偉いとか、なりたいというわけではないが、生まれた境遇だけで将来の身分や待遇が決まるというのは今の時代に合わない。

 これじゃあ選挙違反だろうと何だろうと、郵政省の厄人を応援して代議士に仕立て、世襲の権益を確保して貰いたいと思うのは当然であろう。しかも、その既得権益は今や制度化されていて、「渡切費」(わたしきりひ)などというものがあるらしい。今朝の新聞では、その中の2割が特定郵便局長会に還流し、裏金として国会議員や郵政省OBの政治資金になっていると報じられた。

 そのような情けない状態を放置したまま、濃墨はいつの間にアフガニスタンの首相になったのか。このあいだの談話を聞いていたら、新たな政権の枠組みづくりと経済の復興という2点に重点を置きたいというから、日本のことかと思ったらアフガニスタンの心配をしているのであった。

 そんな他人(ひと)のことを心配するのは、まず自分の頭の蠅を追ってからである。こんなことでは史上最高といわれた支持率も下がって、国民の大多数が期待する構造改革もできなくなってしまう。次々と企業が倒れ、解雇された社員が難民となって国内にあふれているのをどうするつもりか。

 アフガン難民も気の毒だが、国内難民だって寒空に腹をすかしてダンボールの箱の中に寝ているのである。そこに不良どもがやってきて足蛮みたいに危害を加え、どうかすると殺害に及ぶこともある。自衛隊を派遣し、C-130で毛布や食糧を送るのは、まず日本国内の難民救済を優先すべきであろう。

(小言航兵衛、2001.10.25) 


(英国のポストマンも世襲だろうか)

 

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