<日独比較>

ドクターヘリ31拠点

 

  ドクターヘリの増加がめざましい。2011年度は6月に島根県で始まり、10月に長野県の2号機が信州大学で飛び始めたと思ったら、12月に鹿児島県にも配備され、今年に入って1月、熊本県と秋田県でも運航開始となった。合わせて5機の増加である。

 これでドクターヘリの拠点は2011年度の事業開始以来、下図のとおり、11年間で31ヵ所となった。

 1月23日の秋田県ドクターヘリの開設に当たっては、読売新聞社から電話があり、ヘリコプターによる救急はどのくらい有効なのかと問われた。そこで、1999年度のドクターヘリ調査検討委員会(内閣官房)と並行しておこなわれた旧厚生省の試行的事業の結果から、救急車と比較した場合、死者はほぼ半減、けがや病気が完全に治って後遺症もなく社会復帰のできる人は2倍以上になると考えてよいのではないかと回答した。

 この談話は1月29日付け秋田版の紙面に出たようである。

 旧厚生省はかつて非公式ながら、ドクターヘリ事業の開始にあたって、5年間で30ヵ所の配備を目標としていた。結果は11年間で31機――目標達成までにほぼ2倍の期間を要したが、まずはめでたいと云ってよいであろう。

 しかし今後なお47都道府県のすべてに配備してゆくことを考えると、現状は半分というべきだろう。さらにドイツが日本と同じ国土面積でありながら70ヵ所以上の拠点を持つことを思えば、理想までの道のりはさらに遠い。ここで気をゆるめるわけにはゆかないのである。

 日本のドクターヘリはドイツのヘリコプター救急を参考にしながらシステムをつくり、その後を追ってきた。病院を拠点として医師が乗り組み、現場に着くや直ちに治療を始めるというやり方だが、1970年に始まったドイツの歴史をふり返ってみると、最初の11年間に設けられた拠点数は29ヵ所だった。

 今の日本が31ヵ所になったことからすれば、下図のようにドイツの増加ペースを抜いてしまったのである。

 その後、ドイツはどのように増えたか。下表に示す通り、次の10年間で当時の西ドイツのほぼ全域にヘリコプター救急がゆきわたった。そして1990年に東西ドイツが統一されるや、その後10年間に旧東独地域に次々と拠点をつくっていった。

 これにより、ドイツのヘリコプター救急システムは今世紀初めまでにほぼ完成したといってよいであろう。

 

 そこで、日本の次の課題は、拠点数の増加もさることながら、せっかく配備されたドクターヘリをもっと有効に活用してゆくことであろう。すなわち1ヵ所あたりの出動件数を増やしてゆく必要がある。ドイツは70ヵ所以上の拠点で1ヵ所平均1,000件以上の出動をしている。ベルリンに至っては下図のとおり、2010年中の出動が2,334件であった。


ドイツADACの拠点ごとの2010年出動件数

 これに対して、日本は2010年度の実績が26ヵ所で9,452件。1ヵ所平均363件である。ただし年度のなかばや末期に始まったところもあるので、それらを除くと1ヵ所平均420件になる。今後は少なくとも、今の2倍程度の出動をして、ドクターヘリの有効活用をはかってゆく必要があると思われる。

(西川 渉、2012.2.3)  

 

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