ヘリコプターは不可欠

 緊急事態に際して、消防車や救急車はまことに頼りがいのある存在である。火事や交通事故や急病などのときは電話一本で駆けつけてくれる。このシステムによって、毎年はかり知れないほどの人びとが命を救われていることは間違いない。

 しかし、優れた危機管理システムではあるが、あの阪神大震災ではほとんど役に立たなかった。神戸の被災地では、火災が3日間にわたって燃えつづけ、犠牲者は6,300人を越えるに至った。というのも道路が閉塞状態に陥いったからである。

 しかるに被災現場の上空には沢山のヘリコプターが飛び交っていた。あのヘリコプターで水をまいてくれたら目の前の火炎がおさまるのではないか。あのヘリコプターで怪我人を運べば、命が助かるのではないか。被災地の人びとは誰しもヘリコプターの助けを願ったであろう。

 しかしヘリコプターは何ら救助の手をさしのべてくれなかった。それが救援活動らしい動きを始めたのは、肝心の3日間を過ぎてからである。後になって政府は関係省庁の白書などで、あたかもヘリコプターが活躍したかのような表現をしているが、被災者の目から見ればとんでもないこと。むしろ騒音をまき散らして救助活動を妨げた恨みの種としか映らないのではないか。ヘリコプターの運航に長年たずさわってきた一人として、まこと慚愧の念に堪えない思いである。

 こうした事態を受けて震災3か月後の1995年4月、名古屋で開かれた日本医学会総会では「阪神大震災に学ぶ」と題する緊急シンポジウムが開かれた。席上、多数の医師が地震のときの治療や検視など生々しい体験を発表したが、問題になったのはヘリコプターによる患者の搬送が十分におこなわれなかったことである。

 地震当日ヘリコプターで運ばれた患者は1人しかいなかった。それも医薬品を届けにきた消防ヘリコプターの帰り便に偶然のせて貰ったに過ぎない。患者搬送のために飛んだわけではないのである。それでも搬送された人は瀕死の重態で、ヘリコプターがなければ命を喪くしたであろうと推察されている。

 緊急シンポジウムの会場では「ヘリコプターがもっと使われていれば、もっと多くの人が救われたのではないか」という声が多く、ヘリコプターによる患者の搬送が不可欠であることが確認された。

 ちなみにヘリコプターの患者搬送数は地震2日目が7人、3日目が9人であった。殆んどの人が命を取り留めたが、この3日間にヘリコプターがもっと使われていれば、その10倍以上の人が命を喪くさずにすんだと推定されている。




人命よりも法規が優先

 こうした問題について、地震から数か月後、大阪市立大学医学部附属病院の山上征二氏は『腎と透析』その他いくつかの医療雑誌に次のようなことを書いておられる。今回の震災で生じた特徴のひとつは「外傷性急性腎不全クラッシュ症候群」の多発である。普段からの慢性的な透析患者は歩行可能であり、自分で治療の場所へ行くことができる。ところがクラッシュ症候群の患者はひどい外傷や骨折を伴い、それに急性腎不全という全身疾患を抱えこんだ状態にある。

 そのため自力では動けないし、治療に当たっては外傷や骨折などの原疾患に血液浄化を併用しなければならない。それには複合的で高度な医療施設が必要である。しかるに地震の当日「神戸の透析施設は壊滅状態で600人余りの透析患者が被災し、救出を待っていた……受傷後のクラッシュ症候群による死亡例が多く、早期の移送による高度医療の必要を感じた。しかし陸路は神戸〜大阪間が8〜10時間もかかる。そこでヘリコプターによる移送が考えられたが……ヘリコプターに関しては離着陸等の許可が事前に不可欠ということで、この時点では断念せざるを得なかった」

「いったい危機管理体制で守ろうとするのは何であろうか。重篤な患者をヘリコプターで搬送しようと災害本部に要請したとき、『腎不全だけが病人ではない』とか『飛行許可が必要』と拒否された。そこで民間の救急ヘリコプターを使い、遠くは三重県まで移送したが、そのことが新聞で報道されたところ、災害本部から『我々の救急ヘリコプターを使って下さい』と電話があった。守りたいのは既存の行政システムであり、決して患者の命ではなかった」

 この民間の救急ヘリコプターとは「ボランティアで神戸にきていた……日本で唯一、聖隷三方原病院が用意している救命救急ヘリコプターである。機内には人工呼吸器等の重装備を持ち……救急医と共に神戸のヘリポートに待機していた。しかしわれわれが要請した1月21日まで他からの依頼はなく、苛立ちを抱えながら無為の時を過ごしていた」

 その日、山上ドクターはヘリコプターとクルーザーで6人の患者を運び、翌日は8人を送り出した。そして翌々日「ヘリコプターで送った患者の件で三重大から電話があり、『頑張って下さい。われわれは何床でもベッドをあけて待っていますから』といわれた。涙が出るほどうれしかった」と書いておられる。

 そのヘリコプター搬送に当った聖隷三方原病院の岡田真人副院長は、わが国唯一の救急ヘリコプターをもちながら、官僚たちに阻まれて神戸に乗りこむこともできず、「私たちが被災地に入ったのは震災から4日後のことです」と語っておられる。もはや手遅れの状況で、死ぬべき人は死んだあとだった。それでも頑張って数日間に9人の患者搬送をしたが、「スウェーデンの救急マニュアルには生命は法律よりも優先するという言葉が出てきますが、日本は逆です。人命よりも法律の方が優先します」(『コミューター・ビジネス研究』誌、95年6月号)という体験と感想を得ただけであった。




日常茶飯事のヘリコプター救急 

 このような災害救助にヘリコプターを使うのは、それほど難しいことなのだろうか。勿論そんなことはない。少なくとも欧米先進国では救急車と同様、日常的に使われている。日本でも、昭和34年の伊勢湾台風ではおよそ5,000人がヘリコプターで救出された。飛行に当たったのは主として日本に駐留する米軍と発足間もない自衛隊のヘリコプターである。あのときの死者は5,000人だったから、決して生やさしい災害ではなかったし、ヘリコプターがなければ、犠牲者は倍増していたかもしれない。

 だが、あれから三十数年、日本社会はいつの間にか、がんじがらめの法規の網に包みこまれ、規制の縄で縛り上げられて身動きもできなくなってしまった。いま規制緩和のかけ声のもと、何とかして強固な官僚統制をゆるめようという動きがあるが、果たしてどこまでゆるめられるか。

 少なくとも危機管理や防災体制だけは阪神大震災の教訓を生かしてなどといいながら、実態は何にもできていない。国の『防災基本計画』を初め、全国各地の防災計画は見直されたけれども、泥縄式の改訂は単なる作文に終わってはいないか。たとえば96年初め北海道で起こった豊浜トンネル崩落事故でも、縦割りの行政機関がばらばらに動いて、統一された現場指揮は見られず、調整のための会議が続くばかり。あれは危機管理ではなくて責任回避である。

 このやり方には当然、非難が集まった。そこで改まったかと思いきや、12月の長野県小谷村の土石流災害でも、いち早く現地入りした林野庁の責任者が開口一番「これは天災であって、人災ではない」と言い放った。災害対策の前に保身対策を考える。これこそ、国民にとっては人災というほかはない。

 さて、ヘリコプターによる人命救助の問題である。ドイツで救急ヘリコプターが日常的に飛んでいることは、日本でもよく知られている。全国を半径50kmの円で覆い尽くし、その円の中心に1機ずつヘリコプターと医師が待機している。そしてアウトバーンの交通事故で怪我人が出たような場合、電話1本で直ちに出動する。

 出動要請から離陸までの所要時間は2分。事故現場に到着するのは、半径50kmの最も遠いところでも15分、平均では8分である。現場に着陸したヘリコプターからは医師が降りて、その場で怪我人の治療に当たる。つまりヘリコプターは患者の搬送というよりも、まず医師の現場派遣のために使われるのである。もちろん現場での応急手当が終わり、患者の容態が安定すれば、ヘリコプターにのせて病院へ連れて行くこともあるし、後から駆けつけた救急車にゆだねることもある。

 ドイツのヘリコプター救急システムは、このようにして全国に50機のヘリコプターを配備したうえで、きわめて日常的に運営されている。その結果、交通事故の死亡者は過去20年余の間に2万人から7千人まで、ほぼ3分の1に減少した。

 同じようにアメリカでも、およそ350機の救急ヘリコプターが活動している。これらの専用機は酸素吸入器、輸血および点滴装置、除細動器その他の治療器具や医薬品を搭載して常時待機していて、事件や事故が起これば1日24時間、1年365日、いつでもどこでも飛んでいく仕組みである。ただしドイツとの違いは全国統一的なシステムではなく、各地の病院を中心とする私的な仕組みになっていること。それでもアラスカを除く米国本土の93%以上がヘリコプターでカバーされている。

 その中から筆者は先般、ダラス・フォトワース地区のヘリコプター救急のもようを見学した。この「ケアフライト」システムは、テキサス州ダラスとフォトワースの二つの都市を中心に半径200kmくらいの範囲をカバーする。使用機はベル222双発タービン・ヘリコプターが4機。それをダラスに2機、フォトワースに2機待機させ、いつでも飛び出せる態勢をとっている。

 ベル222は通常ならば、パイロットを入れて10人乗りの中型ヘリコプターである。救急機としては座席の一部を外して担架2人分と医療器具を搭載し、医師やフライト・ナース、もしくはパラメディックが同乗して、高速、長航続の飛行性能をもっている。

 ケアフライトの発足は1979年。当初はヘリコプター1機であったが、2年目に2機となり、現在では4機が常時スタンバイし、整備作業で飛べなくなるときのために7人乗りのベル206Lロングレンジャー2機を予備機としてかかえる。
 パイロットは数千時間の飛行経験を持つものを起用し、フライト・ナースやパラメディックは2年以上の救急経験がなければならない。ナースといっても単なる看護婦ではない。場合によっては事故現場に飛んで、患者の気道を確保するための挿管手術をすることもある。またパラメディックは、日本のような条件つき、制限つきの救急救命士と異なり、外傷、火傷、心不全、産科、新生児、小児科などに関連する応急治療に当たることができる。

 ヘリコプターの出動要請は電話または無線によっておこなわれる。ケアフライト通信センターに入ってくる要請は、1か月間におよそ2,500回。1日100回近い回数で、昼夜の区別はない。要請を受けるのは救急医療の訓練を受けた専門職員で、その判断によってヘリコプターが飛んだり、場合によっては救急車だけですますこともある。そのため通信センターは、各自治体の消防署や民間救急搬送会社にもつながっている。

 同時にヘリコプターの本拠となっているダラス・メソジスト病院およびフォトワースのハリス・メソジスト病院はもとより、10か所を越える各地の病院と連携していて、必要によって専門医の指示を受ける。
 筆者がメソジスト病院を訪問したとき、屋上ヘリポートで見ていると、発着するヘリコプターには必ずしも患者が乗っていない。そのわけを訊ねると、ここでもまたヘリコプターには患者もさることながら医師だけが乗ることが多いという。つまり専門医が遠方の病院へ救急患者の手術のために応援に行ったりするのにヘリコプターを使うのである。






自家用機のように使いこなす

 実はケアフライトがカバーしている地域では十数か所の病院に常設のヘリポートがある。ヘリコプターはそれらのヘリポートの間を自在に飛び回る。それは、あたかも本社といくつかの工場を結んで連絡用のビジネス機が飛ぶように、救急用ヘリコプターは医師にとって一種のビジネス機にもなっている。さらに、もっとはるかに多くの約30か所の病院がいざというときはヘリコプターの発着ができるよう、駐車場などに臨時の離着陸場を想定しているのである。

 この様子を見て想起するのは阪神大震災のときの問題である。あのときは救急患者を消防や自衛隊のヘリコプターで搬送する際、医師が同乗してゆき、先方の病院に着いて患者を運びこんでいる間に、ヘリコプターはどこかへ行ってしまう。無事に患者をあずけて、さあ戻ろうとするとヘリコプターがいない。ところが道路は閉塞状態だから、交通機関はない。そのため、たとえば大阪市内の病院から被災地の病院まで一と晩中歩いて戻ったというような医師が大勢いたらしい。

 そこで問題はさらに広がり、ただでさえ足りない医師が1人の患者のために長時間あけるわけにはいかない。というので、患者の搬送もできなくなってしまった。

 そのため患者搬送のときは、受け入れ側の医師がヘリコプターに乗って迎えにくるという方法を取るべきだという意見も聞いた。急場をしのぐためには、それも止むを得ないであろう。しかし問題は、救急専用のヘリコプターがないことに発するのである。ダラス・フォトワースのようなシステムができていれば、そのヘリコプターが一時どこかへ飛んでいっても、後でまた迎えに来るように呼べばいい。そうした一切の運航調整は通信センターが担当していて、もちろん緊急事態発生の場合はそれが最優先になるけれども、その合間に医師を迎えにいけばすむことである。

 しかるに阪神大震災のときは自衛隊機や消防機は当然のこと、医師の自由にはならないし、本来の任務は別のところにあるから、患者を降ろしたらさっさとどこかへ行ってしまう。あとで迎えに来てくれなどと言おうものなら、馬鹿をぬかすなといって叱られてしまうであろう。

 このような問題は、実は大災害のときばかりではない。現に今も、離島などの急病人を自衛隊のヘリコプターが迎えに来てくれるのはいいけれども、そこの医師が付き添ってくると帰りが大変なことになる。1日か2日に一度の船を待って何時間もかかって戻っていかなければならず、その間、離島は無医村になってしまうのである。

 このような悲劇、もしくは笑えぬ喜劇は救急ヘリコプターが自在に飛んでいる欧米では考えられない。真面目に論じるのが馬鹿ばかしいほどの奇妙な問題である。






防災計画は日常体制が基本 

 ダラス・フォトワース地区の危機管理体制は、上述のような平時の問題ばかりではない。その平時の体制の延長線上に、大災害にそなえるヘリコプター防災計画がつくられている。それはHELP(Helicopter Emergency Lifesaver Plan)と呼ばれるもので、基本となるのは飽くまでも日常の体制である。したがって、この地域に何か大きな災害が発生した場合、まず行動を起こすのはいつもの通り地元の警察、消防、そしてケアフライトのヘリコプターである。

 しかし事態が大きすぎて、日常体制だけでは間に合わないと判断されたときは、この地域の中にあるヘリコプター・メーカーのベル社が呼び出される。ベル社はボランティアとして緊急事態が起こったときは3機のヘリコプターを無償で提供するという協定を、あらかじめ地元との間に結んでいる。

 そして救急患者が10人を越え、ベル社の応援だけでは間に合わないとなれば、次はテキサス州兵のヘリコプターが出動する。しかし、2機に限定されている。そして、ヘリコプターを必要とする怪我人が20人を越えた場合に初めて連邦陸軍の予備軍からヘリコプターが出てくるが、これも原則は2機だけである。

 日本では阪神大震災以来、何もかも自衛隊に頼みさえすれば万事成れりという風潮が出てきた。しかし、果たしてそれでいいのか。自衛隊の方も「愛される自衛隊」という昔からの悲願がようやく実現しかかったというので無闇にサービスに勤めるが、どこかに仕切りを設けておかなくていいのだろうか。

 何もアメリカだけが手本というわけではないが、ベル社のような企業のない地域では、州兵の出てくる前に、先ずヘリコプター事業会社や一般企業の社用ビジネス機、もしくは個人の自家用機を動員する仕組みをつくっているところもある。

 そのために地域防災を担当する自治体は、これらの企業や個人と協定を結び、出動した場合の料金を取り決め、連絡の方法を定めて、1年に1度くらいは非常呼集の訓練もおこなう。日本ならば、さしずめ9月1日の防災の日ということになろうが、あのときも何故、自衛隊機ばかりが飛ぶのだろうか。なぜ民間機を活用しないのか。自衛隊の本務は決して火山の噴火やトンネル崩壊や土石流ではないはずだ。

 いずれにせよ、こうした災害対策は木に竹をついだようなものであってはならない。火事場の馬鹿力といって、いざとなれば箪笥だって担ぎ出してみせるなどというのはウソである。したがって災害時にも本来の機能を発揮するには、ヘリコプター救急でも空中消火でも普段から実行されていなければならない。不意に大震災に襲われた阪神で、なぜ救急や空中消火にヘリコプターを使わないのかといわれても、日本の消防航空隊はもともとそんなことは考えていなかった。手も足も出なかったのは当然である。

 しかし、次に同じようなことが起こったときは、それではすまされない。世界中の多くの国で日常的におこなわれていることが何故わが国で出来ないのか。そう言われたときの責任は、いかに言い抜けのうまい官僚でも逃れることはできないであろう。

(西川渉、『地震と防災』創刊2号、97年4月号掲載)


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