<メリーランド州救急体制>

30年前の論文

 

 

 本年春、HEM-Netで医療過疎の問題を調査したとき、自治医科大学救急医学教室鈴川正之教授(へき地・離島救急医療研究会代表幹事)から、メリーランド州のヘリコプター救急システムに関する論文についてご教示をいただいた。

 “An Economical and Proved Helicopter Program for Transporting the Emergency Critically Ill and Injured Patient in Maryland”と題するA4版10頁の英文で、著者はメリーランド大学附属病院の救急医学教授, アール・アダムス・カウリー博士(R.Adams Cowley,M.D.)である。

 論文が発表されたのは1973年の「ジャーナル・オブ・トラウマ」(The Journal of Trauma)誌。今から30年ほど前の論考だが、ヘリコプター救急が始まったばかりの日本の現状にそのまま当てはまるところがあって、示唆に富んでいる。ここに要旨をご紹介したい。

救命率の地域格差

 この論文の中で、まず救急患者の死亡率が農村地域と都市部との間で差異がある問題が問われている。

 米国安全協議会が1971年におこなった全米自動車事故の調査によると、都市内では怪我人が124万人で死者17,600人、農村地域では怪我人76万人で死者37,100人であった。ということは、都市では怪我人70人のうち1人が死亡したことになるが、農村地域では20人のうち1人が死亡したわけで、農村の方が3.5倍も高い。こうした死亡率の地域格差は表1に示す通りである。

 

表1 地域による死亡率の差異

怪我人

死亡者

死亡率

都  市

124万人

17,600人

1/70

農  村

76万人

37,100人

1/20

合  計

200万人

54,700人

1/36
[資料]米国交通安全協会による1971年全米自動車事故調査

 

 何故こんなことになるのか。いうまでもなく、農村は救急搬送体制が不充分であり、医療機関も少ないからである。そのため病院へ運びこまれるまでの時間がかかり、それを受ける病院の方も充分な対応能力がなく、患者は無駄に命をなくすことになる。

 念のために、これは30年前の米国の事情だが、「こうした事態を改善するには、救急体制と医療機関の充実が必要になる。しかし、それには時間と費用がかかる。当面すぐに効果の上がる方法はヘリコプターを利用することである」とカウリー博士は説いている。それが、このカウリー論文の結論にほかならない。

ジャングル地帯と農村地域

 論文の冒頭には「ベトナム戦争における米陸軍の航空医療救助要領――米農村地域への示唆」(1968年)という別の論文の一部が、引用されている。

 それによると「ベトナムの戦場で米陸軍の負傷兵を救護する航空医療救助の原則は、戦闘中の兵員が救命処置の可能な医療施設からヘリコプターで35分以上の遠くへ離れないことというものだった。一方、当時の米国内では、救急手段としてのヘリコプターの活用が充分ではなかった。が、陸軍軍医部のベトナムでの経験が内地における同様の緊急事態に際してヘリコプターを使うという発想をもたらし、それを実行に移すべきだという考えが生まれたのである」

 ここで驚くのは、戦争といえども負傷兵の救護を考え、ヘリコプターが助けにゆける範囲で戦闘をするといった原則があったことである。戦争といえば決死の覚悟で、命をマトに闇雲に突っ込んで行くのかと思っていたが、それはとんでもない時代遅れの思想ということになろう。

 カウリー博士も、米国内の農村地域とベトナムのジャングルを一緒にするわけではないが、「あのジャングル地帯には道路も救急車も電話も病院も何もなかった。しかし、ヘリコプターを投入しただけで、そうした不備の大半が解消された」と書いている。

「いま米国内でヘリコプターを活用すれば、救急体制が不充分な農村地域であっても、救急患者を容態に合った病院へ迅速に搬送することができる。したがって、莫大な費用のかかる医療機関をつくったり、多数の専門医師を集めたりしなくても、救命率を上げることができよう」

 あれから30年たって、米国では現在およそ450機の救急ヘリコプターが飛び、毎年25万人が救われている。しかし日本の実状は、むろん救急体制の問題だが、今なおベトナムのジャングル以下かもしれない。

救急医療の課題

 米国の望ましい救急体制を実現するために、カウリー論文は次の4点を根本的な課題として指摘する。

(1)時間と場所

(2)通信手段

(3)救急現場と搬送中の治療

(4)病院設備

  第1項の「時空問題」の解決策は、莫大な費用をかけ、膨大な人材を投入するのでなければ、ヘリコプター以外にはあり得ない。

 そこでカウリー博士はメリーランド州政府を説得し、州警察のヘリコプターで救急業務を担当してもらうことにした。この論文が書かれた時期より4年ほど前、1969年のことである。そのため自分の所属するメリーランド大学附属病院の8階建て駐車ビル屋上にヘリポートを設置、警察機が搬送してくる救急患者を迅速に受け入れる体制をととのえた。

 警察機の方は、病院で待機するわけではなく、ボルティモア郊外の州空港に拠点を置き、必要に応じて出動する仕組みである。

 上にあげた第2の課題は通信手段だが、カウリー論文は「救急医療業務を安全、確実に遂行するには関係機関の間の通信ネットワークが完備していなければならない」としている。メリーランド州の場合は警察機が飛ぶことになったので、警察の通信網がそのまま救急にも使えるわけで、まことに都合のよいこととなった。

 

病院内の死亡

 次の課題――救急現場と搬送中の治療とは、いわゆるプレホスピタル・ケアである。「急病人や怪我人を病院へ連れて行くとき、怪我の現場や搬送の途中で応急手当をするかしないかによって予後が異なる。たとえば心筋梗塞や多発外傷では少なくとも10%は救命率が上がるという研究調査結果も出ている」とカウリー論文はいう。

「ミシガン州のあるカウンティで1962〜67年の間に自動車事故で死亡した159人を検死したところ、18%(28例)は普通の応急手当をするだけで助かったはずという結論になった。死因は、最も多いのが気道閉塞、第2が血胸、第3が腹腔内出血、第4が気胸で、いずれも専門的な治療技術が必要なものばかりであった」

 こうした無為の死をなくすには、救急現場へ駆けつけるパラメディックを教育し、その治療技術を訓練しなければならない。戦場における看護兵から想を得たものにちがいない。当時はまだ今のような高度の技術と権限がパラメディックに与えられていなかったが、だからこそ「ヘリコプター搬送は最も手っ取り早い応急手段となり得る。その際、外部出血に対しては止血をおこない、気道を確保した上で搬送すれば、救命率は一挙に上がるであろう」とカウリー論文はいう。

 第4の課題について、カウリー博士は「病院設備に関する米国の現状は、急病人や怪我人に対する救急医療設備としては決して万全ではない。プレホスピタル・ケアが適切で、迅速な患者搬送がおこなわれたとしても、それを受け入れる病院側に緊急医療設備やスタッフがそろっていなければ、救命率を高めることはできない」と警告している。

 たとえば「1961年に発表された論文『病院内の死』(ヴァン・ワゴーナー)は、病院到着後2時間以内に死亡した外傷患者について3年間の調査研究をしたものだが、そのうち6分の1は死なずにすんだはずという結論になっている。また昨年、ボルティモアでは交通事故によって腹部の損傷を受けた16人が死亡したが、これは腹壁切開ができなかったからである。こうしたことは設備がととのい、スタッフのそろった高次の病院へ患者を運ぶことができれば避け得る問題であった」

「緊急医療のために備えるべき設備は、近代的な蘇生装置、レントゲン装置、手術室、充分な輸血用血液、それによく訓練され経験豊富な外科医と専門医師が24時間いつでも対応できる状態でなければならない」

 

エア・メデバックの発足

 こうした課題をもって、メリーランド州の「エア・メデバック・システム」は、論文の書かれる4年前の1999年に発足した。

 このシステムづくりのために、カウリー博士は「州警察と接触し、州内の救急患者をヘリコプターで最適の病院へ迅速に搬送する計画について話し合った。その結果、この計画に対し連邦政府の運輸省が『ヘリコプター・パトロール』の名目で予算を出すことになった。その中に救急搬送のためのエア・メデバック・システムの実施を含ませることで承認が得られたのである」 

 もうひとつ「エア・メデバックの開始にあたって、州警察航空隊のパイロットにはメリーランド大学医学部で応急手当に関する81時間の講義と2週間の実習訓練を受けて貰い、緊急治療の資格認定証を出した。これで警察航空隊の隊員も救急医療について、わずかではあるが知識と体験を得たはずである」

 使用機は警察の保有するベル206ジェットレンジャー小型単発ヘリコプター(標準5座席)。1973年の時点では4機が使われるようになった。最初の1機は州都ボルティモアに配備したが、あとはできるだけ遠隔の地に置いた。当然のことながら「高度医療施設の集中している都市よりも、人口や医療施設の少ない農村地域でこそ、ヘリコプターの効果が高いと期待された」からである。

 こうしてヘリコプターは、次のような救急関連の任務を果たすことになった。

(1)事故現場で命の危険にさらされている患者を直接ピックアップする。

(2)多発外傷によって危険な状態にある患者を、他の高次の病院へ搬送する。

(3)地方病院では対応できないと判断された緊急状態の患者を搬送する。

(4)未熟児を設備のととのった病院へ搬送する。

(5)事故の現場、または他の所要の病院へ、医師または医療スタッフを輸送する。

(6)医薬品、輸血用の血液、血液成分、さらには移植用の臓器を輸送する。 

 カウリー論文によれば、メリーランド州のヘリコプター救急システムは最初からうまく機能した。その理由は「州警察の通信システム、各市町村の消防救急システム、救急治療技師に対する訓練プログラムなど、既存の体制を利用することができたからである。救急医療体制としても、きわめて有効かつ安価に機能するようになった」

 もとより救急側が一方的に既存の体制を利用したわけではない。既存体制の側も積極的に救急業務に協力したからであろう。結果として、このエア・メデバックは、発足から4年間に次のような効果を挙げた。

(1)救急搬送の迅速化

(2)農山村地域の救急患者に対する高度医療の提供

(3)高次の病院への患者搬送

(4)特殊治療の必要な患者の特殊医療施設への搬送

(5)移植臓器の病院間搬送

エア・メデバックの実績

 実績としては「1969年4月から1972年12月までの2年半余りの間に、エア・メデバック・システムでトラウマ・センターに搬送されてきた人は1,000人を超えた。そのうち453人は事故現場から送りこまれてきた患者である。また383人は別の病院から医師が付き添って飛来した。ほかに臓器、血液成分、医薬品などの輸送が42件あった。また175回は、医師または医療技師をヘリコプターで救急現場または他の病院へ連れて行ったものである」

 さらに「現場救急が増える傾向にある。最初の1年間は、現場への飛行が24%しかなかったが、2年目は63%に上がった。これは州内各地の消防救急隊員に救急ヘリコプターが受け入れられるようになり、ヘリコプターに慣れるにつれて出動要請も増えたためであろう」

「それというのもメリーランド大学では、各地の消防本部に医師やヘリコプターに乗り組むパイロット、パラメディックなどを派遣してヘリコプター救急に関する説明会を開き、ヘリコプター救急プログラムの全容と効果を説明しながら、このプログラムが決して地上救急と競合するものではなく、既存の救急システムを補完するものであることを理解して貰うように努めたからである。そして時間の許す限り、各地の救急搬送に関する問題点を相互に話し合った」

 このような努力の結果、3年ほどの間にヘリコプター出動回数は年を追って増え、死亡率はそれに反比例するように減ってきた。当初は50%に近かったものが20%を切るところまで下がった。明らかにヘリコプターによる迅速な搬送が、効果をあげたのである。

 

救急業務が最優先

 確かにヘリコプター救急は効果が大きい。とりわけ「生命の危険にさらされた救急患者を救うために、今のような交通渋滞と高度医療機関の少ないことを考えると、小型・高速のヘリコプターこそは最も有効、かつ最も経済的な救急手段といってよいであろう」。しかし如何に有効であっても、これを戦場ではなく、国内で日常的に遂行するには費用の問題を無視することはできない。

「特に、ヘリコプターを救急だけに使おうとすると問題が大きくなる。したがってメリーランド州では警察機を使い、警察本来の任務を果たしながら救急にも使うというやり方をしたのである。無論その場合は救急が最優先という考え方を取らなければならない」とカウリー論文は書いている。

 では「救急最優先」という言葉の具体的な条件は何か。メリーランド・エア・メデバックが実行しているヘリコプターの運用条件は次の6点である。

(1)パトロール飛行をする範囲は、救急業務に支障のないような範囲に限っておこなう。

(2)24時間いつでも出動できるような態勢を取り、救急車と同時に出動する。

(3)警察、救急隊、医療機関とは常に連絡と通信を維持する。

(4)患者は容態に応じて、最適の医療機関へ搬送する。

(5)ヘリコプターでなければ生死にかかわるような緊急患者のみを搬送し、余裕のある患者は救急車に依頼する。地上救急隊の仕事を取り上げるような形で競合関係が生じないようにする。

(6)ヘリコプターは救急専用ではない。他の警察業務にも使うことによって費用効果を維持する。ただし救急業務を最優先とする。

 

最小の費用で最大の効果

 それでも当時のメリーランド州警察のヘリコプターは、飛行時間にして全体の1割程度を救急業務に当てていたにすぎない。あとの9割は本来の警察業務のために飛んでいた。その内容は次の通りである。

(1)捜索救難――人、航空機、船舶などの行方不明の捜索。

(2)犯罪捜査――脱獄囚、犯罪現場からの逃亡者、盗難車や盗まれた財宝などの捜索、犯罪容疑のかかった車の追跡捜査

(3)殺人、放火、麻薬取引などの現場調査ならびに空中写真撮影

(4)道路の監視と保安、空からの交通整理 

(5)保安輸送

(6)災害支援

(7)ハイウェイ・パトロール

 こうしてメリーランド州警察のヘリコプターは本来の任務を果たしながら、最優先で救急業務にあたり、最小の費用で最大の効果をあげた。

 すなわち「メリーランド州のエア・メデバック・システムはメリーランド大学ショック・トラウマ・センターと州警察との共同作業によって、住民の生命救護が合理的な経費で可能であることを実証したものである」とカウリー論文は結論づけている。

 

救急医療の先駆者

 以上がアール・アダムス・カウリー博士の30年前の論文要旨である。博士は米陸軍の軍医としての経験をもち、負傷兵の治療を通じて、重症患者であっても迅速な治療着手が有効であることを見出した。

 そこから救急治療における「ゴールデンアワー」という考え方を提唱し、その考えを実行に移すために1961年、メリーランド大学附属病院で4ベッドだけの小さな救急組織をつくった。そして持ち前の個性とすぐれた能力で周囲を引っ張り、ショックを伴う激しい外傷に関する治療体系を組み立て、今の巨大なショック・トラウマ・センターをつくり上げた。

 この外傷センターは現在、全米最高の医療水準を誇り、単に重度外傷患者ばかりでなく、破裂性大動脈瘤、消化管出血など、内因性疾患によってショック状態に陥っていて緊急手術が必要な患者も全て受け入れ、治療に当たっている。

 こうしてカウリー博士は、「ショック・トラウマ治療の父」ともいわれるが、さらに心臓手術の先駆者で、ペースメーカーを最初につくった人でもある。1991年72歳で亡くなり、ワシントンのアーリントン国立墓地に埋葬された。その墓碑銘には「数千人の命を救い、世界の救急医療のあり方を変えた」「救急搬送にヘリコプターを導入した先駆者」と記されている。


カウリー博士の墓碑銘

 

エア・メデバックの現在

 カウリー博士の死後も、メリーランド州エア・メデバック・システムは発展しつづけた。今では州内全域8か所にヘリコプター拠点を置く。その8機は昼夜の別なく、24時間対応の救急業務をつづけている。うち1機はメリーランド州に隣接するワシントンDCを担当する。

 機種はユーロコプターAS365Nドーファン双発機。計器飛行も可能な装備をしていて、保有機数は予備機も含めて12機。

 パイロット数は2003年4月の時点で52名。全員計器飛行の資格を有する。ほかにパラメディックが49名、整備士が24名、運航管理者その他の地上員が19名。警察航空隊としての総数は144名である。

 メリーランド州は下図のような形で、面積にして15,000平方キロ。日本の25分の1である。そこに8機の救急ヘリコプターが配備されているとすれば、日本の面積に当てはめると、ちょうど200機が配備されていることになる。警察業務との兼務ということもあって、きわめて高密度の救急態勢になっている。

 

メリーランド州の救急ヘリコプター配備図

 

 年間の救急出動件数は下表の通り、拠点8か所で5,300件余り。1か所平均では670件前後だが、ボルティモアでは年間1,050件余、ワシントンでは1,100件余の出動をしている。

 

表2 メリーランド州エア・メデバックの患者搬送数

ボルティモア

ワシントン

その他6か所

合  計

1997年

981

926

2,833

4,740

1998年

1,062

924

2,874

4,860

1999年

1,050

875

3,003

4,928

2000年

1,107

882

2,994

4,983

2001年

1,053

1,103

3,214

5,370

2002年

1,050

1,105

3,196

5,351
 

 

 以上がアダムス・カウリー博士のヘリコプター救急システム発足当初の論文と、同システムの現状である。主題はメリーランド州警察だが、この「警察」という文字を「消防」に読み替え、日本の農山村地域の医療過疎の現状を考えるならば、わが国の今後の救急体制のあり方について大いなる示唆が得られるであろう。


メリーランド州警察のドーファン機

(西川 渉、2004.12.9) 

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