ブルータスよ、お前もか

 

 10月22日の報道によれば、新井将敬なる代議士が日興証券との間で、逮捕された総会屋と同じ取引をしていたことが発覚した。

 新井君は何年か前、政治改革が叫ばれていた当時、しばしばテレビに登場してさっそうたる青年将校ぶりを発揮していた。私も期待して見ていたのだが、しばらく前、久しぶりにテレビに出てきたときは、何の話だったか内容は忘れたけれども、妙に権勢づくの発言をするので「おや?」と思った覚えがある。そして今回の事件に至ったわけで、「ブルータスよ、お前もか」というほかはない。

 新井事件の翌日、今度は大手銀行が大蔵省の検査期日を探り出すために豪華な接待をしていたことが明るみに出た。むろん本当は、検査の手ごころを加えてもらうための接待であろう。やましいところがなければ手加減をしてもらう必要もなく、したがって接待の必要もないはずだが、魚心と水心がどんなふうに絡み合っていたのか、報道された金額からしても並大抵のことではあるまい。

 私もかつて航空会社の責任ある立場にいたとき、毎年、運輸省の安全検査を受けた。あるとき担当者が「無事終わりました」といったので、「本当に無事ならばそれでいいけれども、折角の検査だから、次回からは余り準備をしたり隠したりせずに、ありのままを見て貰うように」と注意したことがある。担当者にすれば、役所からの指摘事項が多いことは会社や自分の恥になると思ってのことだろうが、その考え方が逆であることは、健康診断のことを思い出せばすぐ分かる。昔の徴兵検査ならばいざ知らず、折角の健康診断で医者の前に出て病気を隠したりするだろうか。

 特に航空の安全に関する問題は、自分でも気がつかぬうちに過ちを冒しているかもしれない。それを安全問題の専門家である運輸省が第三者の目で見つけてくれるのである。間違いがあるのに、妙に隠し立てをすると後でとんでもない事故につながるおそれがある。

 運輸省の安全検査と大蔵省の銀行検査は一緒にできぬかもしれない。しかし、なれ合いがなければ、金融破綻とか証券不祥事という大きな事故は起こらなかったのではないだろうか。杜撰ななれ合い検査がおこなわれていたことは、最近の事実が証明している。

 検査のなれ合いは銀行も悪いけれども、接待を受けた方はもっと悪い。昔から日本は金のある商人は権力を持たず、権力のある武士は貧乏が当たり前と決まっていた。大蔵官僚のように金と権力の両方を求めるのは人の道に反することだったはず。今や情けないことに、そのあたりのけじめがすっかり消え失せて、権力を得れば、それを利用して財力へ手を伸ばすようになってしまった。

 その点は新井君も同じで、政治改革を叫んでいた当時はまだ初々しかったが、わずかな間に権力を笠に着て金品を欲しがるようになったらしい。考えてみれば、大蔵出身だそうだから、どちらも同じ穴に棲んでいたわけで、本性は変わらないのである。

 新井君の手口は「借名口座」などという、素人には聞いたこともないような方法を使っていたそうである。これは何と読むのだろうか。辞書を引いても出てくるのは「釈明」という文字だけで、本人は自分から要求したことはないとか、不正取引の存在を担当者から教えられて初めて知ったなどと、借名にもならぬ釈明をしているのが不思議だ。

 そんな無知が、なぜ大蔵委員になったり、大蔵省出身だったのだろうか。そういえば1年ほど前にも、かつて税務署長をしていた大蔵次官か局長が納税の義務を知らずに多額の所得を申告していなかったことがあった。

 折から新井事件の発覚する前日、若い女性から取材をしていてあらぬ噂を立てられた映画監督が自殺した。まことに気の毒な話で、新井君も身の潔白を主張するならば死をもってとはいわぬまでも、代議士をやめるくらいの気概と誇りを見せたらどうか。「恥を知れ!」ということである。

 それに、借名だか偽名を使った理由が将敬という名前が珍しくて、人の目につきやすいからという。それならば「新井証券」とか「新井五右衛門」とでもしておけばよかった。そんな男が大蔵委員である上に、ゆすりたかりの大蔵省が日本国の財布を握って予算を決めるのだから、これはもう追い剥強盗が奪い取った金の山分けをしているようなもの。

 現今の金融・証券界の混乱も当然のことで、国民の被害などすっかり忘れられていることはいうまでもないが、亡国とはこういうことをいうのであろう。

 (西川渉、97.12.24、97.12.25改)

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