コムエアに見るジェット導入の効果

 

 『コミューター・ビジネス研究』誌40号で、コミューター航空機が世界的にジェット化する傾向にあることをご報告した。では、実際にジェット・コミューター機を使えば、航空会社の事業内容はどのように変わるのだろうか。そのもようを、コムエアの実例によって、具体的に見てゆきたい。

 

 

コミューター・ジェット125機へ

 コムエアは米国オハイオ州シンシナティを本拠として、デルタ航空との提携のもと、「デルタ・コネクション」の呼び名でコミューター路線を運航している。路線形態は典型的なハブ・アンド・スポーク方式で、シンシナティ空港から西はウィチタやオマハ、東はニューヨークやボストン、南はフロリダ、北はトロントやモントリオールまで広範囲にわたるスポーク路線が広がる。1日の飛行便数は675便、乗り入れ空港数はカナダを含めて79都市に上る。年間乗客数は96年実績で465万人を数える。

 使用機はボンバーディア社のカナデア・リージョナル・ジェット(CRJ)が50機、ブラジリア40機、サーブ340が5機、そして多少のメトロVがあるが、ターボプロップ機はいずれも引退に向かっている。パイロット数は850人。

 加えてコムエアは確定30機、仮45機のCRJを発注している。その一部は乗客70人乗りのCRJ-700になる予定。したがって将来、これらの全機が入ってくれば125機のCRJおよびCRJ-700を運航することになり、5年後には全機ジェット化する予定という。

 

コムエアの誕生と成長

 コムエアは1977年4月、ミュラー親子によって設立された。今の経営トップ、デービッド・ミュラーは息子の方である。

 最初の定期便に使われたのは3機のパイパー・ナバホ。区間はシンシナティを中心に、クリーブランドやデトロイトへの路線であった。その狙いはアメリカ中西部の航空空白地帯で航空便の少ない都市を結び、便数が多くて利便性の高い航空便を提供することだった。ミュラー親子もパイロットとしてナバホを操縦した。

 会社が大きくなると、もっと大きな乗客9人乗りのパイパー・チーフテンが導入された。1981年にはターボプロップ機を導入することとし、ブラジル製のエムブラエル・バンディランテ(旅客19席)を購入した。このとき、購入資金調達のために株式を公開した。これでコムエア・ホールディングス社が1981年7月に設立された。

 会社の成長が続いて、コムエアはさらに近代的な航空機を導入することになり、1984年9月サーブ340双発ターボプロップ機(36席)を入手した。1988年12月にはエムブラエル・ブラジリア(30席)が入った。エムブラエル社の開発した高速ターボプロップ機である。やがて1993年6月、50人乗りのCRJを50機発注して、同機のローンチ・カスタマーとなった。この50番目の機体は1997年5月に納入された。

 コムエアとデルタ航空との関係は、1981年12月にはじまる。デルタ航空のコンピューター予約システム(CRS)「デルタマティック」に加盟し、「デルタ・コネクション」となった。そして1986年7月、デルタ航空がコムエアの株式約20%を買って資本参加した。同時にコムエアはデルタ航空とコードシェアリングをするようになり、乗り継ぎ便の相互調整もはじまった。

 1987年11月、コムエアはデルタ航空の拠点、フロリダ州オーランドにも進出、ここをハブ空港として運航するようになった。これでコムエアのハブは従来のシンシナティ/北ケンタッキー国際空港と、新しいオーランド国際空港の2か所になった。

 1990年代に入ると、わずか3機の小型機から発足したコムエアは、米国コミューター航空界の主導的な位置を占めるに至った。

 1993年までに、コムエアは3か国68空港へ乗り入れるようになり、従業員は2,200人になった。1994年にはデルタ航空の協力を得て、シンシナティ空港に4億ドルを投じて新しいコミューター・ターミナルを建設した。このターミナルは53ゲートを有し、コミューター航空用としては世界最大の規模である。

 1995年5月、コムエアはオーランドをハブとする路線にCRJを投入した。これにより同年末から96年にかけて、路線網が拡大した。

 

 

 

近距離区間も飛ぶ

 コムエアはアメリカのコミューター航空界では、最も早くCRJを導入したエアラインである。その発注がなされた1993年当時、区間距離の短かいコミューター路線にジェット機を投入しても利益の上がるはずはないというのが大方の考えであった。しかし航空機の専門家がいかに新しいターボプロップ機が技術的にすぐれているといっても、乗客の方からすれば、プロペラ機はどうしても信頼感の薄い旧式の航空機に見える。

 それならば、ほかの競争相手がプロペラ機を飛ばしている間に、こちらがジェット機を使えば、それだけで旅客を惹きつけることができるだろうというのがコムエアの考え方であった。事実、CRJ導入の結果はそうなったのである。

 では、ジェット便の運航区間距離はどのくらいであろうか。コムエアの場合は必ずしも長距離区間ばかりではない。最も短い区間はシンシナティからデイトンまで101km。次いでレキシントンまで113km、ルイスビルまで134km、インディアナポリスまで158kmである。

 もっとも、こうした近距離区間はコムエアの中でも少ない。300km以下の区間に就航しているCRJは全体のおよそ3分の1しかない。平均では530kmである。ただし世界中のCRJの平均区間距離は672kmというから、コムエアのCRJは比較的近距離の運航が多いかもしれない。

 もとより、コムエアといえどもCRJ導入の当初からジェット便が近距離区間でも成り立つと考えていたわけではない。CRJは長距離区間に投入されたものである。しかし運航をしているうちに、区間距離が短くても何とか採算に合うのではないかということが分かってきて、だんだん短い区間にも就航するようになったのである。結果として、アメリカ中西部の主要都市は、距離の遠近にかかわらず全てコムエアのジェット便のサービスを受けるようになった。

 逆に当然のことながら、ターボプロップでは考えられないような遠距離の新しい市場がCRJによって開けてきた。コムエアのノンストップ区間で長いのは、シンシナティからオーランド、モントリオール、ニューヨーク、ボストン、ウィチタなどへ飛ぶ路線である。

 

 なぜ採算が合うのか

 では、何故コムエアのジェット便は近距離区間でも採算に合うのか。それには多くの要因があるが、まずはジェット便によって乗客が増えたことが上げられよう。しかし、もっと大きな理由はシンシナティを初めとする空港当局および管制官からCRJが好感をもって迎えられたからである。

 管制上は、ジェット機であるために出発進入速度が速く、プロペラ機にくらべて円滑にさばくことができる。そのうえCRJは騒音が小さい。空港当局によれば、CRJに対してはまだ1件も騒音苦情がきたことがないという。管制上も飛行経路の選択の幅が広くなって、どうかすると住宅地の上空すらも飛行が認められるのである。そうなると、空港から所定の航空路まで真っ直ぐ最短距離を通って上昇してゆくことができる。それだけ飛行時間が短縮され、近距離区間でも採算が取りやすくなる。

 空港にとって都合のよい航空機は、出発時刻のスロットも優先的に設定できる。そうすると客層に合わせた時間帯の設定が可能になる。コムエアの最も重要な顧客はビジネス客である。ビジネス客を惹きつけるには朝夕の便利な時間帯に飛ぶ必要がある。しかもジェットだから高速で、乗客の信頼感も得やすい。こうしてビジネス客が増加することにより、さらに採算が取りやすくなった。

 コムエアのCRJは、長距離区間も近距離区間も平均して、座席数50席に対して乗客23人で採算分岐点に達すると計算されている。したがって乗客がこれより多くなれば利益が出るし、区間距離が長くなるほど利益は出やすい。

 こうしてCRJは、コムエアに大きな変化をもたらした。のみならず、提携先のデルタ航空にも大きな貢献をするようになった。ひとつはデルタ航空から見て、従来のターボプロップ機よりも多くの旅客を連れてきてくれるのである。実績はデルタ航空の予想以上で、CRJのフィーダー運航によってシンシナティ空港の乗換え客が増加し、同空港はついにデルタ航空2番目のハブ空港となった。

 コムエアの一般的イメージも、CRJによって、上がった。旅客から見れば、ジェット機を運航するようになったことで、コムエアはれっきとしたエアラインとみなされるようになったのである。そうなると従業員にとっても、自分はしっかりした企業に勤めているのだという意識が芽生え、定着するようになった。これまでは数年間でやめて、大手航空会社へ移ってゆくような人もいたが、最近はほとんどいなくなった。

 現在、コムエアの供給座席距離(シートマイル)は、75%がCRJによるものである。またCRJの就航率は天候に起因するものを除いて99%に達する。

 

 

追随者が続々出現

 このようにコムエアの業績は、CRJの導入以来大きく拡大してきた。その当時とくらべると、1997年3月末の年度決算では旅客収入が約2.3倍で、総収入は5億6,380万ドル(約650億円)となった。

 また前年度にくらべると、乗客数は60万人増の470万人に達し、営業利益は1億1,610万ドルと、前年の9,480万ドルを上回った。また純益7,542万ドルは93年当時の3.91倍である。

 コムエアのこのような好調ぶりは、他のコミューター航空会社をも大いに刺激しつつある。アメリカではこれまで同じデルタ・コネクションのスカイウェストが10機のCRJを運航するだけだったが、最近になってメサ航空が16機、アトランティック・サウスイーストが30機、ユナイテッド航空傘下のアトランティック・コースト航空が12機を発注するなど、続々と追随者があらわれるようになった。

 また6月なかばのパリ航空ショーでは、世界最大のコミューター航空システム、アメリカン・イーグルがCRJ-700を確定25機、仮25機、ブラジルのEMB-145ジェット(50席)を確定42機、仮25機という大量発注を発表した。EMB-145は昨年秋のファーンボロ航空ショーでコンチネンタル・エクスプレスから確定25機、仮175機の注文を受け、パリでは確定25機が追加されて確定50機、仮150機となった。

 こうして今、コミューター航空界は一挙にジェット時代に突入しはじめたといっていいであろう。

(西川渉、97.8.25)

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