<アグスタウェストランド>

山岳救助の天才ダビンチ・ヘリコプター 

 

 先頃、スイスREGAのウォルター・シュトゥンジ部長による講演を聴いた。ヨーロッパ・アルプスの4,000m級の高山でも安全な救助作業ができるヘリコプターの開発を中心に、REGAの日頃の活動ぶりを語った内容である。

 これは去る11月なかば、岐阜長良川国際会議場で開催された日本航空医療学会の学術集会でのこと。全国の救急医療やドクターヘリにたずさわる医師、看護師、救急救命士、パイロット、整備士、運航管理通信士(コミュニケーション・スペシャリスト)など、530人余の関係者が集まり、100件を超える演題が発表された中の一つである。

スイス・エアレスキュー

 REGAは日本語でスイス航空救助隊とかスイス・エアレスキューといわれる非営利のNPO法人。REGAの“RE”はドイツ語のRettung(救助)、“GA”はフランス語のGarde(守護)を組み合わせたものという。

 航空機による救急救助を目的として1952年に発足、82年からスイス赤十字の傘下に入った。保有機はビジネスジェットのボンバルディアCL604チャレンジャーが3機、ヘリコプターのユーロコプターEC145が6機、アグスタA109K2が7機。加えて2009年秋から新しいAW109SPダビンチの受領が始まった。

 チャレンジャーはキャビン内部に医療機器をそなえてアンビュランス・ジェットと呼び、長航続の飛行性能を発揮して地球上どこへでも、緊急事態におちいった自国民の救護や搬送に向かう。スイス人が日本で大けがをしたり急病になったときも、医師やナースが同乗し、地球を半周して迎えにくる。

 その費用は健康保険でまかなわれる。それで足りなくとも、患者がREGAのパトロンであれば請求されない。「パトロン」とはREGAの支援者で、年間わずか30スイスフラン(約2,600円)の寄附金を納めるだけで資格が取れる。これで飛行機やヘリコプターの救護費を心配する必要はない。パトロンの人数はおよそ210万人。スイス国民760万人の27%ほどだから、4人に1人はREGAのパトロンである。スイス人特有の相互扶助や団結心を救急医療の面でシステム化した制度といえよう。

 国内の救護にはヘリコプターが使われる。いつぞや、都内のある企業を訪ねたとき、そこの女性社員との話の中でドクターヘリの話題になって「あたしもスイスでヘリコプターに助けられました」と云われて驚いた。

 それによると2〜3年前、春休みを利用してスイスへスキーに出かけたところ、雪の中で転倒して足の骨を折った。そこへすぐにヘリコプターが飛んできたというのである。

 それまで「ヘリコプターなど乗ったこともないし、びっくりしました。ちょっとした骨折だったし、そんな大げさな救助になるとは思わなかったんです」

 しかし、救助隊のなすままにしていると、やがて山麓の病院に向かって離陸。「ヘリコプターの中で、飛びながら、一体いくら取られるのか、骨折よりもそっちの方が心配でした」

 そのまま彼女は入院し、完治したわけではないが、数日たって無理に日本へ戻ることにした。スイスの田舎町で入院していても、言葉が不自由だし、不安だったからという。結局、費用はヘリコプターの代金と治療費や入院費を合わせて50万円足らず。帰国後、旅行傷害保険で補填されたので自己負担はほとんどなかったという。

毎年かなりの剰余金 

 このようにスイスでは、ヘリコプターが日常的な救急救助手段として使われている。全国13ヵ所に拠点があって、市街地の交通事故でも山の中の遭難でも、救急事態が発生すればすぐに医師が乗って飛んでくる仕組みである。

 スイスの国土面積は日本の九州と変わらない。そこに13ヵ所のヘリコプター拠点があることを想像していただきたい。ほかに南の国境付近はイタリアの2ヵ所からも応援を受けているので、九州ならば1県に2機ずつの割合になり、しかも昼夜を問わずに飛ぶ。したがって医療過疎とか救急患者の「たらい回し」とか、最後は死に至るような悲劇を嘆くこともない。

 こうしてREGAの航空機は、シュトゥンジさん――この人は筆者も以前からの知り合いなので、さん付けで呼ぶことにするが――の講演によると、救急救助のために2008年は14,215回の出動をした。収入は1億4,200万フラン(約122億円)。そのうちパトロンなどの寄附金は8,100万フラン(約70億円)で、収入の6割に近い。残りは健康保険や旅行傷害保険などから受け取る。

 従業員は約300人。パイロット、整備士といった運航要員のほか医師やパラメディック(救急救命士)が含まれる。それでも毎年かなりの剰余金が出る。営利企業ではないから利益とはいわないが、NPO法人なので税金もかからないのではないか。とすれば、筆者の勝手な推定では収入の2割程度の資産が毎年積み上がってゆくはずで、これが航空機の購入や格納庫の建設に充てられる。

 したがってREGAの使用機も施設も、きわめて充実したものとなっている。救急飛行は世界中で盛んだが、なかなか利益が上がらないといわれる。むろん救急は営利のためにやるものではないが、少なくとも採算が合わなければ長続きしない。REGAの経営は見習う点が多いはずである。

4,000m級のスイス高峰

 さて、REGAの救急出動は、2008年実績がヘリコプターだけで10,425回。拠点13ヵ所で割ると、1ヵ所平均ちょうど800回。また夜間飛行は2,043回。全体の2割である。さらにホイストを使った救助飛行は昼夜を合わせて1,820回であった。

 これらの救助活動は、どのくらいの高地でおこなわれているか。シュトゥンジさんによれば、標高1,500m以下の任務が35%くらいだが、1,500〜2,500mの高地で55%程度。残りの10%が2,500m以上で、5%は3,000mを超える。4,000m近い高地での任務も2%ほどあるというから、10日に一度くらいの割である。

 スイスは国土面積の6割が標高1,700m以上のアルプス山岳地で、4,000m以上の山が74。最高峰はモンテローザの4,634mである。気象条件も場所により季節によっていちじるしく異なる。 そんな悪条件の中でホバリングをしながらホイスト・ケーブルを降ろし、切り立った崖の途中で立ち往生している登山者を救助する。それに必要なのは、少なくとも、第1にパイロットの技倆と判断力、第2はホイストの先端にわが身を託して降下する救助員の技能と度胸、第3はヘリコプターの飛行能力であろう。

 山岳救助のためにREGAのパイロットは繰り返し訓練に励む。時には雪や霧や強風の中でも飛行する。アルプスの北側斜面ではフェーン現象が起こることもある。生暖かい乾いた風が山肌を駆け下り、斜面の高いところと低いところでは気圧が大きく異なり、下の方では風速50mを超える。無論これでは飛行できるはずもないが、そんな中で誰かの命が危険にさらされることもある。

 REGAは危険な救助飛行をしながら、ほとんど事故を起こしたことがない。例外は1997年、霧の中でケーブルにぶつかったことがある。REGAのパイロットは拠点ごとに、いつも同じ地域を飛んでいるから地形はもちろん、電線やケーブルの所在もよく承知している。ところが衝突したケーブルは正式の許可を受けずに張られたものだった。しかも霧がかかっていたために悲劇が起こったのだ。

独自の長吊り救助

 ヘリコプターの吊り上げ救助用のホイストは、普通30〜50m程度である。REGAの場合は、これが50〜90mだが、さらに最長200mの長吊りも敢行する。50mの標準ワイヤに150mの登山用ザイルをつないだもので、急峻な岩壁の途中で立ち往生した登山者を救うためのREGA独自の技術である。これを、彼らは「ロングライン・レスキュー」と呼ぶ。

 その場合の救助員はスイス山岳会の専門家が多い。彼らはザイルに命を預け、上空でホバリングするヘリコプターから徐々に降下して、岩壁の途中やオーバーハングの下でけがをしている遭難者に近づく。このときパイロットから200m下は全く見えないので、救助員との連絡は無線でおこなわれる。

 遭難者がオーバーハングの下にいるときは5mまで伸ばせる伸縮可能な棒を使い、棒の先のフックを近くの岩肌にひっかける。その棒をたぐりながら、救助員は遭難者のそばへ近づき、ホイスの先のザイルに固定する。

 ヘリコプターは2人を吊り下げたまま近くの平らな場所へ飛び、そこに降ろす。その後すぐそばに着陸して、医師が患者の手当をしたのち再びヘリコプターで病院へ送りこむ。

 このような救助作業は、むろん一朝にしてできるものではない。REGAの半世紀を超える伝統の中で受け継がれてきた技能である。人を助けに行って、自分が死ぬようなことがあってはならない。しかし危険だからといって逃げるわけにはゆかない。いかにして危険を克服するかがREGAの存在理由である。

 パイロットは、いかにベテランでも繰り返し訓練を受けなければならない。訓練の内容は長吊りホイスト、夜間飛行、水面救助、霧の中の出発、消火活動、ケーブルカーからの救出任務などで、運航責任者や査察パイロットが各基地を回って、訓練にあたる。対象はパイロットばかりでなく、ヘリコプター救助作業に協力してくれる地元の警察、消防、山岳救助隊などの関係者も参加する。

 またREGA内部には異常報告の制度があって、各自が体験したヒヤリハットの事態をコンピューター上に書きこむ。これらはREGAの安全データベースとなって蓄積され、内部のウェブ構造によって誰でも閲覧することができる。


岩壁の遭難者を助けるREGA独自の長吊り

岐阜防災機の殉職者に黙祷

 シュトゥンジさんの話を聴きながら、私は2ヵ月前に起こった岐阜県防災ヘリコプターの事故を思い出していた。9月11日、北アルプス奥穂高岳で心肺停止の登山者を救助しようとして墜落、乗っていたパイロットなど3人が死亡した。あの機長は山岳飛行についてどのくらいの経験を積んでいたのだろうか。どんな訓練をしていたのだろうか。そしてパイロットばかりでなく、有名な「ジャンダルム」とか「ロバの耳」と呼ばれる峻険な地形と気象条件を考え合わせ、航空隊として如何なる判断で救助飛行の出発を決めたのだろうか。

 この事故が私の頭を離れないのは、その当日、NHKの夜9時のニュースに呼び出され、何が考えられるかという質問を受けたからである。しかし事故直後の映像を見ただけで原因を推測するなどはまことに難しく、しかもいい加減なことは言えない。

 高い岩場の斜面にテールブームが転がっている画面から、これが岩肌に当たったのではないか。ホバリング中によほど強い乱気流にあおられたのではないかという話をしたが、案の定私の間違いで、あとで判明したところでは、岩壁に当たったのは主ローターだったらしい。

 無論まだ事故調査の結論は出ていないので、余り想像をたくましくしてもいけないが、頭上のローターが何かに当たったとすれば、パイロットはホイストで降下して行った救助隊員の方に気を取られていたのかもしれない。その一瞬のスキに強風に見舞われたのではなかったか。

 偶然にも岐阜で開催された日本航空医療学会である。亡くなった機長は救急医療にも熱心で、しばしば今日ここに出席している医師や看護師を乗せて飛んでいたという。総会では3人の殉職者に黙祷が捧げられた。

新しい救助用ヘリコプターの開発

 シュトゥンジさんの話に戻ると、REGAは人材の育成や鍛錬と同時に、救急救助のための装備品についても独自の工夫を加え、開発を続けている。とりわけヘリコプターそのものの改良と開発についても、メーカーに対しさまざまな要望を出してきた。

 現用アグスタA109K2もREGAの要望から生まれたもので、従来のA109のエンジンを換装して出力を上げ、高温高地性能を高め、アルプス山岳地の救助にあたっても息切れしないようになっている。実用になったのは1992年だが、日本でも96年夏から富山県警が同じものを使い、立山連峰や黒部渓谷などの救助飛行に威力を発揮してきた。

 しかし3年ほど前、REGAはK2でも能力不足を感じるようになった。自分たちの要望によって生まれた理想のヘリコプターだが、人間の方の技術が上がると、今度は機械の能力に不満が出てきたのである。

 そこで再びメーカーに開発の要望が出された。条件は、標準大気状態プラス10℃で、標高3,500mの山で地面効果外ホバリングが可能というもの。この場合、当然のことながらREGAの山岳救助に必要な装備と人員を乗せていなければならない。

 乗員は3人で重量が270kg。加えて90分の飛行に必要な燃料、遭難者を吊り上げるホイスト、ダブルフック、救急器具と医薬品。そして救助した遭難者を少なくとも1人は乗せられなくてはならない。

 こうした重量条件で飛行基地を出発し、山の遭難現場へ飛び、遭難者をホイストで吊り上げ救護して病院へ飛び、再び燃料の余裕をもって基地へ戻ってくることになる。

 REGAは、この条件に合うヘリコプターを求めて、AS350B3やラマなど、高度性能にすぐれたヘリコプターを探し、それぞれを比較検討した。しかし、希望の条件に合う機材はなかなか見つからない。新しいEC145もA109グランドも、気温が上がり、標高が増すとホバリング性能が現用A109K2に及ばないのである。

 グランドは多少とも良かったが、まだ満足できるものではなかった。そこでエンジン出力を上げることも考えたが、それだけでは尾部ローターの空力的な限界から、必ずしも飛行能力は上がらない。REGAはそこで多少の妥協も必要と考え、機体や装備品の重量を削ることによってホバリング能力を高める方針を立てた。 

 その方針にもとづき、アグスタウェストランド社はA109グランドを基本として、胴体をわずかに短縮して軽い複合材を多用しながら、キャビンを拡大した。また引込み脚をやめて固定脚とし、引込み用の油圧装置をおろした。さらに主ローターとローターハブを改めると共に、最新のグラス・コクピットを採用した。装備品や医療機器もできる限り重量を減らし、ホイストも新しくて軽いものを採用した。

 このような機体と装備品のダイエットによって運用自重を110kgほど軽くし、その分だけ総重量を引き下げて、高度性能の向上をはかったのである。その結果、標高4,000m以上では外気温ISA+15℃までA109K2よりもすぐれたホバリング性能を示すようになったのが、AW109SPである。

 この新しいダビンチ・ヘリコプターを、REGAは15機発注し、2009年10月から運航を始めた。その名のとおり、山岳救助はもとより、他の救急面でも万能の天才ぶりを発揮してもらいたいものである。

(西川 渉、月刊「航空ファン」2010年2月号掲載)

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