<阪神大震災>

10年目の1月17日

 

 10年目の1月17日がめぐってきた。その後アメリカの911同時多発テロという大きな衝撃があり、新潟県中越地震とインド洋の大津波が続いたが、阪神大震災は80年前の関東大震災同様、今後も長く忘れられることはないであろう。

 それにしても、同じ地震とはいえ、神戸と新潟とスマトラでは災害の様相が大きく異なる。神戸では建築物の倒壊と火災、新潟では地形の崩壊と洪水、スマトラでは大津波となった。自然災害が如何に多様なものか、危機管理が如何に一筋縄ではゆかないかがよく分かるというものである。

 しかし、だからといって、災害対策は無駄というわけではない。天命を待つためにも人事を尽くす必要があって、対策には限りがないのである。

 阪神大震災で最も大きな問題となったのは人命救助と空中消火であった。人命救助については、その後、ハイパーレスキュー隊が発足し、中越地震では大手柄を立てて見せた。しかし普段の救急活動は、せっかく発足したドクターヘリが足踏み状態にあり、消防・防災機による救急活動も、やるやるといいながら、ほとんどなされていない。

 普段の活動がおこなわれていないために、中越地震では静岡県のドクターヘリが現地に飛んでゆきながら、為すこともなく戻ってきた。インド洋の大津波もヘリコプターの目から見ていると、緊急物資の輸送すらとどこおっているありさまで、戦争と石油開発以外にはヘリコプターなぞ使ったことはない地域だけに、どうしていいか分からないのであろう。

 この問題については、国際ヘリコプター協会(HAI、本部ワシントン)に対し、世界中の加盟ヘリコプター会社からどうすれば現地へ救援にゆけるのか、国連や関係国政府へ道筋をつけて貰いたいという問い合わせや要望が殺到した。2月初めのロサンゼルス年次大会では大いに議論されるはずである。

 もう一度日本に戻ると、阪神大震災での第2の問題――空中消火はどうなっているのか。

 新聞は直下型の首都圏地震が「今日、来るかもしれない」(朝日、1月17日付け社説)と脅し、東京と横浜は世界の都市の中で群を抜いて危険というドイツ保険会社の調査結果を伝えている。つまり東京や横浜は、中越地震と異なり、地震が起これば神戸と同じような様相を呈し、しかも遙かにひどい結果をもたらすというわけである。具体的には再び大火が起こり、倒壊した家屋の下敷きになった人びとが生きながら焼かれるというのであろう。

 こうした事態に対し、神戸では何故ヘリコプターで消火活動をしないのかという疑問が方々から沸き起こった。忘れられないのは情報収集とテレビ取材に飛び回るだけのヘリコプターに対する次のような投書である。

投書「必要な情報は何か」

 火災、ガス漏れ、余震の恐怖におののく神戸の上空をゆうゆうと飛び交うヘリコプターに、町の人たちは「あのヘリは何しとんや。行ったり来たりするなら海から水くんででもまかんかいな。けが人のせて大阪まで運んだれや。用もないのにうろうろすな!」

 恐怖をあおるだけの情報は要らないと思いました。(女子学生、朝日、95.2.1)

 こうした意見に対し、ときの自治大臣を初め、消防関係者や学者は次のような冷酷でもっともらしい回答を与えた。

 

ヘリコプターによる空中消火をしない理由 

  • 上空は火災による熱気流が強くヘリコプターに危険
  • 火災現場上空には強い上昇気流があって危険
  • 消火剤を散布すると人体に悪影響が出る
  • 周囲を酸欠状態にして被災者を窒息させる恐れがある
  • 水を散布すると水蒸気爆発の恐れがある
  • ヘリコプターのローター風が火勢をあおる
  • 空中からの放水は正確に火元へ届かない
  • 高いところから水を撒いても霧状になる
  • 最大1.5トン程度の投下水量では不充分
  • 多数のヘリコプターを投入しなければ効果がない
  • 屋根の上に落ちた水は流れてしまい消火効果がない
  • 一度に1トンもの水を撒くと家屋の下にいる人が危険
  • これまで経験がない
  • 補償問題が起こる可能性がある

 よくもまあ、こんなに沢山の理由を考えたものである。これらは筆者が当時の新聞、雑誌、テレビなどから拾い集めたものだが、どれ一つとして空中消火をしない理由にはならない。むしろほとんどが間違いか思いつきであり、単なる言いわけにすぎないのである。

 その後、消防機関によるヘリコプター消火実験も何度かおこなわれ、筆者も2度ほど見学に行ったことがある。しかし、その結果やることにしたのか、やっぱりやらないことになったのか、明確な結論は聞いたことがない。

 このままでは、神戸の二の舞が今度は東京で演じられることになるであろう。

 ご参考までに、阪神大震災の当時、筆者は新聞、雑誌、テレビなどから目につく限りの報道記事を集め、その要約をつくった。当時はインターネットが発達してなかったので、この収集作業にはいささか苦労したことを覚えている。その結果は、下記の本頁に収録してある。

 阪神大震災とヘリコプター

(西川 渉、2005.1.17)

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