米国のヘリコプター救急

――現地を見て日本を思う――

 

フライトナースの自負と誇り

 先頃、デンバーで救急病院のヘリポートを見学する機会があった。そのとき人命救助に情熱を注ぐフライトナースに出会った。エアメソッド社が運航する新しいベル407小型ヘリコプターの横で、彼女は機材の内容はもとより、自分たちの所属する救急システムの説明をしながら、時折りかかってくるポケットベルをチェックし、周囲の職員に忙しく注意を与えていた。小柄ながらも、患者を寝かせたストレッチャーの積みおろしには多少の膂力も必要という魅力的な女性で、看護婦としての経験は15年余りと聞いた。

 機体の中には、患者1人分のストレッチャーと救急医療器具や通信機器はもとより、山の中に不時着した場合のサバイバル・キットも搭載されていた。この救急ヘリコプターは町の中の交通事故や急病人のほかに、山岳地の遭難にも飛ぶのであろう。

 というのは「マイルハイ・シティ」と呼ばれるデンバーは標高1,600m。すぐ背後にはロッキー山脈の3,700m前後という富士山級の峰々が純白の雪をかぶって連なる。その国立公園とスキー場への道を車で2時間もドライブをすれば山頂まで達し、美しく雄大な景観を満喫することもできる。けれども、曲がりくねった山肌に沿って崖っぷちを走るドライブは、油断をすれば何百メートルもの谷底へ転落しかねない。

 ヘリコプターはそうした遭難現場へ向かうと同時に、みずからも万一の事態に備えて寝袋と非常食を搭載、山の中で5日間は生きのびる準備をしている。またフライトナースの各人は大きなシーンバッグ(現場携行袋)を持ち、その中に所要の医薬品や消耗品を入れていて、いつでも飛び出せる用意をしている。バッグの中味は毎日2回、朝晩の点検が義務づけられ、使ったものはすぐに補充しなければならない。

 フライトナースの服装は上下つなぎの飛行服。右の胸には「エアライフ」という救急チームのロゴマークが貼ってあり、左胸には自分の名前と職位が書いてある。そして右膝のポケットにははさみが差し込んであって、現場に到着したのち、必要によってはこれで患者の衣服を切り裂いて路上の治療に当たる。ときには気道確保のための喉の切開をおこなうこともある。

 また左膝のポケットには新しい注射器が3本。これで注射をしたり、点滴の注入をする。残念ながら日本の救急救命士は現場で勝手に注射をすることは認められない。むろん能力の問題ではなくて、日米の制度の違いである。

 そんな説明を聞いているうちに、不意にヘリコプターの出動要請がかかった。すぐにパイロットが乗りこんでエンジンを始動、パラメディックやフライトナースが乗ると2〜3分のうちに飛び立って行った。このとき乗員たちは、もっと小走りに急いだらどうかと思うくらいゆっくりと機体に近づき、ドアを開けて座席につく。決してあわただしい感じはしない。

 その自信に満ちた振る舞いは、彼らの日常的な積み重ねによる経験と実績からくるのであろう。そして、自分はこれだけの技能をもち、権限を与えられて人命救助にあたっているという自負と誇りを、私はあのフライトナースのキラキラと輝く茶色の眼の中に見たような気がした。

 

病院経営にも利益をもたらす

 アメリカの本格的な民間ヘリコプター救急は、ベル社によると1972年にはじまった。それまでは州政府や軍用ヘリコプターによる断片的な運航がおこなわれたに過ぎない。

 病院がヘリコプターを使うと、どのような利点があるのか。当時の病院経営者は表1のような利点をとらえ、少しずつヘリコプターをチャーターするようになった。

 

表1 米国の病院経営者から見たヘリコプター救急の利点

ヘリコプターで患者を集めることによって、医療の対象地域が広がる。

対象地域の拡大によって入院患者が増える。

ヘリコプターで搬送されてくるような患者は、医療保険に入っている人が多い。

治療内容も高度な金のかかるものが多く、病院収入が増える。

入院期間は平均して、普通の患者の2倍になる。

[出所]ベル社、1997年6月

 

 1970年代末から80年代前半の頃はまだ小型単発機が多かったが、80年代後半になって実績が増えると、救急患者の死亡率が半分以下に下がることが判明、救急ヘリコプターの数も急速に増えた。90年代には中型双発機が増加したが、これは安全性と速度性能が重視されるようになったためである。また気象条件の良くないときでも救急活動を可能にするため、計器飛行も試みられるようになった。特に近年はGPSを使って病院ヘリポートへの計器進入が認められるようになり、患者の救命率を高めるのに役立っている。

 米国内で飛んでいる救急専用の民間ヘリコプターは、エアメソッド社の集計によると314機。内訳は表2の通りである。

 これらの救急ヘリコプターが病院との間に結んでいる契約数は202件。米国では、これをプログラム数と呼んでいる。一つのプログラムは、かつては一つの病院が1機のヘリコプターをチャーターしていた。しかし最近は、いくつかの病院が共同して1機のヘリコプターをチャーターする例が多く、その中に保険会社も参加するようになった。

 

表2 米国の救急専用ヘリコプター数

クラス(機数)

機  種

機  数

小型単発機(74機)

ベル206

33

ベル407

19

AS350

22

軽双発機(74機)

AS355

10

BO105

39

EC135

6機

MD900

6機

109

13

中型双発機(113機)

BK117

74

ベル222230

35

ベル430

4機

大型機(53機)

AS365

25

-76

16

ベル412

12

合     計

314

[出所]エアメソッド社、199810

 

固定契約によるチャーター運航 

 病院と民間ヘリコプター会社との契約形態は、原則として年間固定契約である。ヘリコプター会社は機材やパイロット、整備士、運航通信士などを出して、病院の指定するヘリポートで待機する。緊急事態が発生したときは、病院側の用意した医療スタッフをのせて飛ぶ。その飛行指示を受け、飛行中のヘリコプターとの連絡通信に当たるのが運航通信士で、この人はヘリコプターの運航や無線通信の技能はもとより、救急医療についても多少の心得が要求される。

 こうした体制のもと、ヘリコプター会社は拘束固定契約によって病院から固定費と変動費の支払いを受ける。固定費は乗員その他の人件費、ヘリコプターの減価償却費、航空保険料、一般管理費などから成る。変動費は飛行時間に比例する燃料費、整備費、飛行手当などが含まれる。

 病院は、これらの運航費をヘリコプター会社に支払う一方、救急患者に対して搬送費を請求する。アメリカの得意とする受益者負担(PFS:ペイ・フォー・サービス)の原則だが、請求された搬送費は実際は各種の保険によって支払われる。1回当たりの金額は全米平均で、ベル社の推定によると、中型双発ヘリコプターが50マイル(80km)区間を巡航速度240km/hで搬送した場合、3,882ドル(約47万円)という。

 こうした費用を補償するための保険はどうなっているか。米国の場合、日本の健康保険制度とは異なり、必ずしも全国民が医療保険に入っているとは限らない。普通は民間保険会社が運営する企業保険と自動車保険でカバーされる。企業保険は従業員15人以上の会社に義務づけられ、自動車保険は交通事故に伴う治療費を補償する。その一方で、政府管掌のメディケイドとメディケアと呼ぶ補償制度があり、前者は失業者や低所得者に適用され、後者は65歳以上の老齢者に適用される。

 しかし、こうした補償制度のいずれにも属さない人が米国人の2割、5,200万人も存在する。そのため病院のヘリコプター搬送費は2〜3割が回収できない。しかし、保険に入っていないからといって交通事故の負傷者を放置するわけにはいかない。法律でも救助の義務が定められている。

 こうして米国では現在、年間25万人の救急患者がヘリコプターに救われている。1機平均700人くらいの救助である。

 

 

三すくみから抜け出すには

 さて、アメリカの現状を見て日本を考えるとどうなるか。わが国ではヘリコプター救急について役所同士の縄張り根性による対立があるといわれる。しかし実はそうではなくて、お互いに相手のことを考え過ぎるのかもしれない。その余り三すくみのような状態に陥り、動きがとれなくなってしまったのではないのか。中央省庁と自治体との間にも地方自治の建前にもとづく相互の遠慮のようなものがあるかもしれない。

 一方、保険制度に関しては、健康保険が財政的に苦しいとか、何々保険は適用解釈ができないといって、誰も手を着けようとしない。健康保険が駄目ならば自賠責保険や労災保険など、さまざまな社会保険制度が存在する。そのいずれでも救急患者を救うことができないとすれば、制度そのものがおかしいのである。

 そもそも日本には、アメリカのような受益者負担の考え方はなじまない。元来が村落的共同社会であって、欧米のような目的追究型の利益社会ではない。かつてはゲマインシャフトとゲゼルシャフトという言葉で説明されていた概念である。しかも問題は死ぬか生きるかの人命に関わる。助けて貰うために金を払うとか、助けてやったから金を出せといったやり取りは日本人のいさぎよしとしないところであろう。

 そんなことを言えば、医療費だって取れなくなるといわれるかもしれないが、まさにその通りで、昔は医は仁術といわれた。しかし、それでは医家の生活が成り立たな。そこで徹底した相互扶助を実現させようというので、今の健康保険制度ができ上がったのである。

 それが近年、財政的な行き詰まりを見せるようになったのは、余りに素晴らしい制度であるためにタダ同然で治療を受け、薬が貰えるようになって、不要なことまで要求する人が増えたからである。また医療関係者の方にも制度を悪用する人が出てきた。この制度が公正に運営されているならば、救急ヘリコプターの運航費くらいは容易に捻出できたのではないか。

 アメリカの実情を紹介しておきながら、矛盾した言い方になるが、日本はアメリカや欧州の真似をする必要はない。日本的な相互扶助の精神にもとづいて、受益者負担といった考え方は捨て、消防機関が今の救急車と同じようにヘリコプターを飛ばすのが最良の方策ではないかと思う。現に、そのような考え方で事が進み、すでに60機を超えるヘリコプターが全国に配備された。

 しかし、これは10年前の消防審議会の答申を受けた結果だが、外形は実現したものの、根本思想は今も実現していない。1日も早く実現させる必要のあることはいうまでもないが、当分まだ今のような状態が続くとすれば、アメリカのような民間ヘリコプターと保険制度の組み合わせによって解決するほかはないのかもしれない。

(西川渉、『ヘリコプター・ジャパン』99年1月号掲載)

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