<世界航空機年鑑>

1998年版ヘリコプター

ヘリコプター工業界の再編

 1997年なかば航空工業界に大きな変化をもたらしたのは、ボーイング社によるマクダネル・ダグラス社の買収であった。この出来事はもとより旅客機の世界のことだが、そこから波及してマクダネル・ダグラス・ヘリコプターの生産もボーイング社の傘下に移り、98年2月同社が民間ヘリコプターの製造を手放すことになって、影響が増幅した。

 最終的に落ち着いたのは、今のところMD500および600小型ヘリコプターの生産と販売はベル社が引き受けることになり、MD900は引取り手のないままボーイング社に残ることになった。ただし補用部品の生産は、これもベル社が引き受けるという。

 とはいえ、ベル社の方にも元々同クラスの競合機があるので、こうした状態がいつまで続くのかという疑問がないわけではない。その疑問に対してベル社は98年4月、モデル500および600については今後カナダの工場で生産する。目下その準備を進めているが、生産態勢がととのったならば積極的な販売に乗り出すという声明を出した。

 ベル社によれば、モデル500および600は今後とも大きな市場性を有するヘリコプターであり、価格を上げるようなことはしない。むしろ既存のベル機と同じ生産ラインで製造することによって費用効果が高まることを期待しているという考え方を明らかにしている。

 そんな中でベル社自体、将来に向けて現用ベル412の後継機となる中型双発機を検討中であり、さらに206B発展型の開発を検討中というから、そこにMDヘリコプターのノーター原理が取りこまれる可能性が出てくるかもしれない。

 いまヘリコプター工業界は民間市場が横這い、軍用市場が縮小気味で、徐々に業界再編が進みつつある。かつての仏アエロスパシアル社と独MBB社の合併がその始まりであったが、今回MDヘリコプターがボーイング経由でベル社に移ったのは第2弾ということができよう。

実用間近いティルトローター機

 ベル社とボーイング社に関しては、もうひとつティルトローター機の話題が大きい。両社が共同開発をしてきた軍用V-22オスプレイはいよいよ量産機の製造がはじまり、その一方で新しい民間モデル609の開発が具体化した。これら両機の前身となったXV-15実験機の初飛行は1977年。もはや20年余り前のことである。

 V-22は当初の原型6機に加えて、1992年から製作がはじまった前量産型4機も、その1機目、すなわちオスプレイ7号機が97年2月5日に初飛行し、最後の10号機も98年1月16日に飛んで米海軍のパタクセントリバー・テスト・センターで本格的な試験飛行に入った。

 すでに量産型1号機も工場の中で姿をあらわしつつある。同機は1999年初めに初飛行し、同年5月ごろ海兵隊へ引渡される。生産計画は年間5機、5機、7機と続く予定である。

 一方、 モデル609は史上初の民間型ティルトローター機(CTR)として96年11月に開発計画が発表された。6〜9人乗りの小型機で、これもベルとボーイングの両社が共同開発をすることになっていたが、98年に入ってボーイング社が上述のMDHと共に民間向けロータークラフトから手を引くというので、ベル社単独で開発計画を続けることになった。もっともベル社の方は別のパートナーを探しつつある。

 今後の開発日程は、原型4機が試作され、1999年末に初飛行、2年間の試験飛行を経て2001年から量産機の引渡しに入る。98年2月までの受注数は63機。そのうち3機は日本の三井物産からの発注で、1機当たりの価格は800〜1,000万ドルといわれる。 

MH2000に初の注文

 ところで、世界中のヘリコプター界を見わたして、初飛行や型式証明など、この1年間に新たな進展を見せた機種は何があるだろうか。時間的な順序で見てゆくと次のようになる。

 97年3月4日、アエロスパシアル・ラマの後継機として開発されたユーロコプターAS350B3が初飛行、同年末フランス政府の型式証明を取得して引渡しに入った。高出力のエンジンを装備、AS355N双発機と同じ尾部ローターを持ち、高温・高地性能にすぐれ、吊下げ能力は最大1,400kgと、小型単発機にしては相当に大きい。

 97年6月6日、パリ航空ショーの直前には、MD600N単発ノーター機が型式証明を取得、量産1号機がグランドキャニオンの遊覧飛行のためにエアスター・ヘリコプター社へ引渡された。乗客8人乗りで窓が大きく、騒音が静かで遊覧飛行に最適という。

 パリ・ショーの最中、97年6月17日にはAS365N4が初飛行した。ドーファン双発機の発達型で、98年2月の国際ヘリコプター協会(HAI)年次大会に際してEC155と名づけられた。快適な旅客輸送をめざすもので、主ローター・ブレードは5枚に増えている。機内はパイロット2人のほかに乗客12〜13人乗り。98年中に型式証明を取り、99年初めから量産機の引渡しに入る計画。

 さらに97年6月18日、EC120Bが型式証明を取得した。欧州20か国から成るJAAの共通証明である。98年1月22日には米FAAの型式証明も取得、1号機が日本の野崎産業へ引渡された。98年2月までの受注数は100機に近い。

 97年6月、三菱重工が開発してきたMH2000に輸送TB級の型式証明が認められた。さらにTA級の承認取得のための試験飛行が原型2機を使って続いている。この中には居住性の改善や寒冷地試験などが含まれる。

 この新しい純国産ヘリコプターに対しては98年2月、エクセル航空から初の注文が出た。98年中に納入される予定で、基本価格は4億円。

売れ行き好調のEC135

 97年12月11日、ベル427軽双発ヘリコプターが初飛行した。モデル407を基本に、胴体を33cm引き延ばして8人乗りとし、エンジン2基を装備したもの。この双発化に伴ない、トランスミッションも新しい設計になった。98年6月から2機の前量産型を加え、年末までに1,000時間の試験飛行を経て型式証明を取り、99年初めから量産機の引渡しに入る計画。最近までの受注数は75機を越えた。基本価格は199万ドルである。

 98年1月22日、三菱重工がライセンス生産中のH-60多用途ヘリコプターのうち、陸上自衛隊向けUH-60JAの1号機を納入した。米陸軍のUH-60LにGPSやNVG(暗視ゴーグル)など独自の装備を取りつけたもので、今後50機程度の調達が予定されている。

 なお、同じ陸上自衛隊向けの川崎OH-1は、現在4機のXOH-1が試験飛行中。この明野駐屯地での技術試験および実用試験は97年4月にはじまったもので、99年度中に終了し、実用段階に入る。

 98年2月11日、MDエクスプローラーがFAAからカテゴリーAの飛行を認められた。片発停止の場合も安全な飛行が続けられるもので、このためエンジンをPW206B(650shp)から206E(676shp)に換装して出力を上げ、トランスミッションを強化した。ほかに計器表示システムやエンジン室の消火機構も改善された。さらに飛行性能も速度が増加、航続距離が伸びている。

 そのほか、これから登場する機種としては、イタリア・アグスタ社が開発中のA119コアラ単発機(7人乗り)が98年7月に型式証明を取る予定。同じ頃、アグスタ社と英ウェストランド社が共同開発したEH101三発大型機が日本へ入ってくる。これは同機初めての民間機で、納入先は東京警視庁。小笠原などの長距離飛行に使われる。また98年末までにはシコルスキー社が開発中のS-92大型機も初飛行するであろう。

 なお新機種の中で、日本への輸入が目立つのが7人乗りのEC135双発ヘリコプターである。97年4月から98年3月までの1年間に4機が輸入され、報道その他に飛んでいる。同機は海外でも人気が高く、96年なかばの型式証明取得以来1年半の間に115機を受注した。用途は救急などの任務が多い。

(西川 渉、『世界航空機年鑑1998』所載)

 


V-22オスプレイ

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