文化としてのコンコルド

 

 

 

  コンコルドの事故原因は米国機だった――もちろん乱暴に過ぎる言い方だが、あのタイヤをパンクさせた金属片をシャルル・ドゴール空港の滑走路面に落としていったのはコンチネンタル航空のDC-10であることが判明した。

 これより先、フランスの航空事故調査局(BEA)は8月31日夜、コンコルドの事故に関する中間報告を公表した。滑走路に落ちていた金属片が左主脚のタイヤを引き裂き、その破片が燃料タンクを突き破って、漏れ出した燃料に火がついたというもの。この一連の出来事がコンコルドの事故につながったというシナリオだが、従来の推測とほとんど変わりがない。そのうえ、なぜ燃料に火がついたのかといった疑問はまだ解明できないままである。

 しかしコンコルドと管制塔との間の最後の90秒間の無線交信は詳しく報告されている。コンコルドの乗員たちが異常に気づいたのは管制塔からの警告だった。離陸後間もなく、「機体から火が出ている。後方に火が見える」という管制官の声がコクピットに飛び込んできたのである。

 その7秒後、フライト・エンジニアの確認の声が録音されている。「エンジン故障……第2エンジン故障」。そして4秒後「第2エンジン、カット」

 コンコルドはそれから緊急着陸のために速度をつけようとした。しかし機長の声「遅すぎる……時間がない」

 乗員は明らかに近くのルブールジェ空港へ向かおうと考えた。最後の言葉は副操縦士からのものだった。「われわれはルブールジェへ向かう……」

 そして、機からの応答がなくなり、管制塔は空中へ向かって「コンコルドが墜ちた」とむなしく宣言した。

 

 では滑走路面に落ちていた金属片は事前に除去できなかったのか。シャルル・ドゴール空港では滑走路の点検を1日3回おこなうことになっていた。その日は先ず午前4時30分におこなわれ、次いで午後2時半におこなわれた。しかし、この点検は鳥が飛行機にぶつかるというちょっとしたトラブルがあったための臨時点検であった。そして2時35分から消防訓練がはじまったために、午後3時に予定されていた正規の点検は延期された。

 そして午後4時43分コンコルドは離陸したのである。したがって正規の点検は午前4時半以降、コンコルドの離陸するときまで12時間以上にわたっておこなわれていなかった。

 ドゴール空港当局によれば、こうした滑走路の点検は柔軟におこなわれていて、しばしば延ばしたり縮めたりしているらしい。何か不具合がおこれば、いつでも即座に点検をするというやり方をしている。当日も、コンコルドの事故が起こるまでは何ら異常なことは空港当局には報告されていなかった、と当局者はいう。

 しかしドゴール空港のような発着回数の多いところは1日4〜5回の点検は必要だろうというのが大方の見方である。ヒースロウ空港は1日4回の完全点検をする決まりになっている。成田空港の決まりは知らない。

 だが、こうした点検では、結果論だが、コンコルドを傷つけた金属片の発見は無理だったであろう。というのは、これを落としたコンチネンタル航空のDC-10が離陸したのはコンコルドの離陸4分前だったからである。

 この金属片は長さ17インチ、幅1インチの棒であった。コンチネンタル航空によると、第2エンジン・カウリングのファン・リバーサーとコア・ドアの間にある摩耗防止のための金属で、7月9日に取り換えたばかり。しかし、だから脱落したのかどうかは分からない。

 また、漏れた燃料に火がついたとき、火災警報は作動しなかったのだろうか。エンジン火災ではないから警報は鳴らなかったのかもしれない。それなら何故、出力が上がらなかったのか。コンコルドの事故は、まだまだ解明すべき問題が多い。

 

 ところで超音速旅客機コンコルドは、ひとつの文化を形成していたのではないかというのが、私の感想である。

 文化と文明はしばしば混同され、ときに対立する概念としてとらえられる。しかし文明に対する概念は野蛮であり、野蛮な状態が教化または開化(civilized)されて文明(civilization)が生じる。その文明が長い間かかって耕したところに文化(culture)が芽生えるのではないか。

 文明とは「文明の利器」という慣用句が示すように、合理的な利便性を示し、人間の生活や行動を便利に進歩させるものであろう。コンコルドはまさにそれであった。亜音速機では不満足という人びとを、より速く移動させるための利器である。

 けれども、そのようにして生活や行動が便利になれば、そこに余裕が生じ、さまざまな深耕作業がおこなわれ、長い間には文化が育つ。文化とは、吉田健一にいわせれば「何か文明以外のもので一種のなくても構はない、併しもしあればどこか洒落てゐるといふ風なもの」あるいは「飾りになる性質のもの」である。

 コンコルドも当初の文明の利器から時間が経つにつれて文化に昇華していった。つまり、それを利用することによって時間の余裕が生まれ、利用者の間には先の本頁にも書いたような、なくても構わない洒落たサロンが生まれたのである。しかし、なくても構わないけれども、是非あって欲しいのが文化である。

 そうなると、コンコルドの存在意義は単に速いというだけのことではなくなる。それを利用できるような立場にある人びと、つまり一種の上流社会の人びとの出会いの場をつくり、機会を提供する。そこからまた新たな社交や外交が生まれ、芸術、スポーツ、ビジネスなどの新しい展開が実現する。それが人間としての精神生活をいっそう豊かにするのである。

 しかるに、われわれ日本人は極東の片隅にいて、階級的な差別や贅沢は認めないといったケチくさい平等主義に染まりきったまま、コンコルドの効用にも気づかないできた。そのためコンコルドについては超音速機能しか眼に入らず、怪鳥だの環境破壊だのと悪口をぶつけてきたが、実はそうした低レベルの雑言など高々度を高速で飛ぶコンコルドとその利用者にとっては痛くも痒くもなかったのである。そこには全く別の世界、別の文化が花開いていたのだ。

 しかも、その花はいつまでも高嶺の花というわけではない。文化はいずれ普及し、広がってゆくものである。したがって当初は上流社会か特権階級だけのものだった超音速便もやがて大衆化してゆく。コンコルドも最近は多数の観光客をのせて不定期チャーター便として飛ぶようになった。事故を起こしたパリ〜ニューヨーク便も、ドイツの観光客で満席だった。こうしたチャーター便は、英国航空が年間200便、エールフランスが80便ほど飛ばしていたらしい。

 だが、やんぬるかな、その文化が今や火だるまとなってしまった。その炎の中から、コンコルドは再び不死鳥となって飛び立つことができるであろうか。

(西川渉、2000.9.8)

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