<野次馬之介>

どこに坐ればいいか

 韓国アシアナ航空のボーイング777が韓国人77人を乗せて韓国時間の7月7日、就航7年目に事故を起こした――これは「7」という数字の呪いだという説が韓国で広がっているらしい。むろん冗談だろうが、中には韓国政界内部の抗争に伴う陰謀だという珍奇な話もある。たしかに、あの214便に政界要人が乗っていたとすれば、陰謀説も本物かもしれない。ちなみに、214便の数字を足すと再び7になる。

 それにしても、呪いや陰謀ではなく、本当の事故原因はどこにあるのだろうか。日本でも新聞やテレビが盛んに原因の推定を報道しているので、今さら何をかいわんや。事故から3日では原因など分かるはずもない。しかし、テレビ画面に登場する元キャプテンや事故評論家の諸公がいろんな憶測を並べ立てるので、視聴者はだんだん混乱してくる。

 加えて、その話相手が、飛行機のことなどよく分かっていない司会者だったりすると、話がトンチンカンになってくる。馬之介が耳ざわりに感じるのは、着地とか離発着などの言葉である。着地というのは体操競技では使うかもしれぬが、航空用語では「接地」という。

 また離陸と発着という言葉を混同して、最近よく離発着などという変な言葉が使われるようになった。本来は「離着陸」というべきで、これならば離陸と着陸を同時に表現する言葉になる。「発着」は、たとえば「羽田空港の年間発着便数は……」というようなときに使うべきものだが、最近は航空関係者までが素人に引きずられ、離発着などといって平然としている。

 言葉に無神経なのは、その人の教養の程度が疑われる。とりわけ放送局のアナウンサーや司会者などは言葉で勝負しているはず。にもかかわらず、いい加減な言葉遣いをする司会者をいつまでも画面にさらしておくのは、今度はテレビ局の「教養」の程度が疑われ、ついには報道番組の信頼性も失われる結果となるであろう。

 さて、アメリカの7月6日、サンフランシスコ空港で事故を起こした韓国アシアナ航空には、乗客・乗員合わせて307人が乗っていた。そのうち2人が死亡、182人が怪我のために近くの病院へ搬送され、123人は自力でターミナルへ戻った。わずか2人の死者ですんだのは、奇跡に近いという軽薄な報道もある。死者が出ていなければ奇跡かもしれぬが、これは奇跡でなくて悲劇である。

 事故を起こしたのはボーイング777-200ER旅客機。まだ3日もたっていないので、原因が分かるわけはないが、フライト・データ・レコーダーなどの解析では、進入速度を落とし過ぎていたらしい。本来は137ノット(253km/h)であるべきところ、それよりもずっと低速だった。その結果、失速状態に陥って高度が下がり、あわててエンジン出力を上げたが間に合わず、2秒後に滑走路端の岸壁に尾部をぶつけた。

 さらに詳しい分析では、尾部がぶつかる7秒ほど前に、乗員の「パワー上げ」の声がボイス・レコーダーに残っていた。その3秒後には失速の前兆を示すスティック・シェイカーが始まったという。そこで着陸を断念して「ゴーアラウンド」の声がかかったのは、岸壁にぶつかる1.5秒前であった。

 このとき空港のILSが作動していなかったのではないかという報道もあったが、空港当局は所要の着陸援助施設はすべて正常に働いていたと主張している。

 では何故、速度も高度も下がり過ぎたのか。機上の自動進入装置に異常があったのではないかという疑問もある。しかし、このとき事故機はGPS航法装置による計器進入をしていたのか、手動で操作をしていたのか、まだ確認されていない。ただし天候は計器を使うまでもない有視界気象状態であった。

 ところで、この事故では殆どの乗客が脱出することができた。脱出に関する原則は、搭乗者の全員が事故機の完全停止から90秒以内に機外に出るよう定められ、それが可能となるように機内の構造や非常口が配置されている。また客室乗務員も90秒で全ての乗客が脱出できるよう、誘導などの訓練を受けている。これは事故機の全体が90秒で燃え上がることを想定したものである。

 しかるに今回は、全員脱出までに5分ほどかかったらしい。それでも死者が少なく、しかも多くの人が手荷物をかかえていたのは、火の回りが遅かったからという。とはいえ機内は阿鼻叫喚――泣き声、叫び声、怒鳴り声が飛び交って大変だったらしい。感情を抑えきれない朝鮮族特有の現象だろうか。

 では、こんなとき機内のどこに坐っていれば助かるか。本質的には運の良し悪しというほかはないが、死亡する確率が高いのは前から1〜7列目だそうである。そのあたりは、ファ―ストクラスの席が配置されていることが多いから、馬之介のような貧乏人は安心してよいだろう。

 逆に有利なのは非常口のある列。ここは前の席との間隔も広くて快適だし、すぐ横が非常口だから一番先に逃げ出すことができる。ただし、外側に炎や煙があるときは、その非常口を開けるわけにはいかない。さらに、開けるときは乗務員を手伝う義務が課せられているので、さっさと逃げ出すこともできない。

 したがって航空会社も、ここに坐る乗客を選定するらしい。若くて力の強い男性が適するのだろうが、余分に50ドル払って、この席をとったというお婆さんの話があった。

 通路側の座席はどうか。ここは、いつでもトイレに立てるし、緊急時にはすぐ逃げ出すことができる。逆に窓側は「プリズナーズ・シート」(囚人席)ともいい、いざというときはなかなか立てない。トイレにゆくときは隣の2人に謝らねばならないし、目的地に着いても出るのは最後である。

 結論は、座席がどこであろうと、乗った後は運を天にまかすほかはない。ただし緊急事態に際して少しでも生き残るチャンスをつかむためには、客室乗務員の出発前の安全ブリーフィングはちゃんと聴いておくこと。そして、キャビンのどこに非常口があるか、あらかじめ確認しておくことも重要である。また乗務員の指示には、常に従わねばならない。

 ちなみに、アシアナ航空の事故で死亡した2人の女学生は最後尾の座席であった。それも、機体の外で遺体が見つかったというから、尾部が岸壁に当たった衝撃で放り出されたのだろうか。この座席に坐ったのは理屈抜きに不運だったといわざるを得ない。

 生死を分けるのは無論、座席の位置ばかりではない。ボーイング777は機体が頑丈で、キャビン内装は不燃材が使われ、すぐれた耐火性を持っていた。さらに非常口を容易に開けることができるような設計になっている。だから、死亡事故は、これまで一度も起こしたことはなかった。

 その開発は1980年代末から90年代初めにかけておこなわれた。アシアナ航空の事故機は777-200ERで、1997年に登場し、アシアナでは2006年から使い始めた。今となっては旧いように思われるが、当時としては最高の安全要素を組み入れ、常に安全のための改良を重ねてきた旅客機である。

 たとえば座席構造は荷重倍数16G以上に耐えることができる。これが777以前の設計基準であれば、衝撃のために座席は押しつぶされ、その隙間に乗客がはさまって、死者も増えたであろう。

 また座席も床も不燃性の耐火材が使われていた。これらの材料は燃えにくいばかりでなく、炎を出して燃え上がらないから、乗客の脱出行動の妨げにならない。

 かくしてボーイング777は、現用旅客機の中では最も安全な航空機のひとつとなった。

 これまで米国運輸省安全委員会(NTSB)の記録に残っている777の事故は1997年なかば以降57件である。ただし前述のように、死亡事故はない。いま初めて1件の死亡事故が生じたが、世界中で1,000機以上が飛んでいる実績からしても、すぐれた安全記録といってよいのではないだろうか。

(野次馬之介、2013.7.11)

 

 

 


アシアナ航空777旅客機

表紙へ戻る