<ストレートアップ>

ドクターヘリの安全確保

 

 ドクターヘリが軌道に乗り始めた。もっとも全国的な普及度は、各県1機ずつの50機、あるいはドイツなみの80機に対して1割程度でしかない。けれども既に始まったところでは、1機で年間600〜800件を飛ぶようになり、欧米の先進事例に近づきつつある。

 ここで考えておかねばならないのは安全の確保であろう。これまではさほどの重大事態に遭遇することなく、まずは順調に進んできた。が、欧米の先進事例がいくつもの困難にぶつかってきたことを思えば、現状は決して安心とはいえない。

 というのも、救急飛行には運航関係者ばかりでなく、他の多くの人や組織がかかわっているからだ。そのため、ヘリコプターには無関係と思われる意外なところから破綻が生じるかもしれない。また万一事故が起こり、直接原因がパイロット・エラーだったとしても、背景にはエラーを誘発する遠因が航空会社内はもとより、同じヘリコプターに乗組む医療スタッフや病院、さらには消防、警察、航空当局、そして県や国の行政組織や制度にまで潜んでいたかもしれないからである。

さまざまなCRM

 航空会社では近年、コクピット・リソース・マネジメント、クルー・リソース・マネジメントと呼ぶ安全管理方式や訓練体系が取り入れられるようになった。いずれも頭文字だけを取ればCRMになるが、救急飛行の安全確保のためにはこの考え方をさらに拡大して、下表のような協力体制をととのえ、関係者相互の連絡調整を絶やすことなく、繰り返し訓練をおこなう必要があるというのが筆者の提案である。

CRM

関係者

Cockpit Resource Management

機長、副操縦士

Crew Resource Management

整備士、医師、看護師、救急救命士

Corporate Resource Management

運航管理者、運航会社、病院

Community Resource Management

消防、警察、自治体、学校、住民

Country Resource Management

国土交通省(航空、道路)、厚生労働省その他の関係省庁

 ここに示すいくつものCRMのうち、最初のコクピットに関しては、航空専門の本紙上で説明する必要はないだろう。ただ救急飛行の場合は任務の性格上、余り正義感の強いパイロットでは、たとえば気象条件の悪化が予想されるようなときでも、誰かが大怪我や急病で倒れていることを思うと「よし、行くぞ」ということになりかねない。

 救急ヘリコプターは空港から空港へ飛ぶわけではない。飛行支援施設のない空域を飛び、未知の場所に着陸しなければならない。パイロットにどんな自信があろうと、決して無理をしてはならない。それゆえ熱血パイロットは、救急任務には不適というのが通常の考え方である。

医療スタッフも乗員の一部

 次に、クルーを含むCRMは、客室乗務員ならぬ医療スタッフ――医師、看護師、救急救命士など、航空関係者以外のスタッフが乗組むことから、個々人の緊急操作手順はもとより、万一の場合に患者や家族を保護するための緊急訓練、さらには機長との意思疎通や連携動作が必要になる。

 また、狭い場所へ着陸するときの障害物の見張りはもちろんだが、たとえば気象条件の悪化が予想され、機長が「どうしようかな」と考えているようなとき、医療スタッフが黙っていると、それだけで暗黙の圧力が機長にかかる。最終判断はむろん機長の責任だが、医療スタッフの方も「余り無理をしないように」といった発言で気持をやわらげることが必要だろう。

 パイロットの方も独りで考えこむのではなく、気がかりな点があれば口に出す方がいい。そうすれば周りの人も一緒になって考えてくれるし、自分だけでは気づかなかった問題点を指摘してくれるかもしれない。

 

国を含む広範なCRM

 企業を含めた第3のCRMは、ヘリコプター会社の全社を挙げた危機管理は当然だが、救急業務の場合は病院との関係が重要になる。運航会社と病院との関係が円滑かどうかは、救急ヘリコプターの安全に最も大きな影響を与えるといわれる。病院側責任者と運航会社との意思疎通に小さな齟齬でもあると、パイロットが注意散漫に陥ったり、無理をして飛んだりする。現場のスタッフ同士はもとより、高いレベルの関係者も普段から忌憚のない話合いをして、相互にいささかの不信感もあってはならないだろう。

 次は地域社会を含むCRMである。ヘリコプターの救急出動は、先ず119番の電話を受けた消防からの要請によって始まる。したがって消防本部は扇の要(かなめ)のような役割になり、安全面でもゆるがせにできない。加えて現場の救急隊員は、咄嗟の間にヘリコプターの着陸場所をととのえなければならない。

 同様に警察も現場の交通規制や野次馬の排除などの役割を持つ。したがって、これらの緊急機関とヘリコプターとの間の連絡通信も不可欠で、ロンドン市内の繁華街に救急ヘリコプターが安全に着陸できるのは、パイロットと警察官が無線連絡を取り合いながら降りてくるからである。

 最後は自治体や国を含むCRMである。ヘリコプター救急の制度をつくるのは行政機関だが、不完全な制度では運航上の危険をも招きかねない。現場の実態を充分に把握し、関係者の意向を汲み上げる配慮が必要である。

 

救急飛行は最も危険な任務

 繰り返しになるが、救急飛行は第1に航空専門家以外の多くの人がかかわってくる。第2に未知の場所に着陸しなければならない。そして第3に、何よりも患者の命がかかっているために時間的な余裕がなく、乗員の精神的な余裕もなくなる。

 そのため救急は、ヘリコプターの飛行の中では戦場での作戦行動に次いで危険な任務といわれる。そうした状況の中で安全を確保するには、広範な人々と組織の緊密な連携動作こそが不可欠である。

 

(西川 渉、「日本航空新聞」2005年1月20日付掲載)

 

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