<空飛ぶ救命室⑥>
飛行環境の克服


ヘリコプターによる救急飛行は世界各地でおこなわれている。そのうち最も困難な環境下で飛んでいるのは、おそらくスイス・エア・レスキューREGAとロンドン・エア・アンビュランスLAAではないだろうか。



(2018年9月号)


200m以上の長吊り救助
 
    REGAの飛行環境は、富士山よりも高い4,000m級のヨーロッパ・アルプスが舞台。標高が高いだけでもパイロットやヘリコプターにとっては息苦しい。そればかりでなく、地形によって乱気流が起こりやすく、霧や雲も発生しやすい。
 その山岳地から成るスイスの国土面積は日本の九州とほぼ同じだが、ヘリコプター救急拠点は13ヵ所。高い峰の上でも深い谷底でも、国内どこでも15分以内にドクターを乗せたヘリコプターが飛んで行ける体制をととのえている。
 使用機は、最近REGAから送られてきたアニュアル・レポート(年次報告書)によると、2017年末の時点でEC145が6機、アグスタAW109ダビンチが11機。EC145は標高の比較的低い拠点、ダビンチはエンジンを強化して高い拠点に配備されている。ほかにH125が1機あって訓練に使われ、さらに3機のチャレンジャー650双発ジェットが国外の長距離救急に当たっている。
 13ヵ所のヘリコプターが救護した人数は2017年中に9,539人。うち671人がアルプス登山中の遭難者。さらにスキーなどのウィンタースポーツ事故の救助が1,659人というから、どうしても山の中の飛行が多くなる。それも、着陸できないような崖っぷちに立ち往生した人を最長220メートルのホイストで吊り上げるなど、世界的にも例のない活動が求められる。
 そのもようは筆者自身、10年も前であったかREGAを訪ねた折、首都ベルン郊外の基地でホイストをつけたA109実機を前に詳しい説明を聞いた。その後2014年には皇太子殿下が同じ基地を視察、同じような説明を受けている新聞記事と写真を見たことがある。このとき殿下が何を感じたか。ごく普通の救助作業と思ったか、危険な飛行任務と思ったか、その感想は新聞には書いてなかった。
 そんな過酷な任務を遂行するには、乗員たちにとって日頃のきびしい訓練が必要なことはいうまでもない。日本では警察や消防のヘリコプターが山岳遭難の救助にあたっているが、どのくらいの長吊りをしているのだろうか。それに時どき吊り上げ失敗の事故もあるようだから、REGAの訓練や救助のもようを実地に見学すれば大いに参考となるであろう。
 
 
 全天候飛行をめざす
 
    REGAの積極性は最近さらに発揮されつつある。アルプスの高山地帯で悪天候に中断されることなく、いつでも救急救助を可能にする全天候飛行計画である。そのため、かねてからスイス全土に自動気象観測装置を配備、GPSと組み合わせて低空飛行ネットワーク(LFN)の構築を進めてきた。
 そこを飛ぶヘリコプターも今の機材では不充分ということから、新しいレオナルドAW169を3機発注している。それも既存の標準型に578項目の改造をほどこすAW169FIPS(Full Ice Protection System)と呼ばれる機材で、完全防氷装置やレーザーによる電線探知器などを装備する。導入費用は3機合わせて5,000万スイス・フラン(約55億円)。運航開始は2021年の予定という。
 このような高価な機材を導入したり、計器飛行ルートを整備する費用は誰が出しているのか。実はスイス国民である。REGAの運営費は、上記報告書によると2017年が1.58億スイス・フラン(約175億円)であった。その6割を超える1.01億フランが寄付金である。その大半は「パトロン」と呼ばれる会員で、年間30フラン(約3,300円)の会費を払えば、1414番の電話をするだけで、いつでもどこでも医師を乗せたヘリコプターが無料で救護にきてくれる。会員数は343万人。スイスの人口808万に対して42%にあたる。
 会費以外の収入は医療保険、自動車保険、旅行傷害保険などで、最終的には企業でいう利益が出ている。しかしREGAは赤十字傘下の非営利法人(NPO)で、会社ではないから株式の配当をする必要がなく、税金もかからない。したがって長年にわたる蓄積が2017年末で5.67億フラン(約629億円)になった。これをREGAはパトロンや国民の命をあずかる資金とみなし、上述のような新しい技術開発、機材の導入、さらにはLFNの設備資金などに当てている。
 
 

レーザーで前方の電線を探知するAW169

 大都市の路上に頻繁に着陸
 
    このような寄付金によって成り立っている救急飛行は、ロンドンも同様である。市内中心部に建つ高層のロイヤル・ロンドン・ホスピタル屋上に拠点を置くLAAは、毎日3~4回の出動をする。使用機はMD902ヘリコプターが2機。以前は1機しかなく、夕方になるとロンドン郊外西北の小さな飛行場へ戻り、格納庫へ入って点検整備を受ける必要があった。
 そのため夏のサマータイムの時期などは、まだ陽の高いうちに待機任務を解かなければならない。さらに機体や重要装備品のオーバホールに際しては2~3ヵ月も飛べない日が続く。これらの問題を解消するため数年前から寄付金を募り、富くじを売るなどして一般市民から資金を集め、ついに2016年初め中古機ながら同じMD902を買い入れ、2機体制としたのであった。これで日没ぎりぎりまで飛べるようになり、2017年の救護人数は400人増の1,797人になったという。
 LAAに対する市民の支援は金銭面ばかりではない。大都会のせまくて混雑した街頭に頻繁に着陸し、その場で開胸手術のような大変な治療ができるのも、人びとの協力があってこそである。とりわけロンドンの救急は銃撃や刃物による刺し傷が多く、ほぼ3分の1を占める。このような大量出血を伴う重傷患者は迅速な治療が必要で、手遅れになりやすい。そうならぬためには、ヘリコプターができるだけ現場近くに着陸しなければならず、最近の集計では患者から200m以内の接地が全体の4割を超えている。
 こんなことが可能なのも、ロンドン市民が歩行者も自動車もLAAの役割を充分に心得ていて、警察官の指示をよく守るからであろう。REGAもそうだが、困難な環境の中で救急任務を有効かつ安全に遂行するには、当事者の努力もさることながら、地域住民の親身の協力を欠かすことができない。
 
   
ロンドンの路上で大群衆が静かに見守るヘリコプター救急のもよう
 
  (西川 渉、月刊「航空情報」2018年9月号)
 
 
 










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