米国こそテロの元凶


(英語版の表紙)

 ノーム・チョムスキーはアメリカの言語学者で、その名前と「生成文法」という言葉が結びついていることは、私も知っていた。言葉に関する本などを読んでいるとよく出てくる名前だからである。

 しかし生成文法とは何か。それを説明するのは難しい。改めて『広辞苑』を引いてみると「特定の言語の分析・記述ではなくて話し手が生来の言語能力によって文法的な文のみを限りなく生成していく仕組を文法と考え、深層に仮定される抽象的な基本構造から、変形によって現実の文の構造に至る規則の体系を解明しようとする」ものと書いてある。

 この辞書については、かねて谷沢永一が間違いだらけ――と言うよりも意図的な嘘ばかりを書いた辞書と批判している。最近では『広辞苑の嘘』(渡部昇一との共著、光文社、2001年10月30刊)という本も出た。それだけに「生成文法」についても言語学の専門家ならばともかく、素人には理解できない説明である。といって、専門家がこんな基礎的な言葉を辞書で引いたりはしないだろうから、この説明はいったい誰のためなのか。辞書として無駄な項目ということになるであろう。

 などと、頭の中で悪態をつきながら、今度はインターネットで「生成文法」という言葉を調べてみた。すると京都外国語大学の先生のサイトが見つかったが、その先生までが「専門書などでは、専門にしている者ですら閉口するようなややこしい定義が出てきます」と書いているのには驚いた。

「ここでは、そんなややこしい定義は二の次にして、イメージを理解していただくことを目標とし、解説いたします。かのアインシュタインも、まずは『イメージありき』だったようで、彼が量子力学に対して肯定的な考え方をもてなかったのは、量子力学の主張のイメージがとらえられなかったからだそうです。大切なのはイメージで、細かな定義はその後についてくればいいのです」

 言語学の先生ですら諦めたような口ぶりで、結局なんのことか分からなかったけれども、興味のある方は化学構造式のような図式が出てくる生成文法のサイトをご覧いただきたい。

 初めから横道にそれたけれども、ここで言語学や文法の話をするつもりはない。問題はチョムスキーで、この言語学者は元来アメリカの外交政策などについて手きびしい批判をしてきたが、9.11多発テロについてもいろいろな発言をしている。そのインタビューをまとめた本がアメリカで緊急出版され、日本でも翻訳が出た。

 『9.11』(ノーム・チョムスキー、文芸春秋、2001年11月30日刊)が、その本である。翻訳はやや読みにくいが、チョムスキー自身もわれわれ非英語人には難しい単語を使い、複雑な言い回しをしているのでやむを得ないのかもしれない。

 それはともかく、第1章の表題が9.11テロを「真珠湾と対比するのは誤り」となっている。私もかねて同じような考えであったから、喜んで読んでみると別の意味であった。

 昭和16年12月8日――まさに今日が60年目のその日だが、真珠湾攻撃は軍艦や軍事施設が対象であって、テロのように一般市民を標的にしたり、恐怖をまき散らそうとしたものではない。したがって9.11テロの報復を叫ぶのに真珠湾を持ち出すのは心外であることは、先に本頁にも書いたとおりである。

 横道にそれるが、今日もまた藪大統領は、わざわざ空母エンタプライズに出かけてゆき「真珠湾奇襲で米国は決意を固め、自由の擁護者となった」「(太平洋戦争中の)4年間は誰ひとり戦争の大儀を疑わなかった。勝利の追求にひるむ者はなかった」と、愚かなアメリカ大衆をあおり立てたらしい。日本政府は「かつての敵国が最良の友人になったことを誇りに思う」などという侮辱を看過することなく、9.11多発テロと真珠湾を混同しないよう厳重に抗議すべきであろう。外務省も闇金の隠匿にばかり気を取られず、本来の外交任務を全うすべきだ。

 チョムスキーに戻って、この人が真珠湾と9.11テロが異なるというのは、ハワイは米国の植民地に過ぎない。植民地に置かれた基地が破壊されただけのことだが、今回は「アメリカ本土に初めて銃口が向けられた」。そこが真珠湾とは違うというのである。

 それもまた面白い見方で、欧州諸国が互いに戦争をしてきたのは、あれは「内戦」であるという。「欧州列強は世界の大半を極度の野蛮さで征服した。……けれども、被害を与えた外国に攻撃されたことはない」

 英国がインドに攻撃されたり、ベルギーがコンゴに攻められたり、イタリアがエチオピアにやられたり、フランスがアルジェリアに攻めこまれたことはない。要するに欧米の白人国家がそれ以外の国や民族に本土を攻撃されたのは、これが史上初めてだというのである。

 その背後には「中東地域にたまっている怨念と憤激の貯水池」があることはいうまでもないが、それに対する反応を見れば分かるように「米国こそ……主要なテロリスト国家である」と著者はいう。

 事実「1986年に米国は国際司法裁判所で『無法な力の使用』(国際テロ)の廉(かど)で有罪を宣告されたうえ……国際法遵守を求める安全保障理事会の決議に拒否権を発動した」ではないか、と。テロ国家の烙印を公式に捺されたのは、後にも先にもアメリカだけである。そのうえで米国がいかに多くのテロを支援してきたか。多数の具体例が本書に示されている。

 そして今日もまた、ジュネーブで開かれていた生物兵器禁止条約の運用検討会議で、アメリカが条約に法的拘束力を持たせることに反対したことから審議が紛糾、1年後の再開まで持ちこされることになった。今やアメリカの傲慢な我欲が堂々とまかり通り、世界を支配するようになったのである。

 チョムスキーのもうひとつの独自の見方は、9.11テロを支援したというのでアフガニスタンを攻撃してよいのであれば、1996年2月IRA(北アイルランドのカトリック系過激派アイルランド共和軍)がロンドン地下駐車場で爆弾を破裂させ、約100人を負傷させたときは「英国空軍を送って彼らの資金源があるボストンを爆撃」すべきだったし、1995年4月オクラホマシティの連邦ビルが爆破され、165人が死亡したときは犯人の極右集団がいたモンタナやアイダホを撃滅抹消してもよかったのではないか、と。

 実際はむろん「そういうことにはならず、犯人の捜索がおこなわれ、犯人は見つかって法廷に引き出され、宣告を受けた。反応が理に適っていた分だけ犯罪の背後にひそむ不満を理解し、問題に手当をする努力が行われた。……これ以上テロを増やすのではなく減らすことを望むならば、われわれの取る道は決まっている」

 今のような「大規模な……軍事的報復こそ犯人たちの大儀を高みに引き上げ、そのリーダーを偶像に祭り上げ、穏健であることの値打ちを引き下げ、狂信を価値あるものに」してしまう。

 

 米国がいかに戦争を好み、戦争をしてきたか。本書の訳者(山崎淳)が解説の中で対象国と時期を書いている。それに備考欄をつけて一表にまとめると次のようなことになるであろう。

期    間

対   象

備   考

1945〜46年

中国

毛沢東共産党と蒋介石軍の内戦

1950〜53

中国

朝鮮戦争

1950〜53

朝鮮

朝鮮戦争

1954

ガテマラ

   

1958

インドネシア

   

1959〜60

キューバ

キューバ革命戦

1961〜73

ベトナム

ベトナム戦争

1964

ベルギー領コンゴ

196年にコンゴ共和国(今のサイール共和国)として独立した後のコンゴ動乱

1964〜73

ラオス

内戦

1965

ペルー

正常不安で軍部クーデターが相次いだ

1967〜69

ガテマラ

クーデターの繰り返し

1969〜70

カンボジア

シアヌーク国王の失政による内戦

1980年代

エルサルバドル

1979年7月のニカラグァ革命成立で左翼ゲリラ活動が活発化、10月には腐敗で名高いロメロ政権がクーデターで倒され、80年10月極左ゲリラ・グループが民族解放戦線(FMLN)を結成、10年以上の内戦による戦死者約7.5万人

1980年代

ニカラグア

1979年7月サンディニスタ革命により、反政府勢力(コントラ)がゲリラ活動を展開、内戦勃発

1983

グレナダ

人民革命政府崩壊

1986

リビア

   

1989

パナマ

1989年12月20日、米軍がパナマに侵攻し、ノリエガ将軍を逮捕

1991〜99

イラク

湾岸戦争

1995

ボスニア

3民族間紛争

1998

スーダン

内戦

1999

ユーゴスラビア

コソボ紛争

2001

アフガニスタン

9.11テロへの報復戦

 この表からも読みとれるように、アメリカが戦争から遠ざかった期間は、1940年代の後半3年間と50年代なかばの3年間――すなわち第2次大戦と朝鮮戦争の疲れを癒した時期、そして70年代の6年間――すなわちベトナム戦争に負けて厭戦気分が全米に広がったときだけ。あとは戦後57年間のうち43年間――つまり4分の3以上の年で、20か国を相手に戦いつづけてきたのである。これほど戦争好きの国がほかにあるだろうか。

 

 最後に、本書を離れて、インターネット上で見つけたチョムスキーのインタビュー記事を訳出しておきたい。 

 今日のテロ攻撃は大きな惨劇であった。ただし犠牲者の数からすれば、これよりもっと大きなテロはこれまでにも数多く行われた。たとえばクリントンのスーダン爆撃だが、これは弁解の余地のないもので、おそらく数万の人を殺したにちがいない。ただし国連の調査を米国が阻止し、それ以上に調査をすすめようとした人がいなかったため、正確な数字は誰も知らない。

 もとより今日のテロ攻撃が惨劇であったことは疑いない。犠牲者の多くは、いつもの通り、一般の勤労者、事務員、警備員、消防士といった人びとであった。

(中略)

 今回のテロはアメリカの「ミサイル防衛」構想の愚かさを劇的に実証してみせた。これまでも軍事戦略の専門家が繰り返し指摘してきたように、誰かが米国の大規模破壊を企てたとすれば、ミサイル攻撃などを仕掛けるはずがない。もっと簡単で、阻止できないような方法がいくらでもあるからだ。

 しかるに今日の攻撃もまた、政府のミサイル防衛構想を促進する材料に使われるだろう。宇宙を軍事目的のために利用しようとする場合、政府は「防衛」というオブラートに包んで宣伝する。一般大衆は、そのちょっとした脅しにも簡単にのせられ、容易に怖がるのである。

 要するに、このような犯罪行為は、強硬な愛国主義者たちにとっては却って好都合なのだ。彼らは武力をもって優位性を保持しようとするから、これから米国がやろうとしている報復戦は、再び三度び同じような、あるいはさらに規模の大きいテロ攻撃を引き起こすことになるであろう。

 米国の前途はこれまで以上に、多発テロ以前よりも不吉なものとなってきた。

 

(西川渉、2001.12.8)

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