忘れ得ぬ5W1H

 

 思い返せば、もはや半世紀近くも前になる。昭和27〜28年当時の戸山高校新聞部ではずいぶん色んなことを習った。本来の授業は余り覚えていないが、新聞部の講義は今でも身についているような気がする。

 たとえば記事は重要なことから先に書いて、どこで切られてもいいようにせよとか、5W1Hを忘れるなとか、紙面の割付けに当たって腹切りをしてはいけないとか、顔写真は常に中央を向くように置けとか。

 おかげで私はいま航空専門紙誌を読むことが多いが、飛行機の顔、つまり機首が雑誌や新聞の紙面でどちらを向いているかが、いつも気になる。同じ誌面の中に飛行機の写真が2枚あって、お互いにそっぽを向いているようなレイアウトは何だか気に入らない。

 重要なことから先に書くのは、紙面を節約し、印刷費を節約するうえで大事なことだが、当時は高校新聞ばかりでなく大新聞だって頁数は少なかった。しかし、この心構えは今でも大切なはずで、冗長でしまりがなく、なかなか本旨が見えてこないような記事はやっぱり気に入らない。

 文章は簡潔で、しかも中味の濃いものでなければならない。といって漢字の多い黒々とした文章でごたごた書いてあるのも困る。航空に関する複雑な話でも如何に平易に、誰にでも分かりやすく書くかが肝要である。このことは人と話をしたり、上役に報告をしたりするときも心がけるべきで、いったい何を言いたいのか、どこに重点があるのか、意味不明の話を長々と聞かされるのはたまらない。

 5W1Hの講義を受けたときは、高校1年生として目からウロコが落ちて、何だかすぐにでも新聞記事が書けるような気がした。今では「小論文の書き方」などという本のどこにでも出てくるから、誰知らぬものもあるまいが、以前はそうでもなかった。会社でも、冗長な報告文が出てきたりしたとき、5W1Hの話をすると妙に感心されることがあった。そういう人は大人になって会社勤めをするまで、そんなことは考えたことがなかったのであろう。

 最近読んだ『ミステリーを書いてみませんか』(斎藤栄著、集英社文庫)にも推理小説の発想法として5W1Hが取り上げられていた。「ストーリーを編み出す際に、一番最初に考えなければならないのが、いわゆる5W1Hである。……この六つが決まれば、おおむね一つのストーリーが出来上がる」

 つまりテーマ(What)、時代背景(When)、舞台(Where)、主人公またはヒーローとヒロイン、もしくは犯人と探偵(Who)、動機(Why)、犯行の方法( How)を考えながら小説を組み立ててゆくのだそうである。

 しかし、5W1Hは何も作文に役立つばかりではない。ちょっとしたイベントを考えるときにはじまって、大きくは企業の事業計画や製品開発に至るまで、5W1Hの要点を抑えながら考えを進めていくと、思考の流れもなめらかに進むような気がする。

 ある製品をどんなものにするのか(What)。それを如何にして(How)、いつまでに(When)完成させるのか。そのためのオフィスや工場をどこに置くか(Where)。責任者や担当者は誰か(Who)。そもそも、この不景気の折りに、相当な資金の要ることを何故やらなくてはいけないのか。その理由(Why)を株主にどう説明するのか。

 けれども政治や行政には、5W1Hの欠けた政策が多い。目的や理由の不明な施策は至るところに見られるし、いつまでにやるのかがはっきりしないものも多いから、国民はいらいらがつのるばかりである。逆に景気対策という名目(Why)さえつければ、何(What)でもありみたいになって、手段(How)を選ばず、安直に赤字国債を乱発するような政策がまかり通ってしまう。それでいて、いつ(When)景気が良くなるのか本当のところは分からない。

 かくて戸山高校新聞部で習った要諦は、新聞や雑誌の記事はもとより、エッセイの書き方から会社の事業計画や政治判断まで、半世紀近くたった今も私の中に生きているのである。

(西川渉、『都立戸山高校新聞部創立50周年記念誌』掲載、1999年7月刊)

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