<マリーンワン>

米大統領ヘリコプターの行方

 「核戦争の最中に、機内で晩餐をつくって食べさせてくれるような、そんな贅沢なヘリコプターは要らない」

 オバマ大統領のこの一と言から、VH-71の開発計画が白紙に戻った。

 オバマ大統領は2009年2月以来、自分の乗るヘリコプターは今のVH-3Dで充分と云いつづけてきた。というのは就任間もない2月23日、大統領選挙の相手候補だったマケイン上院議員が「次期大統領ヘリコプターVH-71はジャンボジェットのエアフォース・ワンと同じくらいのコストになろうとしている。このことを大統領はどう思っているのだろうか」と記者会見で語った。

 それに対して新大統領は「今のヘリコプターで充分」と応じた。「VH-71の開発と調達の経緯は、やはり異常としかいいようがない」と。

 それから間もなく、2009年4月ゲイツ国防長官が「VH-71計画は当初予算の2倍、総額130億ドル(約1.2兆円)になると見られる。しかも開発日程がいちじるしく遅れており、果たして実用になるのか」と疑問を呈し、計画取りやめを示唆した。

 そして5月、ゲイツ長官はVH-71が「絵に描いた餅にすぎなかった」として、実態のない幻のヘリコプターを高額の予算を使って買うことはできないと、廃案に向かって動き始めたのである。

仕様の追加でコスト急増

 今から5年前、2005年1月のことだが、アメリカの次期大統領ヘリコプターは、米海軍の選考によってイタリアのアグスタウェストランドEH-101に決定した。この大型3発タービン機は現在AW101と呼ばれ、日本でも早くから警視庁が採用しているが、アメリカ向けにはロッキード・マーチン社が表面に立ってUS101の呼称を使い、構造部分はイギリスで製造するものの、部品や装備品の多くはアメリカ製とすることで採用になった。契約金額は61億ドル(約6,000億円)、調達機数は23機。このとき敗れた競争相手はシコルスキーS-92であった。

 そして2007年7月3日、VH-71の正式呼称を与えられた試作1号機が英国ヨービルのウェストランド工場で初飛行した。

 ところが、その頃から、ホワイトハウスや米海軍の中で2001年秋の911多発テロを振り返って、大統領機として当初の設計仕様では不充分という考えが出てきた。そしてミサイル攻撃を回避すると共に、政府機関との間で緊密な情報交換をしながら、軍に向かって直接大統領が命令を出せる通信機器など、きわめて高度の重装備をすることになった。

 そうなると機体の運用重量が増えて飛行性能が落ち、機内もせまくなる。そのためのさまざまな対策を考えると、開発コストが上がり、量産コストを合わせて総額112億ドルになるという試算が2008年1月に出された。さらに同年末には、130億ドルになるという推定が出る。ここから上述のマケイン議員のような疑問が噴出、オバマ新政権も同じような問題意識をもつことになったのである。

VH-71復活の論議

 それでも、この間、VH-71の開発作業と飛行試験が続いた。2009年4月28日にはヨービル工場で前量産型5号機が完成、数日後に米空軍C-17輸送機で米国へ送り出された。これは試作9号機にあたり、最後の試作機であった。これら9機の飛行試験がうまくゆけば、次はいよいよ量産機の製造にかかるところまで漕ぎ着けたのである。

 しかし5月15日、国防省がVH-71の開発中止を正式に決定、海軍が作業停止の命令を出した。さらに6月1日には海軍とメーカーとの間のVH-71計画に関する契約破棄が発表された。

 これに対してメーカー側は、ロッキード・マーチン社はもとより、量産機の組立てを担当する予定だったベル・ヘリコプター社、それに多数の部品、装備品のメーカーが地元選出の議員に対しロビー活動を開始した。それを受けた議員たちも、VH-71復活のための予算案を提出することになる。

 その結果、7月30日には下院予算委員会が2010年度国防予算の中に、5機のVH-71を実用化するための開発、試験、評価を継続する費用として4億ドルを含めることを承認したのである。これは2009年10月1日から始まる予算だったが、その直前の9月10日こんどは上院予算委員会が開発継続の予算は認められないとする決議をして、ついにVH-71が葬られることになった。

 この間、当然のことながら、政府と議会とメーカーとの間ではさまざまな論議が交わされた。メーカーと地元議員が問題にしたのは、計画中止に伴う失業者の増加である。ロッキード・マーチン社はVH-71の開発にたずさわっていた社員700人を解雇せざるを得なくなった。ベル社も100人ほど解雇し、ベルとアグスタの合弁会社でも48人を解雇した。しかし契約が復活すれば、解雇された人の多くが戻ってくる。

 さらにVH-71には、当時すでに33億ドル(約3,000億円)が費やされていた。これに新たな予算を加えて、総額70億ドルとすれば、19機は調達できるという計算も提示された。当初の計画が61億ドルで23機を調達する予定だったから、さほど大きな齟齬が出るわけではない。

 機数の面でも今の大統領機はVH-3Dシーキングが11機とVH-60ナイトホークが8機だから、合わせて19機。決して悪くはないはず。しかるに、これまでやってきたことを全て捨て去り、まったく新しい計画を始めるとすれば、今度は100〜170億ドルという膨大なコストがかかるだろうというのである。

 こうした論調がVH-71の復活をめざす議員たちの主張であった。しかし、オバマ大統領は一貫して、VH-71を是認するような予算には拒否権を発動するという姿勢を取りつづけた。この様子を見て、オバマはマケインの挑発に乗りすぎて後に引けなくなり、とうとう33億ドルを無駄にしてしまったと評する人もいる。逆にマケインにしても、大統領に当選していれば果たしてVH-71をやめると云ったかどうか怪しいものだという人もあって、もとより本当のところは分からない。

大統領機を実現させた男

 ところで、アメリカの大統領がヘリコプターを使うようになったのはいつの頃であろうか。

 1950年代なかば、当時のベル・ヘリコプター社はモデル47の実用化から10年ほどたって、売れ行きを伸ばすための秘策を練っていた。その一つが大統領の乗用機として採用されることで、そうなれば安全上の太鼓判を貰ったようなものだから、大きな宣伝になる。そのためベル社のテスト・パイロット、ジョー・マッシュマンは、先ず大統領の身辺を警護するシークレット・サービスを口説くためのデモ飛行を見せた。

 余談ながら、筆者も昔この人に何度か会ったことがある。もはや故人だが、今も国際ヘリコプター協会(HAI)が毎年出している安全賞に「ジョー・マッシュマン賞」として名を残している。

 さて、ベル47Jのデモ飛行に対し、シークレット・サービスは単発機では安全が保証できないと主張した。そこでマッシュマンは、彼らをベル47Jに乗せ、何度もエンジンを切ってオートローテイション着陸をやって見せた。ヘリコプターは動力がなくてもふわりと接地できることを実際に体験させたのである。

 もうひとつ、ヘリコプターが大統領機として採用される要因になったのは、ジョン・フオスター・ダレス国務長官である。マッシュマンは最後の一押しをするために、自分の妻と共に国務長官をモデル47Jに乗せた。大げさにいえば女房を人質に置いたようなもので、いかにヘリコプターが信頼できるかを示すためであった。

 ダレスもこれを見て、2度目の飛行には自分の妻を乗せた。ダレス夫人はすっかり有頂天になり、着陸してからもヘリコプターがいかに素晴らしいかを語りつづけた。ダレスは妻にとって安全ならば大統領にも安全と考え、アイゼンハワーにベル47Jの採用を進言するに至った。

 大統領が初めてヘリコプターに乗り、ホワイトハウス前庭の芝生から飛び立ったのはそれから間もなく、1957年7月12日のことである。機体は青と白の塗装をした47J。アイゼンハワーは、もともと軍人として飛行機のパイロットだったが、ヘリコプターから降りてきて、「生涯の中で、これほどなめらかな飛行は経験したことがない」と感想を語った。

 ホワイトハウスはこの47J(軍用呼称H-13J)を2機導入し、大統領機として使用した。うち1機はのちに、ワシントンにあるスミソニアン航空宇宙博物館のダレス空港別館ウドバーヘイジー・センターに展示され、今も見ることができる。


最初の米大統領ヘリコプター(2005年2月筆者撮影)

大統領ヘリコプターの進展

 アメリカ大統領がヘリコプターを使うことの意義は、近距離を移動する場合、リムジンに乗って地上を走ると道路を規制する必要があり、他の交通の迷惑になる。もうひとつは身辺警護の面でもヘリコプターの方が安全だからである。

 さらに当初はホワイトハウスへの核攻撃が心配され、それに備えて大統領の脱出手段として考えられた。最近はテロ攻撃に対抗する意味もあって機体はだんだん大きくなり、ミサイル攻撃を回避するためのフレヤーやチャフも装備している。

 H-13Jは1958年、シコルスキーHー34(S-58)に変わった。そして1961年にはVH-3A(S-61)になる。これがVH-3Dに変わったのは78年。89年にはVH-60Nも登場してVH-3Aはなくなった。

 これらの大統領機を運航するのは当初、米陸軍と海兵隊の両方であった。それが1976年から海兵隊だけで飛ばすことになり、大統領の乗った機体は公式に「マリーン・ワン」と呼ばれるようになった。飛行機の方は空軍が担当し、今のボーイング747が「エアフォース・ワン」と呼ばれることはご存知のとおりである。

 また副大統領を乗せたときは、同じ機体でも「マリーン・ツー」と呼ばれる。そして大統領の家族が乗ったときは「マリーン・ワン・フォックストロット」、副大統領の家族機は「マリーン・ツー・フォックストロット」になる。

 マリーン・ワンは通常2機、多いときは5機が一緒に飛行する。大統領がどの機体に乗っているか、テロリストなどから見ても分からないようにするためである。さらにテレビカメラは、マリーン・ワンの飛行を生中継することが禁じられている。

 そしてマリーン・ワンは大統領の旅行先へは、米国内でも国外でも、大統領専用のリムジンと共についてゆくことになっている。

 いうまでもないことだが、大統領のヘリコプターはアイゼンハワーの当初から、これまで一度も事故を起こしたことがない。テロ攻撃などの異常事態にも遭遇したことはない。

2017年に向かって仕切り直し

 大統領のヘリコプターが半世紀以上にわたって安全に飛んできたことは確かだが、今のVH-3Dが登場して30年余り、いかにも古くなった。耐用期限が近いため、飛行可能な状態を維持してゆくだけでも大変で、そろそろ代替機が必要というところからVH-71が選定されたのである。

 しかし、この代替計画もオバマ大統領みずから廃案にしたことで、新たに立て直さなければならない。そこで国防省は今年2月16日、改めてヘリコプターメーカーに対し見積り提案を要求した。

 要求の内容は、キャビンの大きさが10〜14人乗りで、大統領の職務に差し支えないような搭載能力を有し、できれば14人乗りが望ましい。これら所要の人数を乗せ、気温35℃、シーレベルで地面効果外のホバリングができること。

 離陸操作中に片発が停止しても安全に元のヘリポートに着陸するか、飛行が継続できること。270〜500kmの航続性能を持つこと。空軍のC-17およびC-5輸送機に搭載できること。混雑した市街地上空でも安全に飛行し、万一の場合は建物や人に危害を加えることなく不時着できること。対気速度260km/hで巡航できること。

 そして機内の大統領と政府機関との間で緊密な情報交換ができると共に、緊急時には全軍に命令が出せるような通信機器を搭載できること、などとなっている。

 こうした提案要求を受けたメーカーは、それに応じるかどうか、当面4月19日までに意思確認書を提出することになっている。目下のところ、どのメーカーが次期大統領ヘリコプターの開発と製造に乗り出すか全く不明だが、おそらくは5年前に敗れたシコルスキー社が再びS-92を提案する可能性が高く、自らも今度こそ契約を勝ち取るという捲土重来の意気込みを見せている。

 またアグスタウェストランド社もVH-71に注ぎこんできた技術を生かして復活をねらうであろう。ただし、その主務契約者となっていたロッキード・マーチン社が表に立つかどうかは分からない。昨年VH-71が廃案になった当時、同社は「顧客が要らないと云っているものを、押し売りするつもりはない」と語っていた。またボーイング社はV-22ティルトローター機を提案するのではないかという見方もある。

 新しい大統領機の登場は2017年の予定である。

(西川 渉、「航空ファン」2010年6月号掲載) 

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