<ボーイング>

747と787

 

 ボーイング747が初めて公開されたのは今からちょうど40年前、1968年9月30日だったと先週の米アビエーション・ウィーク誌が書いている。当時のロールアウト・セレモニーは今ほど派手ではなかったが、エバレット工場の扉が開いて、巨大な飛行機がしずしずと姿をあらわしたとき、人びとはその大きさと美しさに圧倒され、航空界の新時代到来を実感した。

 それから4ヵ月余の地上試験を経て1969年2月9日、ジャンボ機は初飛行した。当時、航空界の主力機はボーイング707とダグラスDC-8だったから、一挙3倍以上の大型機が出現したことになる。その開発は1966年4月、パンアメリカン航空からわずか25機の注文を受けただけで始まった。


747の初飛行

 この1969年という年は、航空宇宙史上の特異年で、747の初飛行からひと月もたたずして、3月2日には超音速旅客機コンコルドが初飛行した。そして7ヵ月後の10月1日には、早くも音速を超える。

 それに先んじて飛んでいたソ連のツポレフTu-144も、6月5日初めて旅客機として超音速に達した。それらに刺激されて9月2日ニクソン大統領はアメリカもSSTの開発に負けるわけにはゆかぬとして、ボーイング2707を支援するための政府予算を議会に提案する考えを発表した。

 また日本では、日本航空最後のプロペラ機DCー6Bが引退し、全機ジェット化された年でもある。

 さらに4月1日、英国空軍はホーカーシドレー・ハリアVTOL戦闘機を実戦配備につけた。ジェットVTOL機の実用化がはじまったのである。

 ニール・アームストロング船長が月面に降り立ったのも、1969年7月20日であった。このときアームストロングの吐いた言葉「ひとりの人間にとっては小さな一歩だが、人類にとっては大きな飛躍だ」(That's one small step for a man, one giant leap for mankind.)はご存知の通り。

 まさしく、あの頃は無限の空に向かって、誰もが希望をいだいた時代であった。

 しかし747のロールアウトから10年後、1978年にアメリカで始まった航空の自由化は、ジャンボ機と低運賃の組み合わせによって航空の大衆化を推し進めた。ところが競争の激化に耐えきれず、747を実現させたパンアメリカン航空は1991年に消滅する。

 さらに40年後の2008年――むろん現在の話だが、燃料は急激に上がり、多くのエアラインが次々と倒産しはじめた。同時に、生き残りをかけたエアラインは便数を減らし、路線を廃して、機材と人員を減らす一方、お互いに手を結び、合併をするなどして、競争を避けるようになった。今になって、あの自由化は間違いだったのではないかという論議すら聞こえる。

 やむを得ず、エアラインは燃料効率が高いといわれる787に群がった。結果として787の受注数は最近までに900機を超えた。確定受注数は54社から903機に達し、ほかに仮注文306機があるので、これらを合わせると総数は1,209機という恐ろしい数字になる。

 この大量受注を喜ばしいといわずに、恐ろしいというのは787自体、その人気にもかかわらず、まだ飛んでもいないからだ。しかも最近のニュースでは、作業がさらに遅れて、初飛行は早くて12月末、おそらくは来年1月になるという。引渡し開始はさらに遅れるかもしれない。

 これには従業員のストも大きな要因となっているらしいが、従業員の方は俺たちのせいにするなと反発している。夢の旅客機ドリームライナーも今や紛争の種になってしまった。

 747が出現した頃の希望と活力は、いま航空界から消え失せたかに思われるのだが。

(西川 渉、2008.9.16)

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