ヘリコプターの飛行性能を一挙に前進させたのは、ドイツのハインリッヒ・フォッケ博士が設計したFW-61である。1人乗りの同機は1936年6月26日に初飛行した。胴体左右に張り出した腕木の上に二つのローターをもち、それを駆動するエンジン(160hp)には空冷用のプロペラがついていた。そのためオートジャイロのように見えて、当時の誤解を招いたが、むろん本物のヘリコプターである。このFW61は、まず1937年5月10日、ヘリコプターとしての初のオートローテイション着陸をした。
そして6月25日には高度2,349m、滞空1時間20分49秒という記録をつくった。さらに翌日は周回コースでの航続距離80.604km、直線コースでの航続距離16.4km、速度122.533km/hを記録した。これらは当時のヘリコプターの公式記録をすべて書き換えるもので、ヘリコプターの滞空時間が1時間を超えたのも、このときが初めてである。
また1937年10月には、ドイツのブレーメンからベルリンまで飛んで、108.974kmという航続記録をつくり、1938年2月には有名な女流パイロット、ハンナ・ライチェがベルリンのドイツ・ホールの屋内で、何千人もの観客を前に、この双ローター機を自在に飛ばして見せた。ハンナは世界最初の女流ヘリコプター、パイロットである。
その後も、FW61は1938年6月20日に航続230.348kmを飛び、1939年1月29日には3,427mの高度記録をつくった。
このFW61を発展させたフォッケ・アハゲリスFa223(6人乗り)が初飛行したのは1940年6月12日のことである。同機は1,000hpのエンジンを備え、実験段階にとどまったFW61に代わって、史上初の実用機として生産されることになった。しかし第二次大戦中のことで工場が爆撃されたりして、実際に製造され、飛行した機体はごく少数であった。
同機は1940年10月28日、高度7,090mまで上昇したが、この高度記録は公式には1954年10月まで破られていない。さらにFa223は182km/hの速度記録をつくり、1945年9月にはヘリコプターとして初めて英仏海峡を飛びわたり、同年末には3時間42分の滞空記録をつくった。
1939年9月14日、アメリカはコネチカット州スチラチフォードで、イゴール・I.シコルスキーが自作のヘリコプターで地面を離れた。VS-300の初飛行である。もっとも、この飛行はロープで地面につながれたままのもので、真の自由飛行は翌年の5月13日、15分間にわたって行われた。
VS-300は4気筒、75hpの空冷エンジンをつけ、Vベルトとベベル・ギアから成るトランスミッションで、直径8.5mで3枚ブレードの主ローターを駆動していた。機体にはむき出しの溶接鋼管構造。降着装置は3つの車輪がつき、操縦席はは吹きさらしままであった。
自由飛行から1年、1941年5月6日には1時間32分26秒という滞空記録をつくっている。このあたりから、米陸軍もシコルスキー・ヘリコプターに注目するようになり、実験用に発注されたX R-4が初飛行したのは1942年1月14日。V S-300よりも2倍の出力を持つ175hpのウォーナーR-500-3エンジンをつけ、大きさも2倍になっていた。
さらに1943年8月18日には分ワスプ・ユニオール・エンジン(450shp)を装備するR-5が飛び、同年10月15日にはR-4と同じ大きさで性能と外観を改めたR-6が飛んだ。
これら3種類のヘリコプターは第二次大戦中に400機以上が生産され、米陸軍、海軍、沿岸警備隊、英海軍、英空軍で使われた。実戦では中国やビルマの撤退作戦に使われたという。
ヘリコプターが初めて民間証明を取得したのは1946年3月8日。アメリカ民間航空局によるNC-1Hの証明をベル47小型機が交付されたものである。ヘリコプターはこのとき初めて商業飛行が可能となった。また5月8日には型式証明Hー1を取得した。それは、技術者と工員の延べ100万時間に及ぶ作業と300万ドル相当の研究、4,000時間の実験飛行の結果であった。
ここに至るまで、ベル・エアクラフト社は第二次大戦中、キングコブラなどの戦闘機や米国初のジェット機、エアラコメットをつくり、後にはベルX-1やX-5といったロケット機もつくっている。ヘリコプターの研究は1940年代初めから開始、アーサー・ヤング技師の発明になる2枚ブレードに安定棒をつシーソー・ローターを基本として、1943年初めベル30を初飛行させた。複座の同機は主ローターが直径10.06m、尾部ローターはひとつ、エンジンはフランクリン165hpであった。
ベル社は、このモデル30実験機を3機つくり、3年間にわたる徹底的な試験の末に、先のモデル47を生みだした。その初飛行は1945年12月8日。46年に入って上述の型式証明を取り、年末に量産1号機がアリゾナ・ヘリコプター社へ引き渡された。以来、1973年末に生産を終了するまでの30年近い間に、47シリーズはおよそ5,000機が生産され、世界中の軍民両用に今も使われている。
スタンレー・ヒラーは1944年からヘリコプターの研究に入り、1947年モデル360の初飛行に成功した。同機は主ローター・ヘッドに「コントロール・パドル(かい)」がついていて、操縦性の良いのが大きな特徴であった。今のヒラー12シリーズの原型で、直ちにアメリカ陸海軍に採用され、量産に入った。なお同機は1949年、アメリカ大陸の横断に成功した。これは初の記録である。(つづく)
(西川渉、『航空ジャーナル』別冊「ヘリコプターの世界」掲載、1986年2月刊)
【追記】
近代ヘリコプターの道を開いたアメリカ側の3社、シコルスキー、ベル、ヒラーについては、それぞれ詳細なウェブサイトがあるので、上のような歴史を考える場合には大いに参考になる。ただし、上の文章を書いたときにはインターネットなどはなかった。わずか10年ほどの間に、この種の情報収集の手段はまことに便利になったものである。
この3社に、ドイツが敗れるまでのフォッケの業績を合わせ、ひとつの表にまとめると次のようになる。
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1936 |
FW-61初飛行 |
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1937 |
滞空1時間20分 |
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1938 |
ドイツ・ホールで屋内飛行 |
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1939 |
Fa266原型機完成 |
VS300初飛行 |
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1940 |
Fa223初飛行 |
VS300真の自由飛行 |
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1941 |
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滞空1時間32分 |
ヘリコプターの開発に着手 |
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1942 |
Fa223実用化 |
XR-4初飛行 |
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1943 |
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R-5初飛行 |
モデル30初飛行 |
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1944 |
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XH44初飛行 |
1945 |
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R-4,R-5、R-6を実戦に使用 |
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1946 |
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モデル47民間証明を取得、量産開始 |
モデル360初飛行 |
1948 |
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モデル360に型式証明 |
これで見ると、表の左上から右下へ向かって階段を下りていくように、フォッケから3年後にシコルスキーが飛び、その4年後にベル、そのまた3年後にヒラー360が初飛行したことが分かる。つまり、1930年代なかばから40年代なかばまでの10年間、折からの世界大戦を背景としつつ、ヘリコプターは一挙に進歩し、近代的な工業段階へ移行したのであった。(99.9.19)