<ストレートアップ>

ベルリンで見た「金色の天使」

 

 ドイツのヘリコプター専門誌『ロートールブラッツ』3月号にヘリコプター救急の2003年実績が報じられている。ドイツ各地の拠点ごとの出動実績だが、それを運航者別にまとめ、さらに3年前に調べた2000年実績をつけ加えると下表の通りとなる。

運航機関

2003年

2000年

出動回数

拠点数

出動回数

拠点数

ADAC

30709

25

23567

19

ドイツエアレスキュー(DRF)

24784

27

14343

12

内務省防災局

19329

16

19281

16

国防軍

3150

3

3841

3

その他民間ヘリコプター会社

5251

7

1956

1

総  計

83223

78

62988

51

 この表から次のようなことが読み取れるであろう。第1は救急ヘリコプターの拠点数が78か所。国土面積は日本の方が6%ほど大きいが、わがドクターヘリの拠点にくらべて丁度10倍の密度に相当する。

 第2は2000年の51か所にくらべて、わずか3年で一挙1.5倍に増えた。また出動回数は1機平均1,066回。2000年の平均1,235回に対してやや少なくなったが、それでも1日3回の飛行で、救急車なみの利用である。

 運航者のうちADACは、ドイツ自動車クラブの傘下にある航空救助会社で、出動件数は3年間で3割増。DRFはNPO法人だが、3年間で拠点数が2.2倍となってADACを追い抜いた。出動件数も1.6倍である。そして民間ヘリコプター会社も3年前の1か所から7か所で飛ぶようになった。これらヘリコプター企業の運航は、従来なかった夜間飛行など新しい試みをしていて、今後も増えるもようである。

 他方、政府機関の担当する拠点は、日本の総務省消防庁に当たる内務省防災局が16か所、国境警備隊が3か所だが、いずれも拠点数の増減はない。将来に向かっては、防災局の場合、当面12か所に減らしてゆくというから、その肩代わりが民間企業ということだろう。

 さて、78か所の拠点ごとの出動実績を見ると、最も多いのがベルリンである。市内のベンジャミン・フランクリン大学病院を拠点として、ADACのEC135ヘリコプターが飛んでおり、2003年は2,454件、1日平均6.7件の飛行をした。

 5月なかば、この病院を訪ねる機会があった。応対をしていただいたハンス・アーンツ先生は、心臓などの循環器系統と救急医療が専門で、精悍で老練な感じのするベテラン医師である。ヘリポートで話を聞きはじめて間もなく、先生の腰につけた呼び出しベルが鳴って直ちに飛び立つことになった。待機室からパイロットが出てきてエンジンを始動、その横にパラメディックがすわり、アーンツ先生が後席に乗りこむ。離陸までの時間は2分とかからなかった。

 30分ほど待っていると、ヘリコプターが戻ってきた。患者が乗っていないので話を聞くと、17歳の女の子が心臓病か何かで体調が急変したため救急出動ということになったらしい。しかし、行ってみると歩けるまで回復していたので、応急手当の後は救急車で搬送、入院させることにしたという。

 ドイツでは救急車にも医師が乗っている。したがって、アーンツ先生の話によると、ヘリコプターが出動するかどうかは患者の病状や怪我の程度に応じて判断するよりも、ヘリコプターと救急車とどちらが早く現場に到着できるかを考える方が多い。ヘリコプターが早いとなれば躊躇することなく出動をかける。つまりはヘリコプターも救急車も全く同列に扱われており、判断基準としても時間差の問題だけなので単純かつ容易に判断できる。

 そんな話をしているところへ、若いお母さんが小さな子ども2人を連れてヘリポートにやってきた。初めは遠くからながめていたが、パイロットがどうぞと言うと、3人はヘリコプターの直ぐ傍まで行って機内を覗きこんだりしていた。お母さんが子どもに、これで病気の人を運ぶのよとでも説明しているのであろう。

 ADACの救急ヘリコプターは独自の黄金色に塗られている。人はこれを「金色の天使」と呼ぶが、子どもたちが小さいうちから天使の存在を知り、人命救助の大切さを理解するようになれば、ドイツの救急体制はますます充実してゆくにちがいない。先に見たようなドイツ・ヘリコプター救急の発展ぶりは、こうした人びとの認識と理解に支えられたものといってよいであろう。


子供の情景

 アーンツ先生と話をする中で、日本には残念ながらドクターヘリの拠点が8か所しかないと言ったところ、先生いわく「さあ、ドイツにはどのくらい拠点があるのかなあ。よくは知らないけれど、たぶん日本よりは多いんじゃないか」という答えが返ってきた。

 なるほど、毎日6回も7回も飛ぶようでは、患者さんの治療に当たるだけで大いそがし。全てをそのことに集中して、制度の問題などは眼中にない。治療に専念する行き方が私にはまことに羨ましく思われた。

 ベテラン医師が患者を診る前に政府の委員会で医療制度について議論を交わし、検討や提言や文書づくりを繰り返しながら、いつまでたってもラチがあかないという状態はどこかおかしい。

 日本は明治の初めにドイツから医学を学び、今もドイツの医療制度を参考にしながら、政策や方針を決定しているという。ドクターヘリもその一つだが、いつになったら形ばかりの佛に魂が入るのだろうか。

(西川 渉、『日本航空新聞』2004年6月10日付掲載)

 ベルリン航空ショーILA2004に展示された初代のベルリン救急機。1987年に配備された当時はドイツ統一の前だったので、ベルリンでは西ドイツ機が飛べなかった。そこでこの写真に見るように、米オムニフライト社が登録記号N4573Tという米国籍のBO105を運航した。

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