ボーイング・ヘリコプター
CH-47チヌーク

 

 チヌーク・ヘリコプターと聞いて思い出されるのは、今から10年余り前、まだ羽田〜成田間のヘリコプター旅客輸送が構想段階にあったとき、これを実行に移すには大型ヘリコプターが必要という意見があって、ボーイング・バートル社へ民間型チヌークの調査に行ったときのことである。

 ボーイング社が、それならばというので、羽田〜成田間を模した区間でこの大型機を飛ばし、われわれ一行も同乗してシミュレーション・テストをしてくれた。小雪の散らつく寒い日であったが、フィラデルフィアの工場から数十キロ離れた小さな空港まで、一行数人はテスト用のチヌークに乗りこみ、30分近い飛行をした。

 そして先方に着いたとき折から昼どきというので、その空港にあった古風なレストランで昼食を摂って戻ってきたが、考えてみれば、あんなに高価な昼食は後にも先にも食べたことがない。チヌークで昼食を食べにゆく――これは私の生涯で最も贅沢な昼食ではなかったかと思う。

 民間機としてのチヌークは、西側世界最大のヘリコプターである。軍用機としても計画当時は最大であった。したがって価格も最高で、だからおいそれと導入できるものではなかった。それだけに、これを成田〜羽田間に飛ばせられなかったのは、残念ではあるが止むを得ないことだったのかもしれない。

 ここでは、その最大、最高のヘリコプターについて、詳しく見てゆくことにしたい。

 

チヌーク大型機の基本構造

 チヌーク・ヘリコプター誕生のきっかけとなったのは1958年、米陸軍が戦場移動能力の高い「空中機動部隊」を構想し、そのための垂直離着陸輸送機の開発競争を催したことである。完全武装兵員40人または機内ペイロード2トン、もしくは機外吊り下げ8トンの搭載能力を持つVTOL機が要求され、ヘリコプター・メーカー5社が提案を出した。

 その中から1959年3月、バートル・モデル114が採択され、原型5機の製作がはじまったのである。

 その基本構造は、バートル社がピアセッキの時代から長年にわたって踏襲してきたタンデム・ローター形式。具体的にはバートル107(CH-46)を基本としたものだが、それよりもはるかに大きく、内容的にも最新の技術を採り入れて近代化されていた。

 ローターは前後に2つ、大きなパイロンの上に取りつけられている。ブレードはそれぞれ3枚、相互に反転し、回転面の一部が重なり合う。回転数は225rpm(回転/分)。ローターヘッドはフラッピングおよびドラッグ・ヒンジつきの古典的な関節方式で、ローター・ブレーキも装着できる。

 2つのローターは長大なインターコネクティング・シャフトで連動する。これでエンジンの片方が停止しても、ローターは片発だけで双方同じように回転を続けることが可能。

 エンジンは胴体後部上方、後方パイロンの左右に張り出すように取りつけられ、両エンジンからの出力軸は共通ギアボックスに入り、トランスミッションを介してローターを駆動する。

 胴体はセミモノコック構造。キャビンは大きな箱形で、断面は前方から後方まで変わらない。コクピットを除く主キャビンの大きさは長さ9.30m、幅2.30m、高さ1.98m。兵員33〜55人、または担架22人分と看護兵2人の搭載が可能。胴体下面は水密で、着水しても水は入ってこない。

 キャビン後方にはランプ・ドアがつく。入口の大きさは高さ1.98m、幅2.30mで、ここから大型貨物や車両の搭載も可能。このドアは飛行中でも完全開放または部分開放ができる。したがって特別に長いものも積めるし、戦闘状態にある第一線へ補給物資を投下したり、パラシュート部隊を降下させることも可能。

 操縦席は2席。ほかにジャンプ・シートがあって、戦闘隊長または指揮官が乗ることがある。操縦室左右のドアは取り外し可能。

 機体下面には3つのカーゴフックがつく。中央フックは最大吊り上げ容量が11トン、前後2つのフックはそれぞれ7トン、または2つ合わせて10トン余り。これらのカーゴフックは床面パネルを外して機内からでも見ることができるので、吊り下げた貨物の状態を監視しながら飛行することも可能。前方右側のドア上方には吊り上げホイストの装着も可能で、これにより遭難者の吊り上げもできる。

 降着装置は固定脚。4本の脚があって、前方2脚には各2つずつ、後方はひとつずつの車輪がついている。

 

タンデム形式かシングル形式か

 ところで、バートル機のようなタンデム・ローター形式のヘリコプターとシコルスキーに代表されるようなシングル・ローター形式は、優劣どちらがすぐれているのだろうか。その論議は昔から続いてきたが、とりわけ1950年代末から60年代初めにかけてバートル107とシコルスキーS-61が開発されたとき、双方同じくらいの大きさで同じような用途だったために、相譲らずに議論を闘わせた。

 改めて、どちらのローター形式が良いかは読者に考えていただくとして、ここではボーイング・バートル社の主張するタンデム・ヘリコプターの利点をご紹介しておきたい。

 その第1は、タンデム機はエンジン出力のすべてを揚力として使うことができる。シングル・ローター機は出力の10〜15%が尾部ローターに取られるから、揚力としては85〜90%しか使えない。言い換えれば、シングル・ローター形式はトルク打ち消しのために無駄な出力を費やしているのだ、と。

 第2にタンデム機は機体の前後にローターがあって揚力を発揮するから、重心位置(CG)の許容範囲が大きい。チヌークの場合は前後1.2mもあり、それだけ自由に人や物を搭載することができる。それに対してシングル機は一点で揚力を支えているからCG範囲がせまい。同クラスのヘリコプターではチヌークの半分くらいしかなく、それだけ積み荷の範囲が制限される。

 第3にタンデム機はシングル機よりも急減速が可能だから、急角度で迅速な着陸ができる。軍用機としては、その分だけ敵の目に触れにくく、砲撃を受ける機会も少ない。

 第4に胴体後方のランプ・ドアから貨物の積み卸しをする場合、シングル機はテールブームが邪魔になってトラックがドアのそばまで近づけない。ところが、テールブームのないタンデム機は、トラックをすぐそばまで近づけることができるから、貨物の積み卸しが楽になる。

 第5にタンデム機はどんな風向きに対しても、自在に対応できる。シングル機は横風や背風に弱く、飛行が制約される。最後にタンデム機はローター直径が小さい。したがって横方向に障害物のあるような場所に着陸しなければならないときは、シングル機よりも有利となる。

 

 

チヌークの誕生と成長の足跡

 こうしてチヌークは、巨大なタンデム・ローター・ヘリコプターとして開発された。その誕生から現在までの成長の跡を、各型についてたどってみよう。

 原型機はYHC-1B。試作が決まったのは1959年6月、米陸軍がバートル社との間に5機の製作契約を結んだときであった。1号機は1961年4月28日にロールアウトしたが、同機は地上テスト用だったために、チヌークとしての初飛行は原型2号機によって1961年9月21日におこなわれた。そして1962年4月、初めてのテスト用チヌークがYCH-47Aとして米陸軍へ納入された。

 最初の量産型チヌークはCH-47Aである。エンジンはライカミングT55-L-5(2,200shp)2基を装備していたが、のちにT55-L-7(2,650shp)に改められた。ローター直径は各18mで現用チヌークよりもやや小さい。胴体長15.54m、全高5.77mは現用機と変わらないが、総重量は15,000kgとかなり軽く、機外吊り下げ重量も5トン余であった。最大速度は281km/h、巡航速度241km/hで、ペイロード5トンを搭載したときの行動半径は300km余りである。

 この量産型CH-47Aは、まず1960年に5機が発注され、次いで61年2月に18機、さらに61年12月に24機が発注された。そしてまた追加発注がおこなわれ、最終的には52機が調達された。1号機が納入されたのは1962年8月16日である。

 改良型のCH-47Bはエンジン出力が強化され、T55-L-7C(2,850shp)2基を装備する。ローター・ブレード前縁、後方パイロン、後部胴体の形状など、こまかい部分が再設計され、飛行性能が改善された。原型機の初飛行は1966年10月初め。米陸軍への納入がはじまったのは1967年5月10日であった。 

 その動力系統を強化したのがCH-47Cである。エンジンはT55-L-11A(3,750shp)に換装され、トランスミッションも強化されて、燃料タンク容量は3.944 に増えた。初飛行は1967年10月14日。 新製機は1968年から270機が米陸軍へ引渡され、1968年9月からベトナム戦線へ送り出された。

 のちにCH-47Cは182機が複合材製のローター・ブレードに変わり、1973年には総合スパー検査装置(ISIS)や耐衝撃燃料タンク(CWFS)がついて、いっそう安全性が向上した。

 やがて1980年代に入ってCH-47Dが登場する。

 

現用標準型CH-47D

 CH-47Dは20年間にわたって成長してきたチヌークのいわば完熟型で、現用チヌークの標準的な型式である。その開発は1976年、当時のCH-47A、BおよびCを1機ずつ改造し、すべてをCH-47Dとする計画によってはじまった。

 改造1号機の初飛行は1979年5月11日。量産契約は1980年10月に結ばれ、量産型1号機は1982年2月26日に初飛行した。米陸軍へ初めて納入されたのは1982年3月31日である。

 CH-47Dへの改造内容は大きく13項目に及ぶ。まず機体を裸にして一部を補強しながら、必要な修理を加えて再仕上げをほどこす。このとき複合材を多用し、使用量を10〜15%まで高める。エンジンは、それまでのT55-L-7CまたはT55-L-11を取り外してT55-L-712(3,750shp)に換装、潤滑および冷却装置と共に強化トランスミッション(7,500shp)を取りつける。

 1991年1月から改修工事に入った100機のCH-47Dについては、エンジン空気取り入れ口に異物セパレーターもつくようになった。

 ローター・ブレードは金属製からグラスファイバー製に改める。また暗視ゴーグル付きの新しい操縦系統、追加電気系統、最新の自動操縦系統およびアビオニクス類、太陽電池を取り入れた補助電源、加圧式燃料補給装置、3点式カーゴフックなどを取りつける。

 こうした改良により、CH-47DはCH-47Cにくらべて運用有効性が58%向上した。また整備点検作業に必要な工数は、飛行1時間あたり45%減となり、機材上の理由による飛行断念は22%減となった。

 運用能力は最大全備重量が22トンを上回り、有効搭載量はCH-47Aの2倍に達した。ペイロードも10トンを超え、たとえば155ミリM198曲射砲、砲弾32発、兵員11名を一時に搭載することが可能となった。あるいは11トンを超えるD5ブルドーザーを中央カーゴフックに吊り下げることもできるし、米陸軍のミルヴァン補給コンテナを吊り下げて250km/h以上の高速で飛行することも可能。さらに3つのカーゴフックにゴム製の燃料補給袋を最大7個まで吊り下げて輸送できるようになった。

 1988年にはCH-47Dに空中給油を受けるための特別改修がほどこされ、C-130からの空中給油が可能になった。給油中の速度は最大222km/hで、給油時間はわずか6分間である。

 なお1990年から91年にかけて、米陸軍は163機のCH-47Dを湾岸戦争へ派遣した。このときの飛行時間は16,955時間に及び、戦闘時の稼働率は85%であった。戦場で失われた機体は2機に過ぎない。また1991年2月24日の戦闘には90機近いチヌークが出動、史上最大のヘリコプター進攻作戦を展開した。

 

民間型チヌーク、モデル234

 こうしたCH-47Dが完成した初期の頃、それを基本として民間型チヌーク、モデル234が開発されることになった。計画がはじまったのは1978年夏で、大量の人員を沖合い遠くまで輸送する石油開発の支援が主な目的である。

 モデル234はCH-47Dの機体構造を基本としながら、ローター・ブレードは軍用型の金属製に対してグラスファイバー製となり、翼弦も幅が広くなった。これらは相互に互換性を有し、整備費の節約を可能にした。

 エンジンはライカミングAL5512ターボシャフト(4,355shp)が2基。オーバホール間隔(TBO)は軍用機よりも長く、1,800時間であった。

 機首は気象レーダーが収納できるように長く延び、前輪の位置も軍用機より前に移動した。胴体側面には大きなフェアリングがついて燃料タンクが大きくなった。容量は軍用型の約2倍で7,949 。この長距離型234LRは、乗客数が44人乗り。機内は左右4列の座席配置で、中央に通路が走り、キャビン後方には大きな貨物室がある。乗員は3人。これを貨客混載型にすれば、乗客11人と貨物7トン余の搭載が可能であった。

 長距離型の234LRに対する多用途型234Uは、胴体側面のフェアリングが小さく、燃料搭載量が少なくなる代わりに最大12.7トンの重量物吊り上げ能力を持つ。ただし、この2種類のモデルは容易に相互転換が可能で、転換に要する作業時間は技術者2人で8時間ほどである。

 こうした民間型チヌークは、1981年6月に型式証明を取得、まず英国航空ヘリコプター事業部から6機が発注され、同年7月から北海の石油開発支援のために飛びはじめた。つづいてノルウェーのヘリコプター・サービス社、アラスカのARCO石油会社からも注文が出て、いずれも石油開発の支援に使われた。

 その後は、しかし、石油開発が下火になるにつれて、用途は重量物運搬へ移り、現在は米コロンビア・ヘリコプター社が9機を買い集め、12トンという吊り上げ能力を生かして重量物輸送に使っている。とりわけ木材搬出が主な仕事で、1機はマレーシアの森林地帯まで出かけており、近くニューギニアへも行くと聞いた。

 なお最近、コロンビア・ヘリコプター社のチヌーク1機が月間274.6時間の飛行をしたと伝えられた。これは1995年5月、木材搬出作業に当たっていたときの記録で、毎日9時間の飛行をしたことになる。同機がこの間に搬出した木材は38,000トン。大量の木材はヘリコプターから川の中に落とされ、そこから筏に組んで、河口まで送り出された。チヌークとして、またヘリコプター一般としても、過去最高の月間飛行時間記録と見られる。

 なお民間型チヌークは、台湾へも3機が輸出された。ただし実態は台湾陸軍の軍用機として使われている。

 これに対して中国も最近、民間型チヌークのライセンス生産を計画中と伝えられた。報道によれば、中国のハルビン航空機工業公司がボーイング・ヘリコプター社と交渉中とのことで、交渉の内容は、中国側が工場にチヌーク生産ラインを設けるというもの。ハルビン工場は、これまでにもユーロコプターAS365NドーファンUなど西側ヘリコプターをライセンス生産したことがあり、最終的に実現するかどうかは1996年なかばにも決まる見こみ。これが実現すれば、10年以上も中断していた民間型チヌークの生産が復活することになる。

 

特殊作戦機MH-47E

 米陸軍のCH-47Dは1980年代後半、特殊作戦用に改修した派生型のMH-47Eを生んだ。その任務は昼夜を問わず、天候や地形の如何にかかわらず、超低空で敵地へ侵入し、560kmの奥地まで往復、5時間半で戻ってこられること。成功率は90%以上でなければならないというもの。

 さらに米国から欧州まで自力展開ができるよう、2,220kmの空輸能力を有し、兵員44人と火器の搭載も可能でなければならない。

 開発計画は1987年にはじまり、同年12月2日に試作注文が出された。その内容はCH-47Dを基本としてエンジンをT55-L-714(4,867shp)に換装、出力の強化と同時に完全ディジタル方式のFADEC燃料コントロール装置を取りつけ、燃料タンク容量を2倍の7,828 まで増やし、機内にも662 を搭載しながら、空中給油もできるようにする。

 また電子装備は最新の統合アビオニクス・システム(IAS)を採り入れ、世界中どこにいても無線通信と自力航法ができるようにする。機首は気象レーダーが内蔵できるよう、民間型チヌーク同様に大きく伸ばす。また前方車輪の位置を前へ1.02m移動する。

 こうして信頼性を高め、搭載能力を増し、航続性能を伸ばしたMH-47Eは、原型機が1990年6月1日に初飛行、91年5月10日に納入された。量産型25機の引渡しは1993年9月からはじまり、1995年5月までに原型機を合わせて全26機の納入が完了した。いずれもCH-47Dからの改造機である。

 

 

イギリス空軍も多数を採用

 チヌークは米陸軍のみならず、国外からも多数の注文を受けている。現在では600

機以上が米国以外の19か国で飛んでいるが、当初のCH-47Aはベトナム空軍にも引渡され、1971年から実際の戦闘に使われた。またタイ空軍へも4機が送り出されている。

 CH-47Cはオーストラリア陸軍へ4機輸出され、カナダ軍へも1974年9月からCH-147の名前で9機が引渡された。CH-147は、エンジンがT55-L-11Cで、操縦系統が改善され、救難用ホイストを装備、兵員は44人乗り。最大離陸重量は22,680kgであった。スペイン陸軍向け9機のHT.17チヌークも実態はCH-47Cである。

 イギリスも多数のチヌークを購入している。英空軍向けチヌーク、HC.1はCH47-352と呼ばれ、1978年に生産契約が調印された。1号機の初飛行は1980年3月23日。最初の発注数33機はT55-L-11Eターボシャフト2基を装備、カナダのCH-147によく似ていた。兵員は44人乗り。担架は24人分の搭載が可能で、引渡しは1980年8月から81年末の間におこなわれた。

 これらのHC.1は、のちにHC.1Bに改造され、グラスファイバー製のローター・ブレードと3点式のカーゴフックを装備するようになった。

 そして1989年10月、HC.1Bのうち32機がボーイング社でCH-47Dと同じ内容のHC.2に改造されることになった。改造内容は機体を強化し、T55-L-712エンジンを装備、トランスミッションの出力吸収能力を上げ、補助電源を改良し、新しい自動操縦装置、油圧装置、長距離用の燃料タンク、赤外線ジャマー、チャフ、ミサイル接近警報装置、機関銃装着金具、FLIR(赤外線暗視装置)などを取りつけるもの。改造工事は1991年にはじまり、最初のHC.2が完成したのは1993年1月19日である。

 一方、英国防省は1995年3月、新しいHC.2チヌーク14機の購入を決定、ボーイング・ヘリコプター社との契約書に調印した。契約金額は3億6,500万ドル。機材の納入は1997年にはじまり、99年初めまでに完了する。その結果、英空軍は最終的に50機近いチヌークを運用することになるが、これは米国外では日本と並んで最大のチヌーク運用機数となる。これでボーイング社のチヌーク生産は来世紀まで続くことが確実になった。

 なお英空軍は1995年8月8日、6機のチヌークHC2を国連平和維持軍としてクロアチアへ派遣した。その装備内容は全て自衛のためのもので、たとえばAAR-47ミサイル警報装置(MWS)、チャフ/フレア発射機、IRCMジャマー、衛星通信機など。またコクピットの床とパイロットおよび前方射手を防護するための250kgの追加装甲板があり、自衛のためのM60Dマシンガン、M130 7.62mmミニガンの取りつけ準備がなされている。

 

インターナショナル・チヌーク

 こうした米国外向けCH-47Dは現在モデル414-100、もしくは一般呼称「インターナショナル・チヌーク」として生産されている。内容は国によって異なるが、標準的な装備はT55-L-712SSBエンジン(4,500shp)2基、7,500shpのトランスミッション、複合材製のローター・ブレード、3,900 入り燃料タンク、3点式カーゴフックなど。

 これで総重量は24,494kg、兵員33名をのせ、270km/h近い巡航速度で624kmを飛ぶこととなる。また、その変形としてはT55-L-714エンジン(4,800shp)、7,800 入り燃料タンク、補助燃料タンク、空中給油装置、救難用ホイスト、ローター・ブレーキ、気象レーダー、スキーキットなどの装備もあり得る。

 最近では1989年1月、中国から6機の注文があり、タイ陸軍も3機を発注している。1991年12月にはギリシャ陸軍の9機のCH-47CがCH-47Dに改修されることになって、1995年に完了した。

 同年、英空軍とオランダ空軍も相次いでCH-47D新製機を発注した。英空軍に関しては先に述べた通り14機の追加発注がおこなわれたが、オランダ空軍も13機を発注した。そのうち最初の7機は元カナダ空軍が使用していたCH-47Cで、それをD型に改修する。特にコクピットは電子化され、近代化される。すでに最初の2機が引渡されており、1996年なかばまでに全機引渡される予定。また残り6機は新製機で、1997〜99年の間に引渡される。これらのチヌークはオランダ空軍の空中機動隊が使用する。

 アジアの2か国からも1995年、合わせて6機の注文があった。国名は公表されてなく、1997年に引渡されることが知られているだけ。またオーストラリア国防軍は1995年4機のCH-47D改造機を受領した。シンガポール国防軍も同年、6機のCH-47D新製機を受領している。 

 

自衛隊へはCH-47J/JA

 CH-47Dインターナショナル・チヌークが初めてつくられたのは、実は日本の自衛隊向けが最初である。

 1984年春、防衛庁が発注した陸上自衛隊の2機と航空自衛隊の1機がそれで、1号機が初飛行したのは1986年1月。同機は1986年4月、2号機と共に川崎重工へ引渡され、CH-47Jの呼称でボーイング社との共同生産がはじまった。両社の製造分担は、ボーイングが構造部分、ダイナミック系統、後方パイロン、主キャビン部分、燃料ポッド、ローター・ブレードなどで、残りを川崎が製造し、最終組立と仕上げをおこなう。

 この日本向けチヌークが米陸軍のCH-47Dと異なる点はエンジン、ローター・ブレーキ、アビオニクス類だけで、この春までに航空自衛隊の15機と陸上自衛隊の37機が完成している。そのうち陸上自衛隊の2機は新しいCH-47JAである。

 CH-47JAの特徴は、胴体両側の主タンクを大容量の7,800 入りとし、航続距離を約500kmから約1,000kmに伸ばした。また統合コクピット・システムを採用、航法装置、通信装置を統合した。第3にINS/GPSを装備して航法能力の向上をはかり、気象レーダーを搭載して気象情報の収集能力を増大、FLIR(赤外線暗視装置)や夜間照明システムを搭載して夜間運用能力の強化をはかっている。

 こうした性能向上型チヌーク、CH-47JAは沖縄から西部方面航空隊、第1ヘリコプター団と配備を進め、平成10年度からは新設の「空中機動旅団」に配備される。同旅団は「新中期防衛計画」に示されているように、陸上自衛隊の定員を減らす一方、輸送力、機動力の向上をはかるための組織で、その中核になるのが8機のCH-47JAにほかならない。

 それを含めて、自衛隊向けチヌークは平成8〜12年度の中期防で、陸上自衛隊のCH-47JAが12機、航空自衛隊のCH-47Jが6機調達される計画である。

 

水量10トンのバンビ・バケット

 自衛隊向けチヌークは、昨年1月の阪神大震災にかんがみて、防災出動も考慮した装備をととのえつつある。その一つが消火用のバケットで、平成8年度予算では10トン近い水が入る「バンビ・バケット」が調達される。

 バンビ・バケットはヘリコプターによる空中消火を目的として1983年カナダのSEIインダストリー社で開発された。その特徴は軽量で丈夫な折りたたみ式のため、ヘリコプターに搭載してどこにでも容易に持ってゆける。

 筆者の見たところ、深いこうもり傘をさかさまにしたような形状で、傘をたたむようにして折りたたみ、それを吊り下げたヘリコプターがホバリングをしながらバケットを水中に入れ、そのまま引き上げると自然に傘が開いて水が汲み上げられる。しかも強く速く引き上げると傘の開き方が大きくなって水量も多くなり、ゆっくり引き上げると水量は少ない。つまり気温や標高に応じて、パイロットはバケットの水量を自分で加減できるのである。

 また火災現場で放水する場合、パイロットがスイッチを押すと、底部のバルブが開くと同時に、下方に向かって短く太い筒が延び、その先端から水が放出される。したがって放出された水は広がることなく、水柱となって一定の方向へ向かうことになる。つまり火災の目標に向かって狙いがつけられるわけである。

 さらに機内に消火剤のタンクを搭載し、そこから細い管をバケットへつないでおけば、水を汲み上げてから現場へ飛ぶまでの間にバケットの中の水に消火剤を混入することもできる。これで消火効果はさらに高まり、6〜15倍にも達する。つまりチヌークによって1回あたり水量10トンの放水をするとすれば、消火の効果は100トン前後の放水にも相当するわけである。

 このようなバンビ・バケットは、ヘリコプターの吊り上げ能力に応じて、小型400 入りからチヌーク用の大型9,840 入りまで大小15種類が製作されている。これを水中に沈める時間は2〜4秒。放水時間はバルブを全開にするか半開にするかによって異なるが、いずれにしても数秒間である。

 このようなバンビ・バケットは、10年余りの間に世界中の消防機関や軍隊など600以上の組織体が採用するところとなった。無論ほかにもさまざまなバケットやヘリコプター用消火装置があるが、SEIによればバンビはヘリコプター用消防バケットの95%のシェアを占めるという。日本でもいくつかの消防・防災航空隊が保有しているが、容量10トンの大型バケットはこれが初めてであろう。

 

空中放水は火勢を弱める

 余談ながら、阪神大震災に際してヘリコプターによる消火活動が都市火災に対して有効かどうかという議論がなされ、日本の消防機関は結局実施しなかった。まことに残念なことだが、いまだに有効どころか有害とする意見すら見られる。筆者にいわせれば、その有害という意見の方が余程有害ではないかと思う。

 先日もアメリカのある専門家と話をしていたときのこと、神戸のような大火になった場合、周辺に水を撒いて延焼を食い止めるのはもちろんだが、空中からの放水によって直接火が消えなくても、現場の温度を下げ、火勢を衰えさせることができれば、それだけでも地上の消防隊の支援になる。

 民家の屋根の上に水を撒いても無駄だとか、何トンもの水を投下すれば建物を破壊する恐れがあるという議論がある。それならば燃えている建物のすぐ横、道路や庭に水を撒くだけでも温度が下がり、一時的にもせよ火の手が弱まるであろう。それを彼は英語で「クールダウン」と表現したが、それによって火勢が弱まった隙をねらい、地上の消防隊が現場に近づき、場合によっては建物の中に入って消火活動をすればよい。

 ヘリコプターは確かに、都市火災においては完全ではないかもしれない。とすれば、ヘリコプター消火に完全を求めるのではなく、地上消火活動の支援策と考えればよい。ヘリコプターだけで完全鎮火まで持っていこうとすると、毎分1トンの水を20分間かける必要があるから一時に多数のヘリコプターが必要などという無理な論議になってしまう。そうではなくて、ヘリコプターは地上の活動に連動する補助的な支援手段と考えるならば、それはきわめて有効な支援策ということになるであろう。

 もうひとつ余談だが、アメリカでは連邦軍のほかに、各州に州兵(ナショナル・ガード)の制度がある。このうちチヌークを保有するのはカリフォルニア、オレゴン、ワシントン、テキサス、ユタ、ネバダ、ハワイ、ロングアイランドなどの州兵だが、大災害が起こった場合は連邦軍よりも先に、まず州兵が出動する。

 というよりも、災害時の出動順位は、まず市町村の警察や消防のヘリコプターである。しかし、それだけでは不充分というとき、いきなり州兵や連邦軍に要請がいくのではなく、第2順位にあるのは民間ヘリコプターである。そのためには当然のこと、普段からヘリコプター運航会社や自家用ヘリコプターの保有者との間に協定ができていなくてはならない。出動は有償でおこなわれるが、ほかの仕事で手が放せななかったり、どこか遠くに出かけていたり、整備中の場合は無理である。そのとき初めて州兵に出動命令が下ることになる。こうした規則は州ごとの規定ではなく、連邦法規であることも注目すべきであろう。

 事実、オレゴン州ポートランドに本拠を置くコロンビア・ヘリコプター社は、民間型チヌーク9機を擁し、普段は木材搬出などの仕事に当たっているが、山火事などが起こると出動する取り決めになっている。最近4か月間の火災シーズン中の出動実績は32回に及ぶ。そして容量11トンのバケットを使い、1機で1時間に227トンの水を火災現場に正確に投下した記録を持つ。また4か月間の水投下実績は総量68,000トンであった。

 日本では阪神大震災以来、にわかに自衛隊の災害出動に期待がかけられるようになった。それはそれで結構なことだが、最近は最初から自衛隊に頼ればよいという風潮も見られる。しかし自衛隊の本務は飽くまで国家の防衛であり、防災は二次的な任務である。そうした原則を踏まえたうえで、眞に必要な場合はチヌークもまた大型バケットをもって火災現場に出動する準備をととのえておこうというわけである。

 

 

任務を超えた救助活動

 チヌーク大型機の災害出動は、もとより火災ばかりではない。今年1月初め米国北東部で猛吹雪が吹き荒れたとき、その2週間後、今度は山岳地の雪解け水が大洪水となってペンシルバニア州に襲いかかった。洪水の水かさは1.5〜3mにも及び、何千人もの人々が命からがら避難した。濁流に呑まれて死んだ人も少なくなかったが、死者の数はチヌークがなければもっとはるかに大きな数になっていただろう。

 この洪水のために、ペンシルバニア州の州兵第104航空隊G中隊から4機のチヌークが出動したのは1月19日のことである。この日、4機のチヌークはきわめて悪い気象条件の中で、合わせて65回の飛行をおこない、州警察その他の民間ヘリコプターと協力しながら、洪水のために孤立した人々を多数救出した。

 最初の飛行は午前10時半、天候の回復をまって樹木の上に取り残された人々を吊り上げるために2機のチヌークが飛び立った。さらに別の2機が出動し、幼児1人と子ども12人を含む41人を救出した。ヘリコプターの乗員たちは初めのうち、今回の洪水がこんなにひどいものとは思っていなかった。が、その悪条件の中で、チヌークは救難用ホイストや救命ボートを使って救助活動を続けた。

 夜になって気温が下がり、雪が降り出した。その雪の中でもパイロットは暗視ゴーグルをつけて飛び続けた。1機のチヌークがある小さな町の上空に達してから3分後、水かさは軒下まで届こうとしていたが、誰かが窓から出て屋根の上によじ登ろうとしているのが見つかった。ヘリコプターからは直ちにホイスト・ケーブルが降ろされ、その先のハーネスを体に巻き付けた被災者を引き上げた。

 それから20分間で、チヌークの機上には5人の被災者が引き上げられた。そのうちの1人は若い女性で、母親がまだ水の中にいるというので泣き叫んでいた。確かに、その母親の姿は一瞬機上からも見えたが、どうしても探し出せない。

 気温はマイナス15℃以下に下がっていた。ヘリコプターはいったん最寄りの病院へ飛び、救出した人々を降ろした。そしてウェットスーツを着用した救命隊員をのせて元の場所に戻った。洪水は氷水であった。その水面すれすれまで、ヘリコプターは高度を下げたが、ついに母親の姿はなかった。

 だが今度は、ショッピング・センターの大屋根に避難している4人の人影が見えた。ヘリコプターは屋根の上1フィートの高さでホバリングをしながら後方ランプ・ドアを開け、そこから避難者を機内に導き入れた。同じような方法でパン工場の屋根からも9人の被災者を救出した。トレーラーハウスの屋根からは1人の婦人と猫をホイストで引き上げた。また水中の車の中でふるえていた子どもと両親が救い上げられた。

 ヘリコプターは夜を徹して飛び続けた。地上に降りるのは燃料補給と救出した人を降ろすときだけであった。夜がふけると気温はさらに下がって−20℃以下になり、雪はみぞれに変わった。そんな厳寒の中で、ある整備士は地上に降り立ち、ヘリコプターが燃料補給から戻ってくる間、86歳の老婦人を保護していた。

 悲劇的な場面もあった。チヌークは1人の男が自分の体を樹木にしばりつけているのを発見し、ホイストを降ろした。しかし男は動こうとしない。そこで救助隊員の1人がホイストで降下し、氷塊の浮いている水流に入り、自分を支えるのも困難な状況でその人のところへ近づいてゆくと、彼はもはや息絶えていた。隊員は合図を送り、ホイストを巻き上げて貰ったが、機内に入ったときは今度は自分が濡れた飛行服とダウンウォッシュのために凍りつき、命を落としかねない状態だった。

 同じような救助活動は別のヘリコプターでも至るところで見られた。G中隊の隊員たちの行動は、みずからの危険をかえりみず、任務を超えた自己犠牲の精神にあふれたものであった。……チヌークという機材の紹介をしていて、救出劇に深入りしてしまったが、災害時のヘリコプターは、チヌークも含めて、このような場面にこそ使うべきであろう。

 

 

チヌークの後継機はチヌーク

 最後にもう一度、ボーイング・ヘリコプター社のチヌーク・プロジェクトを整理しておきたい。基本的には現在5つのチヌーク計画が動いている。ひとつは米陸軍向けのCH-47D計画で、すでに472機の生産が終わった。

 第2は、米陸軍の特殊作戦機MH-47E計画である。長距離、全天候、昼夜間の作戦行動が可能で、1995年までに26機が完成した。

 第3は国外向けのCH-47Dインターナショナル・チヌーク計画で、欧州では英空軍、オランダ空軍、スペイン陸軍、ギリシャ陸軍が合わせて50機以上を運用中。そして今も英空軍やオランダ空軍向けの製造がつづき、機数はさらに増えつつある。アジアでも、インターナショナル・チヌークは1988年以来30機以上の新製機が引渡され、今後も増加する見こみである。

 第4は川崎重工との間で共同生産中のCH-47JおよびCH-47JA計画。陸上自衛隊と航空自衛隊を合わせて56機の生産が進んでいる。最終的には2002年までに総数75機を製造するという構想もあり、これらが実現すれば米陸軍に次ぐ保有機数ということになろう。

 最後は21世紀をめざすチヌーク再近代化計画である。ボーイング社はこれを「改良型チヌーク・ヘリコプター」(ICH)計画と呼び、第1にローター回転に伴う振動を抑え、第2にエンジンを換装し、第3にアビオニクスの近代化という3点に主眼を置いている。

 第1の振動軽減策は、現在2つの方法が研究されている。ひとつはアクティブ・バイブレーション・サプレッサー(AVS)と呼ばれる方法で、機体に発生する振動をモニターしておいて、それに同調し打ち消すような振動をローターシステムから発振させ、機体全体に伝えて、振動をなくそうというもの。もうひとつは構造部材の一部を強固にして共振をなくすように整調するという方法。たとえばドア周囲の外板、前方トランスミッションの支持ビーム、機首キャップなどを強化するというものである。

 いずれにしても、振動が少なくなれば機内の乗り心地が良くなるばかりでなく、構造部分、アビオニクス類、その他の装備品の信頼性が高まり、整備の手間と費用も少なくなるであろう。

 第2のエンジン換装はライカミングT55-L-714を採用、出力を20%増とする。これで高温・高地でもCH-47D本来の最大離陸重量22,680kgに近い全備で離陸可能となる。また燃料コントロールには完全ディジタル方式のFADEC制御装置を採用して燃費を3%下げ、オーバートルクをなくし、信頼性を高めて整備費を引き下げる。

 アビオニクスの近代化は、将来の米陸軍機が装備する通信、航法、作戦行動その他の電子機器を受け入れられるようなデータバスを使った電子系統を組みこむもの。これでGPSやドップラーによる航法、暗視機能を持ったヘッドアップ・ディスプレイ、長距離通信はもとより、戦闘中の指揮命令や状況判断なども電子的な手段でおこなうことが可能になる。とすればCH-47Dの機能と活動範囲はますます拡大し、戦場での生存性も高まるであろう。

 ほかに、後方パイロンが簡単に取り外せるように再設計してロッキードC-5A輸送機で運ぶ場合の分解と再組立ての時間を3割減としたり、C-141にも搭載できるようにしたり、ローターハブをエラストメリック構造に改めて整備の手間を省いたり、機内の貨物ハンドリング装置を改良したり、機外吊り下げフックの容量を増やしたり、燃料タンクを大きくしたりする計画もある。

 このようなチヌークの再近代化は、おそらく1996年末までに具体化するであろう。いわば、チヌークの後継機はチヌークという計画にほかならない。

 かくてチヌーク・ヘリコプターは少なくとも向こう20年間、2015〜2020年の頃まで米陸軍の第一線機として、また世界各国の大型輸送機もしくは大型多用途機として飛びつづけるであろう。

(西川渉、『エアワールド』、96年6月号掲載)

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