落語的飛行のすすめ

 

 去る3月下旬、桂文珍師匠の『新落語的学問のすすめ』(潮出版社)を読んだ。出たばかりの本で、慶応大学での半年間の講義禄をまとめたものだが、まことに面白い。たとえば次のような具合である。 

 私が慶応へ行くということになりまして、新聞がいろいろ書いてくれたんですが、早稲田へ入学なさった広末涼子さんほどの扱いではなかった(笑)。 

 事務の方とお話をいたしましたときに「これだけの金額でお願いします」といわれました。私のいただいている通常1回分くらいのギャランティですが、半年でそれだけしか出せないということで、慶応も意外と貧乏なんだなと(笑)、……福沢諭吉先生の学校なのですから、1万円札を印刷するくらいは簡単なことだと思うのですがね。(笑)

 私どものような落語家は、非常識を常識としてなりわいにしている部分があります。……ところが、どういうわけですか、発想のみならず、その行動すなわち体全体が危ないという藝人が、昔は住めました。横山やすしさんなんかはその最後の人物です。……私は大変お世話になりましたですが、交差点で見かけると、大きな声で「遊びにいこうや」と言いますから、ありがたいけど困るのです。朝まで帰れなくなることもしょっちゅうですからね。ホテルのロビーで会ったときにも柱の陰に隠れたんですよ。ところが彼は動物的勘を持っていますから「隠れてもあかんぞ」(笑)

 非常に驚いたんですが、慶応大学は先生を「くん」と呼ぶ。私も「桂くん」と呼ばれました(笑)。別に勤皇の志士でもなんでもないんですけれども。(爆笑)……聞きますと、福沢諭吉先生だけが「先生」で、ほかはみんな「くん」だっていうんですね。おかしいですねえ、「人の上に人をつくらず」と言ったはずじゃないですか(笑)。 

 本書は、こういう語り口の講義が1冊に詰まっていて、面白くてためになることこの上ない。文珍師匠は10年前にも関西大学での講義録『落語的学問のすすめ』を出している。これは評判が良くて『パート2』も出た。

 それと今回の『新』をくらべてみると、文章の中にはさまれた(笑)の文字が少ないような気がする。その理由は何だろうか。ひとつは10年間のあいだに文珍さんと学生との年齢の差が大きくなったからではないか。つまり笑いの対象について双方のギャップが大きくなったのである。

 私なぞは読んでいて面白く、あちこちで可笑しくなるのだが、本の方には(笑)の文字がない。へえ、ここで学生諸君は笑わなかったのかなと思うばかりである。

 あるいは年齢の差ではなくて、関西大学と慶応大学、もしくは関西人と関東人の違いかもしれない。関西大学はおそらくほとんどの学生が関西人であろう。それに対して慶応は無論関西人もいるけれども、数が少ない。そのため文珍さんのギャグに対する(笑)の反応も少ないのかもしれない。

 

 ところで桂文珍師匠は軽飛行機を所有し、みずから操縦して日本中を飛んでいる。その訓練を受けたのは八尾の朝日航空で、私がそこに勤務していた当時、食堂でときどき一緒になったりした。

 そして姉妹会社のエアロスポーツ・プロモーションズ社(API)からスピード・カナードを買って貰ったのをきっかけに、自家用操縦士の免許を取るまでの苦心談を講演してもらったことがある。「落語的飛行のすすめ」というのはこちらで考えた表題だが、その講演録は『コミューター・ビジネス研究』誌(No.22、1991年11月刊)に掲載して好評を博した。頭の固い運輸省からも「素晴らしい」といって褒められたが、運輸省に褒められたのは後にも先のもこれが初めてで、むろん文珍師匠のお陰である。

  しかし印刷部数800部程度の小冊子では、ほとんど人の目に触れることもなかったはず.。せっかくの面白い話がこのまま埋もれてしまっては勿体ないので、ここにその講演録を再録しておきたい。航空人はもとより、これから操縦免許を取ろうという人にも大いに参考になるであろう。そのうえ『学問のすすめ』に劣らず(笑)の多い、面白い内容である。

 

 

 どうも、こんにちは。

 私は、ただ今ご案内いただきましたように、趣味で飛行機に夢中になりまして、操縦をやっとるわけです。「どうしてまた?」とお思いかも分りませんし、総飛行時間もまだ 350時間くらいで、それほどたくさん飛んでいるわけではないですけれども、今日は飛ぶ側の立場に立ってお話したいと思っております。

 

小学生のときからパイロット志望

 ここにはご主人方も多いようですけれども、お仕事で皆さんお疲れになり、家へ帰りましてもなかなか疲れが取れません。

 こんな川柳があります。「疲れたと帰るわが家は鬼ヶ島」と、こういうふうにいわれておりまして、家へ帰ると赤鬼やら青鬼やらが居りゃあいいんですが、この頃は白鬼やら黒鬼やら緑鬼ちゅうのが居りましてね、顔中パックしております。そういうことでなかなか家に帰っても疲れが取れません。

 それじゃあ何か気分を発散できるものはないかということで、たまたま私の場合は小学校6年生の頃からパイロットになりたいという希望を持っておりました。残念ながら、うちの実家は農家をしておりますんで反対もございましたが、中学校に入りまして資料を取り寄せましたところ、私小学校3年生の頃からメガネをかけておりますけれども、視力が足りないということで、能力は足りるんですが(笑)、断念してしまいました。

 しかし飛行機乗りたいなとずっと思っていたわけです。どうしてそうなったかといいますと、実は私どもは兵庫県の滝郡篠山町というところでございます。青山藩というのがありましてね、江戸ではその藩邸のありましたところが青山通りで、藩邸の前の通りですから東京の 246号線のことをそう呼んでいるんですけれども、その青山藩の在所で育ちました。ど田舎でございます。

 ところが、そこが大阪空港のエンルートと申しまして、空港へ入ってまいります飛行機、大阪から島根、出雲、鳥取、米子などへ行く飛行機が、私の家の前――じゃなくて、家の上ですね。私とこの家、空に浮いてたら困りますから(笑)、いつも上空を通るわけです。そうすると農作業に出ていた親父は時計を持っていきませんから、飛行機がブーンと通ると

「おお、昼やな。メシにしょうか」
 と、こういうことになるわけです。飛行機が時報になっております。

 それを見て、私も
「ああそうか、あんなところで仕事する人もいるんだなあ」
 と、すごく憧れました。

 親父は地面を見て働いているわけでしょう。私は地面を見て働くというのは、どうも頭を下げているようで嫌だ。ああいう高いところで働いてみたいなと思っておりました。けれども、今もいいましたように視力が足りないということで、方向転換しまして落語家になったわけです。

 この転換の具合いが無茶苦茶なんでございますけれども、その落差がまたひどうございまして、落語家というのは話を落すわけですが、飛行機は落としたら具合い悪い。相反するものを両方やっておりますと、まことに面白いと思うんでございますよ。(笑)

  

公務員か、国鉄マンか

 落語家になりまして、これが好きで好きで、ご飯食べるのも忘れるぐらい、寝食を忘れるといいますか、それぐらい夢中になって落語をやっとったわけです。しかし落語家になりたいといいますと親が反対しまして、どうしても家業を継げなんていいます。あるいは公務員になれというわけです。

 今日は公務員の方いらっしゃいますか。いらっしゃらないことを祈りますが(笑)、親父が
「公務員というのはええぞ」

「どうして?」

「公務員というのは働いているようで働いていないのやから、あんなええもんはない。休みは必ずやってくる。その休みの日に田んぼを耕して、からだ休めるために役場行けばいいじゃないか」

 なかなかいい考えなんです。しかし、それも、もうひとつだなと思いましてほかに何かないかといいますと、今でこそJRですが、親父がまた
「国鉄マンになれ」
 というんですね。近くに篠山線というのが走っておりまして、

「篠山線はええぞ。あっこの駅は日に2回しか汽車が通らん。汽車が来るときだけ切符切りにちょちょいと行っといて、あとは田んぼ耕しとったらええ」

 しかし、よくまあ国鉄マンにならなんだことでございます。というのは、篠山線はその2年後に廃線になってしまいまして(笑)、「ああ、国鉄マンにならんでよかった」と思っていたら、JRになってしまった。そこに入っていたら、今ごろ私は国労か動労に入って、悲惨な目にあっているところだったんではないか(笑)。ひょっとすると、それも辞めて駅のコーヒーショップでケーキ売っていたかもしれませんね。

 そこんとこで、どうしても落語家になるというと親が反対します。親父は自分の父権にかかわりますから、父親の権威というやつで
「やかましい!」
 かなんかいいまして、威張れる時代なんですな。今とえらい違いでごさいますよ。(笑)

 お分かりでございますか。母という字と父という字がございますが、母という字に草かんむりをつけますと「莓(イチゴ)」になりましょ。父という字に草かんむりをつけますと、これは珍しいことに「艾(もぐさ)」という字になるわけです。

 つまり母というのはイチゴのように甘酸っぱい。父は、いざというときは子供の教育のためにお灸をすえる立場にある。本来はそういうことですが、最近はそんなことはできません。私は以前、女房に浮気がばれまして、お尻にアイロン当てられたことがございまして、三角形のヤケドの痕がついた。「愛の三角形」と呼んでいましたけれども、そのときから折り目正しい人間になった。(笑)

 

独立できぬ「バルト3国」

 そんなことはどうでもいいんで、とにかくまだ父親が権威を持っている時代ですから、どうしても落語家になるというと、親父が「あかん」いうて反対する。私を殴ろうとしましたときに、お袋というものは有難いもので、親父の振り上げたこぶしをぱっと掴みました。

「お父さん、ええがな、もう。戦争に行って死んだと思って諦めよ」
 と、わけの分からぬ説得をしました。(笑)

 私は
「すごいな、このお袋は」
 と思ったわけなんですね。母なるものは、まことに偉大でございます。

 そして落語家になってしまいましたですが、そうなっても、すぐ飛行機に乗ろうかというようなことは考えられません。お金高いやろなあと思ってましたからね。時間もないし、そんなことはでけへんでと思っていたんです。ところがどっこい、我々の先輩で、皆さんひょっとすると記憶にあるかもしれませんが、横山さんという方がいらっしゃったんでございます。(笑)

 実は私は吉本興業というところと専属契約をしておりまして、契約金をどーんと頂いて、そこで働いているわけでございます。金額は、そうですね、落合クラスのレベルと思っていただいたらいいんではないかと思います。(笑)

 しかし、考えてみると、うちは一度吉本に入りますと、これがなかなか独立できませんで、私と明石家さんま、島田紳助が吉本の中では「バルト3国」といわれておりまして、なかなか独立できない。(笑)

 売上はいいんですけど、収益が少ない。本当は収益も多いんですが、皆モスクワに持っていかれる。そのためバルト3国と呼んでいたんですけれども、今や本物の方が先に独立してしまいまして、これには驚きました。(笑)

 モスクワには桂三枝、西川きよし――このへんがおいしい汁を吸っているんですな。そう考えていくと横山のやっさんはやっぱりチェルノブイリやったなと思うわけです。(笑)

 そのチェルノブイリだった横山のやっさんが飛行機に乗っておりまして
「文珍よ、わしゃあ船もやるぞ」
 というんですな。

「自動車の免許も持っとる。自動車の免許はあるやろ、船はモーターボート持っとるやろ、それで飛行機もやっとるのや。わしはこれで陸海空を制した」(笑)

 わけの分からないことをおっしゃってまして、あァ、見事な方だなというところがあったんですね。ただ、テレビ画面に映っているのとは違いまして、本人はとても神経質で繊細な、そういう方でございました。その横山さんが私に飛行機やれ、飛行機やれというんです。けれども、できるだけ横山さんから逃げたいという気持ちがございますから、一緒にされたくないというんで、飛行機からずっと遠ざかっていたわけです。(笑)

 

 女性教官にあこがれて

 ところが、ある日『トップガン』という映画を見てしまったのでございます。皆さん憶えていらっしゃいますか、あの「ボベ、ボベ、ボーン」というテーマ曲のメロディが流れますと、トム・クルーズと女性教官との、まあ濃厚なキスシーンがございまして、なんか糸をひきそうな、納豆を食ってきたんかと思うようなすごいキスをしておりました。(笑)

「すごいな、ああいう教官がいるんやったら、やっぱり飛行機乗りになりたいな」
 と思ったのでございます。

 それが今を去ること4年ほど前のことです。しかしながら先輩の横山さんの紹介で行くというのはどうも気に食わんですね。いざという時に「俺は〜」いうて、先輩風吹かされるのがいやですからね。勉強すれば、こっちが追い越すことは分かっている。(笑)

 自分の方がきっちりしているのは知っていますから、それはお断わりしようと思って、どこで飛行機のライセンスが取れるか、自分で調べないといけません。ところがどういうわけですか、各航空会社――JALとか全日空とかJASとか、どれも商売うまいだっせ。

 JASさんも本当に商売うまくなってきた。東亜国内なんていっているときは、どうしようもない感じだったんですが、この頃は一流企業になって参りまして、ぐんぐん伸びてらっしゃいますね。ところが乗客を引き寄せるためのキャンペーンはおやりになっていますが、パイロットの養成については何も書いてないんですね。

 どうしよう、どこで調べたらええのやろと思いまして、そういうガイドブックもどこで手に入るか分からないわけです。真っ白な状態ですから。どうしたかといいますと、電話のタウンページというのがございますけれども、加山雄三さんが
「あった」
 と養老院探してはるあれですわ。(笑)

 本当は養老院探してはるのかどうか分かりませんけれども、あれ何となく養老院探してはるように見えるのが昨今ですが……。

 そのタウンページで、どこか航空会社ないかと探しますと、びっくりましたですね。やっぱり人間て「あ」のところから探すじゃないですか。飛行機のところ引きまして、一番上の「あ」のところを見ましたら「あ・さ・ひ・こ・う・く・う」いうのが載っとったんですわ。朝日航空、朝日航洋と続いて、「あ」つけとるとこはずいぶん得ですな。

 それで朝日て書いてあるから、私は母体が朝日新聞かなんかで、非常にしっかりしたところやろと思って行ったら、どっこいそれが大間違い。

 でも、いま西武さんがこれをやってくれてはるというんですね。
「西武さん有難いねえ。お蔭で飛行機やれるか」 
 そう思いながら、電話をかけました。

 

教官は稽古屋のお師匠はん

 そのとき芸名を出すとリスクがあるかもしれない。落語家だから入れないという差別をされては困りますから、私、本名は西田といいますが、
「西田と申します。ひとつ飛行機やりたいんですが、そちらの方で教えていただけますか」
「それじゃ、いっぺん来て下さい」

 じゃ行きましょかということで、大阪は八尾空港が小型機の本拠地になってるんですけれども、その空港のある場所が分からない。ウロウロしまして、やっと八尾空港見つけて、いろいろあるんですね、フライングさんもあれば、大阪航空さんもあるし、第一航空さんもある。いっぱい、ダーと航空会社があって「遊覧飛行」と書いてある旗がボロボロになって、陽に焼けたというか、雨ざらしになってしまって、それがヒョロヒョロと立ってるんですよ。(笑)

 こんなもんで大丈夫かいな思いながら、そんでも朝日航空さんというのを見つけまして、階段をトントントンと上がって行きます。

 そこで「私、先ほど電話しました西田という者ですが」といおうと思ったら、向こうで先に
「うォー、文珍さん、あんたァ、こんなところ何しに来たん?」
 といわれた。(笑)

 バリバリの大阪のおっちゃんやなァ思いながら、「何しにきたって、私が先ほど電話した西田というもんなんですけれども」
 というたら

「いやァ、あそう、飛行機やんの? へえ、やっさんの紹介?」
 こういうんですわ。

「いいえ、そやないんですけれども」
「え?、なんでえな。やっさん、ここのメンバーやで」(笑)

 しもたァー、よりによって、どうしてここへ入ってしもたんだろう。そう思ってると
「これ見てえな、名前のプレート掛けてあるやろ。クラブ員の名前ずーっと書いてあるのや。これな横山のやっさんや。ここにいてはりましたん。それの紹介やと思ったら、違いまんのか」

「違いまんねん。電話帳の朝日のあで探してきたんですよ。あいうえお順に書いてあるのを見て、それだけできたんですよ」

 横山さんも入ってはるんやったら、よっぽどやめよか思ったんですけど、この人が逃がしまへんねん。これがうまいんや。教官というのはまことに難かしい仕事でして、稽古屋のお師匠はんみたいな人ですからね。どこか褒めないかんのですよ(笑)。

 教官でヘタな人というのは、褒めるのヘタですな。ボロクソにいいますからね、教官によっては。実地飛行をやり始めた時でも
「あー違う、違う、ピッチが違う。あー回転数が違う」
 なんていっぱい言いますから。

「あー、まっすぐしか飛べへんな」(笑)
 ボロクソにいいますから、こんなもんイヤんなったでと思うと、うまいこと褒める教官がいる。こっちもそれに乗せられて、うまいことやっていくんですね。そういう意味ではベテランの方というのは褒め上手なんです。(笑)

零戦パイロットの生き残り

 我々落語の世界でも、稽古屋のお師匠さんというのはなかなかうまいこと褒めます。「あんた節がええなあ」とか「声がええわ」とか、褒めるところなかったら「あんた、すわっててもシビレがきれん」。(笑)

 いろんな褒め方をする。そういう教官のテクニックというのも大事なことだと思うんですが、そこんところでずっと教えていただきました。

 その教官というのは、私は『トップガン』がイメージにありますから、女性が教えてくれるんかと思っていたら、どっこい、これがあんた60歳くらいのオジさんでしてね。大変なベテランの、何でも3万時間か4万時間か、むちゃくちゃ乗っている人ですわ。病気みたいな人です。零戦のテスト・パイロットやいう人ですよ。そんな人がまだ生きてんのかいと思いますわ、こっちは。(笑)

 それで
「私は不時着4回した。ハッ、ハ、ハ、ハ……、運がいいですんよ」
 と笑ってますから、こんな恐いところ入って大丈夫かいなと思いました。そんなふうに、初心者というのは、ドキドキしながら入っていくんです。しかも、聞いてみると、このクラブが古い古いクラブです。

「文珍さんね、ちょっと教えて上げますけどね、この『日本アマチュア飛行クラブ』というのは大変に歴史が古くて、見て下さい、これね嵐勘十郎さんも入っていたんですョ」

 アラカンさんが入っていたって、彼らには自慢になるかも分りませんが、私はそんな古いところ大丈夫やろかという心配ばっかりです。(笑)

 次に入会金を払わないかんのですが、私ね、ここんとこは面白いと思うのですが、飛行機の入会金というのはえらい安い。普通ゴルフをしようと思っても、会員になるのにどれくらいかかりますか。それを、飛行機の会社というのは、一切取ってないですね。また、そういうことができるような設備が整っていないというのも実状でございますな。(笑)

 ゴルフ場へ行ってみて下さい。皆さん方もお感じになるでしょう。クラブハウスは充実しているわ、サウナはあるわ、お風呂は入るわ、気持ちよう家に帰れるんですよ。成績が悪かろうが、いい汗かいて帰ってこれるんですが、航空の方は全然できておりません。機体は外に放ったらかしで、昔の軍隊の悪い習慣が、いまだに残っているんじゃないかと思うくらい。(笑)

 それだったら 100万円でもいいですから、最初に取っておいて、その会費でもってファイナンスまでやれとはいいませんが、お金を上手に運用すればクラブハウスも充実できるでしょうし、飛行機もいいものが手に入るだろうと思うんですね。

初飛行ではめられる

 実際の入会金は3万円かそんなもんで、何かずいぶん安かったです。

「へぇー、こんなもんで飛行機乗れんのか」
 と思ってますと

「さあ乗りましょか」
 いうんですね。

「ええっ!?」
 と思ってますと、クラブ員のひとりの方が

「今日は慣れるために、ちょっと、あれやなあ、観光気分で乗ってもらうのがええんちゃう。わしの飛行機でも乗んなはれ」

 その飛行機は前と後にプロペラがついたスカイマスターという珍しい飛行機なんです。それに乗せてもらったわけです。飛び上がってしばらくすると

「持ちなさい」
「何を?」
「操縦桿持って」

 空中で前席と後席と、身体をななめにして、こんなになりながら入れ替わりまして、それで私が操縦桿握ったら、横のクラブの先輩の人がまたうまいんですなあ。

「うまい。筋がええなあ。もともとパイロットになるために生まれたんちゃう。落語家の方が間違いやないか」
 これが今となっては、ああ、あの時はめられたと思うんですが、本人は気づきませんから、
「ああ、そうか、俺はそんなにうまいのか」
 と思いましてね。

 実は、横のコパイ席の方がちゃんと操縦してはりますから、何があっても大丈夫なんです。飛行機の操縦桿は同じもんが2つあるわけですよ。自動車学校ですと、片方しかハンドルありませんけれども、飛行機は2つついてますから、同じことができる。

 私がキャプテン席に乗って、コパイ席の方がやってくれてはりますから、ちゃんと飛ぶわけです。けれども、うまいこと褒められたし、これはやっぱり入らなということで、そこんとこ入りました。

 ところが
「免許を取るまで、どれくらい時間がかかりますか」
 と聞くと

「そうですねぇ、 150時間くらいは飛ばないといけないでしょうねえ」
「150時間飛ぶて、1時間なんぼしますか」
「1時間36,000円ぐらいですなあ」

 たったの1時間で36,000円か、高いなあ。ゴルフやったら1日遊んで36,000円やもんなあ。飛行機はなんで1時間36,000円かと思ってましたら、やり始めて分かりましたねえ(笑)。1時間も飛べばフラフラ。もう十分です。汗ダラダラかきますから。

 教官が、その場、その場で
「あー違う、違う。バンクが深い。ピッチが違う」
 とか、いろいろ言うんですけれども、もう舞い上がってますから、自分がどういう状態になってるか、全然分らない。最初のうちは上空で教官が説明しましても、ほとんど頭の中に入ってこない。

 

試験には一発合格

 計算もできなくなります。足し算、引算、割算、掛け算――単純な計算ですけど、ナビゲーションには全部要る。けれども、そういう簡単な計算ができないんです。どうしてこんなにできないんだろうと思うと、教官がいいはることは
「やっぱり空中で聞いたら、うわの空でんなあ」 
と、しょうもない洒落をいいながらべーと飛んでたわけですよ。(笑)

 教官は
「は、は、は、おもろいでんな、それ」
 てなことをいう。こちらは、そうでっかということで 150時間乗らないかん。

 私の場合は先ほど申しましたように、吉本興業と契約しておりますから、なかなかスケジュールが取れない。これがアメリカへ行って取ってくるということであれば、集中訓練ですぐ取れるんですが、それもできない。

「週に1回しか来れませんのや」
「あーそれじゃァ、毎週来はったら、3年でいけますやろ」

 のんびりした話です。3年もかかるのかェーと思っている間に「ボベ、ボベ、ボーン」のイメージがターと遠ざかっていきます。そやけど、飛行機やり始めたというのは、あっちこっちにいうてしもうたんですね。これがええんですね。いうだけでやらんことには「あいつは口だけの男」いうことになってしまいますからね。(笑)

 そこで3年間、毎週毎週、月曜日は関西大学の講義がありますから、火曜日に訓練に行きまして、3年目にやっと免許を取りました。そのための試験は、まず5科目の学科試験があります。5科目一発で通らんことにはカッコ悪いんですね。クラブ員同士の間で
「あいつは落ちよった」
 といわれますから。(笑)

 落ちるというのはやっぱり験(げん)くそ悪いですから、一発合格――これを狙いました。そして、うまいこと受かって、よしそれで期限内に実地試験を取らないことには学科の方がまたアウトになってしまいます。またダーッと勉強しまして、1年後に実地にも合格しました。

 実地試験の試験官というのは航空局の方ですけれども、一緒に飛行機に乗ります。それも朝の9時から夕方5時頃まで試験にかかりますね。

 試験官というのも大変な仕事でして、試験をするからには全部自分でも操縦できるというんですから大変なものです。それだけ技量があるのやったら民間会社に行けばなんぼでももうかると思うんですけれども、ありがたいことです。

 

洒落が受けて合格? ムリムリ!

 ともかく試験というのは、朝の9時に口頭試問から始まりまして、それで実地に入っていくわけですね。実地の科目もたくさんございますが、夏の暑い時です。汗をブルブルかきながら離陸して、空港から5マイル離れますと「リービング・コントロール・ゾーン」(管制圏を離れます)という連絡をしておかないといけないんですけれども、やっぱり舞い上がっておりますから、それを忘れますね。

 これが減点の対象になります。そのとき試験官は右側に乗り、教官は後ろに乗っております。その教官が後から、忘れてるよということを教えたいんですが、それを教えますとこれも減点になります。

 私の実地試験は岡山空港へ行きまして、それから高松へ行き、また八尾へ帰ってくるというレグでしたが、高松を離れて5マイルのところで「リービング・コントロール・ゾーン」の連絡をコロッと忘れてしまった。

 そうしたら、操縦しておりますと、何か知らんけども椅子が動くんです。教官が後から一生懸命足でぐーっと押してるんですね。

「お前、忘れとるでー」
 てなもんですね。(笑)

 それで
「あ、そや」
 と思って、5マイルのポイント過ぎましたというレポート入れましたら、試験官も分ってるはずなんですが、まあまあちゅうような顔してはってね、どうかなと思うんですよ。

 こういう具合で、午前中ずっと実地試験しまして、午後も試験ですが、昼休みの時間に試験官から
「昼ご飯食べましょか」
 といわれた。

 一緒に飯を食べるときはだいたい受かってますよと聞いてましたから、
「そうか、一緒に飯食べようといいはってるから、これはだいぶいけてるな。だいぶいい成績やぞ」
 と思いまして、高松でうどん食べながら、こんなときに試験官がまた質問しよったら困るなと思っていたら、やっぱり聞かれた。
「どうして落語家にならはったんですか」(笑)

 全然試験と関係ない質問されまして、これは、ここんとこ笑いとらないかんなと思って、何かしょうもない洒落いうたんですよ。そしたら、むずかしい顔してはった試験官が
「へへへ……」
 と笑いはった。

 私は「受けた」と思いましてね。受けたら合格やと思ってますからね。本当は演芸の世界と違うんですけれども、ついそういう勘違いしまして、安心したのでしょうか、昼から一生懸命やりまして、汗をブルブルかきまして、それで八尾空港へたどり着きます。

 

高価なネクタイを切られる

 八尾空港まで飛んできますと、クラブの先輩たちが格納庫の上の2階の事務所にある運航部の窓から、みんなで身を乗り出すようにして待っている。そして
「文珍さん、いつもよりちょっとタッチダウンの距離が長かったんとちゃうか」
「エアスピードが遅かったんとちゃうか」
「引き起こしが遅いで」
 とか、もういろんなこというんですよ。先輩たちは私が受かるように願っていながら、どこかで滑ったらおもろいなと――人間ですから、心の片隅に悪魔のささやきを感じているんですね(笑)。それを2階からワーワーいうてるわけです。

 そうして私がスポットへスーッと入ってまいりまして、飛行後点検をして
「異常ありません。終了致します」
 と言うたものの、試験官はまだ合格とはいわない。いつんなったら合格いうてくれんのやろと思ってずっと待っておりましたら、公務員でございますから何と朝の9時から5時までばっちりお仕事なさいまして、民間だと午前中で終わるかも分からないんですけれども、公務員はきちっとしてますから5時ちょっと前の時点で、やっと
「合格です」
 と、いわれた。

 私は
「はあ良かった、やれやれ」
 と思った。教官たちも
「どうも有難うございました。今日は暑い中ご苦労さまでした」
 いうて、試験官が帰られるのをお見送りした。

 そのあと教官やクラブの先輩たちが
「いやァ、良かったですなあ、文珍さん」
 いうて、鯛は用意してはるは、酒は持ってきてはるわ、宴会しまひょで、ワーとなって、無茶苦茶になってしもた。そのあとテレビの収録2本撮りせないかんかったのですがね。

 そのとき、私、高いネクタイしてたんですけれども
「これはお祝いですから」
 いわれてチョキンと切られた。なんかそういう伝統あるそうでございます。こんな高いネクタイ切られている場合やないでと思いながら、えらい目に会いました。

 

スルメイカみたいな飛行機

 そういうふうに訓練しながら、やっと合格しようかという日が近づいているときに、APIという会社があるんですね。なんの略ですか。「エアープロモーション、いてまえ」(笑)。なんかそんなんですわ。

 そんな会社の伊藤準さんという人と中沢愛一郎さんいう人が、大利根飛行場の教官で日本モーターグライダー・クラブの方ですけれども、「スピード・カナード」という飛行機を私のところへ持ってまいりまして、しきりにデモフライトをするんですね。デモフライトですが、この機体がもう呼んでいるんです。

「文珍さんやないと買う人ないで」

 こんなもん、あんた、スルメイカみたいな格好して大丈夫かいな(笑)。みんな反対向いて飛んでるでェと思うわけですよ(笑)。後にプロペラありますから、これで飛ぶかいなと思いますが、こういうユニークな機体というのは思い切った気持がないとなかなかできませんです。安定指向している人は保守的ですから、こういう機体はなかなか買いません。私の場合は、たまたまこういう仕事でもありますし、この飛行機の特性を調べると非常に安定性が良い。

 訓練中に失速訓練というのがあるんですが、ピッチ・アップいうて、操縦桿をグーと引き上げるとエアスピードが落ちます。飛行機はエアスピード落ちるのが一番恐いわけです。スピードさえ落ちなければ、飛行機は落ちません。そこで操縦桿を引いてスピードが落ちてくると、ガタガタとなって、失速する。そのとき元に直すわけです。

 そういう訓練をずっとやってきたわけですが、私は、これがいやで、実地訓練の最初の難関なんです。ところがスピード・カナードは失速しそうになると、前に先尾翼いうのが付いてますから、勝手に頭下げよるんです。私することないんです。一番苦手なことを向こうがやってくれる。

「こんなええもんないな。ええなあ……」

 と思ったんですが、値段の相談したら高いこというんです。私はぐっとこらえて、まだ試験受かってないしと思いながら辛抱しておりました。

 そして合格した。合格すると、自動車と同じです。免許を取ると車が欲しくなる。飛行機だって自分の機体が欲しくなるわけです。

 マイカーにつづいて、マイプレーンという時代も、私はくると思っています。全国民に来るとは思いませんが、ある種、限られた人たちの中にマイプレーンが浸透していくと思いますね。その方が愛情がわきますし、訓練もできます。いつ行っても乗れますから欲しくなるわけです。

 それで「ああ、どうしようか」と思ったんですが、うちの家内は先ほどいいましたように大変恐いやさしい家内でございます。どうしようか、相談せないかんけど、そのためにはなんか断たないかんなと思っていたとき

「あんた、タバコ吸いすぎやな」
 いうんです。
「ほならタバコやめるわ」
「え、ほんま、タバコやめる? タバコやめたら飛行機買うたげるわ」
 というんですよ。

 よし、それなら健康のためにもいいし、そのうえ飛行機買ってもらえるなら、これはええと思いまして、ライターからタバコから何から、パーとゴミ箱にほかしました。

 そしてAPIへ行ったわけです。


(スルメイカみたいなスピード・カナード゙。どちらが前か分からない)

大利根河原で飛行訓練

 APIさんというのは池袋サンシャイン・ビルの32階にある。そこへ行くのがまた大変でございました。大阪の人間があんなところ探して行こう思うたら大変ですよ。駅から降りてずいぶんあるんですから。

 それで、これはすごい、32階のフロア全部APIやと思って、大きな会社に入っていったら、そこは朝日航洋と書いてあるんですよ。それでね、私みたいに皆さんに知っていただいている顔やから「あれ、文珍さんどうしたんだろ」みたいな反応がどこの会社に行ってもあるんです。ところが朝日航洋は、私が入っていくと、皆が目を伏せるんです。

「なんや、この会社は。俺は客で来てんねん。飛行機買おう思って来てるのに、愛想が悪いな」と思たんですが、後で分かったんですけども、ヘリコプターの事故がつづきまして、私は取材に来たと思われたようですね。皆が「知らん、知らん、それやめえ」いう感じでした。(笑)

 そこでAPIどこやろ思うて行ったら、小さなブースみたいなところ。そうですね、新幹線の個室かと思いました(笑)。そこんところへ招き入れられて、大丈夫かいなと思いながら、実はいよいよ欲しいんだ、と。しかし、プライスの相談もあるけれども、その前に訓練が必要だというんで、じゃあ訓練しましょうということになった。

 どこで訓練するかというと、機体はいま大利根飛行場にある。利根川の河原です。
「ええ、そこんとこまで通わないかんの?」

 常磐線ですよ。かつぎ屋のおばちゃんと同じように乗るわけです。常磐線に乗りまして、松戸から柏からガタガタ行きまして、我孫子かなんか、あの辺で乗り換えて、それでまた成田線かなんか乗り換えるんですよ。

 成田線のところに入っていってびっくりしました。馬がおるしね。ここは日本か。アメリカの西部へ来たんじゃなかろうかと思うようなところで、駅に降りましたら、その駅が『寅さん』の映画にしか出てこないような、そういう駅です。

 そこまで迎えに来ていただいて、大利根に向かった。私は八尾空港のイメージがありますから、ちゃんと整備された空港――タワーがあって、管制官がいて、誘導路があって、滑走路がそれも2本あるもんやと思っている。ところが、どんどん土手の上ばかり走りまして、はい、ここですといわれたところがビックリしましたですね。なんと河川敷にコンクリートでピッピッピッと舗装したようなところで、クラブ・ハウスはバスがボンボンと置いてあるだけ。

 滑走路は何メートルいうたら600m。八尾は1,500mありますから、600mは厳しいもんですよ。スピードカナードにはフラップがないですから、普通の飛行機のようにスピードを落として接地するというわけにはいかない。もう80ノットくらいのスピードで入っていかないことには、うまくランディングできないんです。すると80ノットでタッチダウンしてからブレーキングしても、すぐ端っこにきてしまうから、そこでキーッと止めないことには向こうのブッシュの中にはまってしまう。

 

次は計器飛行ライセンス

 こんな短かくて狭い滑走路で、なおかつ、この機体の特性としてフラップがない。しかも私が今まで訓練してきた飛行機は、固定ピッチですが、これは可変ピッチです。それに操縦桿じゃなしにサイド・スティックです。これはA320と同じやと私は誇りを持ってますが、ひじをついたまま手首だけで操縦できる。

 とにかく、これは大変なことになったと、緊張しまくって
「すいませんトイレどこですか」
 いうと
「いや、そのへんで」(笑)

 その辺の、あんた、ススキのところでやってくださいというんです。小はいいですけれども、大はどうするんですかと訊くと
「いやあ、朝のうちに済ませてきてください」

 もうヘレン・ケラーみたいなところですよ。三重苦どころじゃございません。四重苦、五重苦、六重苦ぐらいのところ。それでも関東の人は頑張っているのやというのを聞きまして、モーターグライダーというのはそれぐらい冷たい状況の中に置かれている。こら、いかんということです。

 今回の台風でも気の毒に、河川敷は水びたしになるわけですから、機体を引き上げないかんのですよ。私この間通りましたが、まあ土手の上に飛行機乗ってるの初めて見ました。びっくりいたしました。

 その間は訓練もできないし、何にもできなくなってしまうわけです。したがってもう少しどこかお金のゆとりのあるところが、ちょっとした滑空場をつくっていただけると、こんなええことはないと思うんですけれども。相も変わらず東京はそういう関宿、大利根、竜ヶ崎――狭いところしかない。

 それで、大利根から調布まで訓練で行くじゃないですか。私なんか、調布はすごい都会やと思ってますからね。調布空港はどんな空港やろと思って行ったら、それが大利根とちっとも変わらない(笑)。大事な機体がみんな雨ざらしなんですね。なんで格納庫つくらへんねん。誰が許可せえへんのやろと、不思議で仕方ないわけです。

 大阪の場合はまだ、そうして格納庫に入れられますし、滑走路はちゃんとありますし、高松、岡山あたりでVOR、ILSアプローチをして計器飛行のトレーニングもできるわけです。西の方へ行くほどいいんですね。

 私の場合は今、次の計器飛行の訓練をしている最中で、来年学科試験を受け、さ来年に実地試験を受けて計器飛行免許を取りたい。これを取らないことには、関西新空港ができて、大阪空港がある、八尾空港があるということになると、もう有視界飛行でいこうと思うたらトンネルの中を飛行機でシャーと飛んでいかないかんという、まことにむずかしい状況になるわけです。

 

何故ゴルフばかりするのか

 ニアミスなんかバンバン起こるような状況になってまいりますから、クリアランスをもらって計器飛行で許可された飛び方をしよう。そういうライセンスを取らないといけない。なおかつ航空燈台、ボルデメ(VOR/DME)が4個ほどできるというんですね。ですからロスト・ポジションすることもない。

 我々の先輩にも「ロスト・ポジション」いいまして、飛行機でどっち向いて飛んでいるか分らんようになる人がぎょうさんいるんです。もっとひどくなりますと「バーティゴ」(空間識失調)なんかいいまして、どっちが上か下か分らんようになります。そんなアホな、人間こないして歩いていたら分かるがなと思うんですけれども、空の上に上がってしまうとどっちが上か下か分らん。上空に星が見えてるから上げようと思ったら実際は漁船の灯で、そこの海へつっこんで死ぬとか、そういう事故がいっぱいあるわけですよ。

 そこで計器飛行の訓練を受けて、ずっとフードを被って、インスツルメント(計器)だけ見ながら訓練してますと、やっぱり訓練やっといてよかったなというようなことが沢山あります。自家用機の方もぜひ、計器飛行訓練を受けてもらいたいと思います。

 我々のクラブの人でも飛行機のライセンスをアクセサリーになさる方があります。

「飛行機の免許持ってんねん」

 そんなこと自慢しててもしゃあないんですね。毎週飛ばないことには技量が落ちてくる。幸い私ども関西の人間は、西側の空港がわりといいもんですから、それができるんです。

 高松も岡山も、駐機場へ置かせてくれはるんですよ。私のスピードカナードなんか1トン未満ですから、1回着陸して360円ですわ。たった360円でっせ。国の施設を使って、安く遊ぶことほどおもろいものはないですよ。これをお勧めしたいんです。公務員の方も喜んではるんですから。300 円ちょっとで1日遊べるわけです。

 こんな面白いことはないのに、どうしてみんなゴルフばっかりするんだろうと思うわけです。

「飛行機恐いでえ。落ちる」
 といいますが、そら操縦の仕方によるし、機種にもよるわけですね。

 それで、このスピード・カナードを買うときの話ですが、この飛行機には限定がつきまして、只今のところ日本で乗れるのは4人しかおらないんですけれども、その限定証明を取るために特別の試験を受けたわけです。ところが、面白いですねえ、売る側というのはこの飛行機のええとこばかりいいはりますね。

 それに対して試験官というのは有難いですよ。この機体のリスクばかり質問してきますから。こんなぶ厚い飛行規程を前の日ずっと徹夜で勉強しはりましたんとちゃうかと思うくらい、その試験官から見事に訊かれまして、私も見落としているところが沢山ありましたから、リスクのところをいっぱい教えてもらいました。それを分かった上で機体を買って、今も乗っているわけですけれど、特性のある飛行機というのは非常に面白い。

日本の文化は五流

 今度、但馬地域にコミューターのための空港ができるそうですが、私らには有難いことだと思っております。コミューター空港は地元選出の議員さんの人気取りのためといいますが、私なんかは大いにやっていただきたい。

 つまりね、電車が通ってへんところやさかい、飛行場つくって地元の人たちのアクセスの便を良くしようとするんですが、どうして電車が通っていないかというと、利用者がいないからですね。そこへコミューター空港つくったって、余計利用者はないわけです。いいですか、そんなもん空気を運ぶ「エアライン」といったって、何にも乗せんとピーッと飛んでいたってしょうがないわけですよ。(笑)

 それでも公的資金でつくった空港は、いっぺんつくると閉鎖するわけにはいきません。そこで自家用の我々が利用して遊ぶ。それが日本のレジャーの進み方なんですね。これ順番がおかしいんですけれども、日本という国はまことに不思議な国でして、前に建前があって、後に本音があるというふうにできてないことには何も認可がおりない。前に進まないんですね。

 それで私らもよく講演会に呼ばれたりするんです。このあいだも市の職員の学力アップのための講演をやってくださいというんで行ったんですが、市の職員はそんなん求めてませんよ、私に。単に「笑わせてくれ」と思っているわけです。こちらも「笑わしたろやないか」思ていくわけです。

 ところが、そういうところでも建前としては講演会という名前をつけないことには予算がおりない。

「落語会やります」
 いうたら金が出ない。これおかしな国ですね。そういう意味では文化は五流といわれても仕方がない。非常に遅れております。

 じゃあ、遅れている状況をどうしたらええのか。そういう建前でおつくりになった空港を、我々が楽しませていただくわけですが、しかし、そういう時代は、もう終ったんです。これからは、そんなやり方では遅い。時代がどんどん進んでいきますから、私の思いますのは行って楽しい空港――食事をする、お酒を飲む。空港へ行くこと自身がデートのコースに入るような空港をつくってもらいたい。

 昨日も横浜のベイブリッジへ行きました。あそこの海辺にはディスコとか、地中海のレストランとかがあるんですね。お客さんがぎょうさん入ってます。それで、橋のところにスケベっぽいですな、Hが2つも書いてあった。

 横の女の子が
「あれホンダがつくったのかな」
 いうてましたのが結構笑えましたけれども。

 そのライトがパーッと点くだけで、わーといって喜んでいるわけです。そうか、これは若い人たちが楽しむ場所が余りにも少ない。そういうふうに空港へ行って楽しんで、食事して、飛行機に乗る人は乗る。乗らない人はそれを見学する。こんな飛行機飛んでいるのを見てるだけでおもろいでっせ。下手すりゃひっくり返りますからね。こんなおもろいことないわけですよ。

 アメリカなんかもアクロバットばんばんやってくれますから、なんぼでもショーになりますね。そういうことがいくらでもできるのに、そこんところが全く手つかずになっている。こういうことでございます。

 じゃあ、そんなに空港をつくるのにお金がかかって仕方がないやないかいという意見をよく聞きます。なるほど、そういえばそうだと。それでいま大阪は関西新空港ができる。その関西新空港や八尾空港があるところへ、今度また、兵庫県が神戸沖に空港をつくるという。

 そんなもん、空港だらけでおもろいなと私は思うてるわけですけれども、どないしてアプローチしてええんやろ。計器飛行証明とらなしゃないんですね。

 

飛行機は「おしゃれ」感覚で

 今日はしゃれ半分で聞いていただきたいんですが、一番簡単に空港のつくれる方法というのをゆうべ考えました。ソビエトの空母『ミンスク』を買うことです。(笑)

 これはいいですよ。ソビエトは経済的にいき詰まってはりますし、あの空母は老朽化してどうしようもないんで、どこかの港に浮かしとくんです。それで滑走路はできる、空母に見学者はくる。こんなええことはございません。もう空港つくるよりも、空母を買うて、そこんところへ置いておく。そして、米軍にそれを撃つ稽古をさせる(笑)。これが一番ええんちゃうか。こんなええことないでと思っているんですが、これは落語家の考えそうなことやと思っていただいたらいいですけれども。

 実際にコミューター空港をつくり、コミューター航空を運営していくのは、なかなかむずかしい。実は、私がクラブで所属しております朝日航空さんも、コミューター運航をずっとおやりになってきて、最近、業務縮小をなさいました。それで聞いてみると、コミューター路線というのはなかなか採算が合わないということですね。

 それならば大きな航空会社が、コミューター航空をやればどうか。航空会社にはドル箱ラインがあって、お客が半分乗ったら儲かるところを満席で飛んでいるわけですから、そこでもうかった分をコミューター路線の方へ還元していただきたい。小さな航空会社というのは、こういうと語弊があるかも分かりませんが、大手航空会社にコンプレックスをお持ちじゃないかと思います。それでつい、コミューター路線を持つことがいいことのようにお思いになる。もちろんそれも大事なことですが、これはリスクが大きくて、赤字になることが分かっている。それならば大手の航空会社に経営をしていただくというやり方の方がいいんじゃないか。

 それよりも、今ここでコミューター研究会、何をやっていただきたいかというと、スポーツやレジャーのための航空設備というものを充実していただいて、ライトプレーンやグライダー、そして私のようなこういう面白い飛行機もあるわけですから、そういう飛行機が自由に飛んで遊べるところが欲しい。

 なおかつ、そういう人たちがちゃんと訓練できて、技量保持のためのトレーニングを、雨降りでも室内でできるような施設が必要です。私も今日午前中、室内訓練のために、羽田まで行ってリンクトレーナーの訓練を受けてきたところです。そういう設備をちゃんとつくってもらわないとなかなか日本では難しい。

 飛行機に乗ること、パイロットをやろうということが「おしゃれ」という感じにしないといけません。アウトドア・スポーツの、あのファッショナブルなことを見て下さい。カヌーみたいなペタリンコ、ペタリンコするのでも、まことにきれいな格好でやってるじゃないですか。

 ところが飛行機のパイロットというのは、相変わらずネクタイきゅっと締めて、なんか紺色の制服着て、肩んとこにひょっと変なもんつけて、それで飛ばないかんと思いこんでいる。そんなのは間違いじゃないか。もっと気楽な、楽しい、そんな航空スポーツのための設備が、日本でも充実されると、定着していくでしょう。

 私も操縦をやり始めて分かりましたが、飛行機の単発陸上の免許を取るのは、ゴルフの会員権を買うよりも安い。合計で800万円くらいです。800万と聞くと、高いと思うんですが、3年かかって800万ですよ。毎週38,000円かそれぐらいずつ払ってやっていると、そんなに懐が痛いもんでもございません。サラリーマンの方でも、月々の小遣いを切り詰めればやっていけるというような金額だと思います。

 これから週休2日制がどんどん増えていくわけですから、土曜日と日曜日に楽しめるような、そんなレジャー設備を増やす。そして、空港に行って飛行機やグライダー、ライトプレーンに乗る。乗らなくても、そこでデートのできるような、そんな施設ができるといいのではないかと思っております。

 そういうわけで、レジャー空港が1日も早くできて、私たちが無事に遊びに行き、また技量を磨けるような施設が充実していけばいいなと、こういうふうに思っているわけです。

 

女性でも楽しめる空港を

質問 時間にして毎週どのくらい飛んでおられますか。
文珍 毎週最低2時間は飛んでますね。

質問 八尾空港からですか。
文珍 そうですね。この間は八尾から鳥取へ行ったりしました。
 それと、さっき言い忘れましたですけれども、大利根からカナードで松本空港へ行きましてね。松本空港いったら管制官が暇なんでしょうね。写真は撮るわ、サインはこんなにさせられるわ。どうぞ上へ上がってください言われて、上がったって別にどうということないんですが、そこで写真をいっぱい撮りました。

 松本空港は山のところからずっと降ろして行くんですけれども、その頃はまだ不慣れでしたんで、着陸して「あー、やれやれ」と思っていると、管制官の方が
「ご苦労さんでした。どうですかタバコ」
 言いはって、うっかり
「有難うございます」
 いうて吸うてしもうてからタバコやめられんようなりました。

 禁煙してたのが、また家庭不和の原因になりまして、いま困っております(笑)。パイロットの方はだいたいがタバコ吸いますね。大変な緊張感をどこかでお持ちになっているわけですね。

 緊張感をほぐすという意味では、日本の空港はどこもみな同じで、滑走路があって、誘導路からずっと入ってくるとターミナル・ビルがある。皆そんなんばっかりですわ。せっかくやから、私はリゾート用、レジャー用の空港にはサウナやカラオケ・ボックスがあったっていい。そういう設備ができてもいいんじゃないかと思ってるんですけれども、そういうの一切ないですね。

 風呂もないですから、もう訓練して汗ダラダラかいているのに、シャワーの設備もないというのが現状であります。ひどいところはトイレもないんですよ。だから、公にばかり頼ってると同じ空港ばかりで面白くないんで、もう少し民間のみなさんのお力で楽しい空港をつくっていただければと思うんです。すると若い人たちが寄ってくる。若い女の子が寄ってこないと、男の人は寄ってきませんよ。

 女の子が「かわいいね、ここ」というような場所をつくらないと、もうレジャーとしては難かしいですね。女の人でライセンスお持ちの方もたくさんあるわけですから、女性でも気楽に楽しめる場所がどこかにできればと思っておりますね。

 

 以上が1991年10月4日、桂文珍師匠による第44回コミューター・ビジネス研究会での講演と質疑応答の要旨である。録音テープを聞きながら、私が文字に起こして、文珍師匠に見て貰い、それを活字にした。


ドイツ製のジャイロフルク式スピードカナードは2人乗りの軽飛行機で、機首にカナード翼と呼ぶ水平安定板がつき、尾部にはプッシャー・プロペラがつく。しかもレシプロ単発機としては速度がはやいのも大きな特徴。日本にはこれ1機しかないという珍しい機体である。

(西川渉、2000.4.3)

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