正しいお詫びの仕方

 

 外務省の出鱈目ぶりには、日本国民の誰もが憤慨し、憤激しているところだが、昨夜のテレビに出てきたお詫び会見は噴飯ものだった。

 記者団からなぜ外相が出てこないのかと問われて答えに窮し、立ち往生する様子が映し出された。しかし普段、次官以下の厄人諸君が外相を無視していることからすれば、そこでうろたえる必要はなかろうに。俺たちがこうして謝っているんだからそれでいいじゃないかと何故言えないのか。

 つまりは形だけの儀式で、心底悪かったとは思っていないからそうなるので、1人ぐらいは死んでお詫びしますと腹かき切って見せたらどうなのか。そこまでいかなくても、お詫びの席にヒゲを生やしたまま威張って出て来るやつがあるもんか。

 お詫びの儀式ならば儀式らしく、ヒゲを剃るのは勿論、頭も丸めてくるのが正しい作法というものである。

 記者団の方も外相はどうしたとか、記者会見のことは知らせたのかなどと詰まらぬことにこだわるのはどういうことか。20年前からつづいている不祥事が3か月前に就任したばかりの女大臣に関係のないことは明らかで、これまた厄人と組んで真紀子いじめになるだけのことではないか。

 そんな無関係の素人に頭を下げてもらう必要はあるまい。それよりも目の前にいる痔官以下の患部連中に、もっと真っ当な質問によって注射をする必要がある。

「こうなっても個人的犯罪と言い張るつもりか」
「課長補佐程度の個人がそんなに簡単に公金を横領できるのか」
「役所の予算は君たちのものではない。国民の懐から盗むことだとは思わぬか」
「課長補佐の仮払い金の精算は誰と誰がチェックするのか」
「それとも外務省には、そういうチェックシステムはないのか」
「いったい会計監査の体制はどうなっているのか」
「何故ここに公金横領の舞台を提供したホテルの代表はいないのか」
「高級外車を2台も譲り渡したハイヤー会社の社長はどうした」
「自分たちは知らなかったなどと、どうして言えるのか」
「これは他人事とでも思っているのではないのか」
「そう思ってないと言うなら、君たち自身の監督責任についてどうする積もりか」
「一緒になって金を使ったんじゃないのか」

 記者諸君も普段は国民の代表などとうそぶきながら、この程度の質問もできないのは、よほど頭が悪いのか、そうでなけりゃ外務省の記者クラブに巣くう同じ穴のグルだからではないのか。まさか、室長や課長補佐と一緒に公金で飲み食いしてたんじゃあるまいね。

 そういえば、NHKなどのテレビ局が、外務省の犯人たちに、なんとか課長補佐とかだれそれ室長とかぼうぼう元領事などと、いちいち肩書きだか敬称だかをつけて放送するのはどういうわけか。いつもご馳走になったり、いろいろ世話になったりしているからじゃないのか。

 なぜ呼び捨てにできないのか。外務省本来の職務とは逆に、これだけ世界中に恥をさらしてしまっては、最早まともな外交などできやしないだろう。その外交患たちに課長補佐も室長もないもんだ。

 日本国の体面をぶち壊しにしてしまった犯人たちには敬称をつけておきながら、真の日米親善外交を展開し、国威を発揚してくれているイチローやシンジョーを呼び捨てにするとは何事であるか。

 これからは首位打者イチロー殿とか四番打者シンジョー様などの肩書きと敬称をつけて放送すべきである。

(小言航兵衛、2001.9.8) 

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