<ストレートアップ>

スカイビジョン飛行船

―― 夢見る男が世界を動かす ――

 

 

期待される飛行船の将来

 ライト兄弟の初飛行から100年、旧臘12月の英『フライト・インターナショナル』誌が今後に期待される発展途上の航空技術10項目を挙げている。軽ディーゼル・エンジン、ティルトローター、極超音速飛行、空飛ぶ乗用車、パーソナル・ジェット、プロップファン、複合材構造、ウィング・ボディ構造、アダプティブ翼とあって、もうひとつが飛行船である。

 飛行船はライト兄弟以前から飛んでいた。しかしドイツのツェッペリンが軍用と旅客輸送で成功したかに見えたが、1937年ヒンデンブルグの悲劇によって終わったと思っていた。無論その後も米グッドイヤーを初め、ドイツやイギリスで新しい飛行船が開発され、日本でも近年ときどき飛んだことがある。が、それらは大飛行船時代の余波が残っているだけのことではないのか、と。

 ところがフライト誌によれば、飛行船は飛行機にくらべてはるかに少ない燃料で長航続の飛行が可能であり、しかも乗り心地が良い。今後なお旅客輸送、遊覧飛行、広告宣伝飛行に使われる可能性は高いというのである。

 そのためには離着陸、係留、駐機のときの厄介な手間を最小限に抑えるような技術開発が必要――というので発展途上のひとつに入れられたものであろう。

21日間で世界一周

 ドイツのツェッペリン飛行船が初めて飛んだのは1900年のことである。しかし、このLZ1号は離陸後しばらくするとトラブルに見舞われ、長時間にわたって漂流、最後は湖水面に不時着した。死傷者は出なかったが、飛行船の前途を暗示するようなはじまりであった。

 しかし技術的な進歩と共に、飛行船は急速に大きくなり、搭載量が増えて、航続距離も伸びていった。1917年のL59号はアフリカまで6,700kmの長距離往復飛行をした。この成功で全長236mという巨大飛行船LZ127が計画され、1928年に初飛行した。

 このLZ127グラーフ・ツェッペリンは、乗客20人を乗せられるほか、食堂や厨房まで用意して、ドイツから大西洋を越えてアメリカへ渡った。1929年にはドイツから東京へ飛来、燃料補給をしたのち、今度は太平洋を越えて3日足らずでサンフランシスコへ到着する。そこからロサンゼルスやニューヨークを経由して出発地のフリードリッヒスハーフェンに戻った。この世界一周は21日間と5時間54分で達成されたものである。

大型飛行船の興亡

 ツェッペリンのこうした成功に刺激されて、イギリスやアメリカでも大型飛行船が計画された。その当時、飛行機にはまだ長距離大量輸送の能力がなかったため、飛行船こそは新しい時代の旅客輸送や軍用手段と考えられたのである。

 そこで英国政府が資金を出して開発したR100およびR101飛行船は、長躯カナダやインドなど大英帝国の各地へ飛んだ。しかし1930年10月R101が死亡事故を起こして、その後のR102、R103といった大型飛行船の計画はすべて中止となった。

 1930年代初めには米海軍がアクロンやメイコンといった大型飛行船をつくった。これらの船は小型飛行機を搭載、上空で発進させて偵察飛行をおこない、再び船内に収容するという大胆な構想だった。しかし飛行船そのものの試験飛行中に事故を起こし、計画は中断した。1935年頃のことである。

 そして1937年、ツェッペリンの誇る豪華飛行船ヒンデンブルグがドイツからアメリカへの定期路線に就航した。所要時間は海上をゆく船の半分。今でいえば普通の旅客機に対して、超音速機が就航したようなものであろう。ところが、ニューヨーク南方約80キロのレイクハーストに到着、グランドクルー200人の手によって係留塔へ近づいたとき、突如火を発して30秒で焼け落ち、36人が死亡、62人が負傷した。ヨーロッパからアメリカへの高速豪華船、それも記念すべき第1便の遭難は、タイタニックの事故にたとえられるかもしれない。

厄介な飛行船の運航

 ことほどさように飛行船は厄介である。頭の上にポッカリと浮いた巨体はのどかな夢の世界のようにも見えるが、あの大きな気嚢をふくらませるヘリウムはアメリカでしか産出しない。したがって高価であり、いったん注入すると、抜くことは考えられず、地上で係留中も始終ふくらませておくため、気温が上がると浮力が増すなど、気温と気圧の変化に応じて浮力の調節が必要になる。そのため昼夜を分かたず不寝番をしなければならない。

 さらに鼻先をマストにつないで野外係留をするため、風向きに応じて風見鶏のようにマストの周囲を回る。そのため船体全長の2倍以上の広場が必要になる。また離着陸のときは大勢の地上員がいっせいにアンカー綱を引いたり放したりしなければならない。ヒンデンブルグのような巨体では上述の通り、200人も必要だった。

 こうして飛行船は大変な手間がかかり、費用がかかる。何故こんなことを書くかというと、私の若い友人が飛行船の会社をつくりたいと言い出したからである。私は上のような話をして、そんな危なっかしい事業はやめた方がいいと忠告した。


スカイビジョン飛行船

船体内部から外皮に映像を投射

 しかし、彼はやめようとしない。話をよく聞いてみると、飛行船は無人だという。そうなると法規上の航空機ではないから、有人飛行船ほど厄介な問題はないかもしれない。そのうえ最新の遠隔操縦システムによって自在に操ることができるし、船体内部には小さくて鮮明な映像プロジェクターを取りつけ、気嚢外皮に動画を映し出す。これは世界中で誰も思い及ばなかった発想で、彼の特許となった。

 彼は映像を扱うアーティストである。数年にわたってロンドンに留学し、ヴァージン・グループのリチャード・ブランソン会長やサッカーのデビッド・ベッカム選手を主賓とするイベントの芸術面を担当した経験を持つ。そこから美しい映像を人びとの頭上に飛ばしてエンターテインメントを見せるばかりでなく、ニュースや災害時の緊急情報も発信するといったアイディアが生まれたのであった。

 目下そのための飛行船を建造中だが、完成すれば東京上空はもとより、万博会場やロンドン・テムズ川の夜空にスクリーンを浮かべて、観光客のナイトライフを演出する計画もある。というので年末、とうとう新会社が発足した。

 飛行船は航空界の最も古い技術である。それでいて英誌がいうように将来に期待される技術でもある。それに最新の電子映像と無人操縦技術を組み合わせ、新しい航空分野を開拓する仕事が、いま若い芸術家と技術者の集団によって始まった。

 いずれは環境にやさしい旅客輸送も試みたいというのが、挑戦者たちの大きな夢だが、彼らの若々しいベンチャー・スピリットに期待したい。誰が言ったか、「お前みたいに夢見る男が世界を動かす」という言葉もあるではないか。

(西川 渉、『日本航空新聞』2004年1月15日付掲載)


東京上空を飛ぶスカイビジョン無人飛行船の想像図
(画面はベッカム選手と筆者の若い友人)

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