<ストレートアップ>

 ヘリコプター救急の先駆者

 

 

 今年2月初めのワシントン。前日の激しい雪が嘘のように晴れ上がり、路傍に降り積もって明るい陽光にキラキラとまぶしい。市内中心部に大きく広がるアーリントン国立墓地へ、友人のレンタカーで出かけた。

 ここは、いうまでもなくジョン・F・ケネディ大統領の眠るところで、その傍らには「永遠の炎」(Eternal Flame)が消えることなく燃え続ける。入り口には「わが国の最も聖なる地」という文字。南北戦争以来、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、そして最近のイラク戦争など数々の戦場に倒れた兵士が眠り、その数25万人以上。埋葬資格は兵役経験者に限られ、無名戦士の墓も多い。

 つまり国をやすらかにしずめるところであり、日本の靖国神社に相当する。墓地正面ではライフルを手にした衛兵が墓を守って1日24時間、雨が降ろうと槍が降ろうと、身じろぎもせずに立ちつくす。

 

 今日は、しかし、観光や物見遊山ではなく、アール・アダムス・カウリー博士の墓参が目的である。事務所に入って、お墓の所在地を訊くと、若い黒人女性が出てきて、埋葬されたのはいつかという質問。正確な年は憶えていないが10年くらい前ではないかと答えると、向こうへ行ってコンピューターを操作していたが、見あたらないらしい。

 では、その1年前はどうかというと、また探し始めた。このやりとりを何度か繰り返して、とうとう見つからず、本部へ行って探すことになる。雪の中を少し歩いて別の建物へ行き、今度は上下に回転する大きな書類棚を調べ始めた。

 しばらく時間をかけていたが矢張り駄目で、年配の白人女性に応援を求めたところ、あっさりと探し出してくれた。埋葬は1991年。お墓のある区画と番地が分かった。どうやら最近の埋葬者はコンピューターに入っているが、10年くらいから前の人は膨大な紙の台帳にしか載っていないらしい。

 教えられた区画まで車の乗り入れ許可を貰い、起伏のある雪道を走って、それらしいところにやってきた。車を降りると、膝近くまで積もった雪の中に遠くの方まで無数の墓石が並んでいる。ひとつずつ名前を確かめてゆかねばならず、どこにカウリー先生のお墓があるのか、とても見つかりそうもないと一時は絶望的な気持ちになりかけた。

 それでもしばらく雪の中を歩き回り、ふと見かけた大きな墓石に運良くその名前を見つけたのは奇蹟というべきか当然というべきか。おまけに、カウリー博士のお墓にだけ花束がたむけてある。それを見て、私は内心、自分が何も持ってこなかったことを悔やんだ。そのうえ西洋のお墓の前に立って、どのように拝んだらいいのかよく分からない。まさか胸の前で十字を切るわけにもゆかず、日本式に手を合わせて頭を下げるにとどめた。


広大なアーリントン墓地の日だまりの中にあったカウリー博士の墓

 カウリー博士は軍医として朝鮮戦争に参加した後、ボルティモアのメリーランド州立大学で外科学を教えながら、附属病院で救急の任に当たった。そのとき負傷兵の救護に関する自分の経験と、ベトナム戦争の実状から、国内でも急病人や交通事故のけが人にヘリコプターを使えば、救命率が上がると考え、実行に移した。その結果、墓碑には下表のような文字が刻まれている。

 この中で、われわれヘリコプター人としては、博士がゴールデンアワーという言葉を使いながら、ヘリコプターの利用を促進した先駆者であることを銘記すべきであろう。

カウリー博士の墓碑銘

 

R.アダムズ・カウリー
(1917年7月25日〜1991年10月27日)

心臓および外傷外科医
メリーランド州での救急活動によって何千もの人命を救い、
世界の救急医療の様相を一変させた外傷治療の父

  • 米国初の重度外傷センターの設立者
  • 重度外傷に関する科学的研究の指導者
  • メリーランド州において、米国初の州内全域にわたる救急体制をつくり上げた先駆者
  • 発症後60分以内の的確な治療によって外傷患者が助かるという概念「ゴールデンアワー」の提唱者
  • 救急医療に民間ヘリコプターの利用を始めた指導者
  • 高圧治療法と開胸心臓手術の開拓者
  • 電動ペースメーカーおよび手術クランプの発明者
  • 心臓外科学会の設立者 

 カウリー博士がメリーランド州知事や州警察の長官を説得して、警察ヘリコプターによる救急体制を組み上げたのは1960年代の末である。以来35年、現在では州内8ヵ所にヘリコプター拠点を置き、24時間いつでも出動できる体制を敷いている。

 2004年の出動は8拠点合わせて9,956件。うち警察業務は2,005件で20%、訓練や整備飛行が1,489件で15%、残り6,462件、65%が救急であった。1ヵ所平均の救急出動は668件だが、州都ボルティモアでは1,050件で、ここはアダムス・カウリー・ショック・トラウマ・センターの所在地でもある。

 このような出動件数からすると、警察業務よりも救急業務に重点が置かれているように見える。といって警察業務をおろそかにするわけではない。犯罪捜査、現場調査、保安輸送、災害支援、ハイウェイ・パトロールなどの業務をこなしながらの救急業務だから、8ヵ所の拠点に対して12機のヘリコプターを保有する。これだけ多くの予備機があれば、患者搬送に忙しくて泥棒を追いかける暇がなかったなどということは少ないであろう。

 それに8ヵ所という拠点数は、配備密度としても濃い。メリーランド州は面積約15,000平方キロだから、そこに8機が分散待機しているということは、日本に当てはめると200機に相当する。警察と救急の両立を考えると、そのくらいの密度が必要なのだろう。


メリーランド州警察のドーファン・ヘリコプター

 

 顧みて、日本の消防・防災ヘリコプターの救急実績は、2004年の出動がわずかに2,087件。拠点数50ヵ所としても、1ヵ所平均40件にすぎない。メリーランド州警察の6%程度である。何故こんな中途半端に終わるのか。その半端なために、犠牲となっているのが助かるべき命をなくす国民にほかならない。

 ヘリコプター救急も任務というからには、せめてメリーランド州警察くらいのことはやってもらいたい。それができないようであれば、その任務を他に譲るべきではないのか。


「ゴールデンアワー」を提唱したカウリー博士 

(西川 渉、『日本航空新聞』2005年4月28日付掲載)

 

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