航空界にも「制度改革」が必要

 6月なかば『繁栄か衰退か日本のゆくえ?』(長谷川慶太郎著、金融財政事情研究会)という本の発売と時を同じくして「我が国航空企業の競争力向上のための方策について」という航空審議会の答申が公表された。そのため偶然のことながら、この両者を同じ日に読むこととなり、二つの論文の恐ろしいまでの対比に驚かされた。

 まず、長谷川慶太郎は、本書において次のような所論を展開する。いま世界的には「経済体制の全面的な改革が進行中である」。それは経済の自由化路線であり、「自由化路線とは、次の三つの柱から成る一連の政策体系である。1本目が、国有企業の民営化。2本目は……国内産業に対する保護政策の廃止、国内市場の開放、自由貿易体制の堅持である。3本目の柱は、経済活動に対する規制の撤廃、廃止……この3本柱に沿って、日本の体制を変えていかねばならない」

 その結果「現在11,000を数える経済的規制は、いずれ数年のうちに姿を消す」「これからは、低物価、低賃金、低金利の時代がくる。……その中で売り手としては率先して値下げ、すなわち価格破壊を自主的に遂行していくという経営戦略を導入する以外に生き残るチャンスはない。……これからは徹底した価格競争に勝たなければ、その業界、その企業は存立を許されない」

 賃金も、いつの間にか日本だけが突出してしまった。そのうえ「これからアメリカでは、賃下げの時代が始まる。……日本も、もし本格的に価格競争力を回復したいと考えるなら、このアメリカのライバルの賃金水準を無視して、それよりも高い水準を維持しうるなどと考えたら大きな間違いである。これからは徹底して賃金を下げる方向に努力しなければならない」

 そのうえで経済の再生をはかるわけだが、それは制度改革から始まる。「制度の改革が進めば、官僚の発言権はなくなっていく。これまでの官僚立国とでもいうべきがんじがらめの行政指導、あるいは国営企業の存在が否定されれば、当然の如く、官僚の発言権は低下する。そういう方向に向かって事態が進む。また進めていかなければならない」

 その制度改革をどう進めるか。あるいは何を対象にすべきか。「日本でいま求められているのは、経済活動に対して最もマイナスとなる効果を発揮する制度、あるいは規制の撤廃である」。その具体例として、著者はコメの管理制度や電力の供給制度を上げる。また企業内の終身雇用制、年功序列制といった制度も改革を迫られるであろう。

「日本は、いま重大な岐路に立たされている」。外には冷戦体制が崩れ、内には自民党体制が壊れた。そのうえ、かつてない平成不況に襲われている。この難関を突破するには「全面的な制度改革を断行する」以外にはない。

 その「制度改革」が進行していく中で「企業間の競争が激化することは免れず、その競争に立ち向かって、競争相手より少しでも有利な競争力を身につけようと考えるならば、それこそ率先して競争相手よりも一段と厳しく、……強い力で自分自身を改革する努力を求めなければならない」

 かくて制度改革の「最大の目標は公共料金の大幅な引下げの条件を整備することにある。……同様に、経済活動に対する政府の介入あるいは規制を廃止することは、販売価格あるいはサービス料金の引下げのために絶対の前提条件である」と。

 ここまでくれば、航空企業の競争力向上策の答えも出たようなものである。ところが、答申の内容は本書と全く反対であった。その答申を初めて新聞紙上で見たとき、私は一瞬「航空会社の提携を促す」という見出しが悪い冗談かと思った。何故といって、競争力向上の方策という諮問に対して、出てきた回答は競争をやめて、仲良く手をつなごうということだったからである。

 こんな答えが十数回の論議を重ねて大真面目に出たというのだから、まことに呆然たらざるを得ない。国際線は「海外社との提携促進」とし、国内線も「他社との共同運送」を進めるというのは、戦意喪失とでもいうほかはない。体力増強のためにどんな運動がいいのか思案したけれども、やっぱり家の中でじっとしている方が怪我もなく腹も減らぬという不精な結論に達したようなものである。

 航空業界における過去40年間の保護政策が、保護する方もされる方も骨の髄までしみこんで、それ以外のことは考えられなくなったのであろう。規制緩和とか競争促進などと言葉ではいうけれども、空念仏に過ぎなかったのである。

 この答申を見て、新聞報道によれば、航空局長は「目玉がない」といったそうだが、当然であろう。長谷川慶太郎がいうように、本当は「制度改革」が必要なのである。事業参入や運賃設定についても、もっと自由な制度に改めるべきであろう。そういう答申が出れば大きな目玉ができて、企業も活性化したに違いない。いったい、今回の答申を読んで活気づいた航空企業はあるのだろうか。

 わずかに「制度の改革」といえるのは、外国企業の資本参加の比率を高めようという点であろう。しかし資本比率が高められても、事業参入の障壁があれば、実質的には何の意味もなさない。

 おまけに、この答申には全く利用者の利益が考えられていない。諮問の主題が「航空企業の競争力」だったからであろうが、顧客を忘れた企業の繁栄はあり得ない。この次は是非とも利用者の立場を考えた「我が国航空旅客の利用力向上のための方策について」諮問をしてもらいたいものである。


 実は、上の文章は3年以上前に書いて、94年7月6日付けの『WING』紙に掲載されたものである。

 いま読み返してみて、長谷川氏のいう制度改革は、この3年間に相当に進んだことが分かる。食管法は食糧法に変わって米は自由に売買できるようになった。電気の供給も電力会社だけでなく自家発電が可能になり、それを逆に電力会社へ売ってもいいようにまでなった。

 遅蒔きながら航空界も変わりつつある。事業への参入規制や運賃制度も恰好だけは変わってきた。実質的な変化はこれからのことだが、航空界の制度改革にはまだまだ相当なエネルギーが必要であろう。

 しかし未だに腑に落ちないのは、航空会社の救済策をなぜ政府の審議会が審議したのだろうか。まことに有難い話だが、航空各社は出てきた答申の通りに「他社との共同運送」をしたのだろうか。そんな話は不明にして聞いたことがないような気がする。

 もっとも国際線における「海外社との提携促進」は、各エアラインとも派手に進めている。ただし、これは競争の激化にあえぐ世界的な風潮であって、審議会に教えてもらわなくても誰でもやっていることであった。

 審議会のもっともらしい答申は、航空局長が「目玉がない」といったように、空振りに終わったまま、今やすっかり忘れられてしまったのではないか。審議会が、航空問題に限らず、官僚たちの隠れ蓑に使われている限りは、そういう落ちも当然のことであろう。

 この拙文には、もうひとつ後日談があって、これが新聞に掲載された後、編集長が運輸省の幹部に「あれを書いたのはどんな男か」と訊かれたそうである。私は新聞社に迷惑をかけたのではないかと思い、「それは申しわけありません」と謝ったところ、「とんでもない。もっとどんどん、こういうことを書いてください」というのが編集長の返事であった。

(西川渉、97.11.10)

 

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