技術と経済の調和

――救急飛行の安全確保のために――

 

19項目に及ぶ勧告

 米国運輸安全委員会(NTSB)は去る9月1日、ヘリコプター救急の安全に関する勧告を発表した。この勧告は、今年2月初め4日間にわたっておこなわれた公聴会の結果を集約したもので、全部で19項目に及ぶ。

 アメリカのヘリコプター救急は、NTSBによれば、機体数750機、民間運航会社70社、病院拠点のプログラム60、警察や市町村などの公的機関40隊によっておこなわれている。これで人口面から見れば米国民の74.8%が15分以内のヘリコプター救急システムでカバーされ、96.5%が35分以内にヘリコプターの救護を受けることができる。そのうえ運航は24時間休みなし。年間およそ40万人の患者が救護されている。

 なるほど、まことに立派な救急体制が広大なアメリカ全土に出来上がっているといえるかもしれない。ところが事故が多い。今や社会的問題にまで発展し、こんな危険なことはやめるべきだという意見すら出るようになった。

 アメリカの救急ヘリコプターの事故は下表のとおりである。これはシカゴ大学救命センターのアイラ・ブルーメン教授の集計だが、1999年から2008年までの10年間に136件の事故が発生し、そのうち46件が死亡事故であった。死亡事故の割合は平均3割強だが、2008年だけは7割近くまで跳ね上がった。したがって死者の人数も、29人と極端に多くなり、この年がヘリコプター救急史上最悪の年ともいわれる。

 NTSBの2月の公聴会は、こうした事態を受けたものであった。

アメリカのヘリコプター救急事故

事故総数

死亡事故

死亡事故率

死 者

1999

10

3

30.0%

10

2000

13

4

30.8%

11

2001

13

4

30.8%

5

2002

14

5

35.7%

9

2003

19

4

21.1%

7

2004

14

6

42.9%

18

2005

17

6

35.3%

10

2006

12

3

25.0%

5

2007

11

2

18.2%

6

2008

13

9

69.2%

29

合 計

136

46

33.8%

110

41人の証言を集約

 ヘリコプターの救急飛行は、もともと危険な要素が多い。乗員は、いつ起こるかもしれない緊急事態にそなえて待機し、出動要請が出るや一刻を争って飛びたち、昼夜を問わず未知の救急現場に着陸しなければならない。その危険度は、敵弾が飛んでこないだけで、戦場のヘリコプター同様といわれるほどである。

 では、如何にして危険を避け、安全を確保するか。NTSBが公聴会で得た大量41人の証言を集約した結果は表2のとおりである。FAA、公的運営機関、厚生省などに対する勧告の形でまとめられているが、ここでいう公的機関とは、救急ヘリコプターを自ら飛ばしている警察や市町村などの自治体をいう。

 勧告の内容は、FAAと公的機関に対するものがほぼ重なっていて、合わせて15項目。運航者として実施すべき事項がほとんどである。たとえばパイロットの訓練基準を設定する、シミュレーターによって具体的な状況を想定した訓練をする、組織内に安全管理システムを構築する、ヘリコプターにフライト・データ・レコーダー(FDR)を搭載する、夜間暗視装置(NVG)や自動操縦装置(オートパイロット)を装着する、など。

 これを受けたFAAは法令や通達によって、救急機を運航している民間ヘリコプター会社に実施させなければならない。ただしNTSBの勧告には強制力がないので、FAAは昔から勧告のすべてに従うわけではなかった。そこがNTSBの不満でもあって、だからいつまでたっても事故が減らないというのである。

 これに対してFAAの方は運航者の自主性を尊重し、何もかもこまかく縛る必要はないという考え方を取っている。したがって、上の勧告も今すぐ法規となって実行に移されるとは限らない。しかし今回は多数の死者が出て、社会問題にもなっているだけに、かなりの部分が法律や規則として制定される可能性があろう。

救急ヘリコプター安全のためのNTSB勧告

勧告対象

勧告事項

FAA

1 パイロット訓練基準の設定

2 シミュレーター訓練の充実

3 組織内の安全管理システムの構築

4 フライト・データ・レコーダー(FDR)の搭載

5 飛行時間の報告と集計

6 気象情報の的確な把握

7 低高度空域のインフラ整備

8 空域整備の実行

9 夜間暗視装置(NVG)の取りつけと訓練

10 自動操縦装置の装着

公的運航機関

1 パイロット訓練の徹底

2 安全管理システムの実行

3 FDRの搭載

4 夜間暗視装置の装備

5 自動操縦装置の装着

連邦合同委員会

1 救急ヘリコプターの出動要請に関するガイドライン作成

2 救急手段の適切な選定に関するガイドライン作成

厚生省公的医療保険本部

1 保険給付金の現行単価の再検討

2 安全水準に応じた給付額の設定

[出所]NTSB、September 1, 2009

 

データなくして対策なし

 もうひとつNTSBの勧告の中に、飛行時間の報告と集計という事項がある。その内容は、救急ヘリコプターの運航者に対し、少なくとも毎年1度、総飛行時間、有償飛行時間、有償飛行距離、患者搬送実績、出動件数などの報告を求め、それを集計して、統計データとして整備するというもの。

 飛行時間は確かに航空機の最も基礎的なデータである。飛行日誌に記録が義務づけられていて、それにもとづいて整備点検やコスト計算、料金請求などをおこなう。無論これらは個々の企業では集計されているが、業界全体の統計がない。そのため全体の動向や盛衰を見たり、安全性や事故率を知ることができない。

 今回、救急飛行の安全を問題にするにあたって、飛行時間が不明のために正確な事故率が計算できず、ヘリコプター救急の安全性が良くなっているのか悪くなっているのか分からなかった。これでは全貌が見えず、対策の立てようもないというのが関係者の不満だった。上記ブルーメン教授も2月の証言の中で「測れないものは管理できない」と語っている。

 実は日本でも、ヘリコプター事業会社の飛行時間は、全日本航空事業連合会で集計されている。しかし新聞社や一般企業などの自家用飛行時間は統計がなく、警察の飛行時間もまとまった数字は公表されていない。筆者も2年ほど前であったが、ヘリコプター事故の分析を依頼されたとき、これらの基礎データが不明のまま、推定だけで処理せざるを得なかった。ただし消防防災機の飛行時間は、本誌別冊「全国消防防災航空隊資料集」に掲載されている。

 

問題の淵源は医療制度

 さて、NTSBの勧告を見ながら、筆者が最も強く感じたのはアメリカの医療制度である。事故が多いのも、このあたりに問題のみなもとがあるのではないのか。

 アメリカでは基本的に、日本のような国民皆保険制度がなく、医療費は民間企業による医療保険から支払われる。ヘリコプター救急費もほとんどが保険会社の運営する医療保険から出る。

 しかし、この保険料が高いので、加入できない人も多い。そこで保険料が払えないような高齢者や障害者、それに一定条件を満たす低所得者は政府管掌の医療保険――メディケアやメディケイドに加入するが、それ以外の人は無保険者ということになる。この無保険者が現在、全国民の15%程度、4,700万人も存在するのだ。

 この歪みをなくそうとして、オバマ大統領も改革に乗り出した。ところが保険会社に反対され、人種問題に飛び火するなど、却って支持率が下がってしまった。それほど複雑で厄介な問題なのである。

 だからといって、ヘリコプターは無保険者を救護しないわけではない。誰でも助けるけれども、保険に入っていない人は、もともと貧乏な人が多く、ヘリコプター料金の回収もむずかしい。取りっぱぐれは、2割とか3割といわれるほどで、救急事業としての経営にも影響するであろう。

 一方で保険会社もいろんな理屈をつけて、なかなかヘリコプター料金を払ってくれない。最大の問題は患者が乗っていないときの飛行は支払いの対象にしないというのである。したがって病院拠点の救急ヘリコプターは現場にゆくまでの往路は無償の空輸になり、料金は半分しか貰えない。

 さらに地域拠点の事業は独自のヘリポートや空港を拠点にしているので、そこから先ず無償で現場へ飛び、患者を乗せて病院へ搬送し、患者を降ろしたのちは再び無償で自分の拠点に戻る。つまり3区間を飛ぶうち2区間が無償なのである。

 あるいは現場で患者を診るだけで、あとは救急車で搬送した場合、ヘリコプターは完全なタダ働きである。

 もとより飛行料金は、こうした無償飛行の割合を勘案して計算されているのだろうが、保険会社の方も余り高い料金は認めてくれない。第一、自由競争を基本原理とするアメリカだから、すぐに競争相手が出てきて、料金の高いところは使って貰えなくなる。そこで全体としてのバランスを取ろうとして出動回数を増やすので、競争はますます激化し、乗員の疲労を招く。

安全度に応じた飛行料金

 上のような状況を、アメリカでは自嘲をこめて「ヘリコプター・ショッピング」と呼ぶ。救急飛行が日用雑貨の安売り状態に追いこまれていることを示すもので、同じ地域に複数の救急ヘリコプターが存在する場合、救急本部は料金の高いところには出動要請をかけないといったことが起こる。あるいは天候の悪化が予想されるために出動を断ると、次からは呼んで貰えない。さらにA社が断ると、断られたことを伏せたままB社に要請を出す。そのB社は無理をして飛び、悪天候の中で事故を起こしたりするのである。

 ヘリコプター救急の事故が増えるのは、そうした問題が遠因もしくは背景になっているのではないか。NTSBはそこまで明確に書いているわけではないが、勧告の内容はそのあたりを問題としたものであろう。

 そのひとつは連邦政府の中の関係省庁をつなぐ合同委員会に対する勧告で、州、自治体その他の公的機関による救急ヘリコプターへの出動要請や指令の出し方について、国としてのガイドライン作成を求めている。上のようなヘリコプター・ショッピングを戒めるためであろう。

 さらに救急事案が発生した場合、ヘリコプターを使うか救急車だけでいいのか、出動手段の選定に関するガイドラインの作成を勧告している。2月の公聴会でも、軽症者に対してヘリコプターを飛ばすといった無駄な出動が多いという指摘があったが、その批判に応えたものであろう。

 さらに厚生省のメディケアやメディケイドといった公的医療保険を扱う保険本部に対しては、救急ヘリコプターの運航に対する支払い給付額を、ヘリコプターの安全性に応じて段階的に区別するよう求めている。具体的には双発機の使用、パイロットの2人乗務、夜間暗視ゴーグル(NVG)の装備など、NTSBの勧告に従う程度に応じて、支払い金額にも差をつけるべきだというのである。

 特に今回、NTSBからFAAに出された勧告は、その通りに実行すれば、ヘリコプター会社の出費が増える。それを補うような提案である。

必要条件と十分条件

 米ヘリコプター救急の料金は、民間医療保険で支払われる部分が多いが、その金額や根拠は統一されてなく、保険会社によってバラバラである。しかも支払い金額は最小限に抑えられており、ヘリコプター運航者にとって必ずしも充分ではない。そのためヘリコプター会社はできるだけ出費を抑えようとする一方、できるだけ出動件数を増やそうとするので競争になってしまう。結果として、今の料金体系はヘリコプター救急の安全性を損なう方向へ働くことになる。

 しかし今回のNTSBの勧告の中に、民間保険会社への要求は含まれていない。資本主義社会の自由競争原理からすれば、民間企業に制約を加えたり規制したりすることはできないのかもしれない。

 やむを得ずというか、その代わりというべきか、政府管掌のメディケアやメディケイドの給付基準に注文がついた。この給付金額は2002年に定められたもので、固定費と飛行距離に比例する変動費から成る。しかし、これも充分な金額ではないので、安全性が高ければ金額も高くするといった勧告になったわけである。

 これが実行に移されれば、保険会社の方もそれに見ならうかもしれない。NTSBは、そのあたりも期待しているのではないかと思われる。

 いずれにせよ、NTSBの役割は本来、事故調査が目的である。すなわち技術的な問題を主として扱うはずだったが、今や経済問題にまで言及するようになった。救急ヘリコプターの事故多発に目をつぶっていられなくなり、既存の枠から踏み出したのである。

 言い換えれば技術的な問題の解決は必要条件であり、これなくしては全てが成り立たない。けれども技術問題ばかりを追究しても事故はなくならない。経済問題の解消という十分条件がそろわなくてはならず、そこまで踏み込んだNTSBの勧告は画期的なことといえよう。果たしてアメリカは、この十分条件を実現できるであろうか。

 さて日本では、この10月をもって、全国20ヵ所でドクターヘリが飛ぶようになった。今後なお47都道府県に少なくとも1機ずつとして、50ヵ所程度の配備が必要である。その目標に向かって、今後どのようなペースで増やしてゆくか。

 急ぎすぎるとアメリカのような事態を招きかねないが、出遅れた日本としては悠長なこともいっておれない。そのあたりの安全と経済とのバランスを失することなく、健全な発展を望みたいものである。

(西川 渉、ヘリコプタージャパン誌2009年10月号所載)

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