世界最悪の債権大国――日本

 

 日本の大改革が進みはじめた。もとより航空界も例外ではない。かつて霞ヶ関の中では規制の数が最も多いといわれた運輸省も、今や根本から自由化をめざしつつある。その結果がどうなるか。単純な楽観は許されないが、今から4年ほど前に天下の国民雑誌が正体不明の署名で書き立てた「規制緩和は悪夢」とする議論のおかしいことが、いよいよはっきりしてきた。

 むろん人によっては悪夢にうなされるものも出てこよう。けれども全体として、特に消費者や利用者の立場からすれば、福音となる方が大きいことは間違いない。あの悪夢論は、既得権益をむさぼる側のタメにする議論だったのではないだろうか。

 さて、『これからの10年』(日下公人著、PHP研究所刊)は、冒頭から今のような事態が出来(しゅったい)した結果「国家のハンドルを握っている人も、会社のハンドルを握っている人も、意外に大したことはない人たちだったと分かった」と書く。

 実際、経済環境が変わっただけで大企業がつぶれるというのは、見事に繁茂していた大樹が、ちょっと風が強くなっただけで倒れてしまったようなもので、みずから大地に根を張っていたわけではなかったことが露呈したことになる。保護政策か何かのつっかい棒があって、それで立っていたのだろう。

 経営者も同じことで、事業の神様か経営の天才かといわれた人物が立ち往生をしたりする。ということは、その人に経営手腕があったわけではなく、単に経営環境が良かっただけのことで、何もかもがばれてしまった。まことに恐ろしい世の中になったものである。

 化けの皮がはがれたのは経営者個人や企業ばかりではない。日本という国家も同様で、かつては「ジャパン・アズ・ナンバーワン」などとおだてられ、日本株式会社は国家経営に関する世界の模範とたたえられたものが、いつの間にか落ちこんでしまった。

 もちろんナンバーワンまで持っていった当時の人びとは偉かった。しかし、それを受け継いだ政治家や官僚は経済繁栄をいいことにして、政治改革も行政改革も放置したままで、その結果が今日の日本の姿である。あわててビッグバンなどという英国の真似をしたものの、遅きに失したためか大きな犠牲を払うことになった。

 かくて「いま日本は世界で一番危険な国である」というのが、本書の説くところである。なぜならば「世界最大の債権国だからで、世界中に約9,000億ドルも貸し込んでいる。……世界という野蛮なジャングルの中で生きていくうえで、債権大国はきわめて危険」なのだ。

 たとえば紛争や戦争が起こったとき、債務国は貸した金を取りっぱぐれるのは困るので債権国が応援してくれる。ところが「債権大国に味方する国はひとつもない」。成金国家・日本は世界中に金を貸し、援助を出して、それで恩を売ったような気になっている。どこの国からも感謝され、尊敬され、大切にされるつもりでいる。ところが現実は全く逆で、日本が滅んでしまえば、借りた金を返さなくてすむのである。

 事実、第1次世界大戦でアメリカがイギリスやフランスに荷担し、力を合わせてドイツをやっつけたのも、実は両国に対する「債権確保」が目的だった。同様に第2次大戦もイギリスがアメリカから多くの借金を抱えこんだままドイツに負けそうになって、それでアメリカが参戦した。あの戦争はアメリカの「対外投資債権確保」のための戦争にほかならない、と著者はいう。

 そのアメリカが、今や世界最大の「債務国」である。ということは、アメリカと事を構えるものがあれば、アメリカに金を貸している多くの国がアメリカの応援に駆けつけるであろう。 

 しかるに日本はどこからも借りていない。貸しているだけである。とすれば「日本が潰れてなくなれば、借金は帳消しになるから、『日本よ勝て』と思う国は世界中ひとつもないといっていい」

 もしも尖閣列島をめぐって「日本と中国が戦争になったらどうなるか。今まで援助をしてくれた御恩に報いるのはこのときと、みんなが日本を応援してくれるだろうか。とんでもない」というのが著者の見方である。

 どうやら我々は知らないうちにシロアリに食い荒らされ、危険な状態に身をさらしていたのだ。こうなれば、今さら下手な景気対策などはあきらめて、直ちに国家運営の大方針を変更すべきであろう。つまり、アメリカが高い国債を日本に売りつけて、その金をいいように使ってきたように、日本も借金をする方へ回り、世界中から借りまくって、それを資金源にして公共投資でも減税でもやるべきであろう。

 対外援助などはとんでもないこと。4月初め首相がわざわざロンドンまで出かけて行って、アジア経済の復興は日本にまかせてくれなどと大見得を切って戻ってきたのは、本人は気持ち良かったかもしれぬが、国民にとってははなはだ迷惑な話であった。援助を貰いたいのはほかならぬ日本である。現にムーディーズも、日本国の評価を格下げしてきたではないか。

 外国から金を借りると、次の世代――子や孫に借金を残すことになるという寝起きの良くない律儀者もいるかもしれぬ。けれども現に赤字国債を出すこと自体、子孫にツケを回しているわけで、借金の相手が国内か国外かの違いだけである。

 これからの10年、われわれは経済大国の看板を下ろし、貧乏国としての生き方を考えた方がいいのではあるまいか。

(西川渉、『WING』紙98年4月22日付掲載)

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