機長からアナウンス

 

 仙台を離陸したのは午後5時過ぎであった。今年2月、冬の夕暮れどきで、赤々とした西日が空港ビルを照らしていた。乗ったのは関西国際空港ゆき、フェアリンクのCRJ200(50席)。偶然にも仙台で所用のあった翌日、今度は大阪で用ができたのである。

 乗客は全部で11人。中央の通路をはさんで左右2席ずつの座席に、何故か乗客は前の方に固まって指定され、後方には誰もいない空席がさびしげに並んでいた。

 機は巡航状態に入ると、海岸線に沿って南下をはじめた。右手、地平線上に夕陽の沈んでいくのが見える。窓はやや低い位置にあって、飛行機の直下を見るには都合がいいが、座席にすわったまま遠くを見ようとすると、背中をかがめなくてはならない。この点は、新しいCRJ700(70席)では改善されたらしい。

 機内は静かである。2基のエンジンが胴体後方にあるためだろう。振動も少ない。機はいつの間にか海岸線を離れ、太陽を追って南西方向へ向かいはじめた。スチュワーデスが飲み物を持ってくる。ウーロン茶とオレンジ・ジュースとコーヒーの中からひとつを選ぶ。搭乗スチュワーデスは1人である。

 やがて機長のアナウンス。「当機、フェアリンク3006便は17時7分に仙台空港を離陸、高度7,300mを順調に飛行中です。関西国際空港には18時45分到着の予定です」

 道理で地上の景色がよく見えると思った。高度が低いのである。普通のジェット旅客機が1万メートル前後を飛ぶのに対し、リージョナル・ジェットの巡航高度は7千メートルかと思ったが、そうではないらしい。本来ならば大型ジェットと変わりはないが、夕方のラッシュ時で関東周辺の空域が成田や羽田で発着する航空機で混んでいたため、低空を指定されたのではないか。

富士山北側を飛ぶ

 おかげで磐梯山や猪苗代湖や中禅寺湖がよく見えた。30分余りを飛んで関東平野に出る。間もなく左手に富士山――すなわち富士の北側を飛んで西へ向かっているのである。眼下にはしばらく、南アルプスの雪をいただいた峰々がつづく。深い山中に光の列があるのはスキー場の夜間照明であろうか。

 あたりが薄暗くなってしまったのは残念。昼間ならば、地上のもようがよく見えたのではないかと思う。1時間近くたって、右手に名古屋の明かりが見える頃、眼下の伊勢湾海面に灯火の集まっているのが見えた。中部国際空港の建設現場かと思われるが、漁船の集魚灯かもしれない。

 鈴鹿越えに入った。途端に一度だけドスンと突き上げるような小さなショックがあったが、機は構わずに高度を下げて行く。紀伊半島を横断して、紀ノ川沿いの灯火を見ながら大阪湾へ出る。

 ただし、なかなか着陸しない。どこをどう回ったのか、徳島か淡路島の海岸まで飛んだのだろうか。暗い海面と遠くの明かりだけではよく分からないまま、何度も旋回を繰り返してようやく関西国際空港にすべりこんだ。

 機の停まったところから、はるか遠方のターミナルまではバス。仙台空港で乗りこむときもバスだったが、新興会社はどうしても虐待される――というのは言い過ぎかもしれぬが、新参の会社が不利な立場に立たされるのはやむを得ない。けれども、それを利用する乗客まで虐待されるいわれはない。いじめか嫌がらせによって、こんな飛行機には乗りたくないと思わせるかのようだが、旅客の乗降時だけでもターミナルビルに直接つけることはできないのか。

 バスが動き出したとき、ふと飛行機の方を振り返ると、先ほどのスチュワーデスがタラップの上、乗降口の前に立って深々と頭を下げていた。


仙台空港の片隅、貨物機の横で客扱いをするフェアリンクCRJ200

ヘッドセットでセットが乱れる

 リージョナル・ジェットのそんな体験をしてから1か月余り、『機長からアナウンス』(内田幹樹著、原書房刊)という本を読んだ。著者は巻末の略歴によると現在フェアリンクのCRJ機長。その前は大手エアラインで747-400の機長だったらしく、本の内容もそのときの体験談が中心である。「スチュワーデスとパイロットの気になる関係」「結婚・離婚・再婚……」「ちょっと変わった仲間たち」「「全員が居眠りで目的地通過!」「UFOに遭遇?」「変わった客、困った客」「パイロットのたまり場」というような一見軽い表題の目次が並んでいる。

 しかし、そうした話題の合間にシリアスな論評もあって、読者の注意が喚起させられる。たとえば先日の日本航空ニアミス事故に関連して、新人管制官を教育する管制官が「ほとんど教育に関する専門訓練を受けていないとのこと。その空域の資格保持者が自分流で教えているという……そろそろ日本の管制も、空の民営化を考える時期に来ているように思う」といった問題が提起されている。

 管制業務を国家がおこなうと、たとえば「中国では、サービスではなくて指示を出している感じで、非常に飛びにくい」。日本も「最近になって、ぶつぶつつぶやいてばかりで、指示がはっきり聞き取れない人が増えてきた」。これはマイクロフォンをきちんと口のそばへ持っていかないからで「外国のエアラインが日本のコントロールに入ると、『もう一度言ってくれ』と繰り返している。聞こえにくいし、わからないからだ」

「仙台空港と関西空港を往復しているあいだでも、かならず1人か2人は声が遠くて、ほとんど言っていることがわからない管制官が出てくる」。これはフェアリンクでの最近の体験であろう。ヘッドセットを机の上に置いて対空通信をしている管制官もいるらしい。「なぜヘッドセットを頭に装着しないのかと聞くと『セットが乱れるから』と答えた」のは洒落にもならない。「『それじゃあ相手に聞こえないのでは?』という質問には、彼女はメーターの針をさして『動いている』といった」とか。こんな些細な問題の積み重ねが大きな事故につながるのではないだろうか。

自由化は芝居の一幕か

 関西空港への着陸についても「さまざまな空域制限があって、空港のまわりを大回りさせられる。なんと空港が見えてから降りるまでに40分もかかるのだ。こんなむちゃくちゃな飛行場は、関西空港以外には見たことも聞いたこともない」と、著者は書いている。私の乗ったフェアリンク機も、旋回ばかりしていてなかなか着陸しないと思ったら、そういうことだったのである。

 羽田空港についても、著者は問題点を指摘する。「ロンドンのヒースロウ空港と変わらない規模なのだ。それが片やヒースロウは国際線をどんどん飛ばし、なおかつ国内線も乗り入れて平気でやっているのに、なぜ羽田ではできないのか。……しかも国際線と国内線が同じ飛行場から出ていないなんて、利用者無視も甚だしい」

 まことに、空港は交通の結節点である。単に飛行機の離着陸ができればいいというものではない。国際線と国内線の乗り換えはもとより、ビジネス機や自家用機やヘリコプターも自由な乗り入れができなければならないし、鉄道、バス、乗用車などの地上交通機関とも結びつかなければならない。

 そんなことを言っても、羽田は発着容量が限度いっぱいといわれるかもしれない。が、年間117,000回の離着陸という羽田に対して「ほぼ同じ大きさのロンドンは約396,000回、この違いはどこから生まれるんだろう?」と著者は疑問を呈している。

 この点は、旅客のための空港か管制のための空港かという根本的な考え方の差異にちがいない。それに管制技術といった能力の差もあるのではないか。このあたりの問題が改善され進歩しない限り、規制緩和とか航空の自由化はかけ声だけに終わるだろう。

 羽田では、リージョナル航空の乗り入れについても排除されたままだが、著者は次のように書いている。

「エアドゥやスカイマークが……どうやっていきなり幹線の認可を取れたのか、たぶんに政治的な演出だろうとは思う。……あれがもし自由な競争でおこなわれていたのだとしたら、あのあとに出たジェイエアやフェアリンクがすぐに羽田へ入れなければおかしい……航空自由化というお芝居の一幕だったのではないかとさえ思える。こうしたことがもう少しオープンに、自由にならないと、地域航空輸送の地盤はかたまらないだろう」と。

 賛成である。

(西川渉、『日本航空新聞』2001年6月21日付け掲載)

 

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