新しい飛躍のときを迎えた
ATR双発ターボプロップ旅客機1年ほど前から石油の値段が上がり始めた。その影響はガソリンの値上がりばかりでなく、さまざまな経済活動に及び、企業収益や消費支出が減り、全般的な景気の低迷を招くこととなる。
航空界もむろん例外ではない。燃料が高騰して航空会社の利益が減少し、運賃が上がって旅客需要が減退する。アメリカでは早くも破産申告をするエアラインが出てきた。
そうなると航空事業としては、本来の意味のリストラを余儀なくされる。従業員を減らすことよりも、事業規模の縮小である。利益の上がらない路線から撤退するのを初め、豪華な大型機に代わって小型機を使うようになり、ジェットよりも燃費の少ないターボプロップが重用される。
2005年になって急にターボプロップ旅客機の売れ行きが伸びたのも、そんな背景があったからにちがいない。ATRターボプロップ機の売れ行きも2005年1月から11月初めまでの受注数が70機に達した。これは過去3年分を合わせた受注を上回るもので、たとえば2003年の受注数は10機に満たなかったし、2004年も受注12機、引渡し13機というありさまだった。近距離の航空路線も多くは小型ジェットが就航し、ターボプロップはもはや時代遅れの遺物であると見られていた。ところが突然、大きく復活してきたのである。
ここでは以下、活況を呈するATRの現状と背景を見てゆくことにしよう。
受注数70機へ急増 ATR双発ターボプロップ旅客機は2005年に入って急速に受注数を伸ばした。年明け早々の1月初め、インドのエア・デカンがATR72-500を30機発注し、さらにATR72-500とATR42-500を3機ずつ合わせて6機の中古機を導入すると発表した。これでATR機の販売に行き足がついた。
インドは2005年に入って航空の自由化を打ち出している。エア・デカンはその機会をとらえて一挙にATR機を増やし、インド国内の全都市へ向かって従来の国内運賃の半分以下という低運賃路線を開設する計画である。
2月にはエア・カリブがATR72-500を1機発注した。これで同航空のATR72-500は2005年秋から3機になり、カリブ海の12ヵ所の島を結んで飛びはじめる。
3月にはロシアのUTエアがATR42-300を2機発注した。同航空は現在およそ60機の航空機を保有し、国内定期便のほか、チャーター飛行やシベリアの石油ガス開発のためのヘリコプターを運航している。
6月のパリ航空ショーでは4件の受注が発表された。ひとつはフィンランドのフィンコム航空がATR42-500を8機発注し、さらに8機を仮発注した。フィンコムは現在サーブ340を運航しているが、2005年末からは新しいATR機が就航する。
次いでエア・カレドニがATR72-500とATR42-500を合わせて3機発注した。「エレガンス」と呼ばれる新しい内装で2006年から07年にかけて引渡され、現用ATR42-320と共に、カレドニア国内線に就航する。
コルシカ島のCCM航空もパリ・ショーでATR72-500を6機発注した。同航空はエールフランスと提携して、コルシカ島とマルセイユ、ニース、リヨンなどを結ぶ路線を運航している。現用機はATR72-200など12機。
パリでの受注はさらに続き、エア・マダガスカルがATR72-500を2機とATR42-500を1機発注した。2005年末から06年半ばまでに引渡しを受け、現用3機のATR42に替えるという。これで、パリ航空ショー1週間のATR受注数は20機に達した。
秋になると、エア・タヒチがATR72-500を1機発注し、さらに1機を仮発注した。エア・タヒチは1986年からATR機を運航しており、今も10機を飛ばしている。
つづいてスペインのビンターカナリア航空もATR72-500を1機発注した。同航空はカナリア諸島を結ぶエアラインで、現在13機のATR機を運航している。
とどめは去る11月2日のことだが、PIAパキスタン航空がATR42-500を7機発注した。PIAは現在、39機の航空機を国際線および国内線に運航中。これでATR機の2005年1月以来の受注数は丁度70機になる。
ATR42-500
苦難の年月に耐えて こうしてATR機は、別表に示す通り、受注数が750機を超えた。製造数も700機に近い。
ここに至るまで、ATRは苦しい年月をくぐり抜けてきた。というのは近年、近距離航空界でも小型ジェットが隆盛を迎え、もはやターボプロップ機は終わりではないかと見られるようになったからである。にもかかわらずATRだけはターボプロップの将来性を確信し、製造を続けてきた。その忍耐がようやく報われることになったのである。
メーカー 機 種 製造数 受注数 ATR
42
379 398 72
301 360 小 計 680 758 ダッシュ8
-100/200/300
612 633 -400
104 151 小 計 716 784 それにしても、この数年間は苦しかった。ターボプロップ旅客機は多くの路線でリージョナルジェットに打ち負かされ、多くのメーカーが去っていった。その中で、ターボプロップだけをつくっているのは、実は世界中でATRだけである。ほかにカナダのボンバーディア社があるが、同社ではリージョナルジェットもつくっている。ATRだけが時代の波に取り残されたような特殊な事業内容であった。
ATRは1981年、フランスのアエロスパシアル社とイタリアのアエリタリア社の合弁になるフランス法人として、Avions de Transport Regional (ATR)の名前で設立された。現在は、それぞれの親会社が再編され、欧州の雄EADSとイタリアのフィンメカニカ社が5対5の資本を持つ合弁企業となっている。
したがって多国籍企業というべきだが、実質はフランスの企業と云っていいかもしれない。所在地は、本部も最終組み立て工場も南仏トゥールーズ空港のエアバス社に隣接し、従業員520人の3分の2はフランス人である。しかし社長は、3年ごとにフランス側とイタリア側が入れ替わることになっていて、現在のフィリッポ・バグナト社長はイタリア人である。
トゥールーズは、フランス政府や商工会議所がヨーロッパ航空宇宙産業の中心とする方針を進めており、積極的な協力姿勢も見られる。したがってATRにも都合がよい、と同社長は考えている。
ATR20年余の足跡 ATRは発足当初、まずATR42の開発に着手した。旅客48人乗りの同機が初飛行したのは1984年8月16日のことで、1年後には型式証明を取得する。そのストレッチ型、68〜72人乗りのATR72が初飛行したのは1988年10月29日。これも1年で型式証明を取得した。
これらの旧型機に対して、新世代のATR42-500が飛んだのは1994年9月16日。1年後の95年10月から引渡しに入った。ATR72-500も1996年1月19日に初飛行し、97年に就航している。
いずれも近距離航空路線にはターボプロップ機が最適とされた時代の産物だった。とりわけATRの人気は高く、地域航空分野で3割のシェアを保っていた。当時の競争相手はデハビランド・カナダ社(DHC)で、ダッシュ8が手ごわいライバルである。
その頃、DHCの親会社はボーイングだったが、ターボプロップの将来には余り期待が持てないというので、1991年DHCを売りに出した。直ちにATRが名乗り出て、企業買収成立の間ぎわまで交渉が進んだ。ところが欧州公正取引委員会が待ったをかけたのである。もし両社がひとつになれば、50〜70席級のターボプロップ機は世界中でATRだけとなり、市場独占の状態になって望ましくないというのが合併否認の理由であった。
そこで翌年、カナダのボンバーディア社がDHCを買い取り、傘下に収めた。当時、1980年代と90年代のターボプロップ市場は非常ににぎやかだった。リージョナルジェットが未熟だったためで、旅客30席以上のターボプロップ・メーカーは6社を数え、ATRとDHCのほかに、BAe、フォッカー、サーブ、ドルニエといった顔ぶれが見られた。
その中でATRはBAeと共に、リージョナルジェットをつくることになり、1996年エアロ・インターナショナル(リージョナル)――すなわちAI(R)と呼ぶ合弁企業を設立した。そして「エアジェット」の開発に乗り出したのである。ところが間もなく、BAeが新しいジェット旅客機の開発に関心を失い、1998年合弁会社も解散となった。これでATR社はリージョナルジェットの開発競争から外れ、あとにはボンバーディア、エムブラエル、そしてフェアチャイルド・ドルニエの3社が三つ巴の競争を展開する。その結果ドルニエは闘いに敗れ、会社も倒産に追い込まれることとなるが、それはまた別の話。
改良されたATR機の特徴 最近のATR機はさらに改良が進んでいる。その改良点を含めて、同機の特徴を見てゆこう。
新世代のATR42-500およびATR72-500が登場したのは、先に述べたとおり、1990年代のなかばであった。以来およそ10年を経て、いっそうの進歩を続けている。そのひとつはエンジン出力が上がったことで、ATR42-500はプラット・アンド・ホイットニーPW127E(2,400hp)2基を備え、ATR72-500はPW127F(2,750hp)2基を装備する。
これで離着陸性能が良くなり、飛行性能も向上した。離着陸性能向上のためには、ATR72の方向舵を大きくしてエンジン1発停止時の方向維持と操縦能力を改良、最低操縦速度を11km/h下げられるようにした。これで離着陸性能は従来の1,200m、条件つき1,000m前後から、長さ800mの滑走路でも発着できるようになった。引き続きATR42についても同様の改良と開発がつづいている。
またATR機は最大離陸重量300kgの増加を認められた。これにより最大離陸重量はATR72-500が22,800kg、ATR42-500が18,900kgとなった。さらに機体の寿命も従来の7万サイクルが105,000サイクルまで延びた。
キャビンは内装や防音にすぐれ、乗客は快適な乗り心地を楽しむことができる。出発信頼性、すなわち就航率は99.6%に達する。ATR72-500の標準座席数は68席。燃料効率が良く、シートマイル・コストもこのクラスの航空機の中では最も低い。さらに環境汚染への影響が少なく、離着陸性能にもすぐれ、騒音はICAOの基準を大きく下回る。
ATR機は双発ターボプロップ機ながら洋上長距離を飛ぶことができる。これは120分のETOPS承認を受けているためで、最寄りの代替空港から120分の沖合い飛行が可能。これにより万一、洋上で片発が停止しても残りの1発で飛行を続け、2時間以内に代替空港へ着陸できる。ATR機のすぐれた信頼性を示すものといえよう。
貨物機は床面が強化され、ドアを改造し、煙探知器を強化している。2002年に実用化されたATR72-200貨物機は大型貨物ドアをもって、8.5トンの搭載が可能。またATR42は最大5.8トンの搭載能力を有し、2003年10月から就航した。
ATR42-500 ATR72-500 全長(m)
22.67 27.17 主翼スパン(m)
24.57 27.06 全高(m)
7.59 7.65 キャビン幅(m)
2.57 2.57 最大離陸重量(kg)
18,600 22,000 運用自重(kg)
11,250 12,950 最大ペイロード(kg)
5,450 7,050 エンジン
PW127E PW127F 出力(hp)
2,400×2 2,750×2 最大巡航速度(km/h)
555 511 通常運用速度(km/h)
463 463 最大運用高度(m)
7,620 7,620 離陸滑走路長(m)
1,165 1,223 着陸滑走路長(m)
1,126 1,048 標準座席数
50 68 航続距離(km)
1,554 1,334
ATR2機種の高い共通性 ATR72の競争相手はダッシュ8のQ400である。同程度の大きさだが、相手の方が速度は75km/hほど速い。しかし近距離区間ではほとんど所要時間が変わらず、運航費も安い。すなわちATR72はターボプロップ機としては、1席あたりの運航費が最も安いのである。速度がいくらか速いよりも、コストの安い方が近距離エアラインにとって利点が大きいというのがATR社の言い分である。
ATRの両機は共通性も高い。ATR42-500に対して、わずかに胴体中央部と主翼先端を延ばしたのがATR72-500ということになる。エンジンもATR42-500の方は、ATR72-500の出力を減格したにすぎない。あとのコクピット、アビオニクス、プロペラ、油圧系統、電気系統、燃料系統、エアコン系統、操縦系統、前輪などは同じものである。
したがってエアラインが両機を同時に使う場合、補用部品は9割が共通だし、パイロットの拡張訓練に要する時間も3時間だけで、資格は共通である。同じように整備士の拡張訓練にも時間や費用はほとんどかからない。このため両機種合わせて10機を混合して使うとすれば、ATR機ならば訓練費が少ないばかりでなく、要員が少なくてすむため人件費がかからず、予備部品も減って、共通性がない場合に比べて10年間で150万ドルの費用節約になるというのがATR社の計算である。
ATRの新たな飛躍 こうして今、ATRは新しい飛躍の時期を迎えた。将来に向かってはパリやアムステルダムのようなハブ空港に部品補給センターを設け、緊急補用部品がいち早く顧客に届くような体制を取ることにしている。
さらに最近はユーロ通貨が高くなってきたため、ドル立ての契約を結ぶと採算性が下がるおそれが出てきた。このため機体の内装、改修、整備などの作業はユーロ圏外でおこなうことを検討中。すでにATR42の主翼ボックスやATR72の胴体の一部を中国でつくっており、同様の方策をさらに拡大することにしている。
今後の製造計画は、2005年の16機に対し、2006年は23機、07年は30機以上に増やす。そのため最終組み立てラインを組み直し、生産効率を上げ、最終組立て要員70人をさほど増やすことなく、これまで1ヶ月半かかっていた工程を12日間に短縮して製造機数を増やしてゆく予定である。
ATRターボプロップ旅客機のいっそうの躍進に期待したい。
(西川 渉、『エアワールド』2005年2月号掲載)