<航空情報>

開発進む民間向けティルトローター機
アグスタウェストランドAW609

 

 ヨーロッパの6月は「ジューン・ブライド」という言葉が示すように、1年中で最も心地よい季節といわれる。そんなさわやかな空の下、アグスタウェストランド社が開発中の民間向けティルトローター機、AW609の飛行を見る機会に恵まれた。イタリアはミラノ郊外のカッシーナコスタ工場である。「ジューン・フライト」といえようか。

 大きな格納庫から引き出されたAW609は、われわれの見守る前で外周りの点検を終え、試運転が始まった。やがてテスト・パイロットが乗りこみ、車輪止めが外されると、エンジンの回転数が上がり、機首を巡らして、ゆっくりと離陸地点へ向かう。

 そこで、いったん停止。ローター音が一段と大きくなったと思ったら、機体がふわりと浮き上がった。そのまま真っ直ぐ上昇。かなり上がったところでホバリングをしながら360°旋転。無論われわれに見せるためである。

 そこから機首を左の方へ向けると、前進飛行に移って速度を増し、高度を上げながら格納庫の向こうへ姿を消した。と思ったら、同じ方角から今度はローターを前方へ倒し、飛行機モードに転じた姿で飛来。実は内心、この遷移飛行を見たいと思っていたので、いささか拍子抜けとなったが、機は目の前を軽やかに通過してさらに上昇しながら、澄み切った青空の中、テスト空域へ向かって飛び去って行った。

 

より速く、より高く、より遠く

 この飛行見学に先だって、われわれはアグスタ本社の一室でAW609のレクチャを受けた。表題は『ゲーム・チェンジャー』。ロータークラフトの世界に一打逆転の新しい技術を実現せんとする大望を抱くAW609の現況である。その概要をここに、筆者の感想をまじえながら、ご報告したい。

 AW609の特性は「より速く、より高く、より遠く」。これまでのヘリコプターにくらべて、同じような垂直飛行の能力を持ちながら、速度、高度、航続性能が優れているというのだ。

 具体的には、速度と航続距離が2倍。飛行機モードで前進するときは翼で重量を支え、エンジンとローターはキャビンから最も遠い位置に離れているので乗心地が良い。しかもキャビンが与圧されているので、高度を上げても快適さは変わらない。飛行機と同じ高度で地形を気にすることなく安全な飛行を続けることができる。また防氷装置をそなえ、氷結気象状態の中でも飛ぶ。

 さらにヘリコプターに見られるようなローター固有の制約がないので、広範な飛行特性を発揮することができる。そのうえ騒音が小さい。

 重要装備品を細かく見てゆくと、エンジンはプラット・アンド・ホイットニー・カナダのPT6C-67Aターボシャフト(1,940shp)が2基。片発停止の場合は残りの1基で30秒間、2,492shpの緊急出力を発揮する。取りつけ位置は主翼両端。ヘリコプターモードの垂直状態から飛行機モードの水平状態まで向きを変える。

 翼は全複合材製。胴体も複合材が多用され、非常脱出口は3ヵ所。与圧機構とエアコン・システムを備え、手荷物室は容積1.35立法メートル。操縦系統は三重のフライ・バイ・ワイア・システムから成り、計器飛行も可能。油圧系統も三重になっている。また防氷装置がローター、翼、空気取り入れ口、風防などにある。

 機体の大きさは、AW139ヘリコプターとほぼ同じである。


アグスタ本社で「速く、高く、遠く」を標榜するAW609の講義を聴く

ティルトローターの足跡と用途

 このようなティルトローターの開発は、いつ始まったのか。AW609につながる初期の試作機は1955年のXV-3と1977年のXV-15であった。いずれもアメリカのベル社による実験機で、そこから1989年に初飛行したV-22オスプレイが軍用機として実用化される。

 その後、ベル社はボーイング社と組んで、民間向けティルトローター機の開発に着手する。けれどもボーイングが手を引いたため、1998年アグスタ社が参加、原型1号機が2003年に初飛行した。ところが今度はベル社が意欲を失い、2011年からアグスタウェストランド社が単独で開発を進めることになった。これが今のAW609である。


ティルトローター開発の足跡 

 用途としてめざすのは、滑走路が不要という特性から、ひとつは社用ビジネス輸送。大きなビルの屋上や工場の敷地を結んで点から点へ企業の要人を輸送する。同様に政府専用機として国の要人輸送にも使える。座席数はコクピット2席のほかに客席が標準9席だが、ビジネス機としては6〜7席になる。

 さらに海洋石油開発にも使える。石油技術者や作業員9人を乗せ、ヘリコプターでは届かないような沖合い遠くの洋上プラットフォームまで高速で輸送する。

 また海難事故が起こった場合の捜索救難(SAR:Search and Rescue)は、現在ヘリコプターと飛行機でおこなわれているが、ティルトローターは両方の役割をこなし、しかも捜索範囲が広がって迅速な行動が可能となる。

 陸上では警察や消防の緊急任務、さらには救急救助に当たることができる。救急機としては患者2人分のストレッチャーを搭載、医師や看護師が同乗して、最大500km程度の遠くまで出動する。日本ならば北海道のような地域に適するであろう。

 また救急ばかりでなく、臓器移植のための搬送にも有効と思われる。たとえば遠隔地の間で移植がおこなわれる場合、現状は臓器提供の病院から車で空港へ持参、旅客機で目的地へ飛んだのち、再び車で手術病院へ搬送するといった方法をとる。

 そこでAW609を使えば、病院から病院へ直接搬送できるので、時間も大幅に短縮されるはず。将来は、その斡旋にあたる日本臓器移植ネットワークが、専用のAW609を所有またはチャーターし、自在に使えるようにすれば、いっそう大きな効果が得られるにちがいない。

 こうした活動に際して、AW609と同クラスのヘリコプターでは、どのような違いがあるか。たとえば飛行高度はヘリコプターが高度3,000mくらいを飛ぶのに対し、AW609は最高7,500mの高さを飛ぶ。つまり2.5倍の高度で、それだけ地形を気にする必要がない。また速度はヘリコプターの250q/hに対して500q/hと2倍。航続距離も650kmが1,300kmと、やはり2倍に伸びる。

 したがって、東京〜名古屋間、東京〜新潟間に相当するような300km余りの区間を行く場合、ヘリコプターは1時間15分ほどかかるが、AW609は40分で飛ぶことができる。

 騒音が小さいのもAW609の特徴で、特に上空を通過するときは、速度が速いだけに地上への影響時間も少なくなる。


ヘリコプターに比べてAW609の飛行能力はどこまで伸びるか

70回のオートローテイション試験

 こうしたAW609は現在2機の原型機が飛行試験を続けている。1号機はアメリカのテキサス州アーリントン、2号機はここカッシーナコスタで飛行中。さらに目下3〜4号機の製作が進んでおり、3号機は今年7月にも飛ぶ予定。4号機は2015年に飛び、主としてアビオニクスや重要装備品の確認飛行に使われる。

 最近までの試験飛行は2機でほぼ1,000時間。この間に基本性能領域の飛行試験は全て終了した。このうちオートローテイション・テストは今年3月末から4月初めにかけて、米テキサス州アーリントンでおこなわれた。飛行機モードで飛んでいるAW609のエンジンを切り、ヘリコプター・モードに転換してオートローテイションに入り、着陸する。これをFAAの試験官立ち会いのもとに、70回にわたって繰り返したのである。

 この間の操作性は非常に良く、性能的にもシミュレーターでおこなった事前テストの結果を上回り、AW609の安全性が確認された。さらに操作の手順についても新たな発見があり、今後のシミュレーターによる操縦訓練に採り入れることにしている。

 飛行試験に並行して、AW609には新たな改良も加えられつつある。たとえばエンジンの改良、操縦系統に組みこむコンピューターの改良、機体形状の空力的改良、降着装置の改良、アビオニクスの改良などだが、このうち外見では垂直尾翼の形状が変わり方向舵がなくなった。またエンジン排気管に改修が加えられ、ローター取りつけ部のスピナーに小さな整流板を取りつけ空気の流れを改善している。

 さらに将来は、捜索救難用のキャビンドアを大きくして、上下に開くようにする。遭難者を救助する場合のホイスト操作をやりやすくするためだ。また、最大離陸重量を増やして搭載量を上げる検討も進んでいる。


捜索救難用のキャビン・ドア改修案――上下に開いて
ホイストで吊り上げた遭難者をキャビンに取りこむ

型式証明と操縦資格の課題

 こうして開発されたAW609は、最終的に民間機としての型式証明を取得した上で実用化される。これが今後の最大の難関――というのは、まだティルトローターの認定基準が存在しないからだ。法規の上で、AW609は「ターボプロップでもなければ、ヘリコプターでもない」とアグスタ社はいう。その、どちらでもないものを認定するには、新しい規則をつくるほかはない。

 そのための基準は目下、アメリカ連邦航空局(FAA)で検討されているが、基本的には輸送用固定翼機に適用される連邦航空規則FARパート25と輸送用回転翼機に適用されるパート29の両方の基準に適合しなければならない。加えて、新しいティルトローター基準にも適合する必要がある。この新基準が問題で、たとえばホバリングから水平飛行への移行――すなわち遷移飛行中の10〜12秒間はコンピューターで操縦することとなる。これを、どのように規定すればいいか、難しい課題である。

 型式証明の認定と並んで、もうひとつの課題はパイロットの資格と、その資格を取るための訓練内容だ。おそらくはヘリコプターと固定翼機の両方の操縦免許が必要で、そのうえ計器飛行または定期運送用操縦士(ATP)の資格がなければならないだろう。

 また訓練にあたっては、先ずヘリコプターの訓練から始めるべきか、固定翼機から始めるべきか。訓練飛行時間はどのくらいにすべきか。オスプレイのパイロットを米海兵隊から引き抜けばいいなどという人もいるが、いずれにしても確固たる基準を定める必要がある。

 こうした課題について、目下FAAと欧州航空安全局(EASA)との間で、アグスタ社も含めて協議が進んでいる。いずれにせよ、最初に型式証明を受けるAW609はアメリカ国籍の登録記号(N……)をつけた機体となろう。


ヨーロッパ・アルプスを背景に飛ぶAW609

需要予測と受注数

 AW609の需要はどうか。用途別にはおそらく6割以上が警察、消防、救急などの緊急任務、2割程度が要人輸送、残りが石油ガス開発その他の使用事業で、地域別の需要は北米が35%、ヨーロッパが21%、中南米が20%、中東およびアフリカ諸国が18%、アジア諸国が6%というのがアグスタ社の見方である。

 では現実に、受注数はどのくらいか。われわれがアグスタ本社を訪れた今年6月初めの時点では下表のとおり、受注総数54機という説明だった。この中には韓国からの注文も含まれるが、日本からの注文は見あたらない。かつてベル社が本機の開発に着手した当時は日本も3機を発注していたように聞いたが、今や消えてしまったようで、ちょっと淋しい気がする。

 価格は公表されていない。ただし開発が始まった当初は、日本円で10億円程度という話があった。また運航費は現用AW139ヘリコプターと余り違わないと伝えられる。もしそうだとすれば、2倍の速度をもつだけに、費用効果はきわめて高いことになろう。


AW609の最近までの受注数

『ゲーム・チェンジャー』のまとめ

 アグスタウェストランド社のレクチャ『ゲーム・チェンジャー』の結論は次のようにまとめられた。

 先ず安全性――AW609に使われている技術は、既存の実証ずみの航空技術である。ティルトローター技術もXV-3以来、60年にわたって開発されてきたもので、軍用型オスプレイは15年前から実用に供されている。決して未知のあやふやなものではない。

 オスプレイといえば、2年ほど前の日本では何か危険なシロモノという見方が広まった。しかし筆者の見方では、あれは沖縄の基地反対運動の中で一部のメディアが騒ぎたてたトバッチリであり、決して危険な航空機ではない。同じ米海兵隊が使っているヘリコプターにくらべても、事故率はむしろ低いくらいだ。

 再びアグスタ社のまとめに戻ると、装備品は二重、三重の余裕をもたせ、乗員についても充実した訓練プログラムの準備が進んでいる。

 次に生産性は高速、長航続で、大空港や滑走路を使う必要がなく、点と点を結んで迅速に移動することができる。この移動にあたっては、最新のアビオニクス技術を採り入れ、多少の悪天候や氷結気象状態でも、全天候飛行が可能である。

 このため人員輸送の場合は利便性が高く、与圧キャビンによって快適で静かな飛行が可能となる。さらに輸送目的ばかりでなく、救急救助など、さまざまな緊急任務に使うことができる。

 AW609の民間機としての型式証明は2017年に取得、直ちに量産機の引渡しに入る計画である。

(西川 渉、『航空情報』誌2014年9月号掲載)

 

 


工場の一角に置かれたAW609のキャビン・モックアップ
実機の撮影は残念ながら認められなかった

 


AW609見学の記念にいただいた模型
今はわが家の居間に飾ってある

 

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