コンコルドは悪くない

 

 

 本文はコンコルドの事故から間もなく、航空専門紙のために書いたものである。本頁に先に書いたところと重複する部分もあるが、ここに掲載しておきたい。

  

  ファーンボロ航空ショー二日目の夕方、超音速旅客機コンコルドの事故が発生した。ファーンボロはロンドン郊外、事故の起こったのはパリ郊外だが、翌朝のイギリスの新聞は航空ショーの会場に衝撃波が広がったと報じた。関係メーカーの代表たちも直ちに会議を開いて事故原因の究明に協力を惜しまないという声明を出し、会場に飾られた参加各国の国旗は半旗に下げられた。

 その翌日、私の泊まっていたロンドンのホテルに東京のテレビ局から電話がかかってきた。そちらの様子はどうかという質問と同時に、日本では英仏の国の威信が失墜したとか、欧州エアバス機の将来に影響するのではないかといった論調が見られるとのことだった。

 それに対して私は、確かに事故は大変なことだし、一機の事故で同じ機種の全機が飛行停止になるのも、民間機としては異例のことである。関係者の受けた衝撃も大きいだろう。けれども、国の威信が失墜するというのはちょっと違うような気がするし、エアバス機への影響もないように思うと答えた。

 コンコルドは今から三十年以上も前に開発された。その当時は両国の威信をかけて米国に挑戦した開発計画だったであろう。したがって、この事故が就航間もない頃であれば、開発メーカーの技術に疑問が生じたり、国の威信が問われたりしたかもしれない。が、就航以来四半世紀を経過した今では、むしろ長年にわたる無事故こそ賞賛さるべきではないだろうか。

 といって、今回の事故がやむを得ないものだったなどと正当化するつもりはない。事故そのものは問題である。ましてや大勢の犠牲者が出ていることでもあり、原因と責任は十分に追及すべきであろう。しかし超音速旅客機の存在が何か悪であるかのように非難するのはおかしい。

  

 ロンドンからの帰途、飛行機の中で読んだ日本の新聞に、コンコルドという「怪鳥・恐竜は再起不能の大打撃を受けた」というコラム記事があった。その記者はコンコルドの定期便就航の前、パリからのテスト飛行に招かれたらしい。そのとき怪鳥は「欧州大陸の上を行儀よく飛行した。ネコかぶりという言葉があるが、怪鳥は優雅なシラサギかぶり。大西洋に出ると、とたんに本性を現した。機内の速度計は見る見るうちに変化して、2・0を示した」

 記者はそのあとマッハ2に達したところでシャンパンを振る舞われ、ダカールで昼食をご馳走になり、夕食前にパリに戻ってくる。「興味深かったが、何となく味気ない。離着陸時のものすごい騒音、燃料の浪費、成層圏でのオゾン破壊、衝撃波などコンコルドの内包する問題点は数多い。それらと引き換えに、マッハ2で旅行する価値はあるのか。帰着してからも考えこんだ」

 考えこんだ結果、どうしたのだろうか。コンコルドは怪しからん、開発中止だ、飛行停止にすべきだといった記事でも書いたのだろうか。是非とも招待飛行の直後にそう言って貰いたかった。二十五年も飛び続けたあとでは、この記者の言うとおりとすれば、おびただしい燃料が浪費され、オゾン層はすっかり破壊されたに違いない。けれども、今となっては後の祭りである。

 また、そんなに急ぐ価値はあるのかというが、これはコンコルドや超音速機が悪いのではない。世界全体の社会の仕組みがそうさせているのである。私も事故によって飛行停止になったと聞いた時は、これでコンコルドも終わりかと思ったが、英国航空は翌日からすぐ飛ばしはじめた。社会の仕組みがそれを必要としているからではないのか。

 テレビや新聞で超音速飛行を非難する人も、結構せかせかと忙しがっているではないか。その活動範囲が日本の中だけならば亜音速で飛べばいいが、地球規模で忙しい人もいる。そうすると超音速で飛ぶことにもなろう。

 評論家や新聞記者の諸君は商売道具が言葉だから、文字でも音声でも電波にのせて、マッハ2どころか瞬時にして地球の向こう側へ送り届けることができる。けれども世界的な活動をするビジネスマンや政治家、芸能人やスポーツ選手は、地球を半周して自分の体を運んでもらわねば商売にならない。しかも時差を超えて飛ぶから体調を崩すおそれがある。病気になれば商売を続けることはできない。評論家諸君はそのことを忘れ、安楽椅子にすわったままで超音速を非難し、その利用者を非難している。

 もし急いではいけないというのなら、なぜ超音速は悪くて亜音速なら良いのか。鉄道の時代からすれば、亜音速機だって、そんなに急いで危険な旅をしなくてもよかろうといったであろう。いっそ諸君は、駕篭に乗って往来してもらいたい。そうすれば諸君の騒ぎ立てるような環境破壊も危険も生じないであろう。

  

 コンコルドの事故原因は、少しずつ明らかになりつつある。エールフランスの飛行再開も間もないことであろう。しかし、このすぐれた飛行機も、今後いつまでも飛ぶわけにはいかない。十年か十五年のうちには引退の時期を迎える。そのとき代わりの超音速機は、旅客機かビジネス機か、どちらかでも実現しているだろうか。いま問われているのは国の威信ではなくて、航空技術の威信である。

(西川 渉、『日本航空新聞』、2000年8月17日付掲載)

 

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