<救急飛行の安全(3)>

安全は回復できるか

 

救急機の空中衝突

 2008年6月29日午後3時47分、アリゾナ州フラグスタッフ病院の東側400メートル付近の上空で、救急ヘリコプター2機が衝突した。両機はその場に墜落して大破、乗っていた7人が全員死亡した。

 2機のヘリコプターは同じ病院の屋上ヘリポートへ患者をおろすために進入中だった。両機ともにベル407単発機で、1機はエアメソッド社の所属、もう1機はクラシック・ヘリコプター・サービス社の機体である。

 それぞれ病院に近づきながら、自らの所属する会社の運航管理センターと連絡を取り合い、ポジション・レポートもしていた。

 病院の通信センターも、エアメソッドのパイロットに対し、別のヘリコプターが接近中と伝えていた。さらにクラシック社の運航管理者にも、エアメソッド機が接近中であることを伝えた。しかしクラシック社の運航管理者は、そのことをヘリコプターには伝えなかった。

 そのためクラシック機のパイロットは、エアメソッド機の存在を知らなかったと思われる。けれども、この機長は本来ならば直接病院とコンタクトすべきであった。というのは、この病院ヘリポートに着陸しようとするものは、遅くともヘリポートから8キロ以遠の地点で病院の通信センターに連絡するよう定められていたからである。そうしていればエアメソッド機の進入も知らされたであろうし、知らされていれば相手機がどこにいるかを確認するため空中を探したにちがいない。

 しかしクラシック機だけが悪いわけではない。エアメソッド機の方は騒音回避のガイドラインに従っていなかった。付近の住民に対する騒音の影響を減らすために、ここでは一定の飛行経路が定められていたが、それに従っていなかったのだ。

 ガイドラインでは、もっと東寄りに進入しなければならなかった。しかるに南側から入ってきたのは、その少し前に病院の南8キロほどの小さな飛行場に寄って、医療クルーの1人をおろしたからである。これで重量を減らし、40℃を超える気温の高い中でヘリポートへの着陸に出力の余裕をもたせるためであった。

 飛行場を出たエアメソッド機は、病院ヘリポートへまっすぐ飛んできた。これが、もっと遠くから大回りをして東寄りの進入経路を取っていれば、クラシック機は容易にエアメソッド機を見つけ、互いに避けることができたであろう。

些細なことから最悪の結果

 衝突の瞬間、両機のパイロットはどちらもヘリポートを見つめ、着陸操作に専念し、機体の外周にはほとんど注意を払っていなかったと思われる。医療スタッフも患者の手当に忙しく、外を見る余裕はなかったにちがいない。

 衝突の前後、両機からの無線発信はなかった。このとき衝突防止装置がヘリコプターについていれば警報が発せられ、回避操作をしたかもしれない。もちろん病院側にもレーダーのような空域監視の設備はなかった。

 両機の残骸から推定するに、クラシック機の尾部ローターがエアメソッド機の胴体前方に当たったらしい。またクラシック機のテールブームはエアメソッド機の主ローターで切断されていた。

 以上のような状況に対し、米運輸安全委員会(NTSB)は事故調査の結果として、当然のことながら、病院ヘリポートへ進入中、2機のパイロットがお互いの存在を認識していなかったことが原因と発表した。認識していなかった理由は、パイロットの1人が所定の飛行経路を飛ばなかったこと、もう1人が所定の無線通信をしなかったことである。

 また、両機ともに衝突防止装置はつけていなかった。無論そのような装備は義務ではないが、その代わりにパイロットは周囲の状況について常に警戒する必要がある。

 そこで事故調査報告書はいう。「この事故は法規や規程の遵守が重要であることを示すものである。2人のパイロットが定められたとおりの行動をしていれば、避けられたはずの事故である」と。

 ヘリポートへの進入経路や無線連絡は、きわめて簡単なルールである。しかも当然のルールで、些細なルールでもある。それだけに守っても守らなくてもどちらでもいいようなルールで、ちょっと手を抜いても大したことはないように見える。それに、こちらは急患を乗せて急いでいるのだ。

 そんなことから、両機ともルールを無視してしまった。その些細な手抜きが最悪の結果を招いたのである。

救急体制存続に関わる事故

 アメリカでは昨年、もうひとつの救急飛行事故が大きな論争となった。9月27日深夜、メリーランド州の警察ヘリコプターが天候悪化のために病院ヘリポートへの着陸を断念、拠点空港へ計器着陸をしようとして失敗した事故である。

 その詳細は本誌1月号でご紹介したが、この事故は救急飛行に警察機を使うかどうか、アメリカの他の州のように民間機に切り替えるべきではないかという問題に発展し、州議会が公聴会を開くなどの論議になった。

 特に州警察としては、これまで使ってきた13機のドーファン・ヘリコプターが老朽化したため、買い換えのための予算要求を出していた。しかし、その予算が高額であるばかりでなく、警察が救急飛行までするのは、メリーランド州だけの特異な例外ではないかという疑問を招いた。

 というので今年3月、救急任務は民間機にまかせ、警察機は警察任務に専念すべしという法案が州議会に提案された。これによって州政府としては、救急飛行の運航費や、ヘリコプターの買い換え予算が節約になる。

 確かにメリーランド州は、日本の関東地方――1都6県と同じくらいの地域に8ヵ所のヘリコプター拠点を置き、1ヵ所平均年間1,000件余の出動をしている。その7割が救急任務だから、救急に対する熱意は非常に高い。この濃密な活動によって、州内の交通事故死は少なく、すぐれた救命効果をあげている。

 しかも警察だから無償である。他の州では患者がヘリコプター料金を払わなくてはならない。通常は医療保険などで支払うが、保険に入っていない人はヘリコプター会社から高額の請求書を受け取ることになる。どうしても払えない場合は、会社の方で回収を諦めざるを得ないが、この回収不能が2割とか、多いところでは4割にもなり、ヘリコプター会社の方も苦しい。

 メリーランド州には、そのような問題はない。ヘリコプター救急に関してはアメリカで最も恵まれていて、それだけに警察機による救急廃止という法案が出るや、直ちに反対する動きも出てきた。救急飛行は、今まで通り警察にやって貰う。そのためヘリコプターも今後毎年3機の割合で買い換えを認めるという主張である。

 法案提出の議員は「何故わが州だけが、警察を使うのか」と疑問を呈するが、警察救急を支持する議員は「メリーランドの制度は他州の羨望の的だ。安いからといって、入札で決めるような問題ではない」と反論している。

 この論争の結論は、本稿執筆の時点ではまだ出ていない。

人命救助が人命を奪う

 さて、上の2例を含めて、アメリカでは2007年12月から08年11月までの1年間に13件という救急ヘリコプターの事故が起こった。うち9件が死亡事故で、29人の死者が出ている。

 これでは人の命を助けるはずの救急飛行が、逆に人命を奪うことになってしまう。社会的にも受け入れられないのは当然のことで、ヘリコプター救急のあり方について轟々たる非難がわき起こった。アメリカ議会までが乗り出して、特別調査をしたり、聴聞会を開いたりしている。

 そのひとつが今年2月上旬、4日間にわたって開かれたNTSBの公聴会である。ヘリコプター救急(HEMS)の安全保持をめざすもので、ロバート・サムウォルト議長は開会にあたり「最近のHEMS事故は許容範囲を超えている。もはや放置することはできない。この公聴会によって救急飛行の実態を明らかにし、安全性の向上をはかりたい」と語った。

 その最初に発言を求められたのがシカゴ大学救急医療ネットワークのアイラ・ブルーメン教授であった。それによると、最近10年間のHEMS事故は146件、うち50件が死亡事故である。これらの事故機に乗っていた乗員と患者は合わせて430人だが、その3割にあたる131人が死亡した。うち運航クルーと医療スタッフを合わせた乗員が111人。この死亡率は遠洋漁船の乗組員、森林作業員、鉄鋼労働者など、危険とされる職業にくらべても高い。

 ただし不幸中の幸いというべきか、患者の死亡は少なく、病院の中で起こる医療事故にくらべても遙かに低い結果となっている。

「HEMSは人命を救うための仕事で、実際にも多数の人を救っているが、一方で多くの人命が奪われるのは悲しい事実だ」というのがブルーメン教授の述懐である。

救急機の急増と競争の激化

 では何故、ヘリコプター救急はそんな危険な仕事になったのか。NTSB聴聞会の参考人の1人は、新規参入者の急増と競争の激化が原因のひとつと述べた。

 それによると、アメリカの救急ヘリコプターは1970年代に始まり、2000年頃までは堅実な成長をしてきた。ところが2000年になって、メディケアとメディケイドの制度にヘリコプター救急に対する給付金が取り入れられた。

 その結果、当時は400機に満たなかった救急ヘリコプターが、あっというまに2倍以上の830機にまで急増した。この増加分の多くが、私的な利益を追い求める中小企業というのだ。

 2000年以前の救急ヘリコプターの運航者はほとんど、病院を拠点とする非営利法人である。そこへ大量の新規参入企業が営利を求めて流れこみ、需要を上回る機材を持ちこみ、競争を激化させ、混乱を生み出した。その結果が事故の多発をもたらした。

 たとえば同じ地域に2〜3社のヘリコプター救急プログラムが重複して存在し、救急本部からの出動要請に対して、1社が天候悪化を理由に断っても、別の1社が無謀な飛行をして事故に至るといった事例もあるほど。

 自由経済を標榜し競争を奨励してきたアメリカだが、こうした混乱状態をなくすには、州政府と連邦政府との間でよく協調し、業者の増加を抑えるなど、秩序の回復に努める必要があるというのが、この発言をした参考人の主張である。

 もっとも別の意見もあって、アメリカ航空医療協会(AAMS)のサンディ・キンケード会長は「この2年間の事故を見ると、運航者によって事故の発生が多いということはない。営利事業であろうと非営利法人であろうと、民間業者であろうと政府機関であろうと、事故は誰にでも起こっている」と陳述した。

 彼女は2007年秋の日本航空医療学会総会に参加し、特別講演をすると共に、日本のナースたちとの懇談にも応じてくれた経験豊かなフライトナースである。

「したがって、この悲劇をなくすためには、もっと適切な安全方策を策定しなければならない。特に夜間飛行や天候不良の問題に関しては、一定基準の制定が必要だし、それらを実行してゆくには、この問題にもっと資金を投入する必要がある」

 そのためには議会が問題を認識し、病院ヘリポートの改善、飛行場外での気象情報の取得、GPS技術の利用などに予算を回すべきだし、乗員の疲労にも関心を払い、研究する必要があると発言した。

緊急時の患者の脱出と保護

 疲労の問題は、特にアメリカの場合、夜間待機の影響が大きいと思われる。パイロットが12時間交替としても、多ければ1日おきに昼間か夜間の勤務割が回ってくる。この不規則な勤務が身体的な疲労を蓄積させ、頭脳的な疲労に及び、操縦上の判断力を鈍らせるのではないか。

 筆者がアメリカで出会ったあるパイロットは「夜は寝ていればいいのだから楽なもの」と語ったが、体の疲労はともかく、脳の疲労は自覚しにくいものである。

 訓練の重要性について発言する参考人も多かった。パイロットや医療スタッフの基礎的な訓練は当然のことだが、緊急操作については繰り返し訓練が重要で、年2回ずつおこなうことが望ましい。

 天候の悪化から生還する問題についても、多くのパイロットは自分は大丈夫と思っているようだが、実際は思いのほかに難しい。

 ある参考人は「安全の鍵は訓練である。普段は使うことのない緊急操作などは、すぐに消えてゆくもので、どうしても繰り返す必要がある。それにはシミュレーター訓練が必要だ」と語った。

 シミュレーター訓練はパイロットにとっては決して目新しいものではない。けれども医療スタッフや運航管理者などの関係者全員を同時にシミュレーターに乗せ、天候悪化や低空飛行といったさまざまな状況を模した訓練をすると、効果は非常に大きい。現実には、ほとんど経験することのないきわどい状況を体験し、実際にやるべき緊急操作をしなければならないからである。

 たとえばエンジン停止に伴うオートローテイションなどの緊急着陸をシミュレーターで体験する。このとき医療スタッフは患者や医療機器が安全に固定されているか、着陸後はどこから脱出するか、火が出たときはどうするか――といったことを考えながら接地し、パイロットが重傷を負ったときはエンジン停止の操作もしなければならない。とりわけ医療スタッフにとって重要なことは、自らの身を守るだけでなく、患者を護りながら脱出しなくてはならないのである。

全員同時にCRM訓練

 このような緊急事態を、医療スタッフが運航クルーと一緒になって体験し、緊急時に何をしなければならないかを実際に動作してみると、自分たちも飛行の安全に深くかかわっていることを感得するはずで、それが大切なのである。

 こうした訓練は、単に操作や行動の訓練のみならず、判断の仕方まで学ぶと同時に、心理的な緊迫感を体験する。それが乗員同士の気持ちに一体感を醸成する。そこで訓練の終わったあと、今の状況でどうすべきだったか全員で話し合う。そうすればパイロットの孤独な判断ミスもなくなるであろう。

 言い換えれば緊急事態に遭遇したとき、パイロットが1人で判断するのではなく、医療スタッフも合わせて皆が一緒に考える。まさしく「3人寄れば文殊の知恵」で、追いつめられた状況からも脱け出すことが可能となろう。これは、救急飛行について経験を積んできた乗員たちの判断力を、いっそう磨き上げるための訓練なのだ。

 これまで、パイロットや医療スタッフは別々に救急飛行訓練を受けてきた。しかし、救急任務が運航クルーと医療スタッフの混合チームによっておこなわれていることからすれば、訓練もまた同時におこなう必要がある。

 このような緊急訓練は、救急飛行の従事者全員に義務づける必要があると陳述した参考人もいた。

 もうひとつ、救急出動の可否を判断するにあたっては、全員が合意する必要がある。安全が気がかりで飛びたくないという人が1人でもいれば、その人が機長でなくとも飛んではならないという意見も出た。

 現実には、飛行可能かどうかの判断は、どうしても機長の意見に傾くことが多い。殊に医療クルーは自分1人が反対するには躊躇があろう。しかし、上のような全員参加のCRM訓練を受けたあとはそれもなくなるにちがいない。

 余談ながら、CRMとはご承知のとおりCrew Resource Management の略で、エアラインの乗員が一体となって飛行業務にあたるための訓練をいう。それを救急飛行にも応用しようというわけだが、先に登場したブルーメン先生が2年ほど前の講演でResourceをRiskに置き換えた方が分かりやすいのではないかと言うのを聴いた。私も同感だが、近頃は同じCRMでも企業が顧客との関係を良好に保つためのCustomer Relationship Managementなどという意味もあるので気をつける必要がある。

法制化への動き

 こうした聴聞会の意見にもとづいて、NTSBは救急ヘリコプターの運航に関する規制をもっと強化する必要があると考えている。

 実はこれまでも、NTSBはヘリコプター救急の安全性向上のためにさまざまな勧告を出し、FAAがそれを法制化するよう求めてきた。たとえば

(1)救急飛行はすべて連邦航空法(FAR)パート135にしたがって実施すること(パート135は旅客チャーター便に適用される規則で、ジェネラル・アビエーションよりも気象条件や乗員の勤務割りなどの制限が厳しい)。

(2)飛行の都度、出発前に不安全事項を検討するための手順を定め、それを実行すること。

(3)気象情報を的確に把握し、それにもとづいて出発の可否を判断すること。

(4)救急機にはすべて低空警報装置(TAWS)を取りつけること。

 これらの勧告は2006年、55件の救急機の事故を分析した結果から抽出したもので、これが実行されていれば55件中29件は事故にならなかったはずというのがNTSBの推測である。

 FAAは、しかし、少なくともこれまでは、NTSBが出した安全勧告を全て採用するわけではなかった。

 というのは、救急ヘリコプターの事故は減少の傾向にあった。2008年に事故が急増したのは特異な現象であって、事故率としては必ずしも高くない。いかに法律を変えても実務にあたる各人の安全意識が希薄であれば、効果は薄いというのがFAAの基本的な考え方である。

 しかし理論上はともかく、実際問題として事故が多発し、社会問題にまでなってしまっては、放置しておくわけにはいかない。というのでFAAも最近、新たな法律改正に乗り出した。法案の内容は今年末か来年初めに公表されるもようだが、おそらく救急ヘリコプターはパート135の規定に従って運航することとし、機体にはTAWSと電波高度計の取りつけを義務づけ、10機以上の運航会社には運航管理センターの設置を求めることになろう。またボイス・レコーダーやフライトデータ・レコーダーの搭載も義務づけられるかもしれない。

安全策に特効薬はない

 矛盾するようだが、法規制の強化を求めてきたNTSBは、4日間に40人が証言した公聴会の閉会にあたって「安全のための特効薬は見つからなかった」という議長の言葉を残した。これはFAAのかねてからの「法規制だけで事故はなくならない」という主張に相通ずるものかもしれない。

 が、そのFAAがいよいよ救急飛行の法制化に乗り出したのである。4月22日のアメリカ議会で、FAA長官は「飛行の安全を確保するには自主的な対策だけでは不充分」と証言した。

 それぞれの考え方や発言に一貫性はないが、このさい何でもやってみようということかもしれない。安全のための方策には、これで充分という限度はないのである。


NTSBの救急飛行の安全に関する聴聞会会場

(西川 渉、ヘリコプタージャパン2009年6月号掲載、2009.6.29)

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