コンコルド

定期運航再開へ 

 

 

 エールフランスと英国航空は、超音速旅客機コンコルドの運航を11月7日からそろって再開するもよう。ただし米国の9.11多発テロから2か月未満、旅客需要が落ちこみ、エアラインの経営も苦しい。経済的にも不調の時期にあたって、タイミングとしては最悪のときになった。

 このため1週間6往復の超音速便にどれほどの乗客があるか不安なところもあが、英国航空の最初の2便は、いずれも7日に出発し、8日に戻ってくる。乗客は呼び水の意味もこめて招待客ばかり。有料客は9日から飛びはじめ、運賃は来年1月末まで59%の大幅ディスカウントで、ロンドン〜ニューヨーク間が往復4,999ドルになる。

 一方のエールフランスはパリ〜ニューヨーク間の運賃を従来とおり10,404ドルに設定している。7日の第1便は、それでも満席の予約があるという。それにエールフランスは思い切って、機内で出すワインリストに最高級のワイン、1993年のドムペリニョンをつけ加えた。

 運賃の問題に加えて、安全上の心配をする人も多い。かつてコンコルドを愛用していた人の中には、この1年のあいだにビジネスジェットに乗り換えた人もある。コンコルドが完璧でないことが判明した現在、これ以上、実験用のモルモットにはなりたくないというのである。

 それにビジネスジェットならば自分ひとり、もしくは身内のものしか乗っていないからテロに逢うこともない。「第一、コンコルドは映画をやってないからね」

 かくてコンコルドは期待と不安をのせて再出発する。

いよいよ飛行再開

 超音速旅客機コンコルドの飛行再開が近づいた。コンコルドは周知のように昨年7月25日、エールフランスのニューヨーク行きチャーター便がパリのシャルル・ドゴール空港を飛び立ったところで墜落、乗っていた109人全員が死亡し、さらに地上の4人が巻き添えになって死亡するという事故を起こした。以来今日まで1年3か月ほど飛行停止となっていたものである。

 事故の原因については昨年12月フランス事故調査局から中間報告が発表された。最終報告書は未完成だが、実質的な問題点は解明されたとして、英仏のメーカー2社とエールフランスおよび英国航空は、この中間報告にもとづいて機体の改修をおこない、試験飛行をして安全を確かめる作業を進めてきた。その結果、英仏両国の航空当局がコンコルドの耐空証明を再交付することになったものである。

 事故原因は、離陸滑走を開始したF-BTSC機が滑走路面に落ちていた金属片を踏んで左主車輪のタイヤがパンク、その破片が主翼下面を突き破って5番燃料タンクを破損し、そこから洩れ出した燃料が引火して大事に至ったと見られている。そこでタイヤの破片くらいで翼やタンクが破れぬよう、破れたとしても燃料が流出しないような改修がなされた。

 具体的には新しいエアXラジアル・タイヤの採用、ケブラー燃料タンク・ライナーの取りつけ、主降着装置の配線防護の強化といったものである。エアXタイヤはパンクせず、高速で異物を踏んでも破片が飛んだりしないし、ケブラーに保護された燃料タンクは、穴があいても大量の燃料が漏れ出すようなことはないというわけである。

 こうして7月なかば、英国航空のコンコルドで試験飛行がはじまり、9月末までにエールフランスも合わせてニューヨークまでマッハ2の慣熟飛行を終了した。これで英国航空はできるだけ早く定期運航を開始、エールフランスも改修工事が遅れているものの10月29日から定期便を飛ばす予定にしている。

 こうしてコンコルドの超音速運航は、多数の人命が失なわれ、機体を1機失くしたものの、一応の落着をすることになるであろう。まずはめでたしということだが、事故原因について調査当局や関係者の結論とは全く別の見方が存在することも、本誌の読者としては知っておいていいかもしれない。

発端は整備作業のミス

 この異論は、3か月ほど前の英『オブザーヴァー』紙(2001年5月13日付)に「特別調査――AF4590便の真実:夢を壊した死の失策」と題する長文の記事として掲載された。その驚くべき内容を要約すると以下のようになる。

 コンコルドの悲劇は、おそらく4日前におこなわれた主脚の整備点検にはじまった。点検後の再組立てをしたとき、整備士たちが車輪の向きをまっすぐに支える「スペーサー」を組みこむのを忘れたのである。その点は問題のスペーサーが事故の後、格納庫の作業現場に残されているのが見つかったことからも明白である。

 整備作業が終ったのは7月21日。事故まで4日あったのに、スペーサーが置き去りにされているのを誰も気づかなかった。気づいても疑問に思った者はいなかった。

 事故機はスペーサーのないまま、何度かニューヨークへ往復した。事故の前日には2往復もしている。こうした離着陸のたびに脚は出たり引っ込んだりする。このときスペーサーがないためにシアの向きが徐々に変化する。そして事故の当日、誘導路を走っているときから車輪の整列に異常が起こりはじめた。そして滑走を始めた途端に車輪がもつれ、機はあらぬ方向へ走りだした。

 滑走速度は初めから上がらなかった。公式の事故報告書には車輪の一部に何らかの摩擦(フリクション)があったのではないかと書いてある。しかし実際は単純な摩擦ではなかった。正常ならば、このときコンコルドは滑走開始から1,694mで地面を離れる計算だった。実は、タイヤのパンクの原因となった金属片もその先に落ちていたのであって、本来なら踏みつけることもなかったのである。

 機は滑走速度が上がらぬまま走りつづけ、滑走路の先に近づいてもまだ最低離陸速度の199ktに達していなかった。にもかかわらず、機長は操縦桿を引いて機体を浮揚させようとした。

 一方、このときすでに左翼下面からは火が出ていた。滑走路面に落ちていた金属片を踏んで、タイヤがパンクし、流出する燃料に火がついたからである。

 では、もしこのとき操縦桿を引いていなければ、どうなったか。機は滑走路わきの草むらに突っ込み、もんどり打って火だるまになったであろう。あるいは誘導路で待っていた747に衝突したかもしれない。その747には、日本でおこなわれたサミット会議から戻ってきたジャック・シラク大統領が乗っていた。このままでは、あの大統領機にぶつかる。機長はそれを避けようとしたのではなかったのか。

 むろん機長は、滑走速度がまだ188ktで、ローテイション速度より11ktも下回っていることは分かっていた。それでも操縦桿を引いたのだ。このことはローテイションの直前、副操縦士の「ウォッチアウト!(外を見て)」という悲鳴のような声が記録されていることでも裏付けられよう。

 

重量オーバーで背風離陸

 こうした見方に対し、フランス事故調査局は機体の向きが変わったのは左エンジンの推力が減ったためである。推力が減ったのは出火したからだとしている。が、あるベテラン・パイロットは、出力の低下でそんなに大きく滑走方向が揺れるはずはないという。

 英国航空のコンコルド機長も「片方のエンジンが停止したからといって、さほど大きな問題はない」と語る。コンコルドのエンジン取りつけ位置は747などのように左右に広がっているわけではない。中心線に近いところに4基がまとまっている。また「仮に横向きに走り出しても容易に修正することができる」と。

 さらに滑走路面に残された車輪の痕跡からは、スペーサーがなかったために、4つのタイヤが横向きのまま固定されてしまったらしいことをうかがわせる。第一、タイヤがまっすぐ前向きに並んで正常に回転していれば、その痕跡が滑走路に残るはずはない。コンコルドは滑走中から操縦不能におちいり、横滑りをしていたのである。事故機の写真を見ても、車輪が不揃いであることがわかるという人もいる。

 問題はそればかりではない。実はこのコンコルド機は重量オーバーだった、というのがオブザーヴァー紙の調査結果である。これで離陸した機体はいっそう困難な状況に立ち至った。おまけに乗員の1人が離陸後エンジンをカットした。これは操縦マニュアルに反する処置で、事態はいっそう困難になった。

 コンコルドが出発のために滑走路端に立ったとき、その全備重量は規定の限界を6トンも超えていた。しかも重心位置が危険なくらい後方にあった。

 理由のひとつは、この機体にはエキストラ燃料1.2トンが積んであった。そのうえ出発の直前、計算外のバッグ19個が積みこまれ、重量が500kgほど増加した。これで総重量は約186トンになり、最大構造重量を1トンほど超過した。

 もうひとつ、事故機がターミナルを離れ滑走路の出発点へくるまでに、重大な状況変化があった。風向である。

 コントロールタワーは機長に、風向きが変わって8ktの背風になったことを告げた。飛行機が風に向かって離陸することは、操縦訓練の初日に習うことである。けれども事故機の乗員たちは、ボイスレコーダーの記録では、コントロールタワーの通報に何の反応も示していない。彼らがここで、計算をやり直していれば重量超過の意味に気づいたかもしれないのだが。

 重量超過は規則違反である。ただし絶対に危険というわけではない。問題は離陸重量で、気温、風向、風速、重量などの要素からはじき出した細かい計算によれば、8ノットの背風のときは最大離陸重量が180トンでなければならない。つまり事故機は6トンの重量超過だったのだ。

重心位置も限界の外

 通常ならば、コントロールタワーの通報に対し、計算をやり直し、滑走路の反対側に回るはずである。それをしなかったのは「魔がさした」とでもいうほかはない、とオブザーヴァー紙はいう。

 念のために、フランス事故調査局(BEA)の中間報告書からボイス・レコーダーの再生記録を見ると、確かに14時42分17秒、管制塔の声として「エールフランス4590便へ、滑走路26右、風090で8ノット、離陸よし」と記されている。「滑走路26」ならばほぼ西向きであり、「風090」は真東から吹いていることになる。しかし管制官も躊躇することなく離陸を許可している。

 風速8ノット――毎秒4mくらいの風ならば、問題とするには当たらないかもしれない。全備重量がその条件に適合していればのことだが、管制官がそこまで知るよしもなかった。

 それに重量超過の影響は、もう一つあった。重心位置が後方限界を外れたのである。コンコルドの場合は、重量が増えると重心位置が後方へ移動する。おまけに、あとから積みこまれた19個のバッグは後部貨物室に入れられた。エキストラ燃料も最後部の11番タンクに入っていた。

 コンコルドの重心位置は後方限界が54%と規定されている。これを超えると操縦不能におちいる恐れがある。しかるに事故機の重心位置はこれを超えて、もっと後方にあったと推定されるのだ。

 BEAの正式報告書にも、重心位置は54.2%だったと書いてある。これでも限界を超えているわけだが、実際はもっと後方――おそらくは54.6%辺りにあったのではないかと推定する人もいる。 

 こうしてコンコルド事故機は管制官のクリアランスから11秒後に走り出した。そして長い距離を走り、機速のつかないまま無理に浮揚した。浮揚の前に機長が何か言葉を発したようだが、レコーダーからは聞き取れない。その1秒半後に副操縦士が「外を見て」と叫んだ。その9秒後、管制塔から2〜3回にわたって「火が見える。後ろから火が出ている」という警報が発せられた。

エンジン・カットは重大ミス

 その7秒後、航空機関士(FE)が「第2エンジン故障」と2度叫び、4秒後にエンジンを切った。そこでオブザーヴァー紙は「これまた重大なミスで、エンジンそのものからは火が出ていなかった」と書いている。

「もしエンジンを切らずに我慢して飛んでいれば、やがて5番タンクは燃料が流れ出して空になり、火もおさまった可能性がある。いずれにせよエンジンは、高度400フィートまで上がって飛行状態が安定した後、それもマニュアルによれば、機長の指示で切るべきだった」

 エンジンを切ってからテープが切れるまでの1分6秒の間、「ギアを上げろ」「上がらない」「遅すぎる」「時間がない」「ルブールジェ空港へ行く」などの声が記録されている。その途中、「エンジンを切ったのか」(機長)「切りました」(FE)というやりとりもあるが、早く切れという意味か、いつの間に切ったんだという意味か、文字だけでは分からない。

「こうして死神の手にとらえられたコクピットの中は、大混乱だったであろう。機長も副操縦士もFEも、何が何だかわからぬうちに破局を迎えた」というのがオブザーヴァー紙の結びである。

 以上のような見方は出発点がちょっとずれると、同じ現象を見ていながら、まったく別のところに帰着するという典型的な事例ではないかと思う。航空事故のような複雑な現象と、その内奥に潜む原因は、大きな事故だけでも、たとえば1966年東京湾に墜落した全日空ボーイング727の場合も見方が分かれたし、1985年の日本航空ジャンボ機の御巣鷹山事故ですら、その原因については別の議論が存在する。

 コンコルドの事故でも、単に金属片をはね飛ばしただけで片づけたのでは、大変な犠牲を払いながら、滑走路面の異物監視を怠るなといった程度の教訓しか得られない。それに対して、オブザーヴァー紙のような見方からは今後の事故をなくすための教訓が浮かび上がってくる。

 加えて離陸後の措置も、手のほどこしようがなかったというだけでは、後生の参考にならない。

 航空事故はいうまでもなく、沢山の要因が重なり合い、影響し合って、最後の破局に至る。『オブザーヴァー』紙の記事は、その複雑な連鎖を、当局の見方とは全く異なった筋道で、しかも論理的に解明し、教訓を残しているように思えて、興味深い。

(西川渉、『航空情報』2001年12月号掲載)

【関連頁】
   復活なるか――コンコルド事故(12)(2001.1.26)
   象徴コンコルド――コンコルド事故(11)(2000.11.1)
   コンコルドの混沌――コンコルド事故(10)(2000.10.31)
   飛べ、コンコルド――コンコルド事故(9)(2000.10.18)
   コンコルドの混乱――コンコルド事故(8)(2000.10.2)
   コンコルドは悪くない――コンコルド事故(7)(2000.9.16)
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   コンコルドスキーの墜落――コンコルド事故(4)(2000.8.22)
   コンコルドの安全性――コンコルド事故(3(2000.8.16)
   怪鳥ではなく快鳥だ――コンコルド事故(2)(2000.8.14)
   コンコルドの事故(2000.8.9) 

 

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