EHインダストリーズ

EH-101ヘリコプター

 

 今から10年余り前、イタリアはミラノにあるアグスタ社を訪ねたときのこと、工場の一角に巨大なヘリコプターのモックアップが置いてあった。まだ実機が飛ぶ前のEH-101で、胴体後方のランプドアが大きな口を開け、がらんどうのキャビンが奥に続いている。前に回るとコクピット。その窓の下にヨーロッパ貴族のみごとな紋章が描かれていた。
「これは何の印ですか」
「先日、イギリスのチャールズ皇太子がお見えになって、ここに坐っていただいた、そのときの記念です。貴方もどうぞ」
 おそるおそる操縦席にすわってみると、何だか妙に生暖かいような感じだった。むろん気のせいであろう。
 あれから10年以上が経過して、皇太子の御利益があったのかどうか、EH-101は今、英国海軍から44機、空軍から22機の注文を受け、さらにイタリア海軍から16機を受注して、生産がはじまった。
 日本からも民間型の1機が発注されている。警視庁向けの機体で、新聞にも報道されたことがあるが、余り大きく宣伝されることもないので気づかぬ人も多いかもしれない。
 今回は以下、そうしたEH-101大型多用途ヘリコプターの全貌を見てゆくことにしよう。

EH-101の概要

 EH-101は大型3発タービン・ヘリコプターである。英ウェストランド社と伊アグスタ社が1980年代初めから共同開発をしてきた多用途機で、軍用機としての用途は対潜作戦、捜索救難、空中警戒、兵員輸送、要人輸送など。民間機としても1994年秋に型式証明を取り、旅客輸送、貨物輸送、資源開発、救急搬送、災害援助などが想定されている。
 主ローターは複合材の5枚ブレード、尾部ローターは複合材製4枚ブレード。エンジンは3基で、これが本機最大の特徴となっている。出力は合わせて6,000shpを超え、万一1発が止まっても出力の損失が3分の1にとどまり、大きな余裕を持つ。
 コクピットには最新のアビオニクスが採用され、操縦系統には光ファイバーを使ったフライ・バイ・ライト機能も組みこまれる。パイロットは通常2人だが、乗員1人の計器飛行も可能。
 キャビンには兵員30人または貨物6トンを搭載。民間向けの旅客機としては30人の乗客とスチュワデス1人をのせて航続740kmの飛行をする。
 降着装置は前輪式の3車輪で、完全引込み脚。不時着するようなことがあっても、脚は垂直方向12Gまでの衝撃荷重に耐えられる。
 こうしたEH-101は10年前の1987年10月9日に初飛行、原型9機で4,000時間近い飛行テストを重ねてきた。その結果、まず英海軍から44機が発注された。同機はロールスロイス・チュルボメカRTM322エンジンを装備して、1999年から実戦配備となる。また英空軍も22機を発注した。やはり1999年から引渡しがはじまる予定。
 一方、イタリア海軍はやや遅れて確定16機、仮8機の注文を決めた。16機の内訳は、8機が対潜/対艦機、4機が洋上警戒機、残りの4機が多用途輸送機。エンジンはいずれもGE CT7-6を装備する。
 なお本機の生産管理に当たるEHインダストリー社は21世紀に向かって、EH-101の需要は軍・民合わせて700機になるものと見ている。

EH-101苦難の開発史

 英国防省で新しい対潜ヘリコプターASWの開発検討がはじまったのは1977年にさかのぼる。当時のウェストランド・シーキングに代る後継機となるもので、ウェストランド社が研究してきたWG.34がその対象であった。
 機体の大きさはシーキングよりもやや小さい。けれども総重量は10トン余りでシーキングより大きく、乗員は3人――パイロット、監視員、機器操作要員が乗り組むだけ。降着装置は引っ込み脚。火器装備も引っ込み式であった。
 エンジンは、当初は双発が考えられたが、後に3発に改められた。出力は1,500〜1,800shpで、チュルボメカ・マキラ、ロールスロイス・ジェム、GE T700などが候補に上がった。その中から英国防省は、WG.34の開発実行のために9基のT700-700エンジンを購入することにした。ただし、これは飽くまで試験機を飛ばすためのエンジンで、生産段階で採用するとは限らないという条件がついていた。そこでロールスロイス社とチュルボメカ社は将来の量産機搭載をめざして、RTM321ターボシャフト(2,500shp)の共同開発に乗り出した。
 もっとも、その頃から欧州共同体の意識が強くなり、欧州は一体という考え方から、必ずしも英国の軍備は英国製とは限らなくなってきた。そのため英、仏、伊、独の4か国は1978年7月、新しい軍用ヘリコプターの共同開発に関する協定を結び、委員会を設けて国際的な調整をはかってゆくこととした。
 その結果、英海軍のWG.34構想はイタリア海軍の求める次期対潜機にも近いことが判明し、両国間で新しいASWヘリコプターを共同開発することになった。そして1978年末、次の4点の合意がなされた。
@新しい対潜ヘリコプターは航続距離が長く、基地または母艦から飛び立って、単独行動ができるものとする。
A潜水艦探知のためには、吊り下げ式のソナーだけではなく、投下式のソノブイも使用する。
Bソノブイからの受信データを処理するために、コンピューターを使った自動処理システムを搭載する。
Cこれらの重装備をしながら、なおかつ長時間の航続性能を持つものとする。
 こうした経緯を踏まえて、ウェストランド社とアグスタ社は1979年のパリ航空ショーで、英伊両国の海軍向けヘリコプターを共同開発するために、両社折半の合弁会社を設立すると発表した。新会社は1980年6月に発足、ヨーロッパ・ヘリコプター・インダストリー(EHI)という名前で、本社をロンドンに置き、正式に新しい開発計画に着手した。
 計画機は、もとよりWG.34が下敷きではあるが、新しい名前を「EH-101」ということにして、対潜水艦作戦に加えて、軍用戦術輸送および民間旅客輸送という3点の主要開発目標を掲げた。
 余談ながらEH-101というヘリコプターの呼称は、当初EHI社の開発1号機という意味で、関係書類には「EHI01」と書いてあったらしい。それを誰かが間違えて「EHの101」と呼ぶようになり、今の名前が定着したという話を聞いたことがある。
 もうひとつ余談ながら、これより十数年前の1964年、アグスタ社はA101Gというヘリコプターの開発を考えたことがある。これは後のEH-101に驚くほどよく似た構想であった。エンジンは3基で、主ローターは5枚ブレード。大きなキャビンをもっていて、後部にはランプ・ドアがついていた。用途は軍・民両用。ただし余りにも時代に先行していたため、構想はよかったが、それを実現するだけの技術がなくてお蔵入りになったというのである。
 そこで三つめの余談を加えるならば、これら二つの余談が一緒になって今のEH-101という名前が生まれたのかもしれない。

共同作業はじまる

 さて、EH-101の設計仕様が固まるまでには、長い時間がかかった。さまざまな論議が続いたためで、時間とともに自重が増え、最大離陸重量が増加していった。特にASW装備や火器搭載量はシーキングの1.5倍にもなり、エンジンも当初の双発構想から3発へと変った。そのため設計着手の時期も遅れた。
 この間、一方では市場調査と需要予測がおこなわれ、ウェストランド社とアグスタ社の2年間にわたる共同作業の結果、向こう15年間に750機の需要が見こめるという結論に達した。このうち3分の1が軍用機という。ただし、その当時から15年以上が経過した現在も、見こみ通りの注文は出ていない。
 もちろん、この予測は冷戦時代の最中につくられたもので、冷戦構造が崩れたいま所期の見こみが得られないのは当然かもしれない。そのせいか、EHインダストリー社の最近の見こみは700機というのが公式見解らしいから、わずかながら減ったことになる。それでも残り3分の2を占めるべき民間機も注文は皆無に近い。
 その頃、両社の作業分担に関する調整がおこなわれ、アグスタ社は後部胴体、尾部、主ローター・ハブ、尾部ローター・ハブおよびブレード、トランスミッション、操縦系統、油圧系統、電気系統などの開発と製造を担当することになった。
 またウェストランド社はコクピット、前部胴体、主キャビン、主ローター・ブレード、エンジン取りつけ部、降着装置、燃料系統、フロート装備、機内空調設備、自動操縦装置などを担当する。最終組立は、両社双方で同じようにおこなうこととなった。
 用途は、対潜水艦作戦に加えて、エグゾセ・ミサイル装備の対艦船攻撃、兵員輸送、車両輸送、民間旅客輸送、貨物輸送、石油開発支援輸送、VIP輸送などが想定された。
 この中でウェストランド社は民間旅客輸送型の開発も担当し、アグスタ社はランプドアを使った多用途輸送機を担当することになった。
 1982年11月、EH-101は設計仕様が固まる段階に達した。最大の特徴は、当然のことながら、ASWとしてのプラットフォームである。シーキングよりも大きく重いけれども、敏捷な運動性をもち、気象条件の悪い中でも狭い艦艇上で離着陸できる。また搭載量も大きく、アビオニクス類が新しくなるとともに、より強力な魚雷を搭載する。これによりEH-101は敵潜水艦の探知と同時に攻撃能力をも備えることになった。
 また艦艇への離着陸能力は海面状態5〜6で3,500トンのフリゲート艦から、速度と風向の如何にかかわらず発着できなければならない。こうした軍用仕様が固まるとともに、30人乗りの民間機としても設計することになり、検討がはじまった。

 

10機で開発試験

 EH-101の開発試験のためには、10機のテスト機が必要ということになった。ただし原型機というよりも前量産型として製作し、1機は地上試験用のアイアンバードとする。飛行試験は残りの9機でおこなう計画である。
 初飛行は1986年半ばと設定された。初飛行後は先ず3,300時間の開発飛行をおこない、次いで2,000時間の慣熟飛行に進む計画であった。
 エンジンは先ずT700-401ターボシャフトを搭載し、民間型にはCT7を装備する。
 こうした計画が具体化した1984年初め、アメリカでも国防省が米海軍に対しEH-101の利用の可能性を調査するよう指示した。その結果、検討はなされたが、それ以前から米海軍ではSH-60シーホークの開発が計画されていたため、それをくつがえしてまでEH-101を採用するには至らなかった。
 翌1985年、パリ航空ショーでEH-101の実物大モックアップが公開された。同時に初飛行は1986年末にずれたことが発表になった。この時点での予約注文はイタリア海軍が50機、英海軍が40機であった。
 ところが1986年2月、ウェストランド社が経営不振に陥り、計画の前途が危ぶまれる状態となった。これが「ウェストランド・アフェア」と呼ばれる出来事で、辛うじて株主の交替によって危機は回避された。
 さらに英国防省はEH-101の開発費が、当初の4億5,000万ポンドから6億5,000ポンドまで増加し、量産段階に達するまでには15億ポンドに膨れ上がるかもしれないと発表した。また英国防省は、EH-101を英海軍だけでなく海兵隊や英陸軍の要求にも適合するよう検討中と発表した。
 1986年秋のファーンボロ航空ショーでも、EH-101はモックアップしか展示されなかった。初飛行が同年末に延びたのだから当然だが、実はもっと後に延びて1987年第1四半期ということになった。しかし、この1986秋の時点でウェストランド社製の前量産型1号機(PP1)はほとんど完成していた。ミラノでもアグスタ社の工場で2号機(PP2)が完成に近づきつつあった。
 PP1がロールアウトしたのは1987年4月7日である。その外観を見た人びとが最も強く印象づけられたのは先端が奇妙な形の主ローター・ブレードだった。これはBERP(英国実験ローター計画)から生まれた高性能のローター・ブレードで、同じ形状のBERPをつけたリンクスが1986年8月399km/hという速度記録をつくったばかりであった。
 このブレードを取りつけたEH-101は最大速度309km/h、巡航速度295km/hという高速性能をもつという設計だった。これは明らかに、従来のどの実用ヘリコプターよりも高速である。
 この当時、EH-101の受注予定数は、英海軍から50機、イタリア海軍から38機というように変更されていた。また英空軍からも25機を受注する見こみが立った。

続々と初飛行

 1987年10月6日、PP1が英ウェストランド社で初飛行した。続いて11月26日、イタリア側でPP2も飛行する。イタリアらしい派手好みのアグスタ社は12月14日、政府要人と記者団を招いて同機の公開飛行を見せた。
 PP1は、最初の45時間の飛行で、最大全備で140kt(260km/h)の高速飛行やバンク角45°、上昇高度3,000mを記録した。
 このEH-101に1988年春、英海軍は「マーリンHAS.Mk1」の正式呼称を与えた。それに対して空軍は輸送用として使う計画で、「グリフォン」という名前を考えていた。
 1988年9月30日、PP3が飛行した。同機は初の民間型で、G-EHILの登録記号を持ち、自動操縦装置がついていた。また、この機体で初めてウェストランド独自の振動防止装置ACSRがついた。
 1988年10月、PP1がイタリアに送られ、PP2と並んで試験飛行をすることになった。この合同テストは1年半にわたってつづいた。テストが終わったとき、PP1は高々度飛行でアルプスを越えイギリスへ戻った。
 1989年4月26日、アグスタ製のPP6が初飛行した。イタリア海軍の試験機である。これより遅れて同年6月15日、ウェストランド社製のPP4が初飛行した。洋上の航法とAFCSの開発が目的で、英海軍の仕様にもとづく機体であった。 つづいて10月24日、ウェストランド社はPP5を飛ばした。完全なマーリン仕様の機体で、いわば初めてのEH-101軍用型であった。
 1989年12月18日、PP7が飛んだ。初のランプドアつきの輸送型である。1990年4月24日には民間型PP8ヘリライナーが飛行した。30席の旅客輸送型で、PP3に続く民間型であった。
 1990年6月、英海軍は自ら使用するマーリンのエンジンとして、RR/チュルボメカRTM322エンジン(2,312shp)の装備を決定した。一方、イタリア海軍は試験機と同じT700エンジン(1,278shp)をそのまま装備することにした。

試験飛行はじまる

 1990年11月までに、8機のEH-101前量産型は合わせて850時間の飛行を重ねた。全体では4,000時間のテスト飛行をする計画である。この間に、設計上の最大速度309km/hも達成された。そして92km/hの横進および後退、それに60°バンクなどの飛行が実際におこなわれた。
 途中いくつかの不具合も見られたが、全て解決した。当初、ホバリングから前進飛行へ移るとき、または前進飛行からホバリングへ入るとき、多少の機首上げ傾向が見られたが、これは主ローターのダウンウォッシュが尾部ローターにぶつかるためで、PP2によって手直しが試みられた。水平安定板の位置を変えたり、テールブームに小さな可動翼をつけたりしたが、結局は水平安定板の大きさを左右わずかに変えることによって解決した。
 また尾部の振動をなくすために、尾部ローター・ハブの設計を改めたり、ブレードや垂直安定板の形状に手を加えるなどして、最終的にEH-101のホバリング中の必要馬力を250shpも減らすことに成功した。
 海上での試験飛行を初めておこなったのはPP2であった。1990年9月、地中海で2,500トンのフリゲート艦、マエストラーレ号で着艦テストがおこなわれ、結果は成功であった。
 最後の前量産型PP9がアグスタ社で初飛行したのは1991年1月16日であった。同機は後にPP5と一緒に、6,000時間の長時間耐久試験をすることになる。これはEH-101の信頼性を実証するためで、オーバホール間隔を3,000時間にすることが目的であった。
 1991年10月9日、ウェストランド/IBMチームはついに英国防省からEH-101の主契約者に選ばれ、正式に44機のマーリンが発注された。1号機の納品は1996年、実戦配備は2001年という取り決めになった。
 同時に民間型の型式証明に関しては1993年に英、伊両国政府の承認を取る計画が立てられた。

事故発生と機数削減

 ウェストランド社とアグスタ社ではEH-101の飛行試験が順調に進んでいた。ところが1993年1月21日、イタリアのPP2がテスト飛行中に事故を起こした。ローター・ブレーキが故障して操縦不能な横転に入ったのである。乗っていた4人は全員死亡し、6月24日まで半年近くイタリア製EH-101の全機が飛行停止となった。
 この騒ぎの中でも、英国側の試験飛行は続いていた。英海軍の装備をしたPP4とPP5はRTM322エンジンを装備して飛びはじめた。このエンジンを最初に搭載したのはPP4で、新しいエンジンによる初飛行は1993年6月6日であった。
 一方、英空軍は長いこと次期支援ヘリコプターの結論を出さないままできたが、1993年12月1日正式にEH-101が空軍の次期戦術輸送ヘリコプターとして選定されたことが発表された。ただし、機数や納期は明確にされなかった。
 しかし欧州の緊張がゆるむにつれて、EH-101の必要性も薄らいできた。受注数は英海軍の44機だけで、EH-101計画は依然として不確定要素の多い状況にあった。経営不振のウェストランド社も1994年初めから英GKNグループの傘下に入った。
 1994年なかば、英空軍の基本方針がほぼ固まった。その内容はチヌークが15機、EH-101が25機というもの。これは従来のウェセックスHC.Mk2に代わるものである。
 1995年4月7日、2度目の事故がEH-101を襲った。今度はウェストランド製のPP4で、高度3,600m付近を飛んでいたとき、尾部ローターの駆動軸が破損し、操縦不能に陥った。乗っていた4人のうち3人は高度3,000m付近で脱出、パラシュートで降下した。しかし機長は900m付近まで機内にとどまり、墜落する機体が民家に突っ込むようなことがないのを確認して脱出した。そのため脱出高度が低すぎて、充分にパラシュートが開かず、背骨に重傷を負った。
 余談ながら、墜落機には大量の燃料が搭載されていたが、火は発しなかった。回収されたコクピットのボイスレコーダーからは、「みんな出たか」「みんな出たか」と繰り返す機長の声が聞かれた。かくて、この事故では1人の死者も出なかった。このときPP4は、1989年6月の初飛行以来6年弱の間に385回、463時間の飛行をしていた。なおエンジンは途中で、T700-401からRTM322に換装されていた。
 そうした不安感の中で、イタリア政府は調達機数を徐々に減らし、今や確定16機、仮8機という計画になった。1995年には、この機数すらも削られそうになったことがある。国防予算が削減され、EH-101の調達費も減らすという予算案が出てきたためだった。
 一方ウェストランド社は1994年10月、英海軍向けEH-101マーリンの最終組立てに着手した。この量産1号機のロールアウトは1996年3月であった。

カナダからの大量発注

 このようなEH-101の開発作業の途中で、カナダ政府が同機を発注し、またキャンセルするという騒ぎがあった。
 発端は1987年初め、カナダ国防省が新しい艦載機の調達計画を発表したことにはじまる。当時のカナダはASW機としてシコルスキーCHSS-2(のちにCH-124A)シーキングを41機保有していた。その後継機として、20億カナダ・ドルの予算で50機の新しいASWヘリコプターを調達しようという計画である。
 この調達計画に対して、EH-101とアエロスパシアル・スーパーピューマが激しい受注合戦を演じた。その結果、カナダ海軍は搭載量が大きく、充分なASW装備のできるEH-101を選定し、契約内示を出した。調達予定は50機であった。
 1988年7月、カナダ政府は50機のEH-101調達のために所要の予算を計上した。ただしカナダ向けの機体は装備品や部品の多くをカナダ国内でつくることになっており、結局、調達額の78%が国内のメーカーにゆくはずだった。事実、最終組立もCT7エンジンの製造もカナダ国内で行うことになった。
 50機の調達契約が調印されたのは1992年7月24日である。契約金額は総額44億カナダ・ドル。機体の内訳は35機が対潜用艦載機CH-148、15機が捜索救難機CH-149。引渡し開始は1998年ということになった。
 カナダ政府の中でEH-101の必要性が痛感されたのは、これより先の1991年10月30日、空軍のハーキュリーズ輸送機が北極圏で墜落する事故が起こったときである。直ちに捜索救難の出動命令が出たが、気象条件が悪くて、救難用ヘリコプターCH-113ラブレーダーは現場に近づくことができない。やむを得ず別のハーキュリーズが飛び、毎秒20m以上という突風が荒れ狂う中、救難隊員が必死の思いでパラシュート降下をして救助に向かうという事件があった。
 そのうえ1992年4月にはCH-113ヘリコプターがエンジン故障のために墜落事故を起こした。そんなことが続いたために、カナダ国内ではますますEH-101が必要というということになり、同機ならば北極圏を含むカナダのどこへでも飛べるに違いないと考えられた。
 こうしてCH-148(カナダ向け対潜型EH-101)は、それまでのCH-124Aシーキングに代わることになった。当時カナダ軍には32機のシーキングが存在した。それに代わってCH-148は東海岸に23機、西海岸に12機が配備される計画だった。CH-148の乗員は4人――パイロット2人、航法員1人、センサー操作員1人である。機体はフリゲート艦や駆逐艦の艦載機として海上任務につくことになっていた。
 もうひとつのCH-149(カナダ向け捜索救難用EH-101)は、陸上基地を本拠とする捜索救難機(SAR)で、乗員は5人――パイロット2人、航法員1人、救助隊員2人。機体左舷のドアの上にホイストをつけ、担架8人分と負傷者10人の搭載が可能であった。
 カナダ向けEH-101は1号機が1996年に飛ぶことになった。そして98年に引渡され、カナダ国内で実用試験をしたのち、1999年から本格的な引渡しがはじまる計画が立てられた。

改めて15機を提案

 しかしカナダのEH-101発注は、当初から政治的な論議を引き起こした。発注に反対する自由党は、技術的な適性よりも、値段の高いことを攻撃の的にした。それに対する保守党政権は、当時の湾岸戦争の例を引き合いに出したり、サラエボのような将来のPKO活動に必要であるとしたり、広大な国土と長大な海岸線を持った国で人命保護のためには、こうした捜索救難機が必要であると反撃した。
 そんな論争の中でカナダの総選挙がはじまった。EH-101の費用が急増したことを知った自由党の党首、ジャン・クレティエンは政権を取れば直ちにEH-101の発注をキャンセルするという公約を発表した。保守党も1993年9月、発注数を43機に減らし、10億カナダ・ドルを節約するという公約を出した。同時に今ここで注文を取り消すならばキャンセル料を取られるので、カナダ政府の損害は5〜7億ドルにもなると発表した。
 しかし結果的にはクレティエンが当選し、カナダにおけるEH-101の運命は決まった。契約破棄である。このキャンセルに伴うカナダ政府の出費は、国内メーカーへの支払いも合わせて4億7,860万カナダ・ドルであった。1機のヘリコプターも受け取らずに、約400億円をドブに捨てたことになる。
 もっとも最近、EHインダストリー社は改めて、カナダの航空機関連メーカーと組み、カナダ政府が調達予定の15機の捜索救難機としてEH-101を提案する準備をすすめている。このカナダ向けの機体には特にEH-101コーモラント(鵜)の名前をつけ、1997年5月初めまでに提案書を提出する予定。
 その内容は計器気象条件でも夜間飛行が可能で、カナダの極地的な寒冷気象にも対応できる防氷装置がつく。航続距離は機内タンクを装備して1,300km以上。それでも乗員4人のほかに、救急患者28人、または担架16人分の搭載が可能という。
 コーモラント・チームには欧州勢のほか、カナダのボンバーディア社、ブリストル・エアロスペース社などが入っている。またカナディアン・ヘリコプター社もチームの一員としてリース案を出しており、将来の整備業務を担当する計画。

イギリス海軍希望の星

 カナダ政府から袖にされたEH-101も、英海軍にとっては希望の星である。21世紀に向かって、現用シーキングに代わるASWその他の多用途機として、今や本格的な量産がはじまった。
 このEH-101マーリンに対して、英海軍が初期構想段階から求めていた要件は、洋上の広い範囲で迅速な作戦行動ができるような速度性能と航続性能をもつことであった。また敵潜水艦を発見したときは直ちに攻撃できるよう魚雷4発を搭載することである。
 これに応えて、マーリンはダッシュ速度310km/h、巡航速度280km/hという高速性能を実現した。そして5時間の航続性能をもち、母艦から1時間の距離に進出した場合は、現場海域に3時間とどまって作戦行動をすることができるようになった。
 マーリンの第2の特徴はASWとしての統合システムを装備していて、探知作業から得られたデータをその場で解析処理して敵の位置を判読し、直ちに攻撃作戦に移ることができること。すなわち自己完結型の単独行動が可能で、母艦その他の支援部隊に頼る必要がないことである。
 こうしたマーリンの作戦能力をシーキングに比較するならば、搭載能力は33%増しとなり、敵潜水艦の探査能力は6倍以上、攻撃能力はシーキングの1回に対してマーリンは2回になる。また艦船の探知能力はシーキングの2.2倍である。
 第3の特徴は広範な任務をこなす多用性をもつこと。第4は敏捷な運動性と操縦性をもつことである。マーリンは機体が大きいために、一見して鈍重に見えるが、リンクスに匹敵する敏捷性を有する。これはパワーが大きく、操縦性に余裕があるためで、せまい艦船の甲板で昼夜を問わず、風が強くて海面が荒れていても、安全に発着することができる。
 具体的には風浪階級6――波高4〜6mの高波がある状態で、横風25mでも発着することができる。そして着艦と同時にハープーン(もり)が半自動的にデッキの格子の間にはまりこんで機体を固定する。さらにローターの回転推力をマイナスにして、機体を甲板に押しつけるような状態にするのである。

1999年から実戦配備

 マーリンのもうひとつ大きな特徴は、コクピットがパイロットの負担を極力減らすような設計になっている。このためパイロットは1人でも操縦することができる。飛行性能範囲のどんな状態でも操縦性にすぐれ、自動操縦にしておけば殆どの作戦任務遂行中でも手を放していることができる。
 そのためのアビオニクス類は大部分が3重に装備されて故障にそなえ、3基のエンジンは1発が停止しても95%以上は危険な状態に陥るようなことはない。したがってパイロットは落ち着いて回復操作をおこない、安全に母艦または陸上基地へ戻ることができる。
 もうひとつ、シーキングの尾輪式に対して、マーリンは前輪式の3車輪で、パイロットは前輪のほぼ真上にすわる。また主ローターの回転面の先端はパイロットの真上に近いため、前方のクリアランスが見やすく、しかも尾輪の位置を気にする必要がない。したがって狭い艦上でも操作がしやすく、安全である。
 マーリンの主な対潜装備は探査レーダー、電子機器、吊り下げソナー、音響解析装置、ソノブイ、ディジタルマップ、作戦データリンクなど。それに無線機器、データ収集装置、GPS、INSなども含めて、全ての機器が乗員3人で操作できる。特に潜水艦の探知と解析のための捜査員は主キャビンの広いところにすわり、快適な環境で作業をすることができる。
 ASWヘリコプターとしてのマーリンは基地から沖合遠くへ進出し、単独行動をしながら、敵潜水艦を探査し、識別し、攻撃することができる。さらに海面上の通常艦船の探査についても充分な能力をもち、魚雷攻撃をすることができる。将来は対艦ミサイルも装備する計画である。
 EH-101マーリンは対潜水艦作戦のほかにも、さまざまな任務に当たることができる。たとえば捜索救難、負傷者救出、兵員輸送、重量物運搬である。こうした多様な任務をこなせるのは、飛行性能もさることがら、キャビンが大きく、ペイロードが大きいことによる。
 胴体は、キャビンの大きさが28立方メートルで、担架8人分と医師、看護員、医療器具などを搭載することができる。また上陸作戦を支援する場合は、完全なASW装備をしたままでも兵員12人をのせられるし、ASWの一部――ソナーやソノブイ投下装置を30分で取り外せば兵員20人、全装備を外せば30人の完全武装兵員を搭載できる。
 補給輸送に際しては、4.5トンの資材吊り下げ輸送が可能。また後部のランプドアを大きく開けて、大型資機材を機内に積みこむこともできる。
 捜索救難任務にもASWと同じ探査装置を使えばよい。機内のコンピューターには世界中のディジタル・マップ・データを読み込むことが可能で、これに衛星航法システム、慣性航法システム、方位および高度関連装置を組合わせれば、自機の位置をきわめて正確に知ることができる。さらにドップラーレーダー、電波高度計、捜索救難のための自動パターン飛行装置などを使って、短時間のうちに海上の遭難者を発見し、その真上にホバリングするところまで、ほとんど自動的にヘリコプターをもってゆくことができる。
 そこからウィンチマンが補助ホバリング操縦装置を使って、機体の位置を細かく調整しながら油圧ホイストを降ろし、遭難者を救い上げる。
 洋上捜索のためにマーリンの航続時間を延ばす必要があるときは、ホバリングによる空中燃料補給をすればよい。これは、そのための装備をした艦艇の上空で停止しながら、燃料を吸い上げることができる装置である。
 こうしてマーリンは英海軍の最も有効な多用途機として、母艦や基地から洋上遠くまで進出し、長時間にわたって他の支援に頼ることなく、独立任務を果たすことができる。
 その量産1号機は1996年に完成、97年1月13日に初飛行した。英海軍のASW機として完全装備をしており、今後は実用試験を経て98年に引渡され、99年から実戦配備につく。最初のマーリン実戦部隊は6機、9クルーで発足、2001年からは艦載配備もはじまる計画になっている。最終的な配備数は44機である。

コンバット・レスキュー

 もうひとつ、EH-101はコンバット・レスキュー機としても有用である。上の捜索救難任務と類似するが、戦闘中の味方航空機が撃墜され、乗員が敵の領地内にパラシュート降下をしたような場合、ヘリコプターはいち早く救出に向かわなければならない。その場合、救難ヘリコプターは味方の兵員が隠れている場所へ正確に、迅速に、静かに到達し、敵の目につかぬようにして救出し、味方基地へ戻ってくる必要がある。ときには敵の地上砲火、もしくは空中からの攻撃に対して闘わなければならない。
 EH-101はそうした戦闘救難任務を確実に遂行できる能力を持っている。ひとつは耐弾性にすぐれていること、もう一つは機体の大きな割に敏捷な行動力を持っていることである。そのうえEH-101は全天候性を持ち、ほかの救難機が飛べないようなときにも救助に向かうことができる。気温は−40℃から+50℃までの範囲で飛行可能であり、夜間の捜索救難にそなえては暗視ゴーグルや赤外線探査装置を装備している。
 また速度がはやく、航続距離が長く、空中給油装置もあるので、遠隔地の救出にも向かうことができる。
 さらに救難任務は、ことの性格上、迅速な出動が要求されるが、EH-101は出動命令から5分で離陸することができる。また救出地点に着陸することができれば、後部のランプドアを大きく開いて、大量の兵員を一気に搭載することも可能。兵員ならば26人、担架は16人分をのせることができる。
 それに自動航法装置があるので、遭難地点がはっきりしていれば、機上のコンピューターによって、まっすぐ現場へ飛ぶことができる。航法装置はGPS、INS、ドップラー、ILS、VOR、TACAN、ADFなど、あらゆるものを装備している。そしてレーダー警報装置やミサイル接近警報装置をもち、敵の攻撃がはじまったときはチャフ、赤外線ジャマーなどでミサイルの目をくらますこともできる。
 火器装備は大型マシンガンが2門。これで敵の地上部隊を制圧して、味方を救出する。通信機器は上空監視機AWACSや遭難者と通話することができる。
 味方の遭難者を救出したあとは、往路の超低空飛行とは逆に、氷結気象状態でも高々度を取って戻ってくる。地上の敵に狙われないためである。残りの燃料に心配のあるときはエンジンのひとつを停めて、2発で戻ることもできる。
 こうして戦場の負傷兵は、高速、長航続のEH-101に救け出されて、短時間で病院に入ることができるのである。

将来は短固定翼を装着

 なお最近の報道によれば、ウェストランド社はEH-101マーリンに短固定翼をつけて、早期警戒機(AEW:Airborne Early Warning)とする提案をしている。これは英海軍が計画中の将来型AEWをめざすもので、提案の内容は短固定翼を胴体上方の肩のあたりに取りつけてコンパウンド機とし、エンジン出力を上げることと相まって、速度、航続距離、航続時間、運動性、上昇限度などの飛行性能を向上させるものである。
 このように、最近の研究では、ヘリコプターに短固定翼機をつけ加えるだけで揚力と操縦力が向上し、ティルトローター機にも近い速度性能と航続性能を発揮できる。ということは、コンパウンド機は将来のヘリコプターの飛行性能を大きく向上させる手段となり得る。逆に振動は減少するのである。
 このためウェストランド社は、来年にも現用リンクスを改造して実機をつくり、技術的な実験飛行をしたいとしている。この実験にあたっては、リンクスのエンジンを今のRRジェムからRRチュルボメカRTM322に換装する。実験目標は巡航速度460km/hで、新しい未知の技術を採り入れることなく、飛躍的な性能向上が期待できるという。

旅客輸送型ヘリライナー

 EH-101に期待されるもう一つの特性は、将来のコミューター航空である。すでに民間機として1994年11月、英CAA、伊RAI、米FAAの型式証明を同時に取得している。
 客席数は30席。旅客キャビンは普通のターボプロップ機と変わらず、振動や騒音も少ない。天井の高さは1.8m。座席は中央通路をはさんで左右4席。頭の上には手荷物入れがあり、読書灯や空気の吹き出し口は座席ごとに調節できる。つまり普通の旅客機と同じ快適な乗り心地である。そして巡航速度は277km/hという高速度で、740kmの航続性能をもつ。
 この旅客ヘリコプターの完成を見て、英商工省はウェストランド社と共同でEH-101による旅客輸送の可能性を調査することにした。この作業にはアグスタ社も参加を希望し、イタリア政府の参加も要請している。
 調査は英国内、欧州圏内、さらには日本や米国内の路線を想定しておこなわれる。その内容は、この大型ヘリコプターが都心から都心への迅速な移動手段、また主要空港から近郊都市への移動手段になり得るかどうか、その可能性を探ることである。問題点は旅客需要、経済性、地上施設、航空路、計器飛行進入および出発、そして環境への影響である。
 近年、航空旅客の増加につれて空港の混雑が激しくなってきた。この現象は、日本はもとより、欧米の至るところに見られる。その結果、たとえば欧州では今後10年ほどの間に、主要な国際空港は6か所のうち5か所がパンク状態になるものと予想されている。特に英国では滑走路の容量が限度に達しつつある。
 そのため、たとえばロンドン西方200kmの地点にあるカーディフという町からは直接ヒースロウ空港へ飛ぶことができない。というのはヒースロウの滑走路が受入れ限度いっぱいで、これ以上のスロット枠が取れないからである。止むを得ず、カーディフからは年間5万人の人びとがロンドン上空を通過してオランダのスキポール空港へ飛び、そこから改めて長距離国際線に乗り換えている。
 このあたりの状況は、日本と変わらない。成田空港がいっぱいで乗り入れ枠がないために、地方空港の旅客はソウル経由で長距離国際線に乗り換えなければならない。そのうえ日本もイギリスも、状況はますます悪化しつつある。ロンドンでは、ヒースロウやガトウイックといった主要空港間だけでも、年間60万人の乗客が混雑したM25自動車道で移動している。
 そこで英商工省とウェストランド社の発想は、両空港間にEH-101ヘリライナーを飛ばしてはどうかということ。昔この区間ではシコルスキーS-61ヘリコプターが旅客輸送をしていた。しかし、上述の高速道路ができてヘリコプターの運航は中止となった。けれども今、その高速道路も渋滞がはじまり、再びヘリコプターが必要になったというわけである。
 特にファーストクラスやビジネスクラスの旅客を対象にして、道路交通の時間と費用を考えるならば、ヘリコプターによる時間と費用は充分競合できるのではないかというのである。
 またカーディフ〜ヒースロウ間に、EH-101のヘリコプター路線を開設することも考えられる。巡航270km/h以上の高速で飛べるから、この区間ならば45分くらいで飛んでしまう。それに騒音が小さい。町の中のヘリポートでも住民の納得を得て、定期便として発着することができよう。途中の飛行経路上も、高度1,500mでほとんど地上への影響はなくなる。また空港での離着陸は急角度で進入したり上昇したりできるから、騒音の及ぶ範囲は固定翼機よりも小さくなる。 
 さらに大空港におけるヘリコプターの離着陸は、滑走路が要らないために大型旅客機の運航とは無関係におこなうことができる。したがって、航空管制の邪魔にはならない。また悪天候に際しても、最近のヘリコプター航法技術の進歩によって安全確実な飛行を続けることができる。

超近代的な大型機

 EH-101ヘリライナーは、一般的な旅客輸送ばかりでなく、海洋石油開発の支援機としても有効である。もともと対潜機として洋上長時間の飛行を目的として開発されたものでもあり、沖合い遠くの油田開発にはもってこいのヘリコプターといえよう。そのうえEH-101は、エンジン3基のために不時着などしないはずだが、万一海上に不時着するようなことがあった場合も、緊急用の大型フロートを装備していて、搭乗者は容易に脱出することができる。
 このことを実証するために、EHインダストリー社は地中海と北海に2機のEH-101を送りこみ、石油開発の支援実験を進めている。3年半で6,000時間の実用運航をする計画である。
 現在は2機のEH-101が南イタリアのブランディシを基地として、先ず2,500時間の飛行をおこなう。そして1997年末にはアバディーンへ移り、北海の悪天候の中で同じような実用試験をする予定。
 1996年5月から始まった実用試験は、最初の3か月間に2機で400時間の飛行をした。この間、1日24時間のあいだに1機で11時間10分の飛行をしたこともある。また4日間に1機で25時間という飛行も記録された。そして最初の1か月間の運航は1機98時間であった。
 EH-101は要人輸送にも使うことができる。夜間でも悪天候時でも、どんなときにも5分以内に離陸することが可能だし、いつ如何なる事態にも対応しなければならないVIP輸送には最適の航空機である。
 また機内は騒音や振動が少なく、キャビン内部が広く余裕があるので、快適に過ごすことができる。さらにVIPの好みによって如何ようにも内装を変更することができるし、キャビンを2つに区切ることも可能。ほかにギャレーや手洗いもつけられる。
 安全性については3発のエンジンが保証しており、重要装備品は二重、三重に取りつけられ、その状況は常にHUMSによって監視されている。したがって装備品や部品がいつの間にか劣化したり、故障が大きくなるようなことはない。
 このほか民間機としてのEH-101は、旅客輸送ばかりでなく、さまざまな用途に使うことができる。警察や消防の災害救助、救急、経済海域の監視、捜索救難、消火、沿岸警備など。特に警察、消防、沿岸警備にとっては、キャビンが大きく、航続距離が長く、全天候性を有するなど、無限の可能性を秘めている。
 さて、今から20年近く前、まだEH-101の影も形もない頃、ウェストランド社を訪れたことがある。ロンドンから汽車に乗って西へ3時間余り、緑の丘陵地帯にいかにもイギリスらしいくすんだ工場が建っていた。
「ここは牛とヘリコプターしかいません」
 確かに汽車の駅と工場の間をタクシーで走っているときも、人影はほとんど見あたらなかった。そんなのどかな設計室から生まれたEH-101は、牛のように大きいけれども、敏捷で高速、長航続の超近代的なヘリコプターとなった。田園の中の長い揺籃期の成果が、今ようやく軍・民両分野で実用段階に達したのである。 いずれは日本にも登場することになっているが、その大いなる活躍を期して待つことにしたい。

(西川渉、『エアワールド』誌、97年6月号所載)

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