社会の変化と航空の進歩

 航空再開50周年を迎えて、本頁では先に50年前の航空界を回顧した。それに対して山野さんから紹介されたあるアメリカの婦人は孫に向かって、次のように子どもの頃を回想している。

 その頃はまだ、テレビも、ペニシリンも、ポリオの予防注射も、冷凍食品も、コンタクト・レンズも、ピルなんていうものもなかったわ。それにレーダー、クレジットカード、レーザービーム、ボールペンなど、みんななかったわね。パンティストッキングなどもなかったし、エアコンもない。皿洗い機もないし、衣類乾燥機もなかったから洗濯物は全部外に干したのよ。人間が月面を歩くなんて考えたこともなかった。

 コンピュータでお見合いをするとか、共稼ぎをするとか、デイケア・センターやら、集団療法などというものもなかったわ。おじいちゃんと初めて結婚して、ずうっと一緒に暮らしてきたの。どこの家庭もお父さんとお母さんが揃っていたわ。十戒を守ることは世の中の決まりだったし、正しい判断とか常識というものがあったの。良いことと悪いことの違いや、我慢することとか、自分のことには責任を持つなどちゃんと教育されたの。

 タイム・シェアリングって「時間を分け合って共有する」ことだから、夕食後のひと時を家族団欒で過ごすとか週末の時間をみんなで過ごすことだと思っていたわ。共同住宅を分け合って購入することでもないのね。 「有意義な関係」というから、従兄弟と仲良くすることかと思っていたけど、今じゃ「意味ありな関係」のことなんだってね。「隙間風を避ける人」というから、夕方になると風が出るから表のドアを閉める人のことかと思っていたら、「徴兵忌避」といって兵隊さんになるのを嫌がって逃げる人のことをいうんですってね。お国の役に立つことが一つの名誉だったし、この国に住めることは、それよりもっと名誉だったのよ。

 おばあちゃんたちは、ファーストフードなどというと四旬節(キリスト教の行事)の食べ物だと思っちゃった。ピザ・ハットやマクドナルド、あるいはインスタントコーヒーなんて聞いたこともなかった。

 FMラジオ、テープデッキ、CD、電動タイプライターもなかったわ。ましてイヤリングをした男なんていやしなかったのよ。ビッグ・バンドやジャック・ベニーや大統領の演説は、ラジオで聞いたものよ。

 テンセント・ストアというのがあってね、10セントで物が買えたの。アイスクリームコーン、電話、路面電車、ペプシ・コーラなどはみんな5セントだったわ。慎ましくしようと思えば、5セントで封筒を一通と葉書を二通郵送できたのよ。 600ドルもあればシボレーのクーペが新車で買えたけど、手の出る値段じゃなかったわね。ガソリンがガロンあたり11セントもしたんだから。

 おばあちゃんの時代はね、grass と言えば芝生のことで大麻のことじゃないし、coke と言えば冷たい飲み物のことでコーラのことでもない。pot と言えばあなたのお母さんが作ってくれる何かの料理を容れる容器のことでマリファナのことじゃないの。rock music はララバイのことで子守唄だったのよ。

 aids と言えば校長先生のお部屋のお手伝いさんのことでエイズではないし、chip は木っ端のことでコンピューターに使う集積回路なんていうものではなく、hardware は金物屋で売っている金属製品のことでハードの意味じゃない。software なんて、第一そんな言葉はありゃしなかったわね。 

 この話をしている婦人は、山野さんよれば、まだ58歳だそうである。「怖いですね、悲しい話ですね」という感想がつけてあるが、もっと怖いのは、この話にあるような社会的変化から見れば、航空界の進歩はきわめて小さいということではないのか。

 ヘリコプターのパブリック・アクセプタンスで問題に挙げられる騒音、安全、コストという3大課題も、この半世紀の間にどれほど改善されたのか。それにもかかわらず「われわれは大きく進歩した」と思っている航空人こそ悲しいといわねばならない。

(西川渉、2002.11.2)

【参考頁】
 
航空再開50周年(4)――後遺症か仮病か(2002.9.27)
 
航空再開50周年(3)――半世紀前のヘリコプター運航(2002.8.26)
 
航空再開50周年(2)――ヘリコプターの開発と製造(2002.8.22)
 
航空再開50周年(1)――ジェット時代の幕開き(2002.8.20)


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