本頁開設3周年

 

 『航空の現代』は本日11月3日をもって満3歳の誕生日を迎えました。アクセスしていただいた皆さまに厚く御礼申し上げます。

 ここに収録した報告、解説、論考などは総数300篇余り。プロバイダーにアクセスして調べてみると丁度10メガバイトになっていた。小さなフロッピー10枚分である。

 3年間で300篇というと、1年に100篇、毎週2篇ずつの割合になる。この中には1篇で400字詰め原稿用紙50枚の長篇もあり、短くても5枚くらいにはなっているはずだから、分量だけは相当な作文バカといえるかもしれない。

 これらの作文を読んでいただいている方は、最近は1日70〜80人。多い日は100人を超えることもある。ごくわずかずつ増加する傾向にあるから、書く方にも張り合いが出てきて、ますますバカが高じることになる。

 このアクセス数を見て料金を取ったらどうかという人がいたが、有難く辞退した。有名な新聞や雑誌のサイトでも、有料にした途端にアクセス数が激減し、再び無料に戻した例がいくつもある。

 インターネットは、そもそもの発端からして有料とか閉回路にするには不向きなシステムである。そうした基本的性格を無視して、何とか金にしようなどとさもしいことを考えるとうまくゆかなくなる。金儲けをしたい人は、インターネット以外のところでやって貰いたい。私も有料サイトにはいっさいアクセスしないことにしている。ただし本の購入だけは別で、かのアマゾン書店からは何冊か本を買った。

 もう一つ、インターネットに載せておいて、「不許複製」などと書いてあるサイトが多いが、これもインターネットの特性に合わない。図版でも文章でも、ブラウザにコピー機能がついている限り、それは駄目などといっても無駄な話なのである。

 著作権を無視するというと言い過ぎになるが、実際問題としてコピー機能で取りこんだ絵や写真や文章は電子的なものだから、いくらでも修正や加工ができる。それが厭なら初めからインターネットに掲載しなければいいのである。私の気持ちとしては、よそで利用されたり引用されたりする方が、自分が認められたようで有難く思えるのだが、そう考える人は少ないのだろうか。

 その意味で「青空文庫」というサイトは、無料公開のインターネット電子図書館である。沢山の本がタダで読めるから、考えただけで心が豊かになる。中身は著作権の切れた作品と「自由に読んでもらってかまわない」とされたものだそうだが、夏目漱石でも森鴎外でも芥川龍之介でも与謝野晶子でも、文豪たちの古典がずらりと並んでいる。

 むかし高校生の頃は、これらの本を買うために神田の古本屋街で安い本を探し歩いた。しかし、今なら坐ったままでタダで手に入れることができるのだ。源氏物語や古今集、平家物語などもあるから、学生諸君には最適のサイトということができよう。

 このサイトのことを知って、私も本頁で自分の本を無料公開しようと考えたけれど、出版社に断られてしまった。まだ売れ残りがあるのに、そんなことをされては困るというので、こちらも小さくならざるを得なかった。

 アメリカには「チャプターワン」というサイトがある。沢山の本の第1章だけが掲載されていて、自由に読むことができる。どういう基準で選択された本なのかよくわからないが、初めの部分を読んで面白そうだと思ったら本そのものを買うのであろう。その誘い水のサイトらしいが、気前のいいことである。

 そういえば日本人の書く文章は、初めは遠慮深い序章にはじまってだんだんと盛り上がり、最後に重要な結論が出てくる。けれどもアメリカ人は重要な部分を先に書いて、あとの章はその説明に当てるらしい。とすれば、第1章が面白いはずで、そこを先ずタダで読ませるのだから、宣伝効果も大きいにちがいない。

 同じく『ニューヨーク・タイムス』のサイトにも「チャプターワン」があって、新聞紙上で紹介した本の第1章を読ませてくれる。ベストセラーなどの第1章がタダで読めるのだから、こたえられないだろうし、本屋で立ち読みする必要もなくなる。日本でも古典や明治期のものばかりでなく、評判になった新しい本が読めるようなサイトができないだろうか。

 話を戻すと、『航空の現代』は一種の雑誌のつもりで作っている。自分自身が編集者であり、執筆者であり、カメラマンを兼ね、レイアウトや体裁も考える。普通の雑誌ならば、これらのスタッフが別々にいて、お互い気の合わぬこともあろう。そのせいか全体の調和がとれていない雑誌もときどき見かける。

 そこへ行くと、全てを1人でやっていれば気が合わぬようなことはない。けれども考えが小さくなったり、記事の幅がせまくなって、技術上の限界はあるし、マンネリにおちいる危険性があるから気をつけなければならない。

 しかしウェブ出版には、これまでには見られない特色や面白さがある。普通の月刊誌ならば毎月締め切りを設けて一とまとめにしなければならぬが、こちらの方はそんな必要はない。3〜4日に1篇ずつ、作文が出来上がる都度載せてゆけばよい。締め切りがないから気が楽であると同時に、いったん掲載した文章でも気に入らぬところや間違いを見つけたときは、いつでも自由に手を入れることができる。

 本頁も、お気づきかどうか、掲載した後でも常に文章が変化している。それに何よりも、印刷費や配送費がかからないので、きわめて安い費用で刊行物の真似事ができるのである。

 インターネットとは、何とまあ素晴らしい仕組みが実現したことか。今後ともご愛顧のほど、お願い申し上げます。

(西川渉、99.11.3)

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