ヘリコプター救急システム

検討の結果を読む


 旧臘12月19日、年の瀬も押し詰まって、自治省消防庁が『ヘリコプターによる救急システム検討委員会報告書』を公表した。96年春から半年余りにわたって救急専門の医師、団体、自治体、そして自治省と厚生省から成る委員会で検討されてきた結果である。

 報告書はA4版で約30頁。その目次(別掲)を見て、私はかねて阪神大震災以来指摘され、それ以前から関係者の間で論じられてきた問題が余すところなく取り入れられているのを感じ、これは期待できると思った。

 あとは実行あるのみ。この報告書で打ち出された施策が現実の制度になれば、遠からずして我が国でも、毎年何万という人びとがヘリコプターに救助され、何千もの人が喪うべき命を取り留めることになるであろう。

 その理想の姿を想い描きながら、報告書を一緒に読んでいくことにしよう。




報告書目次

第1 ヘリコプターによる救急システムの必要性

第2 ヘリコプターによる救急システムの運用主体

第3 ヘリコプターによる救急業務の出動基準について

第4 ヘリコプター出動までの基準

第5 救急ヘリコプターの搭乗員の構成について

第6 医療機関等との連携及び医師の待機体制等について

第7 臨時離着陸場及びヘリコプター基地について

第8 消防・防災ヘリコプターの基本仕様等について

第9 夜間飛行について

第10 まとめ



参考1 医療機関との連携方式

参考2 ヘリコプターによる救急システム検討委員会の報告を受  けて今後検討・推進すべき課題

市町村単位では小さすぎる

 最初は、ヘリコプター救急がなぜ必要かという問題である。本報告書は、ヘリコプターを使えば交通不便なところでも「迅速な救急医療が可能となり、救命効果の向上等が期待される。……さらには大規模災害時における広域的な救急搬送などに大きな効果を発揮する」という認識に立っている。もとより異存はない。

 言い換えれば「平常時におけるヘリコプター救急システムを整備し、消防機関をはじめ関係機関がその運用に習熟しておくことが、地震等の大規模災害が発生した際の対策としても有効である」。

 逆に普段は何もせず、災害時だけうまくやろうと思っても、阪神大震災で骨身にこたえたように、そんなことはできっこない。欧米では普段から交通事故の現場にヘリコプターが飛び、負傷者の救急に当たっていることはよく知られている通りだ。日本もようやく、そうした認識を持つに至ったのである。

 そこで、ヘリコプター救急を日常化するための第一歩として、本報告書はヘリコプター救急が「標準的な救急業務として、法令上も位置づける必要がある」と指摘する。消防法施行令第44条には「救急自動車1台及び救急隊員3人以上」をもって救急隊を編成するという基準が定められているが、この中にヘリコプターまたは航空機という言葉を入れるというのだ。

 法規の中に、そうした言葉が一と言入るだけで、事態は大きく動き出す。今までヘリコプター救急がかけ声だけに終わっていたのは、そのような官僚でなければ気づかぬようなところに起因していたのである。

 では、法規がととのったとして、次は誰がヘリコプターを飛ばすのか。報告書では、運用範囲は都道府県程度の広い範囲が適当としながら、ヘリコプターの運用主体は都道府県と割り切ることができず、市町村でもいいし都道府県でもいいとして2案の間で揺れ動いている。これは日本の消防制度が市町村単位で成り立っているためで、たしかに消防車や救急車がすぐさま現場へゆくには、余り広範囲では時間ばかりかかって手遅れになる恐れがあろう。

 しかし、ヘリコプターにとって市町村単位はいかにも小さい。本領を発揮するには、せめて府県単位、場合によっては関東や近畿くらいの地域単位を考えてもいいはずで、その辺りは必ずしも明確ではない。

 第3の問題は、救急ヘリコプターの出動基準である。原則として時間を基準としている点は賛成である。しかし、時間短縮によって「救命効果またはその後の回復に大きな影響を与えると判断した場合」という条件がついている。おそらく論議の末に付された条件であろうが、このような判断は素人には不可能だし、専門家でも容易ではあるまい。

 救急ヘリコプターの出動基準を余り難かしくすると、咄嗟の判断が消極的になってしまい、せっかくの機動力が活用されなくなる。先ずは時間だけを考えて、救急車よりも早く現場に到着し、そこに着陸できるようならばヘリコプターを飛ばす。救急車と同じような軽い判断で出動できるようにしておくべきではないだろうか。



医師の倫理と仁術

 第4の出動までの手順は、ヘリコプターがどこに所属するかによって、さまざまな想定がなされている。いずれも面倒な手続きが要るようだが、前項の出動基準と同じく、最大の目的は一刻も早く患者と医師が出会うことである。判断に迷い手続きに手間取って、人の命が喪われるようなことがあってはなるまい。

 5番目は、救急ヘリコプターに誰が乗るかという問題である。原則は救急隊員2名で、救急隊員は救急救命士であることが望ましいとなっている。しかし本当は医師が乗り組むのが最も望ましいわけで、本報告書も遠慮がちではあるが、「努めて医師の搭乗を確保することが必要である」と書いている。

 ドイツの救急ヘリコプターには必ず医師が乗るようだが、これは医師が余っているからだと聞いたことがある。医師になってもなかなか勤め先がなく、やむを得ず救急航空隊に所属するというわけだ。なるほど医師の倫理とか仁術といっても、詰まるところはその程度のものかもしれない。私もかつて霞ヶ関のヘリコプター救急に関する委員会に出たとき、初めから終わりまでヘリコプターの危険性と医師に対する危険手当の金額ばかりを問題にされて、閉口したことがある。

 対策としてはドイツのように医師の数を増やすか、アメリカのパラメディックやフライト・ナースのように、救急救命士の医療行為の限界を拡大すべきであろう。そのための訓練が必要であることはいうまでもないが、現状のままで何の対応策も取らず、少数の医師が希少価値をいいことにして病院の中でふんぞり返っているだけでは、患者は救われない。現にアメリカでも、医師はもっとどんどん病院から飛び出して、現場へ行くべきだという議論が盛んになってきた。

 6番目は医療機関との連携や医師の待機体制について書いてあるが、ごたごたして何を言いたいのか、よく分からない。医師の問題について、私の考えは上に述べた通りである。



兼用機は役に立たない

 第7はヘリコプターの離着陸場に関する検討である。この項目は6つのパラグラフから成るが、奇妙なことに全て同じ言葉で結ばれている。すなわち「……定めておく必要がある」「……を確保する必要がある」「……を確保しておく必要がある」「……を確立する必要がある」「……も確立しておく必要がある」「……位置づける必要がある」といった具合で、気の利いたワープロならば言葉の重複が多すぎるといって注意が出るところだが、勿論これは文学作品ではない。

 重複なぞは問題とせず、唯ひたすら離着陸の場所が必要であると訴え続ける。そのこと事態は間違いではないが、ヘリコプターは離着陸の場所がなければ何にもできないのは当たり前のこと。

 問題は、それを如何にして実現し充足するか、その方法である。つまり救急ヘリコプターの本拠地は医師や医療施設に近い救急病院の一角でなければならないはずだが、そのためのヘリポートをつくるには費用がかかるし、付近住民の理解も得なければならない。そうした問題をどのようにして解決しようとしているのか、本書からは分からない。

 実は、しかし、やる気があれば病院ヘリポートだってできないわけではない。というのは警察や消防が専用している非公共用ヘリポートは、私の数えただけでも全国で27か所存在するからである。必ずしも多くはないが、現に警察や消防のためには正式のヘリポートをつくりながら、なぜ救急のためのヘリポートは「必要がある」「必要がある」と繰り返すだけなのか。ここは、もっと具体的に踏み込んだ検討をして貰いたかった。

 もう一つの問題は、事故現場への着陸である。飛行場外への着陸は航空法79条で禁じられているとして、だからヘリコプター救急は成り立たないかのような論議が多い。しかし81条の2の規定によって、人命救助のための着陸は事前に運輸大臣の許可を取らなくても許されるはず。むろん安全を無視するわけにはいかないけれども、もう少し柔軟で突っ込んだ検討が欲しかった。

 第8はヘリコプターの基本仕様に関する問題である。医療機器の装備内容をどうするかは専門医にまかせるとして、ここでも依然として消防・防災ヘリコプターは情報収集、林野消火、人命救助、緊急輸送といった多目的に使うという前提が固執されたままである。したがって放送局のようなテレビの生中継装置は普段から装着してあるけれども、医療機器の装備は困難という。これでは1分、2分を争って飛び出さねばならない救急の役には立たない。

また「将来的には救急専用のヘリコプターが望ましいと思われるが……」という弱々しい表現も気になる。当の消防庁だって消防車と救急車は分けているではないか。「消防・防災ヘリコプターについては……多目的に利用することを想定した仕様となっている」という考え方そのものが出発点から間違っているのだ。









夜間飛行と計器飛行

 第9項は夜間飛行の問題である。「昼夜を問わず発生する救急事案に迅速に対応するには、夜間においても運航がなされるのが望ましい」と書いてあるが、当然に過ぎて、これでは何にも言っていないのと同じこと。「昼夜を問わず発生する救急事案に迅速に対応する」――まさに、そのためにこそヘリコプター救急システムが必要なのである。

 先ずシステムをつくることが先決であり、昼間だけでもいいから動かし始める。それから夜間飛行の心配をしても遅くはない。それとも夜間飛行ができないうちはヘリコプター救急も発足しないというのであろうか。

 そうだとすれば、この委員会の中にヘリコプターの夜間飛行について考えるべき航空の専門家が入っていない。夜間飛行が問題ならば、それを具体化するための方策が考えられる委員を加えておくべきであった。

 なお本誌の読者ならばよくご存知の通りだが、念のために夜間飛行と計器飛行は別のものである。地上の離着陸施設に夜間照明施設またはそれに代わるものがあって、気象状態が有視界飛行条件ならば、ヘリコプターは夜でも安全に飛ぶことができる。

 しかし問題は、たとえば交通事故の現場に救急ヘリコプターが夜間着陸をしなければならないようなとき、その場所が充分に明るいかどうか、周囲の暗闇に電線などの障害物がまぎれていないかどうか、そういう危険性が緊急時には余裕をもって確認できないことが問題なのである。

 また飛行の途中でエンジンが停止したような場合、夜間ではうまく不時着場を見つけるのが難しい。そのため、たとえば英国は単発ヘリコプターによる夜間の旅客輸送を禁じているし、ドイツではあれほど模範的なヘリコプター救急システムを実行していながら、夜間飛行はしていない。救急出動は昼間に限っているのである。

 さらにつけ加えるならば、かつてアメリカで救急ヘリコプターの事故が頻発した。原因のほとんどは24時間の待機をしていて、夜間でも昼間と同じように出動したからである。眠りこんでいたパイロットが夜中に叩き起こされ、すぐに飛び立って、見たこともないような場所へ降りるのだから、事故を起こすなという方が無理というもの。しかし彼らは、だから夜間は飛ばないというのではなくて、FAAを含めてさまざまな対策を取り、いまでは安全な夜間救急飛行を続けている。

 しかも最近は救急のための計器飛行も始めた。それにはGPS(グロ−バル・ポジショニング・システム)を使うことになり、FAAも一緒になってヘリコプターのためのGPS計器着陸方式を開発し、いくつかの病院で実際に計器着陸の承認を出している。その一つ、チャタヌガのエルランガー病院では天候が悪くても救急出動ができるようになって、命を救われた患者の数が増加した。

 日本が昼間だけのドイツ方式を取るか、夜間も飛ぶアメリカ方式を取るか、さらに計器着陸方式まで進むかは、まさにこれからの問題だが、そうした技術問題については専門家も多い。その議論の前に先ずヘリコプター救急そのものを発足させなくては話にならない。









どこまで続く泥濘ぞ

 第10項は本報告書の「まとめ」である。実は、ここまで読んできて、私は落胆した。というのは、この報告書で論じられている立派な方策をいつから実施するのか、時間的な日程がどこにも書いてないのである。

 たしかに、ここには「我が国においてもヘリコプターによる救急システムを早急に全国的に確立する必要がある」と書いてある。その「早急に」とはいつのことなのか。はっきりしないのみならず、その後に出てくる参考頁には「ヘリコプターによる救急システム検討委員会の報告書を受けて今後検討・推進すべき課題」として大小10項目の課題が列記してある。ということは今後なお、机上の空論と検討が続くらしい。

 どうやら交通事故による路上の死者はまだ当分減りそうもないし、大災害が起これば再び阪神大震災の二の舞を演ずることになるであろう。折から、あの震災の死者は6,425人になったと報じられた。

(西川渉、『ヘリコプター・ジャパン』97年2月号掲載)



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