立ち読みの話

 

 

 子どものときから「本キチガイ」と呼ばれた。『講談社の絵本』はいろいろ買って貰ったが、それ以外のちゃんとした本を読み通したのは獅子文六の『悦ちゃん』が初めてで、国民学校に上がる前だった。もっとも何が書いてあったのか、陽の当たる海岸の町に明るいお姉さんがいたような印象が残っているだけで、よく覚えていない。なにしろ60年前の話で、あんな歳では理解もできなかったであろう。

 父の本棚には医学の専門書のほかに、鏡花、漱石、寅彦、百間(本当は門がまえに月)などが並んでいた。「泉鏡花全集」は白い箱入りの立派な紺色布装で、総ルビだったから文字を追うことはできたが、国民学校低学年では面白いとは思えず、何頁か読んだだけで読みつづける気にはならなかった。そのうえ、父が「この本には幽霊が出てくる」などと言うものだから、その後は手に取ることもできなかった。

 いくつもの棚にずらっと並んだ本が子ども向きであれば、どんなに良かろうと思いながら、友だちのうちに行って、田川水泡の『のらくろ』や『蛸の八ちゃん』を初め、「少年倶楽部」をずいぶん読んだ。親戚の家に泊まりに行ったときは、晩御飯のときもちゃぶ台の横に本を置いて読みふけり、そこの家の家族がみんな食べ終わっても、こちらはほとんど食べていない有様で、よく叱られなかったものと思う。

 終戦前後の疎開先では、大家さんの家に分厚い講談全集があって、猿飛佐助や三好清海入道を繰り返し読んだ。2〜3冊しかなかったから繰り返さざるをえなかった。

 小学校5年から6年にかけて、戦後間もないときだが、町の小さな図書館に通いつめた。もっとも子どもの本は余りなくて、戦前のボロボロになった国民雑誌「キング」が沢山あったので、それを片っ端から読んだような憶えがある。ただし何の栄養にもならず、今にしてどこが面白かったのかも分からない。小児性活字中毒症にかかっていたのだろう。

 そんな病気のせいで、図書館から本屋に行ってはずいぶん立ち読みをした。4〜5坪の土間を囲むようにして本棚があり、店の小母さんとはいつの間にか顔見知りになって、追い出されもせずに読みふけった。その町から、わが家が引っ越しをすることになったとき、そのことを小母さんにいうと「本を1冊上げるから、店の棚からどれでも好きなのを選びなさい」と言われたときは天にも昇る心地がした。

 あれこれ迷った挙げ句に選んだのは岩波文庫の『ブラック・ビューティ』だった。面白そうというよりは、小さい文字が沢山つまっていて読みでがあるように見えたからである。案に違わず、あれは黒い馬の波乱の生涯を描いた長い物語であった。

 さて、こんな話をいつまで書いていてもきりがない。読者にも面白くないであろう。ここで言いたかったのはインターネットによる立ち読みである。

 アメリカのサイトには「チャプターワン」という頁があって、新刊書の第1章だけが掲載してある。これをタダで読んだうえで、気に入ったら本を買ってもらおうという仕組みであろう。私も何度か試みたが、英語の本を立ち読みするのはやはり時間がかかる。紙にプリントしてゆっくり読もうとしたが、時間がないうえに面倒でもあり、やめてしまった。

 しかし英語の本でも、億劫がらずにスラスラ読む人もいるらしい。そういう人は無論ご承知だろうが、念のために書いておくと、「ニューヨーク・タイムズ」は書評をした上で、その本の第1章を読ませてくれる。「ワシントン・ポスト」も同様だし、「USAトゥデイ」も書評の頁が「オープン・ブック」というわくわくするような名前の頁につながり、第1章を読むことができる。

 本屋さんのサイトも同様で、かのアマゾン書店には買いたい本の頁に行くと、表紙の写真や割引き値段と共に、専門家の書評や読者の採点欄があり、さらに「read an excerpt」(抜き刷りを読む)というボタンがあるから、それをクリックすると第1章が読める。バーンズ・アンド・ノーブル書店も同じような仕組みになっているから、これはまさしく本屋での立ち読みである。

 このような立ち読みによって、本の売れ行きが上がるのか、それとも下がるのか。第1章を読んで目次を見れば、あとは読まなくても察しがつくという人も多いのではないかと思うが、どうだろうか。

 しかし最近は、日本でも普通の本屋に椅子とテーブルを置いて、立ち読みどころか坐り読みまでできるようにしたところがあらわれた。とすれば、立ち読みは本屋にも有効なのかもしれない。けれども、ああやってゆっくり読まれた本が再び売場の棚に並べられるのかと思うと、その本屋では買いたくない。

 話を戻して、立ち読み可能なアメリカのサイトがうらやましいと思っていたが、先日、日本でも本の中身を読ませてくれるサイトがあるのに気がついた。ひとつは「速読本舗」というサイトで、主としてビジネス書が紹介されている。紹介内容は原稿用紙10枚程度にまとめられ、第1章の立ち読みとは異なるが、本全体の要約、または核心部分の紹介になっている。

 ただし、毎月4冊の本が紹介されている中で1冊のみが無料。あとの3冊は有料(年間1,500円)である。もっとも無料の1冊だって、この4月は中谷巌の『にっぽんリセット』(集英社インターナショナル)が取り上げられていて、無料だからといって無価値の本というわけではない。

 そのうえ過去6年間160冊の本の紹介を無料で読むことができる。その中には野口悠紀雄、「ジャパンアズナンバーワン」の エズラ・ヴォーゲル、小室直樹、竹内宏、大前研一、唐津一、キッシンジャー、日高義樹、樋口廣太郎、ジョージ・ソロスなどの著書が含まれる。

 もう一つは新潮社の「立ち読みコーナー」である。「新刊の一部を立ち読みできる形で紹介します」と銘うって、この4月の同社新刊書からは14冊の立ち読みができる。そのうえ過去4年間の膨大な本もちらりとではあるが中身を見せてくれる。

 たとえばジェフリー・アーチャーの『十四の嘘と真実』(永井淳訳、新潮文庫)は、前半で本書の中の小話を読ませて読者を満足させ、後半は短編小説の前の方を載せて、いくつかの謎を提起しておき、いよいよ何か始まるなというところで切ってある。これではその後が気になって本屋へ走りたくなるにちがいない。私も我慢できずに、この本を買ってしまった。まことにうまい仕組みで、立ち読みは本屋や出版社にとって得か損かという問題にも答えが出たことになる。

 かくて本の立ち読みは、昔は本屋で良心の呵責に責め立てられながらあわただしく目を走らせていたものが、今はインターネットで堂々とできるようになったのである。

(西川渉、2001.4.15)

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