<救命力>

翔べ、ドクターヘリ

 

 命は壊れやすい。さっきまで車の後席ではしゃいでいた幼児が追突してきたトラックに引き裂かれる。大型耕耘機で畑仕事をしていた農夫が、地面の凹凸で機械と共に転倒し鋭い刃に突き刺される。ゆっくりと入浴を楽しんだ老人が、風呂場から寒い外へ出たとたんに倒れる。ぐっすりと眠りこんだ男が静かに燃え広がるタバコの火に包まれる。

 そんな緊急事態に遭遇した人を救うのが救急医療体制である。全国に119番の電話受付網が張りめぐらされ、救急車と救急隊員が配備され、病院にはドクターとナースが待機する。しかし救急患者の誰もが常に万全の保護下にあるとは限らない。救急医療に最も要求されるのは迅速な初期治療だが、手遅れになることも少なくないのだ。

 手遅れを防ぐにはどうすれば良いのか。消防本部は119番の電話を受けると、直ちに救急車を走らせる。現場到着までの時間は2002年の実績が全国平均6.3分。救急隊員はそこで多少の応急手当をしたのち、患者を医療機関へ搬送する。病院到着までの時間は平均28.8分だった。

 これらの数字は一見して早いように見えるが、東京や大阪などの大都市を含む全国平均である。病院到着までの時間が30分以上かかった事例は全体の35.9%を占めるし、1時間以上は3.6%――実数にして16万件を超える。

 さらに心臓停止患者は約3分で半数が死亡し、呼吸停止の場合は10分で半数が死に至る。2002年中に救急車で搬送された心肺停止患者は91,691人だったが、1か月後の生存者は2,357人にすぎず、約95%の人が死亡した。その殆どが手遅れのためであった。

ドクターヘリの救命力

 こうした実状が示すように、救急体制は地上搬送だけでは手遅れになる。そのことに気づいた欧米先進諸国は、いち早くヘリコプターを救急体制の中に組み込むようになった。今から30年余り前のことである。しかし同じ先進国であるはずの日本だけが、高い医療水準を持ちながら、ドクターヘリの導入に踏み切ったのはつい2〜3年前にすぎない。

 ドクターヘリは病院を拠点として待機し、出動要請から2〜3分で医師と共に現場へ飛び、その場で初期治療に当たる。その導入にあたって、当時の厚生省は高度救命救急センター2か所を選んで試行的事業を実施した。その実験運航で、ヘリコプターによる救急治療を受けた患者は1年半の間に756人。うち130人が死亡したが、もしもヘリコプターがなければ243人が死んだと推定される。また重い後遺症の残った人は79人だったが、救急車だけならば133人になったであろう。さらに障害が残らずに社会復帰のできた人は343人だったが、ヘリコプターがなければ176人にとどまったと見られる。

 つまりドクターヘリによって死者と後遺症はほぼ半減し、社会復帰を果たした人は倍増したのである。ここにドクターヘリのすぐれた救命力が実証されたことになる。

ヘリコプターでも手遅れ

 しかし残念ながら、ドクターヘリの普及ははかばかしくない。最近ようやく8機目の活動が始まったが、全国の都道府県に1機ずつ配備するとすれば約50機、ドイツなみの密度を考えるならば約70機、スイスなみなら約120機が配備されなければならない。

 では何故、このように普及しないのか。基本的にはヘリコプターの運航費の問題であろう。現状は、ヘリコプターの年間1.8億円程度の経費を国と自治体が半分ずつ負担することになっている。しかし自治体の方は財政難の折から、それだけの予算が取れないというのである。

 そのうえ全国には消防・防災ヘリコプターが配備されている。先ずはそれを活用すべきだというのが大方の考え方である。なるほど予算の節約ができて合理的な施策のように見えるが、実際は消防・防災機には消火、救助、情報収集、緊急輸送などさまざまな任務が課せられている。救急だけに専念するわけにはいかないのだ。

 2002年の実績でも全国68機の消防・防災機による救急出動は合わせて2,068件。1機平均30件で、ドクターヘリの出動にくらべて10分の1以下であった。言い換えれば実際は10倍以上の患者さんがヘリコプターを必要としていたのである。

 そのうえドクターヘリと違って医師が乗っていないし、出動までの手続きが複雑だったり、装備品の着脱に手間取って時間がかかる。せっかくヘリコプターを使いながら、ここでも手遅れの問題が残るのである。

 同じ消防署に消防車と救急車が配備されているように、ヘリコプターも救急専用機でなければ、本来の救命力は発揮されない。現状は消防車だけで消火も救急もやりますと言っているようなもので、救われないのは管内の病者である。都道府県の医療担当ならびに県会議員の皆さんには、そのあたりの筋違いをよく理解していただきたいと思う。

費用負担は社会保険で

 このように、日本の「救命力」は本来の1割以下にとどまっている。ドクターヘリがもしも今の10倍程度、ドイツなみに配備されていれば、死なずにすんだ人は10倍くらいに増えるであろう。

 そこで、もう一度初めに戻って、どうすればドクターヘリを増やすことができるだろうか。ひとつは経費負担の問題だが、これは先進事例のほとんどの国でおこなわれているように、健康保険、労災保険、自動車賠償保険などを含む社会保険や民間医療保険などで負担する制度をつくるべきであろう。

 そうは言っても、たとえば健康保険は財務内容が苦しく、ヘリコプターの経費などとても負担できないといわれるかもしれない。しかし運航費は上述のように年間1.8億円の50機分としても90億円にすぎない。年間30兆円を超える医療費総額に対しては0.03%でしかない。医療費の扱い方をわずかに合理化するか、査定の程度をちょっと上げるだけで、このくらいの数字は捻出できるのではないだろうか。

 そればかりか、ヘリコプター救急によって病気の治癒が早くなれば、それだけ医療費や入院費も軽減される。さらに今の制度を半分だけ生かし、国の負担を残すことにすれば保険負担は半分ですむことになろう。

 ほかにもドクターヘリの救命力をはばむ問題点はいくつもあるが、その中から一つだけ上げると、全国約165か所の救命救急センターのほとんどにヘリポートがない。これは郊外の大型スーパーストアに駐車場がないようなもので、買い物客を呼べないのと同様、救急患者を受け入れることができない。

 厚生労働省は毎年、救命救急センターの充実度を評価している。しかし、評価基準の中にはヘリコプターやヘリポートのことは全く触れられていない。救急病院の充実もドクターヘリの活用も、救命救急体制の機能強化、すなわち救命力の向上を目的とするものである。同じ役所の同じ部局で、同じ目的の施策に関連性がないのはどうしたことだろうか。

 公明党は昨年秋、総選挙に向けた政策綱領「マニフェスト100」の中で「救命医療の切り札、ドクターヘリの全国配備」を公約している。それによると「ドクターヘリの拠点地域を4年以内に3倍へ拡大します。10年後には各都道府県1ヵ所、50ヵ所地域の整備をめざします」という。この公約実現のために、公明党には法規の制定など、与党として具体的な行動を起こして貰いたい。

 日本の救急体制は余りにも不完全である。一刻も早く「救命力」を高めなければならない。

(西川 渉、『WING』2004年5月19日付掲載)

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