ベルリンの壁

アルト・ハイデルベルク

 

 ゴールデン・ウィーク本番のはじまった5月3日早朝、ルフトハンザ航空機でドイツへ向かった。帰ってきたのは昨10日午後だったから丁度1週間。日本は平常業務に戻っており、成田からわが家までの電車の中も普段と変わりなく、黄金週間なんぞは忘れてしまったような顔ばかりで、なんだか留守の間においしいものを食べられてしまったような気分である。

 この旅行は、ルフトハンザ航空が世界中の航空ジャーナリストを集め、史上2番目の好成績となった99年度決算をフランクフルトで発表したが、その発表会に招かれたのである。まことに有難いご招待で、そのついでにハイデルベルクとベルリンを訪ねることもできた。

 ドイツは半年前にミュンヘンにゆき、昔デュッセルドルフに行ったこともあるが、今回の3か所は初めての都市ばかりであった。それだけに新しい見聞も多く、ベルリンでは「壁博物館」を見て、分断された民族の悲劇にいささかの感懐を覚えた。しかし、これについて何かを語るのは、まだ早すぎる――というよりは何にも知らなさすぎるので、もうすこし壁の問題を調べてからにしたい。

 ハイデルベルクはドイツ最古の大学が今から600年以上も前の1386年に設立されたところで、ベルリンと違って戦争中も爆撃は受けず、今も昔ながらの学生の町である。その学生生活を感傷的に描いた「アルト・ハイデルベルク」は1901年に発表された芝居で、日本でもよく知られている。

 というわけで、この1週間、本頁の更新が滞りましたが、これからまたルフトハンザの報告を含めて、せっせと書き続けますので、ご愛読のほどお願い申し上げます。

  (西川渉、2000.5.11)

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