<エアバス大全>

苦難を切り抜ける道


(A340-500とA340-600の編隊飛行/写真:エアバス社提供) 

 

 航空界が苦難の中にある。近年の世界的な経済不況の中で、2001年秋の9.11同時多発テロが追い討ちをかけ、アフガニスタン攻撃からイラク戦争に及んで航空旅客が減少した。

 おまけに正体不明、対策なしという劇症肺炎SARSが蔓延して、旅客需要はさらに減りつつある。IATA(国際航空運送協会)では、世界のエアラインがSARSによってこうむる損害だけで100億ドル(約1.2兆円)を超えると見ている。

 今や、航空界はテロ、戦争、病気という三重苦を背負うに至った。

 航空旅客が減ればエアラインの経営が立ちゆかなくなるのは当然だが、やがてメーカーにも影響が出てくる。今年1〜3月、第1四半期の新製旅客機引渡し数は、ボーイング、エアバスともに前年割れとなった。ボーイングの引渡し数は71機で、前年同期にくらべて3分の1減。受注数はわずか32機にすぎない。

 同様にエアバスの引渡し数は65機で、昨年同期より7機減である。エアバス社は今年、300機の生産計画を立てているが、現状から見て生産数を減らさなければならないかもしれない。270〜280機までの減少ならばまだしも、250機以下という深刻な事態もあり得る。というので、社内ではすでに臨時雇用者の削減、早期退職プログラムの実施、操業時間の短縮、下請け契約の縮小といった対策の手が打たれつつある。

 ところがエアバス機は、1〜3月にキャンセル数を差し引いて36機しかなかった受注数が、4月に入るや1か月だけで95機の注文を受けた。仮注文を入れると145機にもなる。さらに同社では、懸案の超巨人機、A380の開発だけは何があろうと計画日程を変えないという意気ごみで作業を進めている。苦難の中にも意外にに明るい前途が見えているのである。 

ワイドボディ・ファミリー

 この報告はエアバスをめぐる最近の話題を取り上げるものだが、その前にエアバス機の各型について簡単に整理しておこう。

 エアバス社は、その製品を4つの系列に大別し、ファミリーと呼んでいる。A300/A310、A320、A330/A340、そしてA380である。このうちA320ファミリーはナロウボディだが、あとはすべてワイドボディである。

 各ファミリーの派生型を合わせると、下表の通り全部で12機種を超える。そのうち最初に登場したのはA300ワイドボディ機であった。1972年に初飛行、1974年から量産型A300B2(250席)が就航した。その後、航続距離を延ばしたA300B4やA300F4貨物機、A300C4貨客混載機などへ発展。コクピットの2人乗務も、大型旅客機としては本機が初めて1982年に実現したものである。

 これらの機材は249機で生産を終了したが、その後A300-600(266〜285席)が出現し、キャビンを延長して搭載量を増やした。そのため主翼を改善し、電子機器を近代化して、1984年に就航、今も生産されている。この中には1988年就航のA300-600R長距離機や1994年にフェデラル・エクスプレスが運航を開始したA300-600F貨物機が含まれる。のちに、この貨物機はUPSからも60機の大量注文を受け、今後なお2009年まで生産が続く予定。

 こうしたA300の胴体を短縮し、航続距離を延ばしたのがA310である。基本となるA310-200は1982年に初飛行、83年にルフトハンザとスイス航空の定期路線に就航した。85年には長距離型A310-300(210〜280席)も出現した。

エアバス・ファミリー一覧

A330/A340ファミリー

 A300/A310の次に開発されたのがA330/A340ファミリーである。同じ胴体断面を持つワイドボディ機で、A330は大型エンジン2基を使った双発機、A340は中型エンジンによる4発機である。開発は1987年2機種同時にはじまったが、完成はA340が先になった。

 A340はエアバス社初の4発機で、主翼と尾翼が新しく設計され、翼端にはウィングレットがついた。また、水平尾翼にも燃料を搭載、主翼タンクとの間で交互に燃料移送をおこない、縦方向の釣合いを取るトリム・タンクとなった。

 標準型A340-300(295〜375席)は1991年に初飛行、93年に就航した。その胴体を短縮した長距離型A340-200(263〜303席)は1992年に初飛行、93年に就航した。燃料搭載量を増やすために胴体、主翼、降着装置などを強化している。

 A340は、その後さらにA340-500とA340-600へ発展する。この両機は主翼スパンを3m余り大きくして最大離陸重量を増し、乗客数を増やすとともに航続距離を伸ばすもの。1997年同時に開発がはじまり、A340-600(380席)は2001年4月16日、A340-500(313席)は2002年2月11日に初飛行した。型式証明の取得は、それぞれ2002年5月と12月。いずれもボーイング747の代替をねらうもので、A340-500の航続性能は747-400を上回る。基本データは下表のとおり。 

A340基本データ

 

 A330双発機は次表の通り、2種類の派生型がある。標準型はA330-300(295〜440席)で、1994年に就航した。その短縮型A330-200(253席)は胴体を4mほど短くし、燃料搭載量を増やして12,000kmの航続性能を持つ。1998年4月に就航した。

 なおカンタス航空向けの新しいA330は「ペーパーレス・コクピット」と呼ばれ、パイロットは地図やマニュアルや図表類を携行する必要がなくなった。「電子フライト・バッグ」と呼ばれる装置を備えていて、計器パネルのスクリーン上に必要に応じてマニュアル類が表示される仕組みになっている。これで文書作成のコストをなくそうというのがエアバス社のねらいである。

A330基本データ

ナロウボディと超巨人機

 次のA320ファミリーはこれまでのエアバス機とは異なるナロウボディである。しかし狭胴といっても競争相手の737よりも広く、その分だけ客席の幅に余裕がある。技術的にも主要構造部材に複合材を多用し、亜音速旅客機としては世界で初めてフライ・バイ・ワイヤを導入、操縦輪もサイドスティックに変わった。グラス・コクピットの標準的なスタイルをつくったのもA320である。

 開発がはじまったのは1984年だが、20年足らずの間に下の表に示す通り、4種類の派生型に発展した。標準座席数も107席から185席までの広範囲にわたっている。

A320基本データ

 原型A320-100は1987年2月に初飛行した。量産型A320-200(150〜180席)が型式証明を得たのは1988年で、先ずエールフランスの定期路線に就航した。

 胴体を延ばしたA321-100(185〜200席)は1993年に初飛行、94年に就航した。その燃料タンクを増設し、最大離陸重量を上げたA321-200(185〜220席)は1996年に初飛行、97年に就航している。

 一方、A320の胴体を短縮したA319-100(124〜145席)は1995年に初飛行、96年就航した。

 最新型のA318(107席)はA320ファミリーの中では最も小さく、2003年5月に欧州JAAの型式証明を認められたばかり。6月にはFAAの証明も取れる見こみである。

 同機の初飛行は2002年1月14日。以来2機で約850時間の試験飛行をしてきたが、操縦特性は従来のA320ファミリーと変わらない。量産1号機はこの夏、米フロンティア航空に引渡される。つづいて2号機はエールフランスに渡される予定である。

 エアバス社の製品は、以上のほかに特殊なA300-600STベルーガがある。A300-600を基本として胴体上半部に巨大な貨物室を取りつけ、欧州各地の工場で製作したエアバス機の構造部材を最終組立て工場へ運搬するのが目的。以前の特殊機、スーパーグッピーの後継機としてつくられたもので、1994年に初飛行、95年に型式証明を得て、現在5機が飛んでいる。

 目下開発中のA380は総2階建ての超巨人機(555席)である。2000年12月に開発がはじまったが、今後は2005年春初飛行、2006年に型式証明を取って定期路線に就航する計画になっている。


(A320ファミリー/写真:エアバス社提供)

低運賃エアラインから大量受注

 こうしたエアバス機の中で、最近次々とホットな話題をつくっているのがA320ファミリーである。

 去る4月には、ニューヨークに拠点を置くアメリカの低運賃エアライン、ジェットブルー航空から65機受注し、さらに50機の仮注文を受けた。IAE V2500エンジンを装備して、2004年から2011年までの間に引渡される。ジェットブルーは、これまでも46機のA320を発注していたから、同航空のA320は確定発注分だけで111機になる。そのうち現在41機を運航中。

 ジェットブルーによれば、「9.11以降の困難な状況の中で健全な経営を続けてゆくには、A320のような安全で経済的で快適な旅客機を使ってゆくのが最良の方策」という。その理由として、A320ファミリーは、このクラスの単通路の旅客機としては胴体幅が最も大きく、客席がゆったりしているから快適である。また燃料消費が少ないので環境にもやさしいし、騒音の影響範囲も他にくらべて小さい。

「現今のむずかしい状況の中で成長を続けるには、機種の選定を誤ってはならない。今回発注したA320は、われわれの選定が誤りではなかったことを実証するであろう」

 A320ファミリーは、続いて中国のエアライン各社からも注文を受け、受注数が3,000機を超えるに至った。運航する航空会社は100社を超えている。

 同ファミリーの大量受注は、これが初めてではない。昨年10月、欧州最大の低運賃エアライン、イージージェットがA319を120機発注した。このことを当時の新聞は「ボーイング第2位に転落へ」という見出しで報じている。というのは、この引渡しがはじまる2003年度から、おそらくはボーイングの引渡し数が初めてエアバスよりも少なくなると見られるからである。

 実際に生産機数、売上げ金額、受注状況など、どちらがどうなるか予断は許されないが、ボーイングの足もとが多少ともゆらいだことは確かであろう。

ボーイングの牙城に食い込む

 これまで、低運賃エアラインの機材はボーイング737の独占に近い状態だった。米サウスウェスト航空が737だけを大量に使って成果を挙げてきたからで、多くのエアラインがそれにならって737を使用し、低運賃で飛ばすようになった。これがボーイングの凱歌を挙げ続けた要因のひとつだったが、ジェットブルーやイージージェットのエアバス指向は、ボーイングの牙城の一角を崩したというのが欧州側の主張である。

 それに対してボーイング社は、エアバス社が低運賃エアラインの注文を取るために機体価格を引き下げて売っていると非難する。しかしボーイングだって、エアバスの進出を防ぐためにディスカウントをしているではないかと、エアバス社も反論している。

 お互いの言い分が正しいかどうかはともかく、近年こうした低運賃エアラインこそが旅客機の大量受注を実現させたことは確かである。その大量注文を取るために両社が懸命の競り合いをつづけているが、これから低運賃エアラインが増えるにつれて、競争はますます激化するにちがいない。

 低運賃の航空会社は、とりわけ欧州圏内では近・中距離の路線でシェアを拡大しつつある。今のところは1割強だが、2010年には2割に達するであろう。英国ではすでに低運賃エアラインがシェア6割を占めている。ドイツですら、低運賃航空の影響は少ないといいながら、25%になっている。

 では今後、新しい低運賃エアラインの拡大が続くと、既存の大手エアラインへの影響はどうなるか。一つの見方は、予想外に影響が少ないというもので、たとえばロンドンのスタンステッド空港を本拠とするライアンエアの場合は乗客の7割が低運賃に刺激された新しい旅客需要だからである。

 しかし、イージージェットの場合は、ちょっと違う。大手エアラインと同じ大空港から出発するような路線をつくって、安い運賃で乗客を引き寄せている。その結果、乗客増加分の半分は大手エアラインから奪ったものという。

 低運賃エアラインの成長と拡大につれて、A320ファミリーの需要も伸びてゆくだろう。

エアラインの再建に貢献

 A330/A340に関する最近の話題は、昨年倒産の危機に追い込まれたUSエアウェイズの再建強化策に、これらの旅客機が使われることである。

 USエアウェイズは今年3月末、破産法の保護下から抜け出し、再び独り立ちした。この再建に向かってはエアバス社も協力してきたが、協力の一環として、これまで発注ずみのエアバス19機をキャンセルし、新たに10機のA330-200に切り換えることとなった。同航空はほかにもA330-300を9機発注していたので、機材はほぼ2倍になり、費用効果が大きくなる。

 さらにUSエアウェイズは、A321を13機とA320を6機発注し、2007〜2009年の間に受領する。これらはA330との共通性が高く、A330ファミリーを中心とする運航機材がそろうことになる。A330-200とA330-300は、米国内線で旅客の多寡によって使い分けるが、米欧間の長距離国際線に使うこともできる。A330を運航したのも、米国では同航空が初めてだった。

 最終的なフリートは156機で、A330-300が10機、A330-200が10機、A319が66機、A320が30機、A321が40機になる。これだけを見ると、さまざまな機種が混在し、機体の大小があって座席数も異なるけれども、コクピットや操縦資格は共通性が高い。したがって、あたかも同じ機種のように使い分けることができる。エアラインの運営上も高い合理性を有するというわけである。

 この点は中国でも高く評価され、今年4月には航空機輸出入公司がA330、A320、A319を取り混ぜて30機発注した。これで中国のエアバス機は機数が増えるばかりでなく、機種も増加する。エアバス機が初めて中国に入ったのは1985年。それから10年後の1995年にはまだ29機しかなかったが、異なった機種の間の共通性が高まり、合理性が進むにつれて機数も増え、現在では約190機になった。このためエアバス社は8,000万ドルの資金を投じ、北京に訓練と部品補給センターをつくっている。

A380の設計仕様完成まで

 さて、エアバス最大の話題はA380であろう。この超巨人旅客機の開発構想が航空機メーカーの間に出はじめたのは1980年代末だった。21世紀初めには航空旅客需要が大きく伸びて、世界各地の空港が混雑する。それに対応するには600席、800席、1,000席のスーパージャンボが必要というわけである。

 そこで欧州では仏アエロスパシアル社がASX500/600、独ダイムラーベンツ・エアロスペース社(DASA)がP502/P602、英ブリティッシュ・エアロスペース社(BAe)がAC14を考えた。これらをエアバス社の下で一つにまとめることで合意されたのは1993年6月。同年10月には「A3XX統合チーム」が設置された。そして94年1月、2階建てダブル・デッキの機体とすることが決まる。客席は主デッキが左右10列、2階が7列という大きさであった。

 同じ頃、ボーイング社も747を上回る超巨人機の開発を考えた。そしてVLCT(Very Large Commercial Transport)の呼称で、旅客550〜800人乗り、航続距離13,000〜18,500kmという基本構想を打ち出した。ボーイング社はこの構想を欧州側に提示し、上述のメーカー3社にスペインのCASAを加えた欧州4社と共に市場調査をおこなった。その結果VLCTの研究は2年半で中止される。今すぐこうした超巨人機の開発に着手するには、市場の見通しが不充分という理由からだった。

 しかし欧州側は諦めなかった。A3XXの検討を進めてきたエアバス社は、VLCTの断念から4か月後、客席数400〜600席、2階の客席配置を左右8列とする機体が有望と判断した。

 この構想をもって、エアバス社は多数のエアラインと話し合いをはじめた。特にアジア地域のエアラインが最大の目標である。結果としてペイロードと航続距離をもっと大きくするようにという要請が強いことから、この要求を満たすには既製エンジンの出力強化型では不充分ということになり、新しいエンジンの開発を求めると共に、主翼面積を増やすことにした。

 この要求を強く打ち出したのはシンガポール航空で、旅客555人をのせてシンガポールからロンドンへ直行できるような旅客機が欲しいというものだった。その背景にあるのは同航空の市場調査で、747よりも3割増の客席が必要になる。1997年こうした条件を入れて、基本仕様は再び三度び変更になり、大型エンジンを外側に移すことになった。

 1998年初めには翼面積がさらに大きくなり、機首や尾翼の空力特性も改善された。その後も高揚力装置の改良やエンジン直径の拡大など、さまざまな変更があって、2000年6月23日A380の開発が正式に決まった。

 細部の設計仕様が固まったのは2002年なかばだが、今も細かい調整がつづいている。

A380の基本構造

 A380の基本構造は、客席が総2階建て。主デッキは再前方にコクピットがあるが、コクピットのすぐ後がファーストクラス22席、前後の座席ピッチは68インチである。その後方にエコノミー席334席が左右10列でぎっしりと並ぶ。前後ピッチは32〜33インチ。

 2階は前方3分の2ほどの区画がビジネスクラス96席で、前後48インチ。その後方にエコノミー103席が32〜33インチで並ぶ。これら3クラスを合わせた客席総数は555席。このうちエコノミー席は上下合わせて437席だが、超巨人機というにはいささか窮屈かもしれない。そこで多少とも余裕をもたせるために、座席数を減らして3クラス合計520〜540席とするエアラインも多いのではないかと見られている。

 ほかに2階最後部に乗客休憩室が設けられる。メーカー側では、ここに免税店、会議室、図書室、ビジネス・センター、さらにはシャワールームをつくるといったアイディアを出しているが、エアライン側の考えは決まっていない。また主デッキと2階をつなぐ階段はキャビン最前部と最後部にある。

 階下の貨物室は前方にLD-3コンテナ22個、後方に16個の搭載が可能。これらの階下貨物室を前方は旅客休憩室、後方は乗員休憩室としてもよい。


(A380の機内ラウンジ提案図/エアバス提供)

 

 コクピットは乗員2人乗り。計器パネルには8枚の表示スクリーンが並ぶ。

 エンジンはロールスロイス・トレント900またはGE/P&W GP7200ターボファンが4基。1基あたりの推力は、双方ともに31,750kg。バイパス比が高くて、騒音が小さく、燃費も低い。ほかに尾部先端には補助電源としてPW980ターボシャフト・エンジン(1,700shp)がつく。

 A380の離陸性能は、標準大気状態(ISA)+15℃、標高ゼロの場合、総重量560トンで必要滑走路長が3,000mになる。これはボーイング747よりも短い。

 この標準型をエアバス社はA380-800と呼ぶ。それを貨物専用とするのがA380-800F。747貨物機の1.5倍の輸送力を持ち、ペイロード150トンで航続10,000km。もしくは最大離陸重量を10トン増の600トンとし、ペイロード185トンで5,500kmを飛ぶことができる。基本データは下表の通りである。

 将来に向かっては、航続距離を延ばすA380-800Rや、胴体を短縮して465〜480席とするA380-700、650席のストレッチ型A380-900などの派生型が研究されている。

A380基本データ

空港の改造工事も必要

 このような巨大旅客機が飛ぶようになれば、それを受け入れる空港施設も大きくしなければならない。そのためエアバス社は1994年から世界各地の空港当局と話し合いを進めてきた。

 一般的な結論としては、A380の主翼スパンが79.6mで、現用747よりも15mほど大きいことから、ターミナルの駐機間隔や滑走路と誘導路の間隔などを広げる。旅客の乗降も短時間ですむよう、機体とターミナルビルとの間を3本のエアブリッジでつなぐ。主デッキには前方ファーストクラス用と中ほどのエコノミー用ブリッジ。これは現状と変わらないが、3本目のブリッジを2階デッキに向かって直接伸ばす。したがって機内の階段は乗降のためには使わないし、乗降時間の短縮にもなる。これでA380が空港に到着し、旅客の乗降を終わって、次の目的地へ出発するまでのターン・アラウンド時間(TAT)は80〜120分と計算されている。

 こうした超巨人機の受け入れ準備をしている空港は、意外にも成田空港が最も早く工事を進めている。次いでロンドン・ヒースロウ空港の工事がおこなわれているが、ここはヴァージン・アトランティック航空がA380の拠点とする予定だし、シンガポール航空の最初の乗り入れ目的地でもある。工事の内容は誘導路の幅を広げると共に、滑走路から遠ざけるように位置を変えるというもの。大がかりな工事のため、完成はA380の就航から2年後、2008年になる。したがって初めのうち、A380の使える滑走路は1本に限定される。

 ほかにニューヨーク・ケネディ空港やロサンゼルス国際空港もA380受け入れのための工事計画を完成した。サンフランシスコやマイアミ空港もマスタープランを作成し、FAAの承認を待っている。さらにパリ・ドゴール空港やシドニー、シンガポール、クアラルンプール、香港、デュバイなども準備中。特にデュバイ空港はA380を大量発注しているエミレーツ航空の拠点だけに、総額25億ドル(約3,000億円)をかけて新ターミナルを建設し、23機のA380を同時に扱えるようにするという。

A380の受注状況と今後の日程

 こうしたA380の受注状況は下の表のとおり、2003年4月現在で確定103機、仮90機だが、間もなくエミレーツ航空が23機の追加発注を出すと伝えられる。おそらくパリ航空ショーで正式に発表されるのではないかというから、本誌の出る頃には決まっているかもしれない。

A380の受注状況

 さらにエアバス社が期待しているのは日本からの注文である。目下、日本航空と全日空が検討中で、おそらく今年中に結論を出すもよう。日本の慎重な検討ぶりに、エアバス社も気長に待つ姿勢を見せている。これらの発注が決まれば、A380の確定受注数は一挙に150機にもなるであろう。

 A380の開発費用は総額107億ドル(約1.2兆円)。うち51億ドルはエアバス社みずからの調達資金だが、25億ドルは政府からの借り入れ、31億ドルはリスク・シェアリング・パートナーの拠出資金である。その大半は本機の開発に参加している主要10社が負担する。

 原型1号機の製造は2002年初め、フランス、ドイツ、イギリスの各工場で一斉にはじまった。それぞれの部品は南仏ツールーズに集められ、目下建設中の「エアロコンステレーション」と呼ぶ巨大工場で最終組立てがおこなわれる。

 初飛行は2005年初め。1年余りで型式証明を取得、2006年夏から就航の予定。運航費は747にくらべて1席当り24%減になるという。

 その後、予測通りの需要が出るならば、A380は2008年には月産4機となり、2015年までの10年間に750機が売れ、最終的には1,100機まで行くと見られている。メーカーとしての採算分岐点は250機である。


(A380想像図/エアバス社提供)

エアバス対ボーイング

 こうして超巨人旅客機A380が完成すれば、そのときこそエアバス社を中心とする欧州航空工業界は、真の意味でボーイング社と対等、もしくはそれを凌駕する立場に立つことになる。エアバス社が前身のエアバス・インダストリー以来30年余にわたって挑戦しつづけてきたボーイング社の壁が、今ようやく乗り越えられようとしている。

 両社の競り合いは過去10年以上にわたって激しく続き、お互いに勝ったり負けたりしながら、2000年秋にはエアバス社がA380の開発に乗り出した。この開発着手に先だってボーイング社との間には、市場予測に関する大論争があった。エアバス社は500席以上の大型機が1,100機は売れると見たのに対し、ボーイング社は334機しか売れないとして、大型機の開発を断念した。

 ボーイング社としては、そこで2001年3月ソニック・クルーザーの構想を打ち出した。この計画は今年になって引っ込められ、その代わりに経済効率を重視した250人乗りの7E7構想が出てきた。エアバス社の方は、これに対してA330の強化によって太刀打ちできると考えている。

 改めて両社の最近の数字をくらべてみると次表のようになる。これはエアバス側の集計だが、受注残は1995年から2002年の間にすっかり逆転した。

エアバス対ボーイングの比較

 引渡し数もエアバス機が4〜5年の間にじりじりと伸びてきたのに対し、ボーイング機は減少傾向を見せている。過去4年間の狭胴機の競り合いは、受注数も受注残もエアバス機の方が多く、受注残はボーイングの1.3倍に相当する。

 全機種を合わせた2002年の受注実績も機数、金額ともにエアバスの方が多かった。とりわけA320対737の競争では235機対162機となっている。250席クラスのA330-200対767でも前者の方が勝り、そこからボーイング7E7計画が出てきたものである。

 かくしてエアバス社の実績は、今年3月末までの30年間に12機種4,668機の注文を受け、3,192機を引渡すに至った。

 競争は進歩をうながす。もとより筆者はどちらか一方だけを応援するものではない。双方の切磋琢磨によって、ますます優れた航空機の実現を望むばかりである。

 (西川 渉、『航空情報』2003年8月号掲載)

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