<AMTC2012>

二途物語

 

  去る10月下旬、アメリカ航空医療学会(AAMS)の総会(AMTC2012)がシアトルで開催された。私も出かけてゆく予定だったが、不意の悪疾に見舞われ、断念せざるを得なかった。残念だったのは毎年楽しみにしているシカゴ大学アイラ・ブルーメン教授の講演が聴けなくなったことで、やむなく航空医療搬送研究所(JIAT)の松尾晋一氏にお願いして、講演スライドを写真に撮ってきていただいた。それを見せていただいた結果、私の理解できた部分を記録しておくべきではないかと思うに至った。極く一部ではあるが、その要約は以下のとおりである。

 講演の表題"A Tale of Two Rotors"はディケンズの「二都物語」が背景にある。日本語では「二途物語」という題名にしておこう。内容はアメリカの救急ヘリコプターの事故について分析し、事故をなくすにはどうすればいいかを考えたものである。

 アメリカのヘリコプター救急はベトナム戦争の負傷兵救護の実績を踏まえて、米国内でも1960年代後半から軍や警察が時折り試験的におこなうようになった。それが専用機による日常的な救急体制として、病院を拠点に飛び始めたのは1972年のことである。

 したがって今年はアメリカのヘリコプター救急40周年にあたり、40年にして拠点数は全米776ヵ所、機数は予備機を入れて942機となった。2012年9月現在の拠点配備の状況は下図のとおりである。拠点数に対して機数の多いのは、アメリカのヘリコプター救急が昼間だけでなく、24時間対応になっているためで、21%増に達する。それだけ経済的負担が大きく、さらに安全上のリスクも大きいという問題がある。

 これらの救急ヘリコプターは、1機あたり年間およそ500時間を飛ぶ。全機合わせた総飛行時間は年間37〜38万時間。救護される患者は年間27万人ほどになる。

 このように救急拠点が増え、事業規模が拡大すれば、それだけ多くの人が命を救われる。まことに喜ばしいことだが、一方で命を落とす人が出てきた。救急ヘリコプターの事故の増加である。


アメリカ救急ヘリコプターの事故発生件数

 上の図によれば、救急ヘリコプターの増加と共に事故も増加した。とりわけ1998年頃から急増する。97年以前は年間平均5件の発生だったが、98年からこの講演がおこなわれた今年10月19日までの平均は年間12.73件と2.5倍になった。

 ただし最近は減少傾向にあり、2011年は事故6件で死亡事故1件、12年は事故4件で死亡事故ゼロである。その結果、講演当日までの死亡事故ゼロの日数は連続422日となり、今もその状態が続いている。これは過去16年間の最長記録であり、この日数が今後いつまで伸びるのか。「みんなで木の机を叩いて幸運を祈りましょう」。

 しかし、ヘリコプターの事故は木を叩いて(knock on wood)なくなるようなものではない。リスクは、われわれの身のまわりの至るところに存在する。職業にも、旅行にも、食品にも、遊びにも、投資にも、あらゆるものに付随する。ヘリコプター救急にあっても、これまで530万以上の人を救ってきたが、その一方で290人の人命が奪われた。

 すなわち、1972年から2012年(10月19日)までの40年間に、ヘリコプター救急事故は300件発生した。そのうち106件が死亡事故である。300件の事故のうち、290件は救急専用機、10件は警察、消防などの兼用機であった。

 この300件の事故に896人が巻きこまれた。うち死者は290人、重傷者100人、軽傷者112人、無傷394人。さらに死者290人中246人は運航または医療のクルー、35人は患者、その他9人であった。

 夜間飛行の危険性も見逃せない。事故が急増した1998年から2012年までの間に起こった事故のうち、48%が夜間に発生している。つまり事故の半数近くが夜間だが、夜間飛行そのものは全体の3分の1である。また夜間の事故の66%が死亡事故であった。

 これらの事故について、米運輸安全委員会(NTSB)の掲げる要因は、ヒューマン・ファクターが94%、天候不良が25%、機械的な不具合が24%、CFITが21%、救急現場における離着陸時の事故が19%、操縦不能が19%、障害物への衝突が17%、原因不明が3%であった。つまり、複数の要因が重なり合って事故に至るわけで、、ヒューマン・ファクターの比重が最も大きい。次いで天候不良が大きな要因で、気象の変化に起因する事故の58%で死者が出ていることは特に注意すべきである。

 

 そこで事故を減らすには、リスク管理が必要とブルーメン先生は説く。最初に考えるべきは、リスクとは何か。なぜ生じるか。どのような形で襲ってくるか。そして、これらのリスクの程度、頻度、結果を、あらかじめ想定し、そのうえでリスクを取り除くにはどうすればいいか、その方法を考え、実行に移さなければならない。たとえば次のようなリスク軽減策が考えられる。

・現場救急は昼間のみとし、夜間は照明設備のととのったヘリポートや空港の間だけを飛ぶ。
・現場救急にあたっては、あらかじめ設定確認された場所だけに着陸する。
・双発機を使用する。
・パイロットは2人乗務とする。

 これら4点のブルーメン提言は、実は殆ど日本のドクターヘリが実行している。とりわけ救急現場の着陸場所はグラウンド、公園、河川敷、空地などをあらかじめ調査し、その土地の所有者や管理者に協力を要請し、安全が確認されたところに着陸する。これを「ランデブーポイント」と呼び、番号や名前をつけて消防本部との間で情報を共有し、救急現場に最も近いポイントに救急車が患者を搬送してくると、ヘリコプターで飛んできたドクターがその場で救急治療をおこなう。そして、患者の容態が安定したところでヘリコプターや救急車に乗せて病院へ搬送する。

 また、パイロットは2人乗務ではないが、整備士が横に乗って副操縦士とほとんど同じような役割を果たしている。

 さらにブルーメン先生は問いかける。「救急飛行の安全を確保するのは誰か。法律をつくる政治家か、安全法規を執行する航空局か、事故調査委員会か、自治体か、警察か、消防か、病院か、ヘリコプター業界か、運航会社か、操縦桿を握るパイロットか」と。答えは「否――あなた自身である。安全は他人から与えられるものではない」。

 したがって「あなた自身、立ち止まってよく考え、賢い道を選ばなければならない」というのがブルーメン先生の結論になっている。つまり、バカか利口か、暗愚か賢明か、道の選び方によってヘリコプター救急の前途が分かれる。表題の「二途物語」が意味するところである。

(西川 渉、2012.11.5) 

 


今回のアメリカ航空医療学会総会の会場に設けられた追悼室。
室内では、松尾さんによれば、これまでの救急機の事故による殉職者の写真と名前を
事故の日付、場所、状況などと共にスライドショーのような形で延々と映し出していた由。

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