<ドクターヘリ>

その現状と今後の展望

The Present Situation and View of Doctor-Heli

Abstract

 ヘリコプターは救急手段として大きな救命効果を持つ。しかるにわが国では、これまで殆ど顧みられず、ドイツに遅れること30年、アメリカに遅れること20年、イギリスに遅れること10年と、欧米の先進事例から大きく水をあけられた。ようやく10年前「ドクターヘリ」の呼称で飛び始めたものの、その普及は遅々として進まなかった。

 しかし近年ドクターヘリ特別措置法、骨太の方針、ドクターヘリ推進議員連盟といった支援態勢がととのい、折から救急医療の危機が社会問題となって自治体の関心も高まり、普及の兆しが見えてきた。

 以下ドクターヘリの現状を展望し、今後どこまで伸びるか、どこまで伸ばすべきかを考える。

はじめに

 今年は「ドクターヘリ」という言葉が生まれて丁度10年になる。「ドクターヘリ調査検討委員会」が内閣官房の内閣内政審議室を事務局として審議を開始したのが10年前の1999年8月であった。それに並行して、同年10月から神奈川県と岡山県で試行的事業も始まったので、実際にドクターヘリが飛んでからも10年である。

 だが、この10年間ドクターヘリの将来展望はなかなか開けなかった。最近ようやく人の口の端に上るようになり、テレビドラマや小説の題材にも取り上げられ、社会的な認知も進んできたが、これまでの歩みはまさに苦節10年といえるかもしれない。

救命率が上がって治療費減少

 ドクターヘリ調査検討委員会の結論が出たのは2000年6月であった。これに基づき、翌2001年4月から試行的事業が本格的事業に移行し、正式運航となった。

 具体的な内容は、救急医療器具を装備し、医薬品を搭載した専用ヘリコプターを救命救急センターに待機させておき、119番の救急電話を受ける消防本部からの要請に応じて、2〜5分で医師と看護師を乗せて離陸、救急現場に近いところに着陸して、その場で応急治療にあたるというシステムである。すなわちドクターヘリの基本的な任務は医師の現場派遣と現場治療であって、患者の搬送は二義的な任務になる。

 この制度が始まった当時、厚生省は非公式に5年間で30機――すなわち全国30ヵ所までヘリコプター救急を普及させるという目標を掲げた。ところが5年後、2006年3月の時点で実際に飛んでいたのは10ヵ所だったから、目標の3分の1である。

 何故このように遅れたのか。いくつかの理由が考えられるが、ひとつは運航費の捻出であろう。ドクターヘリ1機あたりの運航費は当時から今も、厚生労働省によって年間1億8000万円弱に設定されている。これを国と都道府県が半分ずつ負担する定めだが、財政難に苦しむ自治体はそれが出せないというのだ。

 そのため筆者などは、ドクターヘリ調査検討委員会に参加していた当時から、救急ヘリコプターの普及いちじるしいドイツにならって健康保険で補填するよう主張してきた。しかし健康保険も内情は苦しく、なかなか応じて貰えない。

 理論的には、あるいは実際にも、ドクターヘリで飛来した医師が救急現場で早急に治療を開始することにより、瀕死の患者さんでも救命率が上がって回復が早まり、入院費や治療費も少なくてすむ。つまり健康保険の負担が軽減されるわけだが、関係者は厚生労働省の当局を含めてドクターヘリを忌避しているのが実情である。

空間的・時間的な機動力

 ドクターヘリの普及を遅らせたもうひとつの理由は、社会的な認知度が低かったせいであろう。要するに知られてないのである。したがって人びとの関心も低くならざるを得ない。

 われわれ関係者は、ドクターヘリが救急医療にとって如何に有効であるかを説きつづけた。すでに10年前の試行段階から、救急車で搬送した場合にくらべて、ドクターヘリで救護された患者は死亡率が4割ほど減り、快癒して社会復帰のできた人は2倍にもなるという実績が出ていた。

 だが、このような数値はなかなか人びとの頭に入らない。確かに反論する人はいないけれども、わが身に引きくらべて具体的に受け止める人が少ない。したがって実行に移そうという動きもほとんど出てこないのである。

 ところが近年、全国各地で救急患者のたらい回しが増えた。小児救急や周産期医療の問題が大きくなり、医師の増強や待遇の改善が論じられる一方で、ドクターヘリの導入を考えるべきではないかという意見も聞かれるようになった。特に自治体の首長、議員、行政担当者などがドクターヘリに関心を示し始めたのである。

 これまでは救急患者が手遅れになったり、受け入れが拒否されるといった問題はへき地特有のことで、通常はあり得ないと思われていた。ところが最近は東京都内でも切迫早産が受け入れられなかったり、母体の死を招くような事態が発生する。

 そんなときヘリコプターがあれば、もっと広範囲の医療施設を対象として、どこへでも迅速に患者を搬送することができる。しかもドクターヘリであれば必ず医師が同乗するので、飛行中でも治療ができる。

 その空間的、時間的な機動力を考えるならば、救急車を走らせるために高速道路の建設が必要とか、道路財源を確保しなければならないなどと言ってはおれないはず。高速道路の建設費にくらべて年間2億円前後のドクターヘリ運航費などは微々たるものであろう。

法制化と骨太の方針

 こうした実状を改善するために、2007年6月27日「救急医療用ヘリコプターを用いた救急医療の確保に関する特別措置法」――いわゆる「ドクターヘリ特別措置法」が成立した。国および自治体のドクターヘリ負担金をいくらかでも軽減するための財源を、寄付金や健康保険、労災保険などで補填できぬかどうかを検討し、実行に移すための法律である。

 さらに1年後、奇しくも同じ日付の2008年6月27日、閣議決定となった「経済財政改革の基本方針」(骨太の方針2008)の中に、質の高い医療・介護サービスの確保のため「ドクターヘリを含む救急医療体制の一層の整備を行う」ことが盛りこまれた。

 これを受けて、厚生労働省も平成21年度に向かってドクターヘリ24機分の予算を計上した。20年度末現在、ドクターヘリは下の拠点図のとおり18機が飛んでいるので、一挙に6機増となる。


ドクターヘリ配置拠点図(2009年3月末現在)/製作クリエイト21

 

 かつては、国が予算を計上しても、ドクターヘリの導入を希望する自治体が少なく、計画通りに配備されなかったこともある。しかし今後は、そんなこともなくなるであろう。

 というのは、もうひとつ2008年11月20日、超党派の国会議員139人から成る「ドクターヘリ推進議員連盟」が発足したからである。その設立総会で採択された決議は(1)各都道府県にドクターヘリの配備を推進するために必要な予算の確保、(2)ドクターヘリ導入に関する地方交付税措置の充実という2項目であった。

 この第1項は、厚生労働省が負担すべき予算を確保すること。第2項は自治体の負担分を特別地方交付税として、総務省から自治体へ交付するよう求めるものである。

 つまり、形の上では国と自治体が半分ずつといっても、実質は自治体の負担すべき費用の一部を国が交付することになる。したがって、これが実現すれば自治体の負担は、ほとんどなくなる。そうなると、現下の救急医療問題を解消するためにも、各自治体が競ってドクターヘリの導入をめざすことになるかもしれない。

15分以内の治療開始

 では、ドクターヘリは年間どのくらいの患者さんを救護しているのだろうか。

 下の表はそれを示したもので、2008年度の実績は18ヵ所の病院から合わせて5,635件の出動がなされた。このうち始まったばかりの4ヵ所を除くと、通年14ヵ所の出動実績は5,457件で、1ヵ所平均390件。毎日1回余り飛んだことになる。中には毎日2回近く飛んだ拠点もある。

 こうした出動によって救護した患者さんは、総数5,182人。これまでの調査研究の結果から見て、この中の1割程度、すなわちおよそ500人はドクターヘリの配備がなければ死亡していたと推定される。また完全快癒して社会復帰のできた人は地上搬送にくらべておよそ1.6倍に増えたはずである。

ドクターヘリ導入時期と2008年度運用実績

開始年度

道府県

拠点病院

2008年度実績

出動件数

診療患者数

2001年度

4月

岡山県

川崎医科大学

425

423

10月

静岡県西部

聖隷三方原病院

646

447

10月

千葉県

千葉北総病院

663

655

1月

愛知県

愛知医科大学病院

455

339

2月

福岡県

久留米大学病院

329

319

2002年度

7月

神奈川県

東海大学病院

299

299

1月

和歌山県

和歌山県立医科大学

386

384

2003年度

(この年は拠点新設なし)

2004年度

3月

静岡県東部

順天堂大学静岡病院

582

582

2005年度

4月

北海道

手稲渓仁会病院

408

365

7月

長野県

佐久総合病院

351

332

2006年度

12月

長崎県

長崎医療センター

462

443

2007年度

10月

埼玉県

埼玉医科大学

137

140

1月

福島県

福島県立医科大学

252

219

1月

大阪府

大阪大学病院

62

62

2008年度

12月

沖縄県

浦添総合病院

94

91

1月

千葉県

君津中央病院

54

54

3月

青森県

八戸市民病院

4

4

3月

群馬県

前橋赤十字病院

26

24

合     計

5635

5182

 こうした実績を背景として、ドクターヘリは日本全国でどのくらいあればいいのだろうか。

 現状は、平成21年度末までに24機になったとしても、必要最小限の半分くらいでしかない。47都道府県に少なくとも1機ずつ配備するとして、先ず50機は必要である。すでに静岡県や千葉県は2機が配備されており、北海道も今年度中に3機になる準備が進んでいる。

 というのは当然のことながら、救急任務であるために、ドクターヘリが現場に到着するまでに時間がかかり過ぎては意味をなさない。この制限時間を、ドイツは15分程度と定め、各救急ヘリコプターは15分以内に飛べる範囲、すなわち半径50kmくらいの地域を担当している。

 むろん時と場合によっては基準通りにできないが、まずは90%くらいの達成率を目標とし、2005年の実績は救急事案の84%が15分以内の治療開始であった。この目標達成のために、国土面積が日本の94%というドイツには約80ヵ所のヘリコプター救急拠点が配備されている。

 ちなみに日本の治療開始時間は、2007年の実態が、総務省消防庁の集計「覚知から医療機関等に収容するのに要した時間」から見て、最も早い富山県でも25.4分、全国の平均が33.4分で、東京都にいたっては最悪の47.2分であった。いわば日本中が手遅れの状態なのだ。

 ところがスイスの場合は、アルプスの山岳国でありながら、山の中でも谷の奥でも、全国くまなく15分以内に医師の乗ったヘリコプターが駆けつけるシステムが組まれている。その結果が13ヵ所の拠点配置になっており、日本の面積に当てはめると120ヵ所に相当する。しかも昼夜を分かたず医師を乗せたヘリコプターが飛ぶので、この国では医療過疎を嘆く声は聞かれない。

ドクターヘリ理想の配備数

 ロンドンは救急医療着手までの時間を8分以内としている。無論ヘリコプターだけの目標ではない。あらゆる救急事案に対して8分以内の治療開始という基準だから、医師やパラメディックはヘリコプターばかりでなく、救急車、高速ドクターカー、オートバイ、自転車などあらゆる手段を使って患者のもとへ駆けつける。達成目標は75%と聞いた。

 イタリアは全国47ヵ所に救急ヘリコプターを配備している。日本の面積に当てはめるならば60ヵ所に相当する。そのうえで都市部8分、山村部20分という治療開始の目標を置いて救急任務にあたっている。

 こうした諸外国の実情に対し、日本はドクターヘリの配備が遅れているだけではない。今や救急医療体制そのものが崩壊の危機にある。医師の不足、救急診療の中止、そして病院の閉鎖と、なだれを打って崩れつつある。この事態を食い止め、正常な姿に戻すには根本的な対策が必要だが、今後かなりの時間と費用がかかるに違いない。

 当面すぐに効果を挙げるとすれば、やはりドクターヘリが最適であろう。もとよりヘリコプターだけで救急医療問題の全てが解決するわけではない。医療面の根本対策に着手する一方で、それを補完する手段としてドクターヘリを活用するのである。

 その配備数は、ドイツなみに考えるならば80機だが、平地の多い大陸国ドイツと違って、日本は山村や離島が多い。とすればスイスなみの密度で120機ということも考えられる。しかし、ここでは両国の中間をとって100機という理想を置くことにしよう。平均すれば各都道府県2機ずつの配備である。そのうえで、この理想に向かってフライトドクターやフライトナースの養成、パイロットや機材の準備、そして予算措置を含む政府の施策を考えるべきであろう。

 誕生から10年。ようやく社会的な認知も得られたドクターヘリだが、その活躍の舞台は今後もっともっと広げてゆかねばならない。

(西川 渉、北隆館BIO Clinica誌、2009年8月号掲載)

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