波乱の航空界に標識の役割

 わが国航空界は、いま新たな変革の時代を迎えた。この九月にはスカイマーク・エアラインズが定期運航を開始、年末には北海道国際航空も飛びはじめる。それに並行して、運輸省も需給調整の廃止を打ち出し、航空会社間の競争を促進することになった。

 米国の航空事業にかかわる規制緩和がはじまったのは今から丁度20年前のこと、1978年10月24日に法案が議会を通過した。それにカーター大統領が署名して、法律が発効したのは4日後のことである。

 それから数年間、長く続いてきた航空関連のさまざまな制度や規制が廃止され、路線の開設と撤退が自由になり、運賃料金も自由化された。規制の総元締めだった民間航空委員会(CAB)も1984年末「日没法」によって太陽が沈むように地平線の向こうへ没した。

 以後アメリカの航空界は波乱の時代に突入する。多数の航空会社が出現し、紆余曲折、有為転変、疾風怒濤、波瀾万丈、地獄極楽、弱肉強食、酒池肉林、七転八倒と何でもありの様相を呈した。その結果アメリカを代表するパンナムやイースタン航空が姿を消したが、この様子を日本から見ていた識者の多くは規制緩和は悪夢であるとして、こんな無茶な政策を導入するのはとんでもないという意見を強めた。

 しかし時代の流れと世界の拡大には抗しがたい。米国に遅れること20年、欧州に遅れること10年にして、ようやく日本にも航空自由化の波が届いた。これから来年に向かって事業免許や運賃認可にかかわる航空法規の改正もおこなわれるもようである。

 とすれば、先ずは航空法第1条(この法律の目的)から見直す必要があるのではないか。そこには、余分な文言を除くと「この法律は……航空機の航行の安全……並びに航空機を運航して営む事業の秩序を確立し、もって航空の発達を図ることを目的とする」と書かれている。

 つまり航空法の目的とするところは「航空の発達」である。そのためには「航行の安全」と「事業の秩序」がなければならない。航空事業の免許制度と需給調整はここに発するものであった。しかし今や、規制を撤廃し競争を促進するという考え方からすれば、事業の秩序はむしろ逆である。何も混乱状態がいいというわけではないが、規制緩和の目的は利用者の利益にある。

 そこで「航空機を運航して営む事業の秩序を確立し」という文言は「航空機を利用する利用者の利便性を確保し」と改められるべきであろう。いわゆるサプライサイドから消費者サイドへの視点の移行である。

 ここにいう利用者とか消費者とは定期便の旅客ばかりではない。軽飛行機から写真を撮すカメラマンも、農薬散布を依頼する農家も、ヘリコプターに救助される救急患者も入る。さらには操縦学生やスポーツ航空の愛好家も含まれる。航空機はそういう人びとの役に立ち、利便性を提供できるようでなければならない。

 さて、わが敬愛する日本航空新聞社がめでたく45周年を迎えた。上述のような波乱含みの航空界にあって、ここまで隆々たる新聞活動を続けてこられた蔭には、第一に時代の動きに敏感であったこと、第二に粘り強い取材力があったこと、第三に航空界をリードする見識があったからである。

 今後とも、これらの3要素を生かしつつ、次の卒寿の年に向かって生々発展し、航空界の行く手を照らす標識の役割を果たされるよう期待したい。

  (西川渉、『日本航空新聞』創立45周年記念特集号、98年10月1日付掲載)

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